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墓地形態から見た地区間の関係

第8章 東北地方における新石器時代の考古学文化の形成と展開

第2節 墓地形態から見た地区間の関係

表8-3 各地区の墓地

8-3

は各地区に墓地を持つ考古学文化の統計表である。遼東半島いがに、四つの地区がすべ て墓地が発見され、さらに、遼西地区と白城・通遼地区と内蒙古中南部が集落と墓地とも発見さ れた。本部分には副葬品による地区間の関係が考察したいである。

文化 墓地 文化 墓地 文化 墓地 嫩江流

三江平 原

フルン ボイル 後套木嗄

双塔 査海

白音長汗 興隆窪 興隆溝 第三段階

7000-6500 趙宝溝 後套木嗄三期 後套木嗄

昂昂渓 靶山 二克浅

牛河梁 双塔

滕家崗 大南溝

哈拉海溝

章 第3章 第5章 第6章 第7章

黒龍江地区 遼西地区 白城・通遼地区

小南山 烏珠爾 紅山

倭肯哈 達 第五段階

5000-4000 小河沿 南宝力皐吐 南宝力皐吐

哈民忙哈 哈民忙哈

査海 後套木嗄一期

後套木嗄二期 後套木嗄

南台子 後套木嗄

地 域 年代(BP)

内蒙古中南部

新開流 団結学 校 第一段階

8000以前 小河西

第二段階

8000-7000 興隆窪

第四段階 6500-5000

団結村

廟子溝 廟子溝 李家崗

胡頭溝

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表8-4 各考古学文化の副葬品

(1)第一段階

第一段階では、遼西と白城・通遼地区間の副葬品の種類は異なっている(表

8-4)

(2)第二段階

第二段階の遼西と白城・通遼地区では、幾何形玉器-玉玦、植刃器、蚌器が共通しているが(図

8-11)

、遼西地区では土器と磨製石器も副葬されており、これらは在地的特徴と考えられ(表

8-4)

図8-11 第二段階の副葬品

幾 何 形

抽 象 形

動 物 形

筒 形 罐

筒 形 器

壺 鉢 高 坏

石 器

磨 盤

磨 棒

石 鏃

植 刃 器

骨 器

蚌 器

遼西 小河西 ◆

白城・通遼 後套木嗄一期 ◆ ◆

遼西 興隆窪 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

白城・通遼 後套木嗄二期 ◆ ◆ ◆

第三段階 白城・通遼 後套木嗄三期 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

遼西 紅山文化 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

白城・通遼 哈民忙哈 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

黒龍江 黒龍江地区 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

内蒙古中南 廟子溝 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

遼西地区 小河沿 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 白城・通遼 南宝力皐吐 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

黒龍江 小南山 ◆ ◆ ◆

黒龍江 烏朱爾 ◆ ◆ ◆ ◆

石器 細石刃 ほか

段階 考古学文化

土器 地区

第四段階 第一段階 第二段階

第五段階

玉器

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(3)第三段階

第三段階では遼西地区の墓は発見されてないが、白城・通遼地区では細石刃石器以外の副葬品 がすべて出現している(表

8-4)

(4)第四段階

第四段階では多様な地区で墓が発見されている。また、遼西地区における紅山文化では、玉器 の種類は最も豊富になり、幾何・抽象・動物という三つの形に分けられる。白城・通遼地区(哈民 忙哈)では幾何・抽象形、黒龍江地区では幾何形だけが存在するので、これらは、全ての形を持 つ遼西地区から北方への伝播が考えられ、遼西からの距離に従って種類が少なくなっていったと 考えることが出来る。内蒙古中南部(廟子溝)では玉器があまり副葬されてないが、土製、石製 の環が装飾品として副葬され、環を持つ被葬者は女性に限られる(図

8-12)

副葬品の種類から見ると、白城・通遼地区、黒龍江地区間の類似性は、それらの地区と内蒙古 中南部の類似性より高い。内蒙古中南部には細石刃石器はないが、土器と石器の種類が豊富で、

特に筒形罐・壺・鉢はすべて副葬される。一方で、遼西地区の紅山文化の墓室では、玉器だけが 副葬され、積石塚の塚台・壁には、筒形器(無底筒形罐)と壺が配置される。これらの土器の器種 は内蒙古中南部と似ている。従って、遼西地区と内蒙古中南部は、玉器と土器による交流関係を 持ち、白城・通遼と黒龍江地区は玉器のみで交流を行っている(表

8-4)

図8-12 第四段階の副葬品

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(5)第五段階

第五段階には遼西、白城・通遼、黒龍江の三地区で墓が発見されている。遼西と白城・通遼地 区もすべて大型墓地であり、黒龍江地区では地域ごとに墓

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基が発見された。副葬品の種類から 見ると、遼西と白城・通遼地区間の類似性が高く、すべて種類が副葬されたが、黒龍江地区では 玉器・細石刃石器・骨器だけが副葬された。しかも、遼西と白城・通遼地区間の土器-筒形罐・壺・

鉢は第三段階の内蒙古中南部の廟子溝文化から副葬品として出現した。(図

8-13)

以上の分析から見ると、墓地と集落が同じように第一段階に出現したが、いわゆる地区間の交 流について墓地が第二段階に出現し、集落の第三段階より早いである。墓地でも第三段階に地区 間の関係が不明であるが、集落形態から見て地区間の交流が続けている。第四段階には集落形態 から見て遼西地区を中心として周辺(内蒙古中南部、白城・通遼地区)へ伝播して、さらに、第五 段階(遼東半島、内蒙古中南部)までに影響及ぼした。墓地も似る状況があるが、おもに東北地 方で行なった、遼西地区を中心として白城・通遼と黒龍江地区へ伝播した。しかしながら、遼西 地区と内蒙古中南部間に集落形態から見た地区関係と比べて、副葬品から見た地区関係が緩やか な関係と言えよう。しかも、第五段階の副葬品から見ると、遼西と白城・通遼地区が第四段階の 内蒙古中南部の伝統が続けるそうである。そのために、第五段階に遼西と白城・通遼地区の関係 が緊密になるながら、黒龍江地区との関係が疎遠になった、埋葬習俗から見て南、北二つの系統 が形成している。

図8-13 第五段階の副葬品

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