トビーは、具体的な文字や特定の書体を絵画の筆致に取り入れるという形で書を受容し たのではなく、西洋絵画における描画対象の輪郭線や陰影のためのハッチングという役割 から線を切り離し、線自体を絵画の造形的要素として取り入れることを念頭に置いて書を 参照したと考えられる。トビーは東洋の絵画や書から受けた影響について語る際にしばし ば、西洋美術において伝統的に重視されてきたルネサンス絵画の空間と量感に対して、線 を重視するという東洋美術の特徴が彼を惹きつけたと述べている247。トビーは修練を経て 習得できる線自体の妙味を評価するという書の側面を自身の絵画に導入することで、彼が 西洋絵画の伝統と考える三次元的空間と量感を乗り越えようとしたのである。
トビーは東洋美術への関心、そして東洋美術と西洋美術の融合という理想を表明してい る。
1946
年にニューヨーク近代美術館で開催された展覧会「14
人のアメリカ人」展に参加 した際に、トビーは《多数から一つへ》のような具象的作品や《ニューヨーク》などの抽 象画計13
点を出品し、そのカタログに声明を寄せている。ここでトビーは西洋と東洋とい う文化、地域の境を越えた相互理解の必要を説いている。彼によると、どの国よりもアメ リカはこの相互理解を主導するべく地理的に位置づけられており、今までアメリカは常に ヨーロッパの方を向いてきたが、今日、ヤヌスの顔をもち、アジアに向き合っていること を理解しなければならない、というのも、近いうちに東洋の波がアメリカの海岸に打ち寄 せるだろうから248。題名に示されるように、《多数から一つへ》はアメリカ合衆国を主題と し、《ニューヨーク》は他の多くの作品と同様に、彼がかつて過ごした都市を扱っている。このように多くの作品でアメリカの光景を扱っている点に、トビーがアメリカに愛着をも ち、アメリカ人画家としてのアイデンティティを強く保持していたことが表れている。こ のようなアメリカ生活を主題とする作品に、東洋美術を学ぶことで成熟させた線描表現を 用いることで、洋の東西の協調を象徴的に表すという意図が示唆されている。
後で見るように、
1950
年代以降、トビーが東洋の書から影響を受けていることを批判す る批評が多く執筆された。しかし、他文化圏の美術の受容は西洋近代絵画の展開上、重要 な一面を成し、ヨーロッパにおいてシノワズリやジャポニスムという形で大きな注目を集 めた。西洋の伝統から隔てられた場所で生まれた芸術作品に、西洋美術を刷新するための 霊感源を求めたのである。トビーも西洋絵画の伝統にその基盤を置きながらも、新しい絵 画を創造するために非西洋の美術を参照した。1958
年に発表した論考「日本の伝統とアメリカ芸術」においてトビーは、ヨーロッパからの影響が減少することでアメリカ独自の芸術様式の展開が促されたが、一方でアメリカ、
特に西海岸の芸術家たちはアジアへの関心を高めていると述べる。そして、東洋美術と西
247
後で触れる1958年のトビーによる論考は、東洋美術と西洋美術の相違について詳しく論じている。ま たキャサリン・クーとのインタビューにおいて、トビーは1940年代に無数の独立した線を織り込むことで 量感の感覚を表現し、その線のダイナミクスと線の間に置いたアクセントのタイミングによって、より繊 細な物質で出来た世界を表現しようと試みたと述べている。Katharine Kuh, The Artist’s Voice: Talks with Seventeen Artists (New York: Harper & Row, 1962), 236.
248 Dorothy C. Miller ed., Fourteen Americans (New York: The Museum of Modern Art, 1946), 70.
107
洋美術の違いを次のように指摘する。「東洋美術と西洋美術との大まかな比較をするなら、
東洋の芸術家は線に、西洋では量塊に対して、より大きな関心を払うようだ。」「東洋の芸 術家はルネサンス的観念から遠く隔てられている(…)。249」ここで言及される線と量塊と いう問題意識は、
1935-36
年の《ブロードウェイ》(図5-3
)ですでに取り上げられており、一点消失の遠近法による空間表現と無数の線の使用による平面性の強調によって、線と量 塊を共存させる意図が現れている。
人々は内面世界を犠牲にして外的なものに心を奪われているという
1946
年の声明に明ら かなように、トビーは精神世界を重要視しており、同時代のアメリカ社会を特徴づける物 質主義への懐疑が彼の禅への関心を促したと推測できる250。このようにトビーは技法と思 想の両面で東洋美術と密接な関係をもち、東洋美術の要素を取り入れることで、アメリカ 美術に新しい息吹を加えることができると考えた。そのトビーが書の表現方法をどのよう に受容し、如何に独自の展開を見せているかどうかが考察の対象となるべきだが、実際の 所彼がどのような書や水墨画を学び、それをどう変容したのかは、今後、更なる検討を加 えていく必要がある。1-3. シュルレアリスムの影響
トビーは多くのアメリカ人画家たちと同様に、ヨーロッパのモダン・アートへ強い関心 をもち、
1913
年にシカゴでアーモリー・ショーを訪れ、キュビスムや抽象の絵画様式を作 品に取り入れている。1930
年代から1940
年代、後に抽象表現主義と呼ばれるようになるニ ューヨークの画家たちにとって、シュルレアリスムは幾何学的抽象と並んでモダン・アー トの代表であると同時に、学び、乗り越えるべき重要な手本でもあり、トビーの作品の展 開にもシュルレアリスムの影響が反映されている。しかし、しばしば彼の声明、そして彼 に対する批評において、東洋美術やバハイ教、また時には神秘主義との影響関係が強調さ れる一方で、トビーとシュルレアリスムとの影響はわずかに言及されるに留まっている。249「アメリカ東海岸がヨーロッパ文化の影響を受けてきたように西海岸がアジアからの美的影響を受けて いれば、豊かな国となっただろうに!西海岸はアジアの影響をあまり受けていなかったが、第二次世界大 戦によって状況が変わり、ヨーロッパの影響は弱まり、私たちは独自のスタイルを発展させている。しか し私たちは、日本美学と私が名付けるものへの認識を益々高めている。」Mark Tobey, “Japanese Traditions and American Art,” College Art Journal 43, no. 1 (Fall 1958), 22.日本語抄録が国立国際美術館編『アメリカ北西派の 美術:その心に生きる東洋との出会い』国立国際美術館、1982年、84頁に収録されている。
250「日本人画家の書いた記事を読むと、彼らが「抽象」という言葉を絵画における禅の思想の一部と見な していると気づかされる」と述べており、トビーが禅と抽象画との間に密接な関連を見出していたことが
分かる。Tobey, “Japanese Traditions,” 22.同じ文章で長谷川三郎に言及しているが、ここでいう日本人画家が
誰のことかは明記されていない。トビーが禅に親しんだ経緯としては鈴木の著作などの他にシアトルでの 交流関係が挙げられる。シアトルで古美術商を営んだ滝崎保は禅の思想に通じており、その店を訪れたト ビーは滝崎、そして彼の知り合いであった日本人画家ポール・ホリウチと友好を深めるようになる。ホリ ウチはトビーから影響を受けたが、滝崎は元々ホリウチの妻と縁がある人物でもあった。神野真吾・賀川 恭子編『ポール・ホリウチ展:シアトルに渡った日本の感性:Paul Horiuchi: Japanese Sensitivity Preserved in
the Pacific Northwest』山梨県立美術館、2003年、15頁。鈴木大拙は禅に関する英語での著作を多く著し、
元々1934年に京都で刊行された『禅入門』は1949年にユングによる序文を附した形でニューヨークでも 出版された。Daisetz Teitaro Suzuki, An Introduction to Zen Buddhism (New York: Philosophical Library, 1949).
108
トビーは
1930
年代半ばにホワイト・ライティングを始めた後も、複数の異なる様式を並 行して用いており、その中にはシュルレアリスム絵画との関連を示すものがある。《科学》(
1939
)(図5-4
)では人物や4
つの手、星座或いは鉄塔を連想させる白線、男女を示すマ ークなど、様々なモチーフが配置され、非現実的な光景が展開されている。ここにはデペ イズマンやコラージュといった一見関連のないモチーフを組み合わせるシュルレアリスム 絵画の手法への関心が反映されている。しかしながら、ここには意図的なモチーフの選択 と配置、複数の異なる空間の導入が特徴的であり、トビーはシュルレアリストたちが提唱 した客観的偶然の観念を表すためではなく、造形的な観点からコラージュ的な表現手法を 取り入れたことが分かる。左上に描かれた裸体の人物は左右の手で太陽と月を示しており、右手の指す三日月を起点として、白線のジグザグ模様が星座を示唆するように展開し、画 面中央の星印と
4
つの手を結びつけ、また星印と人物の心臓を繋いでいる。簡潔に描かれ た人体や、極端な遠近を示す画面中央下部の地面と建造物はデ・キリコの形而上絵画を連 想させ、画面右端でトリミングされている半円には線描で簡潔なモチーフが描かれており、エルンストによる《光景の内側、卵》(
1929
)(図5-21
)のような作品へ言及していると考 えられる。また、人物の立つ地面や矩形を連ねた背景にはキュビスムの空間構成への関心 が示されており、一つの作品でモダン・アートの複数の様式を試み、統合しようとするト ビーの意図を読み取ることが出来る。《科学》は鉄塔や飛行機のようなモチーフによって工業技術の発展という主題を示すと 同時に、全体の暗い色調によって発達した軍事技術を運用して展開する第二次世界大戦と いう主題をも暗示している。画面中央に描かれた五指を伸ばす手はナチス式敬礼を連想さ せるのに加えて、
4
つの手の配置は逆鉤十字を暗示させる。右上の掌の中央に刻まれた十字 や左側の掌の星印、画面右下の六芒星など戦争を暗示するマークが各所に配置されており、胴部に肋骨の浮かぶ裸体の人物には飢えや病など人々を襲う悲惨な境遇が示唆される。ヨ ーロッパの戦争が深刻さを増す
1939
年に描かれた当作品を覆う重い色調には、科学技術と 人間性の退廃へのトビーの強い懸念が反映されている。その後、彼の作品は抽象の度合い を強めていくが、この《科学》は純粋に絵画の形式的な側面にのみ関心を持っていた訳で はないことを示している。このように一見繋がりの明白ではないモチーフを併置する手法に対して、《縫うように進 む光》(
1942
)(図5-9
)は自由な動きを示す線描の中に具象的形体を含む点で、マッソンに よるオートマティック・ドローイング(図5-22
)との類似を示しており、エルンストのオ シレーションを特徴づける曲線の重なりを連想させる。しかしながら、
1951
年の著作においてバウアーは、トビーがダヴなどのロマン主義的の 系譜を引き、東洋思想の神秘的、宗教的情熱をもつ一方で、シュルレアリスムからはほと んど影響を受けていないと指摘する251。彼は、ホワイト・ライティングのオートマティス ム的な側面についても、シュルレアリスムとは異なる源泉をもつとして、次のように述べ251 Baur, Revolution and Tradition, 117-118.