1-1. シュルレアリスムにおける「目」と「英雄」のモチーフ
およそ
1939
年から1942
年までの時期、第二次世界大戦の勃発と激化を受けて、シュル レアリスムの主要な作家が芸術の中心地であったパリからニューヨークに活動の拠点を移 したため、当地でシュルレアリスムへの関心が高まった。これまで広く論じられてきたよ うに、1940
年代の抽象表現主義の作家たちに対するシュルレアリスムの影響は大きなもの だったが、彼らはシュルレアリスムの活動自体からは距離を保っていた。先行研究では両 者の相違点として、シュルレアリスムの作家がジグムント・フロイトの精神分析理論とそ れに端を発したオートマティスムを重視したのに対して、抽象表現主義の作家は、集合的 無意識という概念に基づくカール・グスタフ・ユングの心理学理論により重きを置いたと 論じられてきた180。シュルレアリスム絵画では、無意識や本能的衝動が重視され、現実の 隠された側面に光が当てられる。シュルレアリスムの文学・美術作品にはギリシア神話へ の高い関心が見られ、オイディプス神話を題材とする作品には、肉体的盲目が精神的な開 眼や芸術的直観に関連づけられる伝統に則って、閉じた目や盲目が精神的視覚を象徴する 例が多く認められ、迷宮神話も無意識の探求を暗示するものとして重視された。1940
年代、抽象表現主義の作家たちはシュルレアリスムから神話や無意識への関心、そして盲目性と 精神的視覚とを結びつける思想を受け継いだ。彼らは神話や無意識の探究を通じて、戦争 の激化、特にホロコーストの悲惨さに特徴づけられる同時代の社会的状況を理解しようと 試み、普遍的な人間精神と悲劇的運命を象徴的に表現しようとした181。実のところ、彼ら はシュルレアリスムの複雑な諸相を正確に受容することに重点を置いていた訳ではなく、
むしろそれを乗り越え、新しい美術を生み出そうと意図していたのである。新しいアメリ カ芸術がどのようなものか誰にも定かではなかった
1940
年代に初期段階を迎えていた抽象 表現主義の絵画は、神話に示唆される精神的視覚への洞察や英雄性という観念と、同時代 の精神との繋がりを探求した成果を示している。その探求は、どのような具体的な形で作 品に表われているのだろうか。本章では、まず
1940
年代初めのゴットリーブによるオイディプス神話を主題とするピク トグラフについて考察し、次に1943
年に行われた批評家エドワード・オールデン・ジュエ ルとの新聞紙上の論争を、1940
年代半ばから後半にかけてのピクトグラフにおける主題と シンボルの変化の方向を定めた一つの契機として分析する。40
年代後半における批評、及180 Hobbs, “Surrealism and Abstract Expressionism,”; Dore Ashton, The New York School: A Cultural Reckoning (New York: Viking Press, 1973), 123-124; Sawin, Surrealism in Exile, 160-161.
181
抽象表現主義の神話主題画に対する芸術家の現代社会における経験、特に第二次世界大戦の影響につい ては以下の文献を参照。Polcari, Abstract Expressionism and the Modern Experience.次の先行研究は、アメリカ の芸術家が神話に表された人間の悲劇的な運命に関心を持っていたとして、1940年代のアメリカ社会との 関係というより広い視点から、抽象表現主義の神話主題画について論じている。Leja, Reframing Abstract
Expressionism.アメリカのユダヤ人芸術家とホロコーストの関係については、以下の文献を参照。Matthew
Baigell, Jewish Artists in New York: The Holocaust Years (New Brunswick: Rutgers University Press, 2002).
82
びゴットリーブによる声明と照らし合わせて、オイディプスと迷宮の神話を主題とするピ クトグラフを分析することで、批評家のみならず、美術館関係者や一般観衆の間でのモダ ン・アートへの無理解を背景として形成されたゴットリーブの芸術観、そして作品に反映 された芸術家としての自己認識について論じる。更に、シンボルの分析を通じ、ピクトグ ラフに対する多様な解釈の一つを踏み込んで考察することで、その展開の一側面を明らか にすると共に、モダン・アートとアメリカ独自の芸術の予感を巡る活発な議論に彩られた
1940
年代ニューヨーク美術界の一端を読み解く。1-2. 1930 年代から 40 年代初頃のピクトグラフ
1930
年代のアメリカ美術の主流はアメリカン・シーンや社会主義リアリズム、幾何学的抽象、そしてシュルレアリスムであったが、一部の若手芸術家はこれら過去の美術とは異 なる様式を模索していた。ゴットリーブはセザンヌやピカソ、そして友人であり師でもあ ったミルトン・エイヴリーによる絵画の特徴を受け継いだ作品を制作していたが、
1941
年 頃、それまでとは全く異なる作風を編み出し、親しい友人である画家マーク・ロスコと共 に神話や古代文明に関連する主題を探究するようになる182。この時制作され始めたピクト グラフの特徴は水平・垂直のグリッドによって規定される画面構造であり、各区画内は単 色で塗られ、所々に具象的なシンボルが一つずつ配置される。ここにはキュビスム、そし てモンドリアンやトレス・ガルシアによる幾何学的抽象画との類似が顕著である。最初期 のピクトグラフである《オイディプスの目》(1941
)(図4-1
)を見ると、塗りつぶされた楕 円が虚ろな目、または閉じた目を示し、《オイディプス》(1941
)(図1-5
)では右上に片目 が描かれている。先行研究において、ゴットリーブの神話主題画がオイディプス神話を特 徴づける視覚と盲目性という主題を扱っており、シュルレアリスムを含む過去の美術にお ける内的視覚の表現方法を引き継いでいることが指摘されてきた183。しかし、ピクトグラ フのシンボルについて、往々にして断定的な分析は避けられてきた。それぞれのシンボル が複数の意味を担い、同じシンボルでも作品によって異なる意味に重きが置かれるため、シンボルに断定的な意味を見出すことは無意味であるという見解には一理あろう。しかし シンボルの意味を考察することでピクトグラフのより深い、複雑な読み解きが可能になる。
ここで注目するべきは、《オイディプス》の中央左側に描かれた見開いた両目と左下隅の閉
182 Adolph Gottlieb, interview with Friedman, 1962, quoted in Sanford Hirsch, “Adolph Gottlieb and Art in New York in the 1930s,” in The Pictographs of Adolph Gottlieb, ed. Sanford Hirsch (New York: Hudson Hills Press, 1994), 20. 183 Stephen Polcari, “Adolph Gottlieb's Allegorical Epic of World War II,” Art Journal 47, no. 3 (1988): 204; Harry Cooper “Starting with Oedipus: Originality and Influence in Gottlieb’s Pictographs,” in Adolph Gottlieb: Pictographs 1941-1951 (New York: PaceWildenstein, 2004), 10; Charlotta Kotik, “The Legacy of Signs: Reflections on Adolph Gottlieb’s Pictographs,” Pictographs of Adolph Gottlieb, ed. Hirsch, 64.目のモチーフについて、ミロやマグリッ トなどシュルレアリスム絵画の影響と共に、ゴットリーブの古代世界への関心を反映してエジプトやギリ シア、ネイティヴ・アメリカンの美術作例が参照された可能性が論じられている。Mary Davis MacNaughton,
“Adolph Gottlieb: His Life and Art, II. The Pictographs,” in Adolph Gottlieb: A Retrospective, 36; Hirsch, “Gottlieb
and Art,” 22-23.ゴットリーブの作品と原始美術との関係については以下の資料で扱われている。Charlotta
Kotik, Image and Reflection: Adolph Gottlieb’s Pictographs and African Sculpture (Brooklyn: Brooklyn Museum, 1989).
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じた両目の対比が、これ以降のピクトグラフの中でゴットリーブが芸術家である自己と彼 に理解を示さない他者との対立という内容を含ませつつ、シュルレアリスムから受け継い だ内的視覚の解釈を発展させる萌芽である点だ。この時期ゴットリーブはオイディプス以 外の主題も少数ながら扱っている。
1942
年の《ミノタウロス》(図4-2
)は本能的衝動の象 徴としてシュルレアリスムが重用したミノタウロスを強調しながらも、上部に描かれた両 目は、彼の神話解釈において目が常に重視されたことを示している。ソフォクレスによる悲劇『オイディプス王』において、内的視覚を体現する盲目の予言 者テイレシアスは、肉体的な視覚を有しながらも真実に対して盲目なオイディプスと激し い口論を戦わせる184。オイディプスが真実を知った後の自傷的行為によって内的視覚を獲 得する結末は、肉体的視覚と精神的視覚の対照を一層強調する。
このように
1940
年代初めのオイディプスを主題としたピクトグラフは目のモチーフを強 調し、内的視覚という観念をシュルレアリスムから受け継いだことを示しているが、その 後の作品においては次第にゴットリーブ独特の方法で目のモチーフが扱われるようになる。1-3. 1943 年のゴットリーブとロスコによる声明
1940
年代前半、後に抽象表現主義として知られるようになる作家たちは未だ独自の様式を確立しておらず、活発な批評の対象となることも少なかった。そのような中、
1943
年に 展覧会の紹介記事で作品を批判されたことをきっかけに、ゴットリーブとロスコは公の場 で見解を発表し、注目を浴びる機会を得た。その際の批評家との応酬は、ゴットリーブに 芸術家としての自身の立場を強く認識させるばかりでなく、彼のピクトグラフに自意識的 な次元、自己表象的な次元を与える結果をもたらした。その経緯には、1930
年代、40
年代 におけるアメリカの経済状況と芸術家団体の活動が関係している。世界恐慌下の
1930
年代、ルーズヴェルト政権主導の芸術家支援政策である連邦美術計画 に、ゴットリーブを含む、後の抽象表現主義を代表する作家の多くが参加したことに見て 取れるように、当時の芸術家たちは政府主導の企画であれ、在野の美術団体であれ、集団 での活動に積極的に参加していた185。1940
年、美術団体「現代画家・彫刻家連盟(Federation of Modern Painters and Sculptors
)」の設立に参加したゴットリーブとロスコは批評家や美術蒐集家からの関心を得るために、美術館や新聞、美術雑誌へ声明文を送付する活動を主導し た186。
1943
年には、同連盟による第3回年次展覧会が『ニューヨーク・タイムズ』紙で数184 Sophocles, The Oedipus Tyrannus of Sophocles, ed. John Tresidder Sheppard (Cambridge: The University Press,
1920), 23-31.ギリシア神話において盲目性と予言、性転換を体現するテイレシアスは、ギヨーム・アポリネ
ールによる演劇『ティレジアスの乳房:超現実主義のドラマ(Drame surréaliste)』(1917)やT・S・エリオ ットによる『荒地』(1922)など20世紀前半の重要な芸術、文学にも登場した。
185
ニューディール政策と連邦美術計画、美術団体の活動については次の文献を参照。Richard D. McKinzie, The New Deal for Artists (Princeton, NJ: Princeton University Press, 1975); Robert C. Vits, “Clubs, Congresses, and Unions: American Artists Confront the Thirties,” New York History 54, no. 4 (October 1973).
186「現代画家・彫刻家連盟」の設立と活動、その政治的立場については、次の資料を参照。Gerald M. Monroe,
“The American Artists Congress and the Invasion of Finland,” Archives of American Art Journal 15, no. 1 (1975);
Guilbaut, How New York Stole; 平田思「1940年のアメリカのFMPS組織化の再評価」『美学芸術学論集』4