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グリーンバーグなど抽象表現主義の芸術家たちを擁護する批評家たちは、非アメリカ的 であるという批判に対抗するために、彼らがアメリカ的特性を体現すると主張した。その ような批評においては、ポード・ペインティングに特徴的な構図の大胆さ、筆遣いに表れ る強さや荒々しさ、カンヴァス自体の大きさに示される巨大さがアメリカ的特性を象徴す るものとして論じられた。このようなアメリカ的特性に関する議論に対して、個々の芸術 家たちはそれぞれ異なる反応を示した。以下では、彼らがどのようにアメリカ的特性を作 品に反映させたのか、或いはそうすることを拒んだのかを考察する。

3-1. ゴットリーブとロスコの批評への反応

ニューヨークの画家たちがアメリカの理想像と関連づけられ、評価を高めていく過程は で、アメリカ芸術の特性を如何に絵画に表現するかという点で、作家によって異なるアプ ローチが見られる。ロスコとゴットリーブは画家として一定の評価を得るために、一目で 彼らの作品であると認識できるような独自の作風を確立する必要性を認めていたが、どの ような表現や様式を選択するかは、周囲からの評価と同時に作家自身の自己認識とも深く 関わっていた。

1940

年頃、彼らは新しい絵画を目指して実験的な制作を始め、ゴットリー ブはピクトグラフという絵画様式を確立し、

1940

年代を通してグリッド構造を保持しなが らもシンボルや表現上の工夫を行った。ここで

1940

年代後半以降の作品の展開に、同時期 の批評に対するゴットリーブの反応がいかに反映されているかを検討する。

1940

年代半ばのピクトグラフには複数の新しい作風が試みられ、その中に《仮面舞踏会》

1945

)(図

4-7

)のように流動的な線描のグリッドと、シンボルを描く曲線とが交錯する 表現が現れる343。この作品では、茶系統の色彩に白い線でグリッドとシンボルの輪郭線が 描かれ、目や頭といったシンボルに円や渦巻き型が当てはめられると共に、グリッド自体 もシンボルに合わせて弧を描くように歪められる。同様の作風を示す《水、大気、火》(

1947

(図

6-2

)では、同じ色と太さの線描でグリッドとシンボルが描かれ、渦巻きや楕円、弧が 緩やかに引かれたグリッド内の各所に配置される。全体の色調は背景の緑と線の紺色で統 一され、渦巻きや弧の内部の黒い円や、黄、朱、薄い青の筆致でアクセントがつけられる。

これによって均一にシンボルと色彩がちりばめられ、一種のオールオーヴァの感覚が伝え られる。更に、ここでゴットリーブは他のニューヨークの画家たちと同様に大きなカンヴ ァスを用いている。

このように曲線を強調し、画面全体を色彩と線描によって調和させる作風は、同時期の 他の作家たち、例えばヘイターやポロックにも見られる。とりわけ具象的な形体を示す線 描で画面を覆う作風はトビーの作品に特徴的であり、《仮面舞踏会》のように白線でシンボ

343 この作風が現れた理由として、戦争によって引き起こされた緊張の緩和と、油彩よりも流動性の高い水 彩絵具を用いるようになったことが指摘されている。Linda K. Kramer, “Graphic Sources of Gottlieb’s Pictographs,” Pictographs of Adolph Gottlieb, ed. Hirsch, 54.

140

ルとグリッドを描く表現は、トビーによる《縫うように進む光》(

1942

)(図

5-8

)の表現と の類似を示している。

1944

年にニューヨークで開催されたトビーの個展に同作品が出品さ れており、ゴットリーブが会場を訪れ、トビーの作風から着想を得た可能性も考えられる。

このように画面全体を曲線によって調和させる表現は次第に見られなくなり、

1950

年頃に はむしろ直線的なグリッドで画面を明確に区分するピクトグラフが多く描かれるようにな った。

前節で見たように、

1947

年頃にグリーンバーグはアメリカ的な強さを象徴する芸術家と してポロックを賞賛する批評を発表するようになった。トビーをより劣った比較対象とし て用いる有効性を認識したグリーンバーグは、ポロックがピカソから力強い個性や、強さ や荒々しさといった感覚を受け継いでいると賞賛し、反対にクレーからトビーへと受け継 がれた繊細さや装飾性、叙情性は弱さを表すものとして嘲笑的に言及される。前述のよう に、グリーンバーグがポロックを扱う最初期の批評に、

1947

年のデビュッフェとポロック の展覧会を扱ったものがある。ここでは、デビュッフェによる横長の画面全体を直線で小 さい長方形に分割する構図について、クレーやその追随者たちも同様の構図を用いるが、

デビュッフェのものは印象主義やセザンヌ、キュビスムに由来すると論じられている344。 クレーに対して批判的なグリーンバーグは、デビュッフェと彼を線引きするが、ここでク レー、そして彼の追随者と共に挙げられるのが、「才能はあるが不完全」と評されるゴッ トリーブである。作品に対する言及はないが、同時期にクーツ画廊でゴットリーブの展示 が行われているとの記述があることから、グリーンバーグが若手画家の一人として彼に注 目していたことは確かだろう。とはいえ、ピクトグラフのグリッド構図とクレーやトレス・

ガルシアとの結びつきが暗示されており、ゴットリーブはグリーンバーグがモダン・アー トの主流と見なすセザンヌやキュビスムとは離れた画家として見なされている。

グリーンバーグはゴットリーブにある程度の才能を認めながらも、その評価には慎重な 態度を取っているように見える。

1947

年末の個展に際して、彼はゴットリーブに一定の評 価を与えた上で、いくつかの不満と要求を表明している345。グリーンバーグはピクトグラ フの構図への不満として、ゴットリーブが単調な、装飾的なデザインに閉じこもっている と批判する一方で、展覧会を重ねる毎に強さと巧みさを増していると評価する。グリーン バーグによると、この展覧会に出品された新作《水、大気、火》は力強さを獲得しており、

それがゴットリーブの作品にしばしば感じられる臆病さが偽りであることを示している。

更に「ゴットリーブはおそらく、とりわけマーク・ロスコ、クリフォード・スティル、そ してバーネット・ベネディクト・ニューマンを含む象徴主義の新しい米国特有の流派の主 導者である」と述べ、これらの画家たちの間でゴットリーブが最も独自性を打ち出してい ると評価する一方で、彼らの作品の「象徴的、あるいは『形而上学的』な内容」に対して

344 Greenberg, “Art,” Nation (1 February, 1947): 136-137.

345 Clement Greenberg, “Review of Exhibitions of Hedda Sterne and Adolph Gottlieb” in Arrogant Purpose, 1945-1949, 187-189. Originally published in “Art,” Nation (6 December, 1947).ここでグリーンバーグは、ゴット リーブが数年前から高い能力をもつ画家として頭角を現してきたと述べている。

141

は批判的である346。この批評を閉じるにあたってグリーンバーグは、支持体の大きさと芸 術としての大きさという

2

つの意味での大型の芸術(

a large art

)を追求するようにゴット リーブに示唆し、より多様な作品を制作するように求めている。

この批評への回答として、ニューマンが彼らの絵画における「形而上学的な」性質と個 人的な表現様式の正当性を主張する書状を送ったことに表れているように、グリーンバー グの批評は必ずしもゴットリーブや周囲の画家たちの意に沿うものではなかった347。しか しながら、ゴットリーブの作品が次第に巨大化し、具象的なシンボルが削除されていく展 開は結果的にグリーンバーグが示唆した方向を目指している。作家が独自の表現を模索す る中で、美術批評の中からその方向性に合致する諸要素を肯定的に受け入れたと理解する ことができるだろう。

1948

年頃にゴットリーブがそれまでの緩やかな線描表現を用いるのを止めたのは、それ

によってトビーやクレーといった非主流画家たちと結びつけられ、次第に形を成すニュー ヨークの新しい芸術動向から除外されることを危惧したためだと考えられる。

1950

年頃に 彼は、幾何学的抽象やキュビスムとの関連を示すようにグリッドを強調するピクトグラフ を制作すると同時に、グリッドとシンボルを分解し、画面全体にその断片を浮遊させるこ とで、いくつかの新しい作風を試みている。これらはいずれも画面の均一さ、いわゆるオ ールオーヴァ性に向かう表現であり、その一つである《夜間飛行》(

1951

)(図

6-3

)では 画面の端でシンボルが切られることで広がりが暗示される。《真昼の漂着物(想像の風景)》

1952

)(図

6-4

)のように横長の画面の背景を上下に区切り、円や矩形によって天体を象 徴的に表す作品も多数制作されるようになり、この作品群はピクトグラフと並んでゴット リーブ特有のシリーズの一つとなる。更なる展開として、円と爆発物のような形体を上下 に配置するバースト・シリーズ(図

6-5

)は、

1950

年代後半以降のゴットリーブを特徴づけ る作風となる。この

1940

年代後半以降のゴットリーブ作品の展開は、繊細さや緻密さを捨 て、グリーンバーグがアメリカ的と主張する力強さ、独創性、荒々しさという特性を如何 に自身の絵画様式と融合させるかという問題意識を反映していると考えられるのである。

ゴットリーブと芸術上の問題意識を共有していたロスコは、彼とほぼ同じ時期に線描に 重点を置いた表現を試みた。

1944

年から

46

年頃にロスコが集中的に制作した水彩画を見る と、《無題》(図

6-6

)には長い流麗な曲線で抽象化された形体が描かれ、《無題》(

1944-45

(図

6-7

)では薄い絵具が膜状に画面を覆っている348。これらの水彩画は大方好意的に受け

346 “Gottlieb is perhaps the leading exponent of a new indigenous school of symbolism which includes among others Mark Rothko, Clyfford Still, and Barnett Benedict Newman.” Ibid, 188-189. ここでグリーンバーグは、彼らが芸 術の「象徴的、或いは『形而上学的』内容」に見出す重要性に対して疑問を呈している“I myself would question the importance this school attributes to the symbolical or “metaphysical” content of its art,” Ibid, 189

347

この点に関して、ニューマンは「ネイション」誌宛てに同記事への回答を記した書簡を送った。常に自 然を出発点とするヨーロッパのモダン・アートに対して、形而上学的にのみ理解される彼らの抽象絵画は アメリカ独自の絵画の展開であるとニューマンは主張する。Barnett Newman, “Response to Clement Greenberg,” in Barnett Newman: Selected Writings, ed. O’Neill, 161-164.

348

ロスコの水彩画についての先行研究は数少ないが、ロスコの紙の作品を集めた展覧会のカタログ、パン フレットとして次の資料が挙げられる。James Lawrence ed., Mark Rothko: Works on Paper 1941-1947 (New