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地域社会共同体への参加をアンラーニングする社会科授業の開発

第2章 社会参加とアンラーニングのサイクルによる社会科授業の開発

第3節 地域社会共同体への参加をアンラーニングする社会科授業の開発

1 現実社会との乖離を自覚する必要性

本節は、地域社会共同体への参加をアンラーニングする社会科授業の開発を目的とする。授業テー マとしては、人口減少を取り上げる。人口減少は、日本が抱える大きな問題の1つである。増田寛也 らのレポートでは、全国で 896 都市が消滅するとも指摘している1)。このように日本では人口減少社 会を迎え、その状況に対応していくことが重要となる。このような状況に対応していく教科こそ社会 科であろう。しかし、現状の社会科授業は人口減少社会に対応できるものとなっているであろうか。

答えは否である。現状の社会科授業は、人口減少社会を意識していない。あるいは人口減少社会を意 識していたとしても知識の習得にとどまる社会科授業となっている。すなわち、現実の市民社会にお いて意味や価値を有する社会科授業となっていないと指摘できるのである。すると、次のような疑問 が残る。すなわち、地域共同体にとどまらず、現実の市民社会において意味や価値を有する社会科授 業へと転換すべきではなかろうか。

そこで、本節では状況学習論の1つである正統的周辺参加(Legitimate Peripheral Participation)

2) 、さらにはアンラーニング(unlearning)3)を学習原理とした市民社会への参加としての社会科 授業を提案してみたい。正統的周辺参加では、あらゆる学習を共同体への参加とみる。たとえば、座 学の受験勉強も参加である。それは、進学校における学校共同体への参加なのである。したがって、

従来の社会参加学習のように、学習を参加型と非参加型があるとは考えないのである4)。この点が決 定的に異なるのである。このような観点からすれば、どの共同体に参加しているのかが重要となる。

さらには、その共同体へ正統的、かつ周辺的に参加しているのかが重要となる。このように、社会科 授業における学習も共同体への参加とすることで新たな授業開発が構想できる。

一方、学習を共同体への参加とみなす正統的周辺参加によれば、参加すべき共同体が問題となる。

望ましい共同体であれば、参加を持続させ、そうでないならば参加を取りやめることが重要な問題と なる。その原理がアンラーニングである。アンラーニングとは、「これまでの『まなび』を通して身に 付けてしまっている『型』としての『まなびの身体技法(まなび方)』について、それらをあらためて 問い直し、『解体』して、組み替えるということを意味している」5)と定義されている。これによれ ば、従来のまなびの型を一度棄却し、新たに作り出すことが必要となる。学習とは、正統的周辺参加 によれば、共同体への参加であった。よって、その観点からすれば、新たな学びの型などを組み替え るには参加している共同体を変更することとなる。すなわち、アンラーニングとは共同体への参加を とりやめることである。

このようにアンラーニングは、特定の共同体だけに参加することにとどまらず、新たな複数の共同 体へ参加していくことができることを可能とするのである。そのことを本節では、アンラーニングに よる正統的周辺参加と呼ぶこととしたい。

以上のことを通して、本節では次のことを論じる。第1に、学習原理であるアンラーニングによる 正統的周辺参加について確認し、人口減少社会に対応した社会科授業の指導原理について論じたい。

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第2に、学校共同体・地域社会共同体への参加としての社会科授業を取り上げ、批判的に検討したい。

そうすることで、現状の社会科授業が人口減少社会に対応できていないことを明らかにしたい。第3 に、人口減少社会に対応した社会科授業の実際について示す。具体的には、小学校第6学年の「政治 とわたしたちのくらし-人口減少社会における佐賀市まちづくりについて考えよう-」について示し、

従来との差異化を図りたい。第4に、実践した結果をもとに、有効性について考察したい。

2 アンラーニングによる正統的周辺参加の指導原理

(1)共同体への参加としての学習

本節では、レイヴ(J.Lave)とウェンガー(E.Wenger)による正統的周辺参加の理論に依拠する。そ れは、サッチマン(Suchman、L.A.)の状況行為論(situated action)を引き継ぐものである6)。サッ チマンによれば、すべての行為は状況に埋め込まれているとする。そのため、学習という行為も状況 に埋め込まれた学習(situated learning)となり、考察の対象となるのである7)

正統的周辺参加では、学習を共同体への参加ととらえる。したがって、一般的な学習のように、知 識や技能を個人が内面に形成し、それらを所有するという見方をしない。さらに、知識や技能を習得 していく学習方法論という見方もしない。レイヴ、ウェンガーは、「正統的周辺参加はそれ自体は教育 形態ではないし、まして教授技術的方略でも教えるテクニックでもないことを強調しておくべきであ る」8)とする。さらに、「それは学習を分析的にみる一つの見方であり、学習というものを理解する 一つの方法である」9)と述べている。すなわち、正統的周辺参加は、学習の見方の理論なのである。

正統的周辺参加の特質について佐伯胖は次の4つにまとめている。

第1は、参加としてのあり方は正統的で周辺的でなければならないことである。レイヴらは、「参加 の正統性というのは所属のしかたの本質を定める形式であり、それ故に、学習にとって決定的条件で あるばかりではなく、その内容の構成要素でもある」10)とする。そのため、物真似やシミュレーショ ンであってはならないということができる。次に、周辺性についても同様に実践的共同体において中 心的参加というものは存在しない。周辺性とは、「それが活かされるときは、ことのはじまりを意味し ており、しだいにのめり込んでいくことにより理解の資源へのアクセスを増やしていくこと」11)であ る。また、参加とは周辺(periphery)から十全(full)へと移行する軌跡を描く。つまり、参加は本 物であり、周辺的なことから始める必要がある。そうすることで参加者は一人前になっていく。

第2は、学習は社会的実践となることである。社会的実践としての学習とは、共同体に参加する行 為とすることである。共同体への参加によってその共同体を維持・発展させていくことが必要となっ ていく。そのため、社会的実践としての学習は共同体へ何かしらの貢献をしていくことが重要となっ ていく。佐伯胖によれば、「学習というのは、『学び取る』とか『身につける』というよりも、『世の中 のタメになること、-いわば、シゴト-をやる』こと」12)と述べている。社会科授業で言えば、「世 の中のタメ」になることを学習することで市民としての資質を高めていくことができるのである。「世 の中のタメ」とは市民社会共同体において有益な行為を行っていくことが考えられる。

第3に、実践の本場にアクセスしていくことが重要となる。レイヴらは、「正統的に周辺的なやり方

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で参加できるということは、新参者が円熟した実践の本場に広くアクセスできることを意味している」

13)と述べる。つまり、学習者をいかに実践の本物にアクセスさせていくかが重要となるかを示してい る。

第4は、学習は共同体の再生産、変容、変化のサイクルの中にあるとする。正統的周辺参加におい ては、新参者は正統的に、周辺から共同体へ参加することとなる。さらには、その中において関係の 変化に伴い、次第に十全的な参加となり一人前になっていく。やがて新参者たちも一人前になること で交代を余儀なくされる。すなわち、共同体は更新されて維持・発展するものである。社会科授業の 文脈で言えば、学習者は市民社会共同体の新参者として参加し、十全的に共同体にかかわる重要な役 割を担う軌跡を描くことで市民社会共同体を維持・発展すると考えることができるのである。

以上、正統的周辺参加としての理論を4つの側面から説明してきた。正統的周辺参加は、従来の知 識や技能は個人の内面に形成されるものという見方とは全く異なる。つまり、学習を共同体への参加 としてみなすことで、正統的に周辺的に参加していくことで市民として成長することを可能としてい く学習論なのである。

(2)共同体への参加の取りやめとしての学習

アンラーニングは、学習棄却である。すなわち、参加という観点からすれば、特定の共同体への参 加をとりやめることである。では、共同体への参加を取りやめることはどういうことかについて検討 しよう。正統的周辺参加によれば、特定の共同体に参加することとなる。よって、参加している共同 体がどのようなものであるか自覚する必要がある。それは参加すべき望ましい共同体を明確にするこ とで可能となる。社会科授業で言えば、参加すべき望ましい共同体とは市民社会共同体のことである。

このように望ましい共同体について明確に認識できれば、現在参加している共同体が望ましいもので あるか、あるいは望ましくないものであるかの判断は容易に可能となろう。

以上のことから、参加している共同体が望ましいのであればそれを維持する。一方で、参加してい る共同体が望ましくないのであれば、それへの参加を取りやめることとなっていくのである。参加し ていた共同体への参加を取りやめることとなれば、学習者は不安定に揺らぎながら何か新しい共同体 への参加を模索することなろう。このようにアンラーニングは、共同体への参加を取りやめることで 生じる不安定状態を肯定的である。それは新たな共同体への参加を模索する生成の場としてとらえる こととなる。

このように述べれば、従来の一般的な学習論の原理との違いが明らかとなろう。すなわち、一般的 な学習論の原理は目標を設定し、それに向けて必要な能力や技能を身に付けていくと考える。一方、

アンラーニングの原理は、一度形成された能力や技能が解体される。曖昧ではあるが、何か新しいも のへと変化するプロセスに注視する。すなわち、曖昧な現在から、漸次的に未来が輪郭を帯びるプロ セスを学習としてとらえるのである。アンラーニングを行うことは特定の共同体への参加を押しとど めることになる。さらには、新たな共同体への参加を促す契機となり、よりよい参加としての学習を 成立させていくこととなる。