第三章 <帝国>の首都における東アジアと東アジア系を取り巻くダイナミクス
7 待避的人種差別とハビトゥス
7-1 第一章とのつながり
本研究の主題として取り上げ続けているこの待避的差別というものが,ハビトゥスとい かなる関係があるのか,先だってここで論じたい.ブルデューの文化資本は家柄,階級によ るヒエラルキーを問題にしていた.「振舞いかたに重点をおき,それを通して獲得様式に重 点をおくこと,それはその階級における家柄の古さを階級内のヒエラルキーの根拠とする」
(Bourdieu 1979=1990: 149-50),「正統的な振舞いかたを身分上身につけている人々に,
絶対的にしてまったく恣意的な承認権または排斥権をさずけることでもある」(Bourdieu
1979=1990: 150).すなわち,育ちの過程で特定の環境におかれたため,身体化された振る
舞いにもとづいた恣意的な序列の中に位置付けられる.「正統的な振る舞いかたと,発音や 服装や態度物腰などの価値を決める力とを身分上身につけている人々は,自分自身の振舞 いかたに無関心でいられるという特権をもっている」(Bourdieu 1979=1990: 150).また,
そのようなヒエラルキーの上に這い上がろうとすれば,それは「猿真似」であるとされ,「借 り物」5の行動に陥る.逆に否定的態度にでれば,その反抗そのものが自分の敗北を表して しまうという二者択一に閉じ込められている.これに関連する『ハマータウンの野郎ども』
(Willis 1977=1996)の人々は自ら作り出した対抗文化によって,図らずもヒエラルキーを 再生産していた.
このようなハビトゥスによるヒエラルキーは,ネグリ&ハート的に言えば,ポスト工業社 会の脱領域的な<帝国>においては,西洋的なものとの「ズレ」の度合による序列に置き換 えられる.この<帝国>のヒエラルキーでは西洋的なるものが中心に置かれることも,やは りハビトゥスと同様であくまでも恣意的に決定されている.アジアからの移民はやはり同 じ二者択一の境遇に立たされる.自らのエスニックな有徴性をなるべくかき消そうとして も全面的には受け入れられない.先にみたように,米国西海岸のアジア系たちは60年代―
70年代にはAsian Pride Movementという対抗文化を作った.ハート・セラー移民法後に
大量に移住したアジア系のその子供世代はどのような対抗文化を作っていったのだろうか.
彼らはアメリカ的なものへの同化を一度は試みるが,いったん止めて,その後には反抗では なく,やんわりと距離をとりつつ,新しい世界の拡がりを手に入れている.『ハマータウン の野郎ども』とは少し違う帰結を以下で確認したい.
第一章でも簡単に触れた待避的人種差別,あるいは第三のカラー・ラインと「FOB」とい う用語のつながりを今一度確認しておく.「FOB」はもともと蔑視語で,人種やエスニシテ ィが同じでも,アメリカ化の有無と,その度合によって序列が作られ,通常はアメリカ生ま れのアジア系が,新規に米国にやってきたばかりのアジアからのアジア人を蔑む言葉であ った.これは生物的な違いにもとづく差別ではなく,感覚や価値観,振る舞いにもとづいた
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待避的人種差別の定義と合致している.本章では,その「FOB」という言葉に付着している 蔑視の要素が薄らいでいることを論述しており,この項では,それについて密接な関連をも つAZNという感覚についてまず述べ,次いで感覚的な溝の存在とその変化,そして残って いる境界線について論ずる.
7-2 AZNプライド
60年代,70年代のAsian American運動から時代は移り1990年代後半,Deborah Wong
(2010)によると,AZN プライド(「AZN PrYdE」は一例だが,彼らが文章を書くとき,
大文字と小文字が本来以外の場所に使われ,綴りにも変更がなされるという特徴がある.)
という現象がみられた.西海岸のアジア系アメリカ人の若年層の間での現象で,Wongによ ると2009年の時点で20代のアジア系はこの現象を知っているという.Wong自身が説明 するようにこのようなアジア系アメリカ人の若者カルチャーについての研究は手薄で,
AZN,あるいは類語の GenerAsianに関するアカデミックな文献はWongの他に見当たら
ない.しかし,それをもって些末な現象だったと考えるのは誤りである.メジャーチャネル において出番が限られているアジア系アメリカ人にとって YouTube は自分たちの声を発 信・共有する重要なプラットフォームになっている.そのため,ロサンジェルスのアジア系 2世以降の若年層に話を聞くと,二人に一人くらいの割合で幾人かの有名なアジア系アメリ
カ人のYouTuberたちを紹介してくれ,それらの動画が自分たちの感覚をおおむね代表して
いると話してくれる.そうした有名なアジア系アメリカ人 YouTuber に Fung Brothers
(Fung Bro)がいるが,彼らはまさにNew 2nd Generation Asian Americanにあたり,
1986年,1988年生まれの米国生まれの中国系で,彼らより数歳上の友人(FungBroによ るとAZN世代真っ只中を生きた世代とのこと)らも招き,4人でAZN時代を振り返る動 画(FungBros 2014a, 2014b)は興味深い.彼らがAZNプライドについて回顧する動画を 作ろうとした契機は,BuzzFeedというVlog/Blog(動画/文字情報)にAZN特集(Wang
et al. 2016)が組まれており,話題を集めていたことであった.BuzzFeedがカバーしきれ
てない点を話したいというのが理由として説明されていた.こちらの LA に拠点をおく
BuzzFeedというのは2013年位(Sさんの見解)から人気に火が付きミレニアルズ世代で
(おそらく西海岸での方が知名度が高いと思われる)あれば誰しもが聞いたことがあると 思われるほどアメリカ人一般(エスニシティ問わず)の間で有名である.これらの情報を鵜 呑みにするのは問題だが,上述のように,現地のアジア系アメリカ人 2 世以降らの間で支 持されていることが多い.
Wong(2010)によるとアメリカの若者研究のなかで,AZNプライドや,GenerAsianが ほぼ手つかずなのは,それがアメリカ文化として見られていないからだという.
WongはAZNプライドが2000 年あたりに始まったとみており,明記はないが2009年 時点でまだ終わってないかのように書いてある.しかし,2014年時点でFungBro(2014年 時点で26歳と28歳)と彼らより少しだけ年上のその友人らの持っている認識では,1993
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年頃に始まり,1999年にピークを迎え,2005年頃には消えていたとなっている.2014年
時点の BuzzFeed のサイトでもすでに過去形であり,あの頃を今振り返ると痛々しかった
という語りがある.また,2014時点のFungBroは2005年で終わったと彼らは感じている と言った後に,本当に終わったか否かは議論の余地があると付け加えている.推測するに,
1999-2000年あたりに誰の目にも明らかになり,2005年で一応の落ち着きを見せたのか変
容し,その後は意見が分かれると考えてもよいかもしれない.
あくまでも参考までだが,Google Trends6を使うとグーグル上で検索された回数の履歴 を地域と年代に絞って調べることができる.システムが整った2004年元旦以降のデータし かアクセスできなかったが,アメリカにおける「AZN」という単語の検索回数を下に示す.
アメリカではこの時期を通してグーグルが検索エンジンとしては実質的にほぼ寡占に近い 状態であること,またAZNがインターネット使用に最も積極的な世代であったこと,そも そもAZNという用語の成り立ちからしてインターネット上のコミュニティで使われ始めた ことなどを考慮すれば,この方法でその収束時期の見当をつけることはあながち間違いで はないだろう.Y 軸の数値はピーク時が100 となっている.実際の回数までは入手できな かった.これによると2005年がピークで,2007年からは半減し,2008年の中頃からほぼ
20%に,2009年には現在の2016と同じ10%台まで落ちている.これから判断するに,K
さん(後述)の見解が一番近いようだし,2005年までであったとするFungBroの見解も,
それほど遠くはない.
( Google Trends , 2016 , ( 2016 年 8 月 20 日 取 得 ,
https://www.google.com/trends/explore?date=all&geo=US&q=AZN)から図は筆者作成.
注6を参照.)
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どのような特徴があるかについては,Wongも,FungBroもBuzzFeedも一貫しており,
AZNという用語が現れたのはインターネット上のコミュニティが始まりであるが,中産階 級か下層のアジア系アメリカ人2世以降若年層のアイデンティティとなったところが多い.
髪の毛をブリーチして黄色(Blondという言葉が使われているが)にし,強力なワックスで スパイクのように立ち上げ,黒人系かアジア系によるR&BやHip-Hop,あるいはテクノを 好み,アフリカ系米国人文化を借りてきてアジア的なアレンジをほどこす(例えば B 系フ ァッションをするのだが,すべてを黄色で統一するなど.)また,女性は細眉にしてアーチ を大きく描いたり(これも当時の黒人系女性の間で流行っていた),性的アピールをした服 装を好む.男女共通して日本製のスポーツカーを改造して高速で乗り回す.AZNというと 必ず引用されるのがJINという中国系アメリカ人MCで,「Got Rice, Bitch?」というラッ プ音楽で有名である.歌詞はAZNの特徴である環太平洋的アジア系の連帯を連想させるも のになっている.また,(東洋的)ドラゴンや不死鳥のタトゥーを入れることが多かった.
ゲットーに住む黒人系少年のステレオタイプにならってバスケットボールの練習に励み,
バスケットボールシューズを好んで履き,マイケル・ジョーダンのシューズなどは特に好ま れたということだ.そして,FungBroによると,極端なケースではスクワットのようにし ゃがみこんだ姿勢でタバコを吸う場合も見られたというから,日本や韓国の少し柄が悪め のサブカルチャーを連想させる.実際,日本のヤンキー文化と部分的な類似を見せる.また,
彼らによると AZN プライドのリーダー格はたいがいがフィリピン系米国人であったよう で,フィリピン系が最もアジア的なものとは距離があるにも関わらず,AZNプライドのリ ーダーだったことを今振り返ると面白おかしく思っているという語りがあった.
Wong(2010)によると彼らはアジア系であることを全面に押し出し,米国のメインスト リーム中ではアジア系がフェミナイズされていることに反発し,黒人系のステレオタイプ に倣って闘争的雰囲気を作る(S さんおよび,Fung Bro の言葉を借りると「Wannabe
Gangsta」)ことでマスキュリニティの回復を目指した.また,アジアの文化的優越性を主
張し,アジア人の自分は美しいという主張が目立った.一方で東アジアから発信され始めて いたポップカルチャーを取り込んでハローキティのタトゥーや,DDM(日本発のダンスダ ンスレボリューションというアーケードゲーム.足元にボタンを兼ねた複数のパネルがあ り,その上で音楽に合わせて踊ってボタンを踏み,リズムとの同期具合を競う)を好んで遊 ぶというアジアのアジア男性のような好みも兼ね備えていた.
AZNプライドという現象と60-70年代のAsian American運動の異同を確認する.すで に見たように,1960-70年代のAsian American運動もベトナム反戦運動の内容にみるよ うに環太平洋的連帯を志向していた.90年代末-2000年代半ばに見られたAZN PryDe(あ
るいは GenerAsian)という気分も環太平洋的一体感か,あるいは想像の共同体7としてみ
ていることが多いことは共通している.異なる点は60-70年代のそれはより純粋に東アジ アの間エスニシティ連帯と社会主義の色合いがある(Wong 2010)が,90年代-2000年代 半ばのそれは,資本主義システムに包摂される形で現れているということである.上層階層