ここまで見てきたようにモダン・アートは非アメリカ的であるという批判に対して、批 評家たちは、ニューヨークの抽象画家たちこそがアメリカ的な性質を象徴すると反論した が、一方で、その議論に一致しない画家たちを等閑視し、時には抽象表現主義から切り捨 てることで、その反論の効力を保とうとした。抽象表現主義は確固とした芸術理論や思想 に基づいて形成された美術運動ではなく、どの作家を同動向の枠組みに入れるのか必ずし も定説を見ていないが、作家や批評家たちの言説によって一定の共通認識が形成されてき た。その言説の中で、抽象表現主義に属する芸術家として認められるかどうかは、芸術家 同士の交流関係や絵画様式の類似だけではなく、ヨーロッパの亜流と見なされてきたアメ リカ美術の中で初めて国際的な評価を得るモダン・アートという地位に抽象表現主義を押 し上げたイデオロギーに、その作家の個人的な背景や作風が一致するか否かにかかってい た。
そのため、同時代に活躍した芸術家たちの中で、抽象表現主義の周辺、あるいはその傍 流に位置づけられる作家たちを見ると、概して作風の差よりも、年齢や人種、経歴、そし て活動場所や美術・思想上の関心の相違によって中心的作家たちから区別され、しばしば 非アメリカ的と見なされる要素やアメリカの主流には相応しくないと考えられる要素をも っている293。そのため、抽象表現主義の代表的画家であるポロックと、その外部に位置づ けられるマーク・トビーに対する批評を比較することで、抽象表現主義の画家たちを擁護 する批評に用いられた論理がどのようなものだったのかを検討する。以下では、まず
1940
年代にいち早く賞賛を受けたポロックと、アメリカ絵画の非主流と見なされたトビーへの 評価を分析する。2-1. 1940 年代前半におけるポロックとトビーへの評価とその推移
1944
年以降、すでにシアトルで評価されていたトビーは、ニューヨークでも作品を発表し、ホワイト・ライティングの手法で知られるようになる。当初、彼は比較的好評をもっ て迎えられたが、アメリカ美術における主要な作家と見なされた訳ではなかった。多くの 抽象表現主義の作家たちが円熟期の絵画様式を確立していく
1940
年代後半の美術批評には、彼らを擁護し、賞賛する上で、欠点を抱える比較対象としてトビーを利用する傾向が見ら れるようになる。そのような批評には、トビーは東洋美術の影響を強く受けており、その 作風はあまりにも繊細であると批判する一方で、抽象表現主義の独自性と力強さをアメリ カ的なものと讃える戦略が見受けられる。
1944
年、ニューヨーク、ウィラード画廊でトビーの個展が開催された際に、「ニューヨー ク・タイムズ」紙の批評家ハワード・ディヴリーは「ホワイト・ライティング」が中国の293 Gibson, Other Politicsを参照。
125
書と関連をもつと指摘し、彼の絵画を「高度に独創的な装飾的作品」と評価した294。ここ でトビーの絵画は書と装飾性との類似を喚起しながらも独創性を認められるが、その書と 装飾との連想は、後の批評の中でトビーの価値を貶める要素として言及されるようになる。
この時期、ディヴリーと同様に、グリーンバーグは「同時代のアメリカ絵画への数少ない 独創的貢献の一つを成した」とトビーを好意的に評価し、「ホワイト・ライティング」を彼 の最も優れた革新であると賞賛した295。東洋美術との類似については「中国絵画との親近 性をもつ」とだけ言及するものの、「カリグラフィックで細かくメッシュの入った白い線の 織り合わせ(
interlacing
)」と表現する点で、書画との類似性を認識しながらも、トビーの作 品をフォーマリスティックな視点から評価していた。しかしながら、1943
年以降、アメリ カの抽象絵画を代表する作家としてポロックを好意的に評価していたグリーンバーグは、彼を始めとするニューヨークの作家たちを一層積極的に擁護し、後援していく過程で、ト ビーに対する評価を大きく変化させることになる296。
これらの好意的な評価に対して、「アート・ニュース」誌の展覧会評はトビーの「ホワイ ト・ライティング」から影響を受けたモリス・グレイヴスを引き合いに出し、グレイヴス はトビーから得た発想を絵画にしているが、トビー自身は書道教室に留まっていると批判 する297。加えて、この論評は、「ホワイト・ライティング」を塗り壁に刻まれた原始美術風 のひっかき傷や織物のデザインと結びつけることで、トビーの作品は絵画の下位にある書 の模倣であり、装飾にすぎないと示唆している。
この評が肯定的に言及しているグレイヴスについて、グリーンバーグは
1942
年に中立的 な視点からごく短い評を発表したが、1945
年の個展の際には彼の作品を強く批判している298
。自然崇拝と紙にガッシュというメディアが不適当だと批判するのに加えて、グレイヴ スの踏襲する中国絵画とクレーの教えはあまりに狭量で、あまりに主流から遠ざかってい ると指摘するのである299。そして、次の指摘は東洋美術に対するグリーンバーグの見方を 反映している。「彼の新しい『掛け物』、それは垂直な構図の絵画で、「巻物に貼られた」
ものであるが、東洋美術をあまりにも模倣しているか、装飾とイーゼル画との間を不自然 に揺れ動いている300。」グリーンバーグはヨーロッパの絵画伝統、とりわけ印象主義とキ ュビスムに基づくモダン・アートを先進的な純粋芸術だと見なし、その展開の中心にあっ たイーゼル画に対置する形で、東洋美術と装飾との関連を示している。ヨーロッパ美術と 比較される場合、東洋美術は合理的な空間表現や量感の欠如、そして線描の強調のために
294 Howard Devree, “From a Reviewer’s Notebook,” New York Times (April 9, 1944), X7.
295 Clement Greenberg, “Art,” The Nation (April 22, 1944): 495.
296 前述のグリーンバーグによる最初のポロック展の批評は、これより7ヶ月後の1943年11月に発表され た。Greenberg, “Art,” The Nation (November 27, 1943): 621.
297 “The Passing Shows,” Artnews 43, no. 5 (April 15-30, 1944): 25.
298 Greenberg, Perceptions and Judgments, 126. Originally published in Clement Greenberg, “Art,” The Nation 155 (November 21, 1942).
299 Clement Greenberg, “Art,” The Nation (February 17, 1945): 193.
300 Ibid.
126
装飾と関連づけて言及される場合が多い301。ニューヨークの画家たちがヨーロッパのモダ ン・アートの正統な流れを汲むことを主張する批評においては、トビーの絵画が重要性を 欠くことを主張する根拠として東洋美術との類似が言及された。更に、この評論ではクレ ーと東洋美術が併置されていることから、クレーに対するグリーンバーグの批判が東洋美 術にも当てはまることが示唆される。後で取り上げるように、グリーンバーグはピカソの 強さを賞賛するのに対して、しばしばクレーの作品を弱々しいと批判するようになる。
ニューヨーク・タイムズ紙のジュエルは
1946
年、ニューヨーク近代美術館で開催された「
14
名のアメリカ人」展の評論で、「マーク・トビーの暗号めいた《ニューヨーク》(図5-12
)或いはそれに伴う主題である《夏の漂流》を私たちはどのように考えればよいのだろうか?」と問う302。
1943
年にジュエルがロスコやゴットリーブたちの作品を理解できない と批判した場合と同様の言い回しによって、トビーの絵画もまた理解不可能だと仄めかし ているのである。更に彼は、トビーの絵画は細かい白線による十字模様で覆われており、石板のようだと嘲笑的に説明する。これに対して、同紙の批評家ルーシュハイムは同展を 取り上げた記事で、表現主義的主題に宗教的、神秘的、主観的な雰囲気が見られる作家の 一人としてトビーを挙げ、書道的即興という点での内的世界の探究に言及する303。彼女は、
ホワイト・ライティングを「レースのような、蜘蛛の巣のような糸紡ぎ」と表現しており、
「白い線のインターレース」と評するグリーンバーグと同様にテキスタイルとの連想を示 すと共に、好意的に評価する。
ルーシュハイムは他にも北西派の画家たちについての批評を執筆しており、そこで彼ら は自然観と絵画表現の点で宋朝の山水画との類似を示すと言及され、その中で最も優れた 画家であるグレイヴスは中国絵画のように線と薄い色彩を用いた控えめな表現をすると指 摘される304。この批評は北西派画家たちに好意的ではあるが、彼らに共通する東洋と西洋 との関係、そして人間と自然との関係についての関心は重要ではないと示唆している。ニ ューヨークの画家たちの間では、東西の交流や自然との共生は少なくとも中心的な論題で はなく、ニューヨークの美術活動を中心に扱うルーシュハイムにとって重要だったのは、
同地で頻繁に議論される事柄、例えば芸術と一般大衆との関係であった。彼女の所見には、
このようなニューヨークの作家たちと関心事を共有しない北西派をアメリカ美術の傍流と 見なす態度が伺われる。
このように
1940
年代前半のニューヨーク美術界では、トビーに対する評価は概ね好意的301 1935年に美術雑誌に寄稿した論考において、E.M.ベンソンは書と装飾性を取り入れた20世紀ヨー
ロッパ美術に言及し、西洋人の観点からしても東洋の書画は建築的価値を欠くが、装飾的用途において優 れていると指摘している。E. M. Benson, “Forms of Art: IV: Phases of Calligraphy,” American Magazine of Art 28
(June 1935): 361.このように東洋美術と装飾性とを結びつける考えは美術史家や評論家たちの間で一般的で
あった。
302 Edward Alden Jewell, “New Show at the Modern,” New York Times, September 22, 1946: X9.
303 Aline B. Louchheim, “The Favored Few: Open the Modern Museum’s Season,” Artnews 45, no. 7 (September 1946): 51.
304 Aline B. Louchheim, “Pacific Northwest: Current Activities of the Region’s Artists,” New York Times (August 15,
1948), 8X.彼女は、このグループの代表的画家たちの作品には風景の名残が見られると述べ、「ホワイト・
ライティングの迷宮で道に迷う前の」という但し書き付きでトビーをここに含めている。