第2章 「関ケ原の戦い」の授業設計
第1節 授業の基本的要素と先行実践からみた授業の構想
授業の構成要因の中で,授業が成立するた めの基本的要素として従来支配的に考えられ てきたのは, 【図2−1−1】に示したように,
「教師」 「教材」 「子ども」である。そして,
今日では,このいわゆる 三角モデル を発 展させるなかで, 「授業の4要素」として確 定されるに至っている2)。そのなかで田中は,
の説として藤岡説と吉本説を比較しっっ,
教 材
教 師 子ども
【図2−1−1】 授業の3要素
「代表的な授業研究者」
「教育目標」 「教材・教具」
D 西之園晴夫「授業設計」細谷俊夫・奥田真丈・河野重男・今野喜清編『新教育学大事典』第4巻 第一 法規出版 1990年 p.72
2) 田中耕治「授業づくりの基礎・基本」 『女子体育』第37巻第1号 日本女子体育連盟 1995年 p.30
「教授行為・学習形態」 「教育評価」をあげている1)。そこで本節では,
実践単元の授業設計にあたり,まず授業の4要素のそれぞれについて検 討し,筆者の基本的な立場を明らかにする2)。そして,それとの関連で 地域を活用した歴史教育の先行実践の分析を試みる。
1. 授業の4要素についての立場
(1)教育目標・教育内容
①教育目標・教育内容とは
教育目標・教育内容とは,教育的価値を付加した指導のねらいと内容 である3)。そして,それらをなすものは, 「わかちつたえることのでき る文化(人間発達のr外化された』遺伝情報ともいうべき文化)であり 普通教育のばあいにはその基礎的なもの,つまり基本的な科学的法則や 芸術上の典型的なテーマや知識・技能など」4)である。また, 「教育目 標とは,どのような教材・教具の開発を行うのか,どのような指導法を 選択するのか,テスト問題をどのように作成するのかということを判断 するときの基準になるものである」5)と指摘されるように,教育目標は 他の3つの授業の要素と強いつながりをもつものといえる。したがって,
教育目標・教育内容を設定することは,子どもに「わかちつたえること のできる文化」として何を獲得させるのかということを明確にする意味
D 田中耕治「教授理論と授業の設計」荒木紀幸編著『新時代の教育の方法を問う』 北大路書房 1993年 p.23 なお,藤岡は,4つの要素として, 「教育内容」 「教材」 「教授行為」 「学習者」をあげてい る。 (藤岡信勝『授業づくりの発想』日本書籍 1989年) また,吉本は, 「教育内容」 「教材・教具」
「発問づくり」 「指導的評価活動」をあげている。 (吉本均『授業成立入門』 明治図書 1985年)
2) 筆者は,田中があげた4つを「授業の4要素」とする。ただし, 「教育目標」に「教育内容」を加える。
「教育内容」を「教材」と区分してとらえることを主張したいからである。そのことについては後述する。
3) 中内は, 「教育的価値の世界を,言語を媒介にして対象化したのが教育目標である」と述べている。
(中内敏夫『新版 教材と教具の理論一教育原理H一』 あゆみ出版 1990年 p.11)
4) 中内敏夫『新版 教材と教具の理論一教育原理H一』 あゆみ出版 正990年 P.26 5) 前掲書1) p25
で,また,教師の様々な教育的営為の適否を判断してそれを子どもにフ ィードバックしていく意味で極めて重要であると考える。
このような意味をもつ教育目標について,田中は,学力論,評価論と も関連させて3種類に分け,それらが意味するものを【表2−1−1】の ように示している1)。そこに示された3種類の目標は, 「わかちつたえ ることのできる文化」の具体的な内容と,それを何のためにどのように 獲得させるかということを明らかにするものであり,したがって,教師 が授業を設計する上で意識的にかいくぐるべきものであると考える。
【表2−1−1】 教育目標の3つの種類(田中,1993)
〈到達目標〉一学力の基本性として「教える」目標
「二次関数ができる」 「江戸時代の産業構造がわかる」というように,何が子どもたちに獲 得されなければならないのかを実体的に明示した目標。さらには,その目標と関連する諸目標
とのあいだに構造と系統があり,教材・教具を用いて,子どもたちにわかち伝えることが可能 なもの。この目標を基準とする評価論が到達度(達成度)評価。
〈:方向目標〉一学力の発展性として「育てる」目標
「自然の巧みに関心を持つ」「自ら解決する態度を養う」というように,最低限これだけと いう限定を持たず,ただ方向を示す方法で設定されている目標。この目標を基準とする評価論 が相対評価。
〈体験目標〉
到達目標を習得する前提として,また,学習のスタートを揃える必要のために,子どもたち にさせたい学習体験を,目標という形で設定したもの。例えば,社会科の場合,実際にもの作 りを行なう授業などが該当。
② 目標の精選化
単元の指導にあたって教師が行っておくべきことの1っに,目標の精 選化ということがあると考える。なぜなら,授業づくりとは, 「ねらい
とねがいの明確化を土台にしなくてはならない」 (傍点は原文)2)もの
1) 田中耕治「教授理論と授業の設計」荒木紀幸編著『新時代の教育の方法を問う』 北大路書房 1993年
P.25
2) 梶田叡一『教育における評価の理論1 学力観・評価観の転換』 金子書房 豆994年 p、207
であり,目標の精選化は教師のねらいを明確にするものであると考える からである。すなわち,目標の精選化とは, 「目標を分析して, 『中心
目標』 『発展目標』r関連目標』というようにそれぞれの目標を重点化
・構造化すること」1)であり,それによって教師は,単元全体における 各時間のもつ意味や1時間の授業全体におけるその過程のもつ意味を自 覚して実践することができると考えるのである。また,それによって子
どもの方も, 「焦点のはっきりした学習ができるようになる」とともに,
「基礎的基本的な共有の学力と,一人ひとりなりの個性的成長に必要な 体験や諸能力といった基盤が保障される」ことになると考える2)。
(2)教材・教具
①教材・教具とは
教材・教具とは,田中が「教材とは,教育目標と学習活動を媒介する ものである」3)と言うように,教育目標に基づく教育内容と実際に学習 活動に取り組む子どもとの間に介在し,両者を双方向的に結びつけるも のである。しかし,このような教材・教具のとらえ方は今日的なもので あり,かつてはそのようにとらえられていない時代があった。すなわち,
教材は教育内容と同義のものとして両者を区別しなかったり,教材は教 育内容からつくるものとする考え方,つまり, 「価値ある教育内容を担
う教材を探す,作るというタイプの教材づくり」4)が先行し,子どもの 側から教材をつくっていくという考え方が乏しい時代があった。そこで
1) 田中耕治「教授理論と授業の設計」荒木紀幸編著『新時代の教育の方法を問う』 北大路書房 1993年 pp.25−26
2) 梶田叡一r教育における評価の理論1 学力観・評価観の転換』 金子書房 1994年 pp.206−207 3) 前掲書1) p.26
4) 森脇健夫「教材と学習者の間に一教材『青い目の人形物語』再論一」グループ・ディダクティカ編 『学びのための授業論』 勤草書房 1994年 p.173
ここでは,教材概念の変遷をたどることにより,教材の本質的な意味を 探るとともに,教材づくりのあり方を考えてみることにする。
1955年,城戸は,教材を「教育の目的におうじて学習させる必要をみ とめられた教育の内容」1)と規定している。しかし,これは,教材を教 育内容そのものとした見方であり,教材は教育内容と区分されていない。
それに対して,この両者を区分したのが,柴田の「教科内容」と「教 材」の概念規定である。すなわち,柴田は, 「教科内容を構成するもの は,科学教科のばあい,一般的には,科学的概念である」とし, 「それ
ら個々の科学的概念を習得させるうえに必要とされる材料(事実,文章,
直観教具など)を,『教材』とよぶ」としたのである2)。柴田のこの規 定は, 「科学と教育の結合」というスローガンのもとに展開された教育 内容研究においてなされたものである。すなわち,科学と教育を結合し て教科の系統をつくりだし,その系統を教材に結びつけたものであり,
教育内容と教材とは目的と手段の関係としてとらえられている。しかし,
それゆえに,柴田が言う「教材」は,教育内容を教えるために後からつ くるものということになり,そこでは子どもの側から教材をつくるとい う見方は見られない。
このような教育内容から教材をつくるという見方に一石を投じたのが,
藤岡の教材づくりにおける「上からの道」と「下からの道」の提起であ る。藤岡は,この両者を次のように定式化している3)。まず前者につい ては, 「個々の科学的概念や法則,知識を分析し,それに関連してひき よせられるさまざまな事実,現象の中から子どもの興味や関心をひきっ
1) 城戸幡太郎「教材」下中弥三郎編集『教育学事典』第2巻 平凡社 1955年 p.153
2) 柴田義松『現代の教授学』 明治図書 1967年 pp.14−15 なお,柴田はここで「教育内容」ではな く, 「教科内容」としている。両者は,ほぼ同一の意味をもつものと考えてよいと考える。
3) 藤岡信勝『教材づくりの発想』 日本書籍 1991年 pp.37−38