第2章 社会参加とアンラーニングのサイクルによる社会科授業の開発
第1節 学校共同体への参加をアンラーニングする社会科授業の開発
1 知識や技能をアンラーニングする必要性
本節の目的は、学校共同体への参加をアンラーニングする社会科授業の開発である。従来の社会科 授業では、学習を知識の習得と考えてきた1)。例えば、「需要が一定のとき供給が増せば価格は下がる」
などの命題的知識の習得である。このような概念的知識を習得することに大きな意味や価値を見出し ていく社会科授業が展開されてきたことに異論はなかろう2)。それらの社会科授業は批判的合理主義 を原理として開発されている。そのため、実証的に反証可能性による推論と反駁によって連続的・発 展的に知識は成長すると考えられている3)。このような知識を習得することに大きな意味や価値をも たせているのは学校である。したがって、正統的周辺参加に依拠し、学校共同体とよぶこととしたい。
以上の批判的合理主義の社会科授業からすれば、習得された知識は役立つものとして受け入れられ ている。そのため、知識を習得していくという経験が何度も繰り返され、学習経験が成立する。する と、次のような疑問が生じる。果たして習得された知識は役立つのか。あるいは知識を習得する経験 をすることがよいことなのか。その知識や学習経験によって認識や思考が制限されないか。しかし、
これらの疑問についての検討はなされたことがない。
このような問題意識から、本節では状況論に依拠して知識や学習経験についての新たな考察を試み たい4)。状況論では、知識や行為は状況に応じて構成されていくものであるとする。そのため、状況 が異なれば、既有の知識や行為は棄却されていくと考える。このような状況論からすれば、社会科授 業での習得される知識や学習経験も状況が異なるたびに棄却しなければならない。そうすることで、
新たな状況に対応するように知識や行為が形成、習得されるのである。
このような状況論から知識、学習経験を捉えれば、状況が異なるたびにそれらを棄却していく考察 が可能となる。そのため、知識を棄却すること、学習経験を棄却することをアンラーニングと呼ぶこ ととする。このようなアプローチを採用することは、新たな社会科授業の展開を期待できる。すなわ ち、状況に対応できない知識は、積極的に棄却すること、及び学習経験を棄却することを学習目標と した社会科授業の展開である。そのような社会科授業を開発することで従来の批判的合理主義の社会 科授業との差異を明らかとしたい。
差異を明らかとするために、第1に、アンラーニングの指導原理を明らかにしたい。第2に、批判 的合理主義を原理とする社会科授業を取り上げ、問題点を明らかとする。対象授業は、アルフレッド・
ウェーバー(Alfred Weber)が論じた「工業立地論」5)を援用した授業『工業立地論』6)である。そ の授業を状況論的に検討することで批判的合理主義の社会科授業の限界を授業レベルで明らかとした い。第3に、その克服を目的とした単元「工業立地論は役立つのか?」を示していく。これらから、
学校共同体からアンラーニングすることができる社会科授業の実際を示すこととしたい。
46 2 知識や技能をアンラーニングする指導の原理
(1)アンラーニングの定義
状況論の原理とは次のようである7)。あらゆる行為は状況に埋め込まれている。状況によって行為 が始められ、その意味や価値が与えられる。一方、行為が状況を構成する。行為と状況は相互構成的 である。このようにして知識や行為に意味や価値が与えられる。そのため、状況論では、知識や行為 がどのような状況に埋め込まれているのか、あるいはその状況において知識や行為がどのような意味 や価値を持つのかについて明確にしていくことが重要となる。以上からすれば、既有の知識や行為に ついても状況が異なるたびに棄却することとなる。そうすることで、状況に対応する知識や行為を形 成していくのである。すなわち、知識は状況に応じて非連続的に形成されるものと考えられるのであ る。
以上の状況論をもとに知識の棄却、及び学習経験の棄却について検討しよう。まずは知識の棄却で ある。状況論の原理に依拠すれば、その状況において習得されている知識が役立つものであるのか、
あるいは役立たないものであるのかについての検討がなされる必要がある。それは状況との関係性の 強弱によって明らかとすることができる。関係性の強弱とは、その状況においての説明力の大きさの ことを言う。すなわち、関係性が強ければ、その知識の説明力は大きい。一方、関係性が弱ければ、
その知識の説明力は小さい。このように、関係性の弱さを認識できれば、その知識の説明力は小さく 棄却すべき対象となる。しかし、その棄却された知識は無意味・無価値とはならない。棄却された知 識は、新たな知識形成のための1つのリソースとなるのである。すなわち、アンラーニングによって 知識は棄却され、リソースとして位置付けられるのである。
次に学習経験の棄却である。状況論からすれば、社会科授業における学習経験についても棄却すべ き対象となる。例えば、仮説検証型の社会科授業である。この型の授業では、問題を分析し、その問 題に対する仮説を立てていく。さらに、仮説が妥当であるかを検証していくという方法である。この 学習経験は、以前は役立つものとしてみなされてきた。しかし、この型の授業において習得された知 識についても状況論によれば、棄却可能性がある。そうであれば、その学習経験自体が状況において 役立つものかどうかを検討する必要があろう。そのため、学習経験自体を棄却することも当然指導さ れるべきである。すなわち、アンラーニングによって学習経験は棄却され、新たな学習経験を形成し ていく契機となるのである。このように考えれば、アンラーニングとは状況に対応できない知識を棄 却し、さらにメタ・レベルである学習経験を棄却していくこととなる。
(2)連続的知識形成論と非連続的知識形成論
状況論に依拠すれば、状況ごとに知識は形成、習得されていくと考える。そのため、知識は状況に 応じて非連続的に形成されていくと考えられる。非連続的知識形成論に基づくことにどのように意義 があるのかについて明らかとしよう。
従来の社会科授業では、批判的合理主義の原理に基づき開発されてきた。批判的合理主義の原理と は次のようである。その原理は反証可能性の概念に基づいている。反証可能性とは、検証されようと
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する仮説が実験や観察によって反証される可能性を有することである。そのため、前述した「需要が 一定のとき供給が増せば価格は下がる」という仮説は、具体的な事実によって反証が可能である。よ って、その仮説は反証可能性を有するため科学的な知識となるのである。さらに、その検証がなされ、
説明できない場合はその仮説は修正される。それらのことで知識は連続的に成長していくと考えられ ている。
以上の原理に従い、知識が習得されたり、学習経験がなされたりしていく。しかし、果たして知識 は連続的に成長していくのか。答えは否である。そもそも状況論の立場では、脱状況・文脈による知 識は有り得ない。レイヴ、ウェンガーは、「抽象的表現は手近な状況に特定化されないかぎり意味をな さない。さらに、抽象的原理の形成や獲得はそれ自体が特殊な状況での特殊なできごとである。」8)
と言う。さらに、佐長は「知識の成長のために活用される概念的知識は、異なる状況に転じると、そ れは意味や価値を失う。」9)と言う。これらの指摘は、具体的な状況と知識が密接に関わっているこ とを意味している。すなわち、知識は、具体的状況に埋め込まれ、その有用性を維持するのである。
以上のことを考慮すれば、脱状況・文脈を前提とする批判的合理主義が主張する連続的知識形成論 は否定せざるを得ない。すなわち、知識は状況に応じて非連続的に形成されていくこと考えることが 望ましいのである。さらに、学習経験についても同様に考えることができる。学習経験についてもよ いかどうかは状況次第である。そのため、学習経験についても状況に応じて非連続的に形成されるこ とが望ましいのである。
(3)アンラーニングの指導方法
アンラーニングはどのような方法によって指導可能となるのかについて明らかにする。第 1 は、知 識の棄却の指導である。知識の棄却の指導では、状況との関係性が重要となる。そのため、これまで 無自覚であった状況を明確に取り扱わなければならない。状況とは、あらゆる言葉や行為、及びその 所産の意味や価値を明確にする文脈的情報のことである。その状況を自覚的に描出することで知識と の関係性の強弱が明確となっていく。
例えば次章で検討する工業立地論である。工業立地論も具体的な状況との関係において有用性を持 つ。そのため、具体的な状況を想定しなければならない。次の開発単元で言えば、サッポロビール九 州日田工場である。この場合であれば、当該工場がどのような地理的状況に埋め込まれているのか、
あるいはどのような文化的状況に埋め込まれているのかなどを描出しなければならない。そのような 指導を行うことで学習者は状況を認識することができるのである。このように状況を認識できれば、
習得した知識との関係性を検討できる。その結果、関係性が弱ければ、その知識は説明力が小さい。
すなわち、知識は棄却されるのである。そうすることで、新たな知識を形成していくリソースとして 位置づけていくことが可能となっていくのである。
第 2 は、学習経験の棄却の指導である。学習経験の棄却の指導では、経験した学習自体について考 察しなければならない。考察するには、その学習自体がどのような原理に基づいて授業が展開された かを明らかにする必要がある。その原理が明らかとなれば、授業で取り上げた現象をよりよく説明で