第 6 章 断面積およびエネルギーの測定 60
6.3 コンプトン散乱の微分断面積の測定
6.3.3 微分断面積の角度依存性
図6.40: 深さxでγ線がθ方向にコンプトン散乱して、NaI検出器2に入射する様子を上 から見た図。2つの赤い線は6.2.2節で近似したγ線が相互作用し得る標的の範囲である。
y軸の原点はこの2つの赤い線の中心にある。長さlはコンプトン散乱したγ線がNaI結 晶の外に出るまでの距離を示す。
図 6.41: 大きな深さxでγ線がθ方向にコンプトン散乱した図。図6.40とは異なった面 からγ線が出ていっている。この場合は減衰による補正因子f(θ)の計算で考えない。
である。したがって補正因子f(θ)は、
f(θ) = sinθ
µD′(1−e−µDsinθ)e−µ(−D2−D2+D3)
とわかる。ここで、減衰係数µはγ線のエネルギーEγに依存している。そのため、各散 乱角θについて計算する必要がある。減衰係数µは、γ線のエネルギーが1 MeVより小 さいため、光電吸収とコンプトン散乱による効果のみを含めば良い:
µ=µphoto+µcomp 。
コンプトン散乱による減衰係数µcompは式(2.8)より与えられる:
µcomp =ZσcNA
A ρ 。
ここで、NAはアボガドロ定数、AはNaIの原子量、Z はNaIの原子番号の合計(Z = ZNa+ZI)、ρはNaIの密度である。光電吸収の場合の断面積τは文献[5]を参照して、以 下の近似式を用いた:
τ = [3
2φ0α4Z5 (mc2
hν
)] (mc2 hν
)4
(γ2−1)32 [
4
3 +γ(γ−2) γ+ 1 ×
(
1− 1
2γ√
γ2−1log (
γ+√ γ2−1 γ−√
γ2−1 ))]
·2π
√ν1
ν
exp(−4ξcot−1ξ) 1−exp(−2πξ) 。 ここで、hνがγ線のエネルギーEγ、mc2は電子の静止質量である。Zは原子番号であり 今回はヨウ素の原子番号ZIを用いた。その他の変数は以下である:
ϕ0 = 8π 3 ( e2
mc2)2、 α= 1
137、 γ = hν+mc2
mc2 、 hν1 = (Z−0.03)2mc2α2
2 、 ξ=
√ ν1 ν−ν1 。 ゆえに、光電吸収による減衰係数µphotoは、
µphoto=τNA
A ρ である。
微分断面積の実測値
γ線がNaI検出器1で一度コンプトン散乱して、NaI検出器2で吸収される過程はエネ ルギーの2次元プロットのピークに対応していた。ピークの範囲はすでに表6.1のように 決定されていた。ゆえに、このADC Channelの範囲にある計数が求めたい過程の計数で ある。各散乱角θにおけるピークの計数は表6.2のようになった。式(6.3)を用いて、表 6.2で示した計数を計算すると、図6.42となった。
表 6.2: 各角度θにおけるADC Channelのピーク範囲での計数 角度θ (◦) 計数n (counts)
30 921
45 764
60 611
75 524
90 491
図 6.42: 微分断面積の角度依存性。横軸はγがコンプトン散乱したときの散乱角θであ
り、30◦、45◦、60◦、75◦、90◦にプロットがある。縦軸は微分断面積(cm2/str)の実測値 である。
表 6.4: 各角度θの最大・最小値 角度θ (◦) θmin (◦) θmax (◦)
30 21.117 40.024 45 35.361 55.557 60 49.793 70.798 75 64.456 85.745 90 79.384 105.25
次に、微分断面積に対する誤差を考える。誤差としてはまず、線源の放射能Isの誤差 σIs、検出効率ϵ·Ωの誤差σϵ·Ω、計数nの誤差σnを考える。このとき、微分断面積の誤 差σdσ/dΩは、
σ2dσ/dΩ = (dσ
dΩ
)2{(
σIs Is
)2
+ (σϵ·Ω
ϵ·Ω )2
+ (σn
n )2}
(6.4) となる。線源の放射能Isの誤差σIs は4.3.2節で示したように3.7%である。検出効率の 誤差は5.3で示したように式(5.4)で計算できる。計数nの誤差は√
nである。検出効率 と計数の誤差(%)は表6.3に示した。
表 6.3: 各角度θにおける検出効率ϵ·Ωと計数の誤差 角度θ (◦) 検出効率ϵ·Ωの誤差(%) 計数nの誤差(%)
30 5.048 0.1086
45 5.913 0.1309
60 6.892 0.1637
75 7.866 0.1908
90 8.762 0.2037
次に、散乱角θの範囲を考える。散乱角θの最大、最小値はおよそ図6.43で示したθmax、 θminである。黒い矢印線がθの最大・最小となるときのγ線の軌跡である。数値計算を すると、各角度θについて表6.4のようになった。計算方法としては、線源から散乱する 地点までのベクトルと散乱地点からNaI検出器2の端までのベクトルを計算し、2つのベ クトルの間の角度を求めた。
微分断面積の誤差、式(6.4)と散乱角の最大・最小値、表6.4を図6.42に含めると、図 6.44となった。
図 6.43: 散乱角θの最大、最小値。θmaxが最大値で、θminが最小値である。黒い矢印線 がθの最大・最小となるときのγ線の軌跡である。
図6.44: 微分断面積の角度依存性。縦軸のエラーバーは線源の放射能Isの誤差σIs、検出 効率ϵ·Ωの誤差σϵ·Ω、計数nの誤差σnを含む。横軸のエラーバーは散乱角の最大・最小 値である。
散乱角の分布
前項では表6.4のように測定において散乱角θの最大・最小値を見積もった。この項で は測定におけるその散乱角θの分布を調べる。
図6.45: γ線の軌跡を上から見た図。赤い2本の線は鉛でコリメートされたγ線の通りう
る限界の線である。NaI検出器2の白抜き楕円の部分はNaI検出器2の前面の円形の検 出面であり、本来上からは見えない。
図 6.46: γ線の軌跡の側面図。このように高さ方向も含めてγ線の軌跡を生成した。
まず、減衰や検出効率を加味しないでどのような散乱の過程も同じ重みで計算した。図 6.45、6.46のように3次元的にγ線の軌跡を作成し、そのときの角度を求めた。図6.45 はγ線の軌跡を上から見た図である。赤い2本の線は鉛でコリメートされたγ線の通り うる限界の線である。NaI検出器2の白抜き楕円の部分はNaI検出器2の前面の円形の 検出面である。本来上からは見えないが、γ線がNaI検出器2にたどり着く検出面を明確 にするために描いた。図6.54はγ線の軌跡の側面図である。NaI検出器2の白抜き楕円 の部分は同様である。γ線の軌跡はどちらの図でも黒い線で示してある。γ線は円柱形の NaI検出器1の結晶内で一度散乱して、NaI検出器2の検出面(図の白抜き楕円の部分)で 反応する。計算方法としては乱数をγ線のNaI検出器1での散乱点とNaI検出器2の反 応点に対して生成する。NaI検出器1での散乱点は3次元、NaI検出器2の反応点は2次 元で生成した。次に生成されたγ線の軌跡が図6.45の赤い線の内部およびNaI結晶内、
さらにNaI検出器の円形検出面の範囲に入っているか確認する。軌跡が正しいとわかれ
表 6.5: 各角度θ分布のガウス関数の中心値および標準偏差
設定した角度θ (◦) 角度分布の中心値 角度分布の標準偏差 生成した軌跡数
30 31.64 3.16 61317
45 46.47 3.15 61389
60 61.40 3.19 61246
75 76.35 3.20 61121
90 91.26 3.15 61564
ばその軌跡から散乱角θを求めた。使用した乱数はROOTのTRandom3 classによって 生成しており、メルセンヌツイスターを使用している[6]。図6.45–6.45は作成した角度分 布のヒストグラムを規格化し、さらにガウス関数でフィットした図である。
表6.5はフィットしたときのガウス関数の中心値とその標準偏差である。合わせて生成 したγ線の軌跡数も載せてある。フィットの結果から中心の値はどの角度でも1◦程度大 きくなっていることがわかる。この理由は図6.52のようにγ線のNaI検出器1における 散乱点およびNaI検出器2における反応点が線源の中心より上または下に生成されれば、
散乱角が少し大きくなってしまうからである。標準偏差はどの角度でも3–4◦であること がわかった。この値は測定の角度のステップである15◦よりも十分小さい。したがって、
NaI検出器1の結晶の中心とNaI検出器2の検出面の中央をγ線が通っていると近似し たとしてもそれほど影響がないと考えられる。
次に、γ線の減衰と検出効率のエネルギー依存性を含んだ角度分布を求める。図6.53 はγ線の軌跡を上から見た図である。図6.54はγ線の軌跡の側面図である。l1′ は線源と γ線のNaI検出器1における散乱点の距離、l3はγ線がNaI検出器1の結晶に入った点か ら散乱点までの距離、l4は散乱点からNaI検出器1の結晶から出た点までの距離である。
γ線の軌跡に対して重み付けする要素g(θ)は次式で表せる:
g(θ) = 1
l′12e−µ662·l3e−µhν′·l4 · {ϵ·Ω(hν′)}
ここで、µ662は662 keVのγ線のNaI結晶内での減衰係数、µhν′ は散乱後のγ線のNaI 結晶内での減衰係数である。ϵ·Ω(hν′)は散乱後のγ線のエネルギーに対する検出効率で ある。
先ほどと同様に乱数を使ってγ線の軌跡を作った。それぞれの軌跡における散乱角と g(θ)を求めると、図6.55–6.59の右図の2次元プロットが得られた。この2次元プロット を使ってg(θ)で重み付けした角度分布を求めた。さらに、得られた角度分布をガウス分 布でフィットした図が図6.55–6.59の左図である。2次元プロットの方からは次のことが わかる。同じ角度θの2次元プロットでは実際の散乱角が小さいほうが重み付けの値が大
図 6.47: θ = 30◦に設定したときの散乱 角分布。
図 6.48: θ = 45◦に設定したときの散乱 角分布。
図 6.49: θ = 60◦に設定したときの散乱 角分布。
図 6.50: θ = 75◦に設定したときの散乱 角分布。
図 ◦に設定したときの散乱
図 6.52: NaI検出器1の高さによるγ線の散乱角の変化。図ではγ線がNaI検出器の中 心で散乱した場合と中心よりも上に散乱した場合とを示している。γ線は角度θで散乱す ることを期待しているが、実際には図のように検出器1の中心より上または下で散乱す る場合もあるのである。そのため散乱角はθよりも大きいθ′となる。
図 6.53: γ線の軌跡を上から見た図。
図 6.54: γ線の軌跡の側面図。
図6.55: θ = 30◦に設定したときのg(θ)を重み付けに含んだ散乱角分布(左)。散乱角θを x軸、重みg(θ)をy軸とした2次元プロット(右)。
きい。このことはNaI検出器1に深く入り込まないほうが減衰の影響を受けにくく、その ときは散乱角が小さい場合が多いためだと考えられる。各散乱角θの2次元プロットを比 較すると、散乱角が小さいほど重み付けg(θ)が小さい。このことは散乱後の減衰e−µhν′·l4 の値が散乱角が小さいほど小さいことが理由として考えられる。散乱角が小さいと減衰 係数µhν′と減衰距離l4はともに大きくなるので減衰の影響が大きくなるのである。
1次元角度分布の方は、あまり図6.47–6.51との変化が見た目に見えなかった。このこ とはコンプトン散乱したときの幾何学的要因による角度分布がその他の要素に比べて主 要であるからだと考えられる。フィットの詳細は表6.6にガウス関数の中心値と標準偏差 の値としてまとめた。
図6.56: θ = 45◦に設定したときのg(θ)を重み付けに含んだ散乱角分布(左)。散乱角θを x軸、重みg(θ)をy軸とした2次元プロット(右)。
図6.57: θ = 60◦に設定したときのg(θ)を重み付けに含んだ散乱角分布(左)。散乱角θを x軸、重みg(θ)をy軸とした2次元プロット(右)。
図6.58: θ = 75◦に設定したときのg(θ)を重み付けに含んだ散乱角分布(左)。散乱角θを x軸、重みg(θ)をy軸とした2次元プロット(右)。
図6.59: θ = 90◦に設定したときのg(θ)を重み付けに含んだ散乱角分布(左)。散乱角θを x軸、重みg(θ)をy軸とした2次元プロット(右)。
表 6.6: g(θ)の重みを含んだ各角度θ分布のガウス関数の中心値および標準偏差 設定した角度θ (◦) 角度分布の中心値 角度分布の標準偏差 生成した軌跡数
30 31.54 3.18 61179
45 46.12 3.22 61698
60 60.87 3.12 61045
75 75.65 3.16 61406
90 90.44 3.09 61396
表6.5の値と比較すると、どの角度でも中心値は設定した角度に近づいたことがわか る。特に重み付けの影響の強い散乱角90◦では表6.5では91.26◦であったのに対し表6.6
では90.44◦なので1◦近く近づいている。一方、標準偏差はあまり大きな変化は見られな
かった。
ここまで減衰や検出効率の要素を含まない幾何学的要因のみによる角度分布とそれら を含んだ角度分布を調べた。これらの分布を比較することにより減衰や検出効率のエネ ルギー依存性が角度分布に対してあまり主要な要素とならないことがわかった。これら の分布はクライン-仁科の公式そのものの角度依存性・エネルギー依存性の要素を含んで いない。さらに、NaI検出器2の検出面のどの位置でも同じだけγ線が反応すると仮定し ているので、真の角度分布とは異なる。しかし、幾何学的要因だけで得られた角度分布 からほとんど散乱角θを±3◦で見積もることがわかった。このことから角度分布はクラ イン−仁科の公式や検出効率の位置依存性の影響に比べて幾何学的要因が大きいと考え られる。したがって、6.2節などで見積もったルミノシティの計算および散乱後の減衰の 計算は妥当であったと考えられる。