60 1-3. 神話における予言者テイレシアス
2. シュルレアリスムにおける盲目と視覚の喪失というモチーフ
2-1. 目と視覚に関する思想の源泉と表現
1924
年の「シュルレアリスム宣言」の発表に始まったシュルレアリスム運動は、30
年代を通して盛んな活動を展開した。その過程で生まれたシュルレアリスムの文学や造形芸術 は、日常から隠された現実の異なる側面をすくい上げるという意図から、無意識やオート マティスムの理論に基づいて様々な技法を生み出し、幅広い主題を取り上げた。目はシュ ルレアリスムの作品に頻繁に登場するモチーフの一つであり、見るという行為だけでなく、
盲目性や視覚の喪失という主題を表すために用いられる場合も多い。盲目性と芸術家を結 びつける考え方は古くから存在しており、盲目という身体的特徴には知識のない者、真実 を知ることのない者という否定的なものから、例えば盲目であったと伝えられる吟遊詩人 ホメロスのように、特別な能力をもつ者という肯定的なものまで、様々な意味が付されて きた。古代の逸話には眼の犯した罪のために視力を失うというストーリーを内包するもの が多く存在し、アテナにまつわる物語では人間には許されない神の姿を目視したことに対 する罰として視力が奪われる。近親相姦という罪を負うオイディプスは、目の見える時に は真実に対して盲目であったが、呪われた真実と自分の罪を知ることで逆に盲人となった 点において、視覚と知の矛盾を体現する人物でもある。そして盲目の予言者テイレシアス は、他の人間の知ることのできない真実、未来を知ることができ、視力の欠如は特別な能 力の証ともなっている。中世の写本には、世俗の盲人とは異なる崇高さを伴った寓意人物 像として、シナゴーグや運命(フォルトゥナ)が、目隠しをした女性として写本などに描 かれる例が見られる。古代から近代における盲目に対する観念の変遷についてのモシュ・
ブラシュによる論考によれば、外的世界の詳細な観察よりも内省的経験が重視されたルネ サンスの時代に、盲目性が予言者のみならず芸術家や詩人にも適した姿であると考えられ るようになり、隠喩的な盲目性は内面へ向かう視線の印と受け取られた149。
盲目の画家というイメージは、シュルレアリスム以前の絵画にも描かれてきており、ア ンリ・ファンタン=ラトゥールは自分の姿を描いたデッサン(図
3-20
)で、片眼を陰で覆 うことで隻眼を暗示し、もう片方の目で鑑賞者または鏡を覗く画家自身を凝視する。この ように、自画像の顔面半分を陰で覆うことで隻眼を暗示し、芸術家の精神的な視覚を象徴 的に表す例は、歴史上の多くの自画像に見出すことが出来る150。キュクロプスを描いた作 品でよく知られる、象徴主義の画家オディロン・ルドンは、《眼=気球》(図3-21
)や《夢149 Moshe Brasch, Blindness (New York: Routledge, 2001), 134-135.
150 ジャック・デリダは見えないものを考慮しながら手探りで歩む盲人に、見えないものを描くという素描 家の行為をなぞらえ、素描の対象だけではなく、素描家自身にも盲者という性質を見出し、絵画における 視覚の多義性を考察する。デリダはラトゥールの自画像を例に出し、自画像の目は、鏡を通して自分自身 の目を見ている目として描かれているのではなく、盲目の記憶へ向けられた目として描かれているとして 絵画と盲目という観念について分析を進める。デリダの議論には鋭い指摘が多数含まれており、本論の考 察にもその反映が含まれているものの、ここでは各々の指摘には立ち入らない。ジャック・デリダ『盲者 の記憶:自画像およびその他の廃墟』みすず書房、1998年。
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のなかで Ⅷ
:
幻視》(図3-22
)のように風景の中に唐突に現れた巨大な目玉を描いている。これらの作品において、非現実的な光景は世界を客観的に捉える視覚という考えへの不信 を示唆し、浮かぶ目玉は見るという行為自体を表すと同時に、眼球を抉り出すという視覚 への暴力を連想させる。シュルレアリスムの画家ヴィクトル・ブローネルは片眼が抉られ た自画像(図
3-23
)で同様のイメージを自身に与えている。これらの作品において、画家 は両目を陰で覆う、あるいは両目を失うのではなく、片眼を失うことで、内面を見る眼と 外界を見る眼を併せ持つことを示す151。これによって画家に内的視覚と外的視覚という二 つの視覚が結びつけられており、また一つ目の怪物キュクロプスと芸術家とが重ねられて いるとも言える。マン・レイは《破壊されざるオブジェ(破壊すべきオブジェ)》(
1964 (replica of 1923 original)
)(図
3-24
)において、目の写真が印刷された紙片をメトロノームの振り子につけ、先端の 尖った振り子に刺さるような目のイメージがオイディプス神話と、それに基づいてフロイ151
この論文では内的視覚という言葉を、通常の肉体的な視覚とは異なり、想像力によって目に見えないも のを見る精神的な視覚のことを指すものとして用いる。シュルレアリスムのテキストや造形作品において、
自身の内面を見るための目や新しい視覚の獲得はしばしば肉体的視覚の喪失と結びつけられ、またそのよ うな目や視覚は往々にして芸術家の特性として位置づけられる。この目や視覚に関わるシュルレアリスム の探究については様々な先行研究において、「内的な目」(inner eye)や「内的視覚」(inner sight)、「内的光
景」(inner vision)などという言葉で論じられている。例えば、『アンダルシアの犬』に言及する中で、バ
ーバラ・クリードは「シュルレアリスムの飼い慣らされていない目は、なによりもまず内的な目(inner eye) である」と指摘し、アリス・メイホンは盲目性と「内的視覚」(inner sight)の対立を指摘する。Barbara Creed,
“The Untamed Eye and the Dark Side of Surrealism: Hitchcock, Lynch and Cronenberg,” The Unsilvered Screen:
Surrealism on Film, ed. Graeme Harper and Rob Stone (London: Wallflower, 2007), 119; Alyce Mahon, “The Search for a New Dimension: Surrealism and Magic,” The Meanings of Magic: From the Bible to Buffalo Bill, ed. Amy Wygant (Oxford and New York: Berghahn Books, 2006), 227.また、ルネ・ユベールはエルンストのテキストと 絵画に「内的光景(inner vision)」の観念を読み取っている。Renée Riese Hubert, Surrealism and the Book (University of California Press, 1988), 319.上記で”sight”と“vision”とを明確に区別するため「視覚」と「光景」
としたが、複数の先行研究の文脈を見ると、後者についても「視覚」と考えた方が自然に思われる場合が 多いため、本論文においては「内的視覚」をキーワードとして用いることとした。
なお、エルンストは1920年代末に円形の画面に鳥や卵を描いた作品を多数制作し、それらに《内的視覚》
(A l’interieur de la vue)という題名を付して内的視覚を主題とすることを示している。このタイトルは英
語圏の美術館での回顧展に際して、“Inside the Sight”(1973年、ダラス美術館)や“The Inner Vision”(1991 年、テート・ギャラリー)と訳されている。後者のカタログは「絵画の彼岸」など画家による論考を参照 した上で、エルンストが「視覚を欠く光景」(sightless vision)と「第2の視覚」(second sight)を結びつけ ており、彼の盲目性や視力の喪失の表現が視覚の解放を表していると指摘している。Uwe M. Schneede,
“Sightless Vision: Notes on the Iconography of Surrealism,” Max Ernst: A Retrospective, ed. Werner Spies (London:
Tate Gallery, 1991), 353.本論文では仏語からの直接的な訳を選び、同シリーズの一つ(図版5-21)を《光景
の内側、卵》としている。また、マックス・エルンストの子息ジミー・エルンストは1943年、ニューヨー クのノーティスト画廊で開催した最初の個展を「内的な目の反映」(Reflections of the Inner Eye)と題して いる。
シュルレアリスムの造形作品における眼のイメージについては、これを主題とする論考を著したジー ン・シーゲルは、視覚の喪失、及び眼と性的な事柄との関係性が重視されていると指摘し、デ・キリコや ダリの描く空洞の眼窩に精神の内的状態と外的状態とを示すという性質を読み取っている。Siegel, Jeanne.
“The Image of the Eye in Surrealist Art and its Psychoanalytic Sources, Part One: the Mythic Eye.” Arts Magazine 56,
no.6 (February 1982): 102-106.その他、シュルレアリスムにおける内的視覚という観念と肉体的視覚の喪失、
盲目性については以下を参照。Martin Jay, Downcast Eyes: The Denigration of Vision in Twentieth-Century French Thought (Oakland, CA: University of California Press, 1993), 237; Gerald Eager, “The Missing and the Mutilated Eye in Contemporary Art,” The Journal of Aesthetics and Art Criticism 20, no. 1 (Autumn 1961): 49-59;田中正之
「マン・レイにおける女性の眼の表現と『不気味なもの』」『美學』1999年、25-36頁。
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トが提唱した去勢恐怖を連想させると共に、隻眼の内的視覚を示唆する。オイディプス王 はシュルレアリスムの画家に好まれた主題であり、後で見るようにエルンストは多くの作 品でこの主題を扱っている。シュルレアリストが多数寄稿する『ヴュー』誌には、マザウ ェルと交流のあった画家クルト・セリグマンが
1944
年にオイディプス神話を扱うエッセイ を掲載した152。このような目の損傷という主題は、映画《アンダルシアの犬》(図
3-25
)冒頭の女性の目 を切り裂く場面にも用いられている。目と内的視覚に対する関心は、ルネ・マグリットが1928
年に制作した《偽りの鏡》(図3-26
)にも明らかであり、ここでは瞼、そして眼球の表面に反射する空がクローズ・アップで描かれている。瞼と白目は顔の曲面に沿って凹凸を 示すのに対して、空を映す黒目は平らであるため、人物が見ている空は外界の光景ではな く、彼の内的光景であることが示されている。目の中央にある黒い瞳孔は人物の無意識の 奥深くまで続く穴のようであり、内的光景の示唆と《偽りの鏡》という題名から、この作 品は一種の自画像であり、この目がマグリット自身のものであることが分かる153。このよ うに目、特に隻眼と内的世界を関連づける例がシュルレアリストたちの作品に多く見られ るが、以下では、ロスコの《テイレシアス》との関連を示す数名のシュルレアリストによ る活動を見ていきたい。
2-2.「目」のモチーフと内的視覚という観念の参照源
ここでは、「目」のモチーフと内的視覚という観念に関してロスコに重要な教示を与えた と考えられるシュルレアリストたちの活動、絵画作品を分析する。まず取り上げるのは、
画家ゴードン・オンスロウ=フォードによるニューヨークでの講演と作品であり、続いて シュルレアリストたちから賞賛を受け、その先駆者と見なされたジョルジョ・デ・キリコ、
そして運動の草創期からシュルレアリスムを代表する絵画芸術を制作したマックス・エル ンストを取り上げ、彼らの作品における主題と表現を考察することで、彼らがどのように 視覚を扱ったのか、そしてロスコにどのような刺激を与えたのかを検討する。
2-2-1. ゴードン・オンスロウ=フォードによる内的視覚の探究とその抽象表現主義 への影響
1940
年代初めにはすでに展覧会やカタログなどの出版物を通してシュルレアリスムがアメリカ人画家たちの間でよく知られていたが、ロスコがシュルレアリスムに見られる視覚 に関する思想とその絵画作品における表現に関心を抱き、自身の制作に反映させるように なるきっかけの一つとして、ゴードン・オンスロウ=フォードの活動がある154。
1912
年に152 Kurt Seligmann, “Oedipus and the Forbidden Fruit,” View 4, No. 1(March 1944), 25.
153《偽りの鏡》を自画像と解釈することについて、以下の議論を参照。Joseph Masheck, “Imagism of Magritte,”
Artforum 12, no. 9 (May 1974): 56-57.また、ここで指摘されている同作品と18世紀に活躍した建築家ニコラ
ス・クロード・ルドゥーによる版画《ブザンソン劇場の内部を反射する目》(図3-40)との類似は、芸術家 の視覚と内的・外的光景の繋がりを示す点で重要である。
154 ゴードン・オンスロウ=フォードはシュルレアリストの中で比較的若い世代に属しており、ブルトンら