第2章 遼西地区における新石器時代の集落形態
第3節 各考古学文化の居住単位
住居址に含まれる遺構と床面の遺物の分布に基づき、居住単位(独立な生産単位、以下同)と 居住空間について検討する。
(1)小河西文化
小河西文化における、住居址床面で出土した遺物の分布が発表されているものには、例えば査 海遺跡の
F34
がある。図2-34
のように、F34は49
㎡で上記ウ類に相当する。南部の突出が門と 考えられ、門と炉を繋ぐ線を境界として、その東部にはおもに石器が、西部には土器、磨盤・磨 棒が西部に分布する。遺物は主に壁の周辺から出土し、炉を中心とする空間が居間と考えられる。居住空間には西部で食物加工具(磨盤・棒)と料理具(土器)、東部で生産具(石器)が分布し、
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これは性差分業と対応する可能性が高い。このような住居が男女より構成された消費単位
1
単位 であると考えられる。表2-4
から見ると、査海遺跡の他の住居址床面で出土する遺物の分布、種 類、数などはF34
と似ている為、これらの居住単位の構成も似ているかもしれない。白音長汗遺 跡の住居址は遺物の分布が公表されていないが、住居址面積と遺物数から見ると、査海遺跡と似 ている可能性が高い(表2-3)。
図2-34 小河西-査海F34 図2-35 査海遺跡F43
(2)興隆窪文化 査海遺跡
図2-36 査海遺跡F17 図2-37 査海遺跡F11
本遺跡一期の
F43
は面積が50
㎡、イ類である(図2-35)
。壁の周辺に不完全な土台がある。床 面の中後部の室内墓があるが、その墓上は堅い床面であり、埋葬後に継続居住されたことがわか る。墓の隣住居址の西北角で土器が集中している他、西南角には玉器3
点(匕・玦・珠)が分布 する。炉の前には磨盤・磨棒のセットが、西壁中側に他の石器が集中している。そのために、土- 37 -
器と石器と玉器と磨盤・棒が別々に分布して、前の小河西文化の
F34
と似て、消費単位1
単位が ある。同時に柱穴の分布に基づくと、南北方向つまり、炉を中心とする居間と、磨盤・磨棒に分 布する土間に分けられる。同遺跡二期の
F17
は27
㎡、ウ類の住居址である(図2-36)
。床面の遺物分布から見ると、北 部・東南角・西壁中部という三空間に分けられ、それぞれに土器と石器が備える。西壁中部には 磨盤・磨棒がないが、土器は主に貯蔵用の大型土器で、特に集落中最大の土器(高さ70
㎝・容量40L
以上)があるため、貯蔵場所と考えられる。炉の周辺に中小型土器いわゆる炊飯・飲食器が ある。ほかの二空間(北部と東南角)ではそれぞれ食物加工具(磨盤・棒)と料理具(中小型土 器)と生産具(石器)を揃えている為、二つの消費単位があることがわかるが、各空間を性差分 業より細分することはできない。同遺跡二期の
F11
は28.08
㎡、ウ類の住居址である(図2-37)
。床面の遺物分布から見ると、大型土器が東北角の土台周辺に分布し、それらの西側に中小型土器、さらにその隣の西側に磨盤・
棒がある。磨盤・棒と炉を繋ぐ線を境として、石器はすべてその西側に分布している。それらの 器種構成の分布から見ると、消費単位
1
単位に対応している。図2-38 査海遺跡F46 図2-39 査海遺跡F5
同遺跡三期の
F46
は157.32
㎡、ア類である(図2-38)
。床面の中央に炉があり、その隣に楕円 形の焼かれた地面がある。これらは二つの炉であろう。土器と石器、そして磨盤・棒は炉を中心 として、それぞれが西北角と東南部に分布する。従って、二つの消費単位とは二つの世帯単位と 考えられ、複数の家族が一つの住居に居住している。土器21
点のうち、7
点が東南部、14
点が西 北角に分布している。さらに貯蔵用土器が主に西北角で分布しているので、両消費単位間には貯 蔵空間が共用として存在していた。空間区分について、炉を中心とした内周の柱穴を境界とする 居間があり、その居間の手前には遺物があまり分布しない、南部外凸部分が入口と考えられる。同遺跡三期の
F5
は40.96
㎡、ウ類である(図2-39)
。炉を中心として南北に二分でき、磨盤・磨棒はそれぞれに一セットずつある。土器は東北角(北部)と西南角(南部)にそれぞれ高さ
40cm
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以上の貯蔵用の大型土器
3
点があり、中小型土器も両区に分けられる。両区それぞれに生活用の 土器と石器を揃えると言え、二つの消費単位を有する。白音長汗遺跡
白音長汗遺跡の住居址は保存状況が良くないため、主に住居址の床面遺物と形態・規模・位置 に基づいて分析する。ア類の住居址である、
A
区のF13(91.46
㎡)とB
区のF68(86.49
㎡)が ある。B
区BF68
は東向きで、炉は東西向きである。入り口と炉を中心線として、北側に土器1点、南側に骨器
3
点と石器1
点と磨盤1
点がある。性差による空間区画とは言えないものの、遺物の 種類と数量から見ると、消費単位1
単位の可能性が高いと考えられる(図2-40)
。A
区AF13
は入り口を含む前半分を壊され、炉と後半部分のみが残されている。炉は長さ1m
以上の方形石板炉であり、その奥に土器4
点と石器2
点がある(図2-41)
。以上のBF68
とAF13
は消費単位1
単位であるが、床面に泥を貼る、最大面積の住居址であり、それぞれが各環濠集落 の中心に位置するので、集落の集会所な機能を持つものかもしれない。先述の査海遺跡では一期は円形集落、円心住居址(F43)消費単位
1
単位であるが、円周の住居 址が主に消費単位2
単位である。二・三期は列状集落で居住単位はおもに消費単位2
単位である。白音長汗遺跡における集落形態の変化は、査海遺跡と同じであるが、居住単位はすべて消費単位
1
単位である(表2-3)
。図2-40 白音長汗遺跡BF68 図2-41 白音長汗遺跡AF13
(3)趙宝溝文化
早期の
F104
(ウ類)は大貫氏(1998)の分析では、空間的に区分された二部分それぞれに、生 活用の土器と石器を備えて、二つの消費単位に対応している。また、奥の方の部分には、貯蔵用 の土器数が多い他、特殊な器形の土器がある。従って、二つの消費単位間に機能差がある(図2-42)
。晩期の
F9(ア類)は面積が 87.8
㎡あり、最大の住居である。この床面は二段階構造で(図2-- 39 2--
43)
、炉以外に四つの焼土面がある。床面には赤鹿、猪、ノロジカ等の動物骨が14
個体あり、堆 積層からは軟体動物骨111
点、脊椎動物骨308
点が発見された。動物遺骸の数からすると、一つ 消費単位の消費量ではない。F9
の床面における遺物分布状況は未報告であるが、土器の点数(18点)では
F104(20
点)と類似し、石器の点数ではF104(18
点)より少なく、8点だけである。また、
F104
にはない細石刃石器3
点があり、これらは一つの消費単位の労働具である。しかしな がら、大量の動物遺体の発見から見ると、集落の狩猟活動や猟物分配を組織する機能を持ってい るかもしれない。図2-42 趙宝溝遺跡F104 図2-43 趙宝溝遺跡F9
晩期の
F7(ウ類)の東北部には、貯蔵用の大型土器 4
点と磨盤・磨棒1
セットが、南部には石器
11
点・石材11
点・骨1
点がある。また、炉の西側に中・小型の土器それぞれ5・4
がある。東 北部と炉の西側がそれぞれ食物加工・貯蔵と炊飯場、南部が生産具の置き場として、以上三つの 地点は一つの消費単位に必要な条件を揃えた(図2-44)
。ほかには、趙宝溝文化の小山遺跡では火災に遭った、F1と
F2
の二つの住居址がある。岡村氏(1995)による床面遺物の種類と分布の分析からすると、住居址
2
棟とも東北部が女性の作業空 間、西南部が男性の作業空間という空間区分ができるといわれている。この保存状況が良い住居 址の空間区分は、趙宝溝遺跡晩期と同様である。以上をまとめると、早期の住居址
7
棟は、破壊された3
棟(F10、101、102)以外は、すべて 消費単位2
単位からなる住居址である。晩期の住居址は消費単位1
単位である(表2-3)
。- 40 -
図2-44 趙宝溝遺跡F7 図2-45 西台遺跡F202
(4)紅山文化
西台遺跡早・晩期の住居址
F4
とF202
では銅器鋳造用の笵が発見され、F4では精緻な土偶も 見つかった。そのうち、床面の遺物分布が報告された住居址F202
は、面積15.12
㎡、エ類であ る。炉の周辺には土器6
点・石器2
点・笵3
点がある(図2-45)
。遺物の数と分布から見ると、一つの消費単位に対応するが、性別分業により空間区分することはできない。
紅山文化の住居址床面における遺物分布図はあまり報告されていないが、住居址面積と遺物数 から見ると、一つの消費単位の可能性が高いと考えられる(表
2-4)
。以上の分析と集落形態の分析に参考しながら、遼西地区に小河西文化から紅山文化までの居住 単位については、以下のようにまとめられる。
小河西文化が主に消費単位
1
単位からなる住居址である。興隆窪文化時に消費単位
2
単位からなる住居址が出現するが、円形集落の円心住居址は消費単 位1
単位からなる。列状集落では消費単位2
単位からなる住居址の比率が高くなり、大型住居址 が居住機能以外に、集落の集会所という機能も持っている。趙宝溝文化早期は、集落形態と居住単位が興隆窪文化晩期と類似する。晩期では消費単位