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トクヴィルと自由主義カトリシズム

ドキュメント内 アレクシス・ド・トクヴィルの政治・経済論 (ページ 101-107)

第5章  トクヴィルの考える社会政策

第2節  トクヴィルと自由主義カトリシズム

  トクヴィルが育った家庭の信仰はフランスの伝統貴族らしいカトリックであったが、トクヴィ ルの内面を考える場合に見逃してはならないのがルスィウール師(Abeé Lesueur)という老神父

32 J. S. ミル『自由論』塩尻公明/木村健康訳(岩波文庫、1971年)14頁。

33 Swedberg, p. 96.

34 J. S. ミル『アメリカの民主主義』山下重一訳(未來社、1962年)81-82頁。

の存在である。トクヴィルの家庭教師であり、父エルヴェ・ド・トクヴィルの宗教的な指導者も 務めたこの神父はジャンセニストではなかったが、ジャンセニスト的な信仰心を持つ人物であっ た。35

  17世紀のフランスにおける最大の宗教論争は、オランダの神学者ヤンセンを祖とするジャンセ ニスムを巡るものであった。36王権との関係構築に成功したイエズス会に対して、ジャンセニス ムはパリ郊外のポール・ロワイヤル修道院を拠点として主に貴族の間に浸透していった。37ジャ ンセニスムの源流にはアウグスティヌスの恩寵論があった。そこでは、人間は神に影響を及ぼす ことはできないが、神は人間の劫罰や救済を恣意的に決定することが可能であり、人間の偉大さ はそのような神の全能性を受け容れることに由来すると考えられていた。この見解は、人間の自 由意志を容認し、自らの救済のために人間も神と協働することが可能であると考えるイエズス会 と真っ向から対立するものであった。38ジャンセニスムの強烈な原罪観と恩寵観はマルティン・

ルターやジャン・カルヴァンの神学思想と通じるものがあり、またその結果として教会の軽視に もつながりかねない過度の内省的信仰が導かれることになる。「教会の外に救いなし」(extra

ecclesiam nulla salus)と考えるカトリック教会にとって、ジャンセニスムはカトリックの教義を逸

脱した異端的存在であった。39このような神学的・宗教的対立だけでなく、ジャンセニスムは政 治的対立にも関係していた。ジャンセニスムは高等法院に深く浸透しており、多くの法服貴族が これを信奉していた。その結果、高等法院が以前から主張していた、ローマ教皇(庁)に対する フランス王権の優位を主張するガリカニスム(gallicanisme)と、ジャンセニスムが結び付く事態

35 Hugh Brogan, Alexis de Tocqueville, A Life (New Heaven, Yale University Press, 2006), p. 51.

36 本稿におけるキリスト教および神学に関する情報の整理・確認にあたっては、大貫隆/名取四郎/

宮本久雄/百瀬文晃編『岩波キリスト教辞典』(岩波書店、2002年)を参考とした。

37 教皇権至上主義を掲げるイエズス会とガリカニスムに立つフランス王権は対立関係にあったと考 えられがちだが、実際の状況はそれほど単純ではなかった。たとえば、王権神授説の理論化に貢献し たジャック=ベニーニュ・ボシュエはイエズス会の学校で教育を受け、その後もイエズス会関係者と 長く交際があった。また、34年間にわたりルイ14世の聴罪司祭を務め、現在でもペール・ラ=シェ ーズ(ラ=シェーズ神父)墓地という名前を残しているフランソワ・ド・ラ=シェーズはイエズス会 士であった。18世紀に入り、西ヨーロッパ各国で絶対王政が志向されるようになると、国家横断的・

地域横断的に活動していたイエズス会は各国の君主たちから警戒されるようになり、ローマ教皇庁に はイエズス会の活動を抑制する要請や圧力が寄せられることになる。1773年、時の教皇クレメンス14 世は各国の圧力を抗しきれず、イエズス会を解散させる。イエズス会と王権、そしてジャンセニスト との関係は宗教問題に限定されたものではなく、当時の政治状況も絡む複雑なものであった。

38 イザベル・ブリアン「ジャンセニスム  厳格主義の誘惑と反抗の心性のあいだで」アラン・コルバ ン『キリスト教の歴史  現代をよりよく理解するために』浜名優美監訳、藤本拓也/渡辺優訳(藤原 書店、2010年)所収、372頁。

39 ジャンセニスムの第一の目的はカトリックの「伝統」を守ることであり、そしてそれに対立的なプ ロテスタンティズム、特にカルヴィニズムを打倒することにあった。ヤンセンが教鞭を執っていたの はカルヴィニズム国家オランダに対抗するカトリックの牙城とされたルーヴァン大学であったが、ヤ ンセンがカルヴィニズムに次ぐ論敵と考えたのは彼が「ペラギウス主義者及び半ペラギウス主義者」

と呼んでいたイエズス会であった。飯塚勝久によれば、ジャンセニスムの考えるカトリックの「伝統」

とは、一方では教会の分裂をもたらしたプロテスタンティズムに対抗するカトリックの根本理念を指 し、他方でカトリック内部の対立を踏まえた「真の正統性」を意味していた〔飯塚勝久『フランス・

ジャンセニスムの精神史的研究』(未來社、1984年)23-24頁〕。

が生じていた。40ローマへの忠誠を示す教皇至上主義(ultramontanismme)のイエズス会は、フラ ンス王国への忠誠かローマ教皇への忠誠かをジャンセニスム派の高等法院から事あるごとに問 われることになり、イエズス会とジャンセニスムの対立は政治問題化していた。これらの複雑な 経緯を経て、宗教的にはヤンセンの思想は古代の異端の復活であるという 1643 年のローマ教皇 庁の非難によって、そして政治的にはフランス王権による 1711 年のポール・ロワイヤル修道院 の破却によって、ジャンセニスムは壊滅させられる。41

  しかし、ジャンセニスムは完全に根絶されたわけではなかった。それはブレーズ・パスカルに 代表されるジャンセニストの著作を経由して、その思想的内実は連綿と受け継がれた。そしてト クヴィル父子の宗教的指導者であったルスィウール師もその影響を受けた人物であった。ジャル ダンは、このようなルスィウール師からの感化によってトクヴィルは人間の尊厳というものを意 識するようになり、本能的な欲求との格闘を抜きにして自由を行使するのは破滅への道に向かう ことであるという悲観主義が内面に育まれることになったと考えている。42ブローガンも、トク ヴィルがパスカルに心酔していたことを認めている。43また、トクヴィルの政治上の師であり、

人間的にも知的にも彼の尊敬の対象でもあったロワイエ=コラールは熱心なジャンセニストで あった母親のもとで育てられており、自他共にジャンセニストとして認識されていた。44トクヴ ィルの信仰については、彼に関する研究の中でも議論が絶えない部分である。45ただ、いずれに してもいえることは、トクヴィルの思想にはジャンセニスムと共通する、人間の限界に対する悲 観的評価が存在していることである。リュシアン・ジョームは、トクヴィルがデモクラシー社会 を考える際の前提として、人間には知性の限界と肉体の限界があることを認識していたことを指

40 ウィリアム・バンガード『イエズス会の歴史』岡安喜代/村井則夫訳、上智大学中世思想研究所監 修(原書房、2004年)369-370頁。

41 ブリアンによると、ジャンセニスムには信教の権利の擁護と反抗の精神という特徴があり、この特 徴が発揮されたのはとりわけ1750年代であった(ブリアン、前掲、374-376頁)。当時のパリ大司教は、

聖体拝領の条件として教皇勅書を支持する司祭、つまりジャンセニスムに与さない司祭が署名した告 解証明書を求めた。これは事実上、教会からのジャンセニストの排除を意味しており、ジャンセンニ ストは聖職者と国王に対する反発を募らせた。この事態に際して、高等法院はジャンセニストの側に 立つ。法の守護者を自認していた彼らは、違法に権力を濫用する一個人、すなわちローマ教皇やフラ ンス国王の権力は抑えられなければならないと考えた。

42 Jardin, pp. 44-45. 〔邦訳54-55頁〕。

43 Brogan, pp. 5-6.

44 Lucien Jaume, Tocqueville, les sources aristocratiques de la liberté, bibliographie intellectuelle (Paris, Fayard, 2008), pp. 167-168.

45 トクヴィルの信仰心については、彼は宗教に対して終生懐疑的であり、死に臨んで宗教的儀式を受 け容れたのも妻の意思を尊重したためであるという説が一般的であるように思われる。これに加えて、

臨終にトクヴィルが示した態度は教義は受け容れなくても宗教は愛すべしというルスィウール師の意 図をくんだものであるという説もある[Jardin, p. 504.〔邦訳589頁〕]。いずれにしても、これらの意 見はトクヴィルの信仰心が希薄なものであったことを前提にしている。これらに対して、ジョン・ル カーチは、病床のトクヴィルが病のために教会に行くことがかなわない自分のためにミサの祈祷書を 読むように看護修道女に頼んだ話を紹介し、トクヴィルにはカトリックの信仰心が存在していたこと をほのめかしている[John Lukacs, “Alexis de Tocqueville: A Bibliographical Essay,” The Online Library of Liberty, A Project of Liberty Fund, Inc. (first appeared in Literature of Liberty: A Review of Contemporary Liberal Thought, Vol. V, No. 1, Spring 1982)].

ドキュメント内 アレクシス・ド・トクヴィルの政治・経済論 (ページ 101-107)