第四章 エスニシティ属性を超えて画一的に共有されている「普遍性」 : 「モダン」さの序列
8 小括
173
終 章
175
この章では,ここまでの第一章から第四章で確認した議論と知見を振りかえり,続いて,
序章で展開した本研究全体の目的に照らしながら全体の結論を述べる.
本研究の主題は,グローバル社会において,文化の画一化が拡大しているのか,多様性が 拡散しているのか,という社会学の典型的論点をエスニック・ヒエラルキーという概念によ って再考することであった.
第一章では,エスニック・ヒエラルキーという概念と同時に,それに密接に関わる待避的 人種差別,または第三のカラー・ラインとして知られる概念を導入し,それが経済的な境界 線まではとうに踏み越えているだろう「日本人」にもまだ有効であることを確認した.それ をつうじて,本研究全体で扱った感覚的な異なりは,西洋的な文化規範からのズレ度合いと いう序列をなして存在することを論じ,この研究がもつ価値に言及した.
第二章では,実証からはなれ,文化論と消費社会,差別・抑圧論についての先行研究を論 じ,第一章で導入した類いのヒエラルキー,序列との関連をしめした.主として,グローバ ル化と消費社会化が一層に深化した現在におけるバウマンの文化論を検討した.ブルデュ ーのディスタンクシオンに描かれているような文化資本による序列は第一近代的特徴であ り,液状化近代とも呼ばれる第二近代においては,そのようなものは希薄化し,むしろ文化 の雑食傾向があるというのがバウマンの主張であった.多様性を礼賛し,創造,生産と消費 のサイクルの原動力として駆動させる,そうした命題に関して,本研究では,消費と生産の 様態の変化にいち早く対応しているとおもわれる,経営学のいくつかの潮流に分析の目を 向けた.それは,消費の場についてはマーケティング論で,生産の場についてはダイバーシ ティ・マネジメント(部分的には異文化コミュニケーション論から援用されている)と,現 場監督向けのリーダーシップ論にみいだされ,<帝国>における多様性の管理体制が差異 と均質性の両方を奉ずる力学の一端をこのように確認した.
本研究の第三章において,実態はバウマンの文化論は必ずしもあてはまらないことが確 認された.実際にみられた文化による序列,あるいは第一章でいう,感覚のズレによるヒエ ラルキーは,一つは特定の文化的な特徴や趣味が「悪趣味」であるという否定的なラベリン グをともなうときと,もう一つはもっとずっとわかりくい類いのもの,つまり,無関心とい う態度か,リベラルな「寛容」という態度と,恣意的な「普遍性」を主張し,認めさせる諸 力によって維持されていた.一方で,序列がいまだに維持されていることのみならず,それ が変化していることも同時に確認された.かつて「FOB」とは,アジア系1世,(1.5世も しばしば)に向けられる蔑称であったが,そこに付着していたはずの否定的なコノテーショ ンが少なくとも薄らぎ,中には積極的にその表象を消費する 2 世以降の韓国系米国人が現 れたことである.その意味するところを第三章で追ったわけだが,韓国のソフト・パワー戦 略の機軸である,韓流の世界市場への流布が関係していた.括弧つきの「普遍性」が恣意的 に設定され,そこからのズレの度合いで序列がつくられる.そのズレこそが差異であり,多 様性であるが,感覚の異なりにもとづいて行われる待避的差別と,また,「寛容」か,多様
176
性を礼賛する「リベラル」な態度によっても差異は維持される.しかし,このような序列は 画一性の拡大にも同時に作用している.「普遍」的であるという装いを整えているため,多 様な参与者の間で共有されている事実は,「下流」とされた人々を同化に向かわせ,また,
米国での韓流自体の市場戦略にみられたように,特定の文化が「普遍性」の衣を纏っている 市場社会では,市場原理を媒介して,差異化と均質化が同時に行われていた.
第四章でみいだされたことは,「モダン」の度合いの程度の違いで,エスニック・カテゴ リのヒエラルキーがあり,その序列は回答者のエスニックな属性にかかわらず共有されて いて,あいかわらず「FOB」性は否定的な位置に置かれていることであった.
本研究全体の仮説の前半は,「普遍的」なるものを中心とした,そこからの「ズレ」の程 度にもとづく,待避的人種差別とも言われる,ハビトゥスによるエスニック・ヒエラルキー はある,であった.以上でみたように支持された.そして仮説の前半と連続性のある後半の 仮説はこうであった.リベラルで多様性を称揚する言説により,あるいは文化産業・文化政 策により,エスニック・ヒエラルキーは消失するか,変化する兆しはあるのか,それとも,
その序列はむしろ階層間の分断を維持するか創造することで,多様性の増進に一役買って いるのか.消失する兆しがあるとまでは言えないが,第三章でみた韓国系 2 世米国人らの 態度・同化志向への距離の置き方の変化は確認され,変化はあるし,また階層間の分断を維 持し,多様性の増進に一役買っていた,同時に,画一性の増進にも寄与していたといえる.
「経済の多様性が高まり,グローバル化が進んでも,集約的消費の源泉が力を失うこ とはないだろう.多くの消費者は,変化に抗ったり,互いに寄り集まったりすることに よって,自分たちに関わる文化を保全しようとする.彼らは強い忠誠心や伝統,習慣,
あるいは偏見といった理由からローカルな文化に寄与する.こうしたローカルな客層 の基礎にあるのは,地域主義や,世界市民主義的なものに対する不信感である.」(コー エン2011: 170.)
コーエンの議論で扱われる差異には序列がつけられている現状認識は全体的に薄いが,
上で引用した箇所はマジョリティからの排除が,異質性を保持するという序列の効果への 言及である.3章,4章で私たちが確認したことは,コーエンが挙げた忠誠心,伝統,習慣,
偏見という排除が序列を形成して人々を分断し,差異を維持し,また変化をつくる原動力に なっている詳細である.それらは多様性を作る方向に作用しているが,(序列は多様性を担 保する絶対条件とは考えにくく,)序列がなくても多様性は維持されるであろうが,それを 助長しているし,また,分断がおこると序列が生まれやすいことは否定し難い.
本研究はロサンジェルス郡での人々の感覚の境界線をめぐる動きの移ろいに焦点をあて た.特に,韓国系アメリカ人がこの時期にその境界線上で揺れた存在であったため対象にな ることが多かった.LAは世界を覆いつくすような<帝国>の首都の一つ,エンターテイン
177
メントの首都である.少なくともこれまではそうだった.ネグリらによると,<帝国>の諸 首都はすべて西半球(しかも全てアメリカ合衆国内)にあることになっているが,それ自体,
普遍性言説の偏りを示唆する.LAは西側にありながらも東半球に最も開けており,東西の 境界線上といってもいい多様性の集積地である.この地では感覚の違いによる境界線が縦 横無尽に走っている.多様性の管理を担っているのは共有されている大枠での画一性であ る.画一性が普遍的であるという言説が広く流通することで,多様性を内包しても機能する.
その画一性とは非文化であるという神話があることで,多様な諸価値を束ねる「普遍性」を 纏えているのだが,実は西半球から派生しているイデオロギーであるゆえに,西洋的なもの からの「ズレ」は多分に遅延として解釈され,ヒエラルキーを形成する.このヒエラルキー により,下に位置付けられた存在は承認を求めて,または序列内での上昇を期待して,同化 路線に引き寄せられる.しかし,彼らの同化の試みはしばしば部分的な達成にとどまり,た えず不満分子を社会に生み出す.つまり,同列ではなくヒエラルキーの存在が変動を起こす 原動力となっている.序列の低位置におかれる側は,そのヒエラルキーに抗ってその正当性 に異議を唱え,その行為が新しい普遍性・価値観を広げる活動の動力源となり,既存の普遍 性に揺らぎが起こる.マイノリティの同化欲求に対する主流社会の部分的な受容は,どの部 分が達成され,どの部分が達成できないのかが交渉されるが,これまでは三つの段階を経て 少しずつその許容範囲が広げられてきた.今もなお制限がかかっているのは親密圏と社交 の場におけるハビトゥスによる違いである.
これまでの流れの順を追うと次のようになる.①(これまで,そして今も)既存の普遍性 は自らの正統的位置を維持しようとし,不満分子の取り込みを始め,寛容性が高まる.60 年代後半の公民権運動がこれに相当する.②寛容性はあくまでもあからさまな差別のみを 排除し,不満分子を取り込みながらもヒエラルキーの中で低位に位置づける作用を持つ.普 遍性言説は維持される.③(今起こり始めている状態のことだが,)別の新しい普遍性言説 が存在感を増す可能性が現れるとき,不満分子は既存の普遍性言説から自らの待遇を改善 するだろう別の新しい普遍性言説に移動する.
東半球世界の普遍性が数世紀ぶりに世界規模での普遍性を主張し始めている.LAが東西 をまたいでなお今後も引き続き普遍性を主張することを欲するのであれば,東側から押し 寄せる新しい普遍性を取り込んでの懐柔になるが,それはヒエラルキーの刷新が迫られる だろうし,ヒエラルキーが従来のまま維持されるならば,それは取り込みの失敗を意味し,
LAの普遍性は規模を縮小し,従来ほどの普遍性を主張することが困難になるだろう.
本研究の主題は序章でしめしたように,グローバル化の深まりにともなって,文化が画一 化しているのか,あるいは多様化しているのか,という議論に資する材料を提供することで あった.これへの結論は本研究の実証部分については,あくまでもロサンジェルスという一 都市(郡)での例でしかないという制限付きであるが,序章で紹介した第三の立場,すなわ