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【価値論争問題】

ろうか。

これからの名古屋はr名古屋新世紀計画2010」によるまちづくりを進めていくべきだ

過 事実の分析

0 「名古屋新世紀計 O 新しいまちづくりが計画さ 的検討 画2010」が計画され れている理由を予想する。

ている理由を予想し

よう。

○ 「名古屋新世紀 O 愛知万博開催や中部新空港 【39】8っの都尚象 計画2010」とはど 開港に合わせて,世界中に名古 【如】地劒構想 のようなまちづく 屋のまちをアピールするねら

りだろうか。 いがあることをっかむ。

O 市民参画のまちづくりを推 進しようとしていることをつ

かむ。

O 「8つの都市像」を目標とし て,それぞれの区ごとに特色あ るまちづくりを進めようとし ていることをつかむ。

O 学区のある区の地域別構想 を基にして,どのようなまちづ

くりなのかを具体的につかむ。

未来予測 【未来予測】 2

もしこのようなまちづくりを進めていくと,これからの名古屋はどのi ようなまちになっていくのだろうか。

O 「名古屋新世紀計画2010」を 基に,名古屋のまちのよさや問 題点を踏まえて考える。

第IV章第2節

価値判断 A    【価値判断】       、

       … r名古屋新世紀計画2010」を進めていくべきだろうか。

意志決定 ○学習してきた内容とまちの現 【41】賛域意見 状や自分たちの生活を関連させ 【421反対意見 ながら,これからのまちのあり方

について,根拠を明確にして考え

る。

O 「夢なごや21」という市民が提 言をすることができるしくみが あることを知り,自分たちならど のような提言をするかを考える。

第IV章第2節

③学習過程

 ※ 小学校第6学年の子どもの実態や授業時間数に合わせて,分析的知識および記述的知識にっいては  必要なものを示す。削除したものについては,()内に示す。

第1時〜第3.【概念探究過程1】

O 目標

 戦国時代には織田信長,豊臣秀吉,徳川家康の活躍により名古屋周辺に人々が集まり,

まちが形成されてきた。江戸時代には家康による名古屋城築城によってこの地方の中心地 となり,尾張徳川氏の城下町として本格的なまちづくりが進んだ。戦後には戦争によって 焼失したまちを復興するために,市が画期的なまちづくりを進めた。このような行政主導 のまちづくりの結果,名古屋は産業中心の都市として発展してきた反面,市民にとって住 みよいまち,特色あるまちとならなかったことを理解する。

O展開

段階 主な発問・指示 予想される発言・思考 指導上の留意点 資料

情報の

情報の 類と

学習問 の発

・把

・この図を見て,気が いたことを発表し

う。

まちはどのように変 してきているだろ

う。

名古屋のまちもこれ でどのように変化 てきたのだろうか。

今の名古屋のまちの 徴とはなんだろう

。・これまでのまちの変

について見ていこ

・大きな建物が増えた。

たくさん人が集まっている。

何年ぐらいで変わったのだろう。

・誰がどのようにつくったのだろ

。・だんだん大きくなってきている。

だんだん人口が増えてきている。

道が広くて,車が多い。

工場が多い。

便利なまち。

特徴のないまち。

・まちの様子の変化を見

,その要因について考 させる。

名古屋のまちも大きく 化していることをつ み,その要因を考えさ

る。

 これまでの学習や知っ いることから,名古屋 まちの特徴を考える。

【1】まちの変化

2】市域の変遷 3】人口の推移

4】名古堅の風 土と特性

       【中核となる問い1】

業中心の大都市として発展してきた名古屋は,なぜそれまでのまちづくりによって,市民に って住みよいまち,特色あるまちとならなかったのだろうか。

第N章第2節

予想の

提示,

仮説の

衡正

予想の

提示,

仮説の

検証①

・理由を予想し,仮説 ・市民のことを考えないでつくって ・ 学習問題に対して理

を設定しよう。 きたから。 由を予測させる。

・ 建物や道路ばかりっくったから。 ・ 出された予想を分析 し,仮説を設定させる。

【問いA】

なぜ戦国時代に名古屋の城下町には人々が集まったことでまちが発展し,現在 のまちの基盤が形成されたのだろうか。

・理由を予想し,仮説 ・地理的条件が恵まれているから。

を設定しよう。 ・三人の武将の活躍によってまちが 発展したから。

◎ 名古屋にはいつご ◎地理的条件,気煩螺牛に恵まれた ・ 地i理的条f牛燃候条件 ろから人々が集まる 名古屋は,古くから全国的な物流, と関連させながら,人々 ようになったのだろ 交流機能が集積するまちであった。 が集まるようになった

うカ㌔   【A−1】 【A−1】 理由を考えさせる。

○我が国のほぼ中央に位置し,江戸 と京都・大坂との間で人々や物の行 き来が盛んであった。 【A−1一ア】

○熱田神宮の門前町として,古くか ら人々が集まっていた。【A−1一イ】

○温暖な気候と肥沃で平坦な地形 であるため,人々が住みやすいまち であった。      【A−1一ウ】

◎ 戦国時代にはどの ◎ 戦国時代に名古屋周辺からは織 ・歴史学習の内容を想起 ような人物が登場し, 田信長,豊臣秀吉,徳川家康といっ させ,三人の武将と名古 まちづくりがどのよ た,その時代活躍した人物が登場し 屋とのかかわりを考え

うに進んだのだろう た。        【A−2】 させる。

か。    【A−2】 ○信長は名古屋で生まれ,その後清 洲に拠点を移して,天下統一への道 を歩ん凪      【A老一ア】

○秀吉は名古屋で生まれ,その後清 洲の信長の下で頭角を現し,天下統 一をなしとげた。   【A−2一イ】

O家康は岡崎で生まれ,この地方を 中心に活躍し,その後江戸幕府を開 いた。        【A−2一ウ】

◎ 戦国時代にはまち ◎三人の武将の活躍以降名古屋の ・戦国時代に清洲が発展 がどのように発展し 城下町には人々が集まり,まちが発 したことが,まちの基盤 たのだろうカ㌔【A−3】 展し始めた。     【A−3】 となっていることをと

○織田氏が名古屋を拠点とするよ らえさせる。

うになってから,まちの整備が進ん だ乙         【A−3一ア】

0 その後の名古屋の基盤となる清 洲のまちは,信長の商業保護政策に

よって発展した。   【A−3一イ1

(街道などの宿場町として,ますます人々 が集まるようになった。【A−3一ウ】)

【5】三人の武将

鰍 繊

h鴨

ω

第W章第2節

①と 証ま 検のめ

新たな 問いの

予想の

提示,

仮説の

齪 搬

・なぜ戦国日訓 にまち の基盤ができたのか

をまとめてみよう。

         【下位の説明的知識Aの獲得】

 戦国時代に名古屋周辺からは織田信長,豊臣秀吉,徳川家康といったその時代 の中心ともいうべき人物が登場した。そのため,その城下町には人々が集まり,

まちが発展したことにより,現在の大都市としての基盤が形成された。

       【問いB】

 なぜ江戸時代に城下町の形成が進み,名古屋がこの地方の中心地として発展し たのだろうか。

・理由を予想し,仮説 を設定しよう。

◎ 江戸時代にはどの  ような人物が登場し,

 まちづくりがどのよ  うに進んだのだろう  カ㌔   【B−1】

◎ 清洲越しとはどの  ようなまちづくりだ  ったのだろうか。

      【B−2】

◎ 江戸時代にはまち  がどのように発展し

 たのだろうカ㌔【B−3】

・親藩の城下町となったから。

・ますます人々が集まるようになっ

たから。

◎ 江戸時代には尾張徳川氏が名古  屋城に入城し,尾張藩の中心地とし  て発展した。      【B−1】

○ 家康1認工戸幕府を開くと,全国の  大名の配置替えを行った。

         【B−1一ア】

(家康は名古屋出身の外様大名加爆清正1こ 命じて,名古屋城を築城させた。【B−1一  イ】)

(関魔東海,畿内の要所には親藩や譜イ   大名を酉置した。【B−1一ウ】)

○ 名古屋城には親藩であり御三家  の一つである尾張徳川氏が入城し  た。         【B−1一工】

◎ 清洲から名古屋へまちを移動さ  せる「清洲越し」を行った。【B−2】

○ 尾弼恵川氏の名古屋城入城に伴  い,それまでの中心地であった清洲  の移動が命じられた。 【B−2一ア】

○  「清洲越し」では,武士・農民・

 商人,寺社,町名までも移動させた。

         【B−2一イ】

(城の周囲に武家屋敷,幅三間の道路で区 画した基盤割に町家,防衛上の要所に社 寺を配置した。【B−2一ウ】)

○  「清洲越し」がはじめての本格的  なまちづくりとなり,その後まちの  基盤となった。    【B−2一工】

◎ 江戸時代には江戸と大坂を結ぶ  中間点として,まちが発展した。

      【B−3】

○ 江戸時代には街道が整備された。

・歴史学習の内容を想起 させ,親藩が配置された 要所であったことをと

らえさせる。

・ 清洲がまちの基盤とな り,清洲越しがはじめて の本格的なまちづくり であったことをとらえ

させる。

・街道の中間点というこ とから,人々が集まりや すかったことを考えさ

せる。

【7】名古屋城築

 城

【8】禰暉図

【9】清洲越し

【10】宿場町

第W章第2節

検証② のまと め

新たな 問いの

予想の

提示,

仮説の

検証③

・ なぜ江戸日荊 にこの

地方の中心地となっ たのかをまとめてみ

よう。

         【B−3一ア】

O 東海道の宿場町として人や物の 交流が盛んに行われた。【B−3一イ】

(伊勢参りや熱田参りの人々が多く訪れる ようになった。【B−3一ウ】)

      【下位の説明的知識Bの獲得】

 江戸時代に入ると家康の命を受けた加藤清正が名古屋城を築き,尾張徳川氏が 入城した。その際,それまでこの地方の中心地であった清洲から人々を移す「清 洲越し」を行い,城下町の形成を進めた。その結果,名古屋はこの地方の中心地,

江戸と大坂を結ぶ中間地点として発展した。

       【問いC】

 なぜ戦後の画期的なまちづくりによって,名古屋は市民から人通りの少ない活 気のないまち,特色のないまちと批判されるようになったのだろうか。

・理由を予想し,仮説 を設定しよう。

◎ 太平洋戦争によっ  てまちはどのように  なったのだろうか。

      【C−1】

◎ 戦後に行われたま  ちづくりはどのよう  なものだったのだろ

 うか。     【C−2】

◎ 戦後に行われたま  ちづくりは市民から  どのように評価され

 たのだろうカ㌔【C−3】

・市民のことを考えないでっくった

から。

・ 建物や道路ばかりつくったから。

◎太平洋戦争によって,市街地の約  4分の1を焼失した。  【C−1】

(戦時中,航空機工場が密集していたため,

空懲D被害を受けた。【C−1一ア】)

O 空襲により,名古屋城をはじめ,

 多くの歴史的遺産を焼失した。

         【C−1一イ】

○ 中心市街地はほとんど焼失した。

         【C−1一ウ】

◎ 戦後には,市はいち早く画期的な  まちづくりを進めた。   【C−2】

○ 当時の佐藤正俊市長の下,田淵寿  郎助役によって戦後復興策が計画  された。       【C−2一ア】

(市街地を四分害1ける10翫日道路の整備や 平和公園の建設を行った。【C−2一イ】)

O この道路整備は,防災面や未来の  自動車社会を見通したものとして  評価され丸      【C−2一ウ】

◎ 戦後のまちづくりが批判される  ようになった。       【C−3】

○ 市中心部にあった墓地を郊外の  平和公園に移転させたことにより,

 市民からの反発を受けた。

         【C−3一ア】

・ 戦災によって,一から のまちづくりが可能と なった二とをとらえさ

せる。

・ 将来の自動車社会を予 測した画期的な計画で あった二とをとらえさ

せる。

・ 戦後のまちづくりがな ぜ批判されたのかを考

えさせる。

野 暁

n

【12】田淵寿郎の  まちづくり

【13】墓地移転