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各考古学文化の集落形態

第2章 遼西地区における新石器時代の集落形態

第2節 各考古学文化の集落形態

本部分では、各集落遺跡の土器編年に基づいて、集落の形態を解明したい。資料の制約がある ため、発掘された集落遺跡を対象として分析する。

(1)小河西文化

図2-15 査海遺跡平面図 図2-16 白音長汗遺跡平面図 小河西文化の集落遺跡では査海(遼寧省文物考古研究所

2012)と白音長汗遺跡(内蒙古自治区

文物考古研究所

2004)がある(図 2-15、2-16)

。土器編年からいって、各遺跡の住居址は同時期 である。また両遺跡は、当該文化に関する限り小型集落(査海

4

棟、白音長汗

3

棟)である。査

- 24 -

海集落は東北‐西南方向の列に並んでおり、一列目は

3

棟、二列目は

1

棟を有している。また、

二列間にピット

9

点が列状に並んでいるが、これは共通の貯蔵穴であると考える。さらに査海集 落の東南部には墓地(墓

6

基)がある。従って本遺跡は、居住・貯蔵・埋葬三つ機能を持ってい る集落である。白音長汗集落の当該文化遺存は興隆窪文化に破壊されており、保存状況は良好で ない。本文化に属するものとしては、住居址

3

棟があり、F42・64は南北に並んでおり、F65は 残存状況から見て、東南向きである。

(2)興隆窪文化

0.00 5.00 10.00 15.00 20.00 25.00 30.00 35.00 40.00 45.00

-5 0 5 10 15 20 25 30

量(L)

口・底径の差(㎝)

筒形罐の容量分類

大型

中型 小型

図2-17 興隆窪文化の筒形罐の容量分類

興隆窪文化の集落遺跡は査海(遼寧省文物考古研究所

2012)と白音長汗遺跡(内蒙古自治区文

物考古研究所

2004)である。興隆窪文化の土器は 90%ぐらいが筒形罐であり、その紋様は主に

頸・肩・腹の部位に施される。容量に基づいた機能の区別が考えられる。図

2-17

からすると、土 器が大型(3L以下)・中型(3-10L)・小型(10L以上)に分かれ、それぞれが、飲食器・炊飯器・

貯蔵器に対応すると考えられる。小型土器の作り方と紋様帯の構成は大・中型とは異なるため、

大・中型筒形罐の紋様の変化に基づくと、一期が頸・肩・腹すべてに紋様があり、胴部紋様が斜 線紋のもの、二期が頸・肩・腹すべてに紋様があり、胴部紋様が之字紋のもの、三期が頸・腹のみ に紋様が見られ、胴部紋様が之字紋のものという変化がみられる。土器編年に基づくと、査海と 白音長汗の住居址は三期に分かれる。

- 25 -

査海遺跡

査海遺跡は三期に分かれ、一期、

二期の間で土器の紋様に変化が みられる。二期、三期の間は土器 の紋様でなく紋様帯が変化する。

また、二期・三期の住居址間には 切り合い関係がないが、一期の住 居址が二・三期のものと切り合い 関係にある。ここから、一・二期 間より二・三期間の関係の方が緊 密と考えられる。

査海遺跡一期の集落には住居 址

15

棟、墓

4

基がある(図

2-18)

。 墓地は集落の中心に位置し、墓地 の東北側と西南側にそれぞれ住

居址

F43・49

と土器堆

D3・4

が 図2-18 査海遺跡一期集落 ある。つまり、一期の住居址と土

器堆は主に墓地を中心として、二 周の円形に並んでいる。円の外側 は、第一組(F50・51)、第二組

(F28・25・24・38・32・33・

40

・42)、第三組(F9・

12)

、第四 組(F19)に

4

分でき、内側は一 組(第五組、F43・49)のみで、

計五組を数えられる。各組には住 居址間の面積差がある他、第五組 の

F43

には室内墓がある。

F43

は 墓地に一番短い場所に位置する 住居址であり、豊富な副葬品を持 つ室内葬があるため、特別な機能 を持つ可能性がある。また、土器 堆(D3・4)では土器数点が地図 2-19 査海遺跡二期集落 面で重ねられており、土器を焼く 場所と考えられる。このように考えると、この同心円状集落は、中心が墓地、円形内側が住居址

- 26 -

と土器の生産地、円形外側が居住地域と考えることが出来る。

二期の集落は住居址

18

棟と環濠一基のみであり、環濠集落かどうかは確認できない(図

2-19)。

また、集落内に墓地がなく、中心地には石塊で作る龍形石堆がある。住居址の分布は、西北-東 南に列状をなし、第一列(F41・44)、第二列(F39・54・47・52)、第三列(F30・31)、第四列

(F23・22・20・8)、第五列(F11・1・3・6・17・14)に区分できる。以上の

5

列は、龍形石堆 を境界として、南北に大きく分けて、一・二・三列が北区に、四・五列は南区に属する。両者を二 つの墓地とすれば、双分制社会であった可能性が考えられる。

三期の集落は住居址

17

棟から成 り、並び方は二期と類似して、龍 形石堆が存続している(図

2-20)

。 室内墓を有する

F21・18・16・7

は同一列(第五列)に属し、他に 第一列(F46・45・53)、第二列

(F36・48・55)、第三列(F2・

5

・15)、第四列(F13・10・4)が ある。F27 のみ列に帰属しない。

二期同様の分区に従って、一・二 列と三・四・五列はそれぞれ北、

南区に分けられる。北区が龍形石 堆により近く、おもに大型住居址 を中心とするため、南北区間で地 位に差があるそう。第一列の住居 図 2-20 査海遺跡三期集落 址は主に大型住居址で構成され、

特に

F46

157.32

㎡と最大で、特殊な機能を持つ可能性がある。また、第五列の住居址にはす

べて室内墓があり、そのうち

F18・16・7

が小児墓である。第五列の住居は、居住機能と埋葬機 能を合わせ持つものである。

白音長汗遺跡

白音長汗遺跡は三期に分かれ、一期の遺構は住居址

2

棟、墓

2

基である。二期は二つの環濠集 落(A区・B区)で構成され、A区の住居址が

13

棟、B区の住居址が

10

棟ある。二期の墓は

6

基あり、Ⅰ・Ⅱ号墓地にそれぞれ

3

基ずつある。三期は二期の環濠と墓地が存続する。A区の住 居址が

9

棟、

B

区の住居址が

2

棟、Ⅰ・Ⅱ号墓地にそれぞれ墓

4

基がある。これらは図

2-21

に示 しているが、「×」で示した住居址と墓の年代は不明である。

一期の集落形態は小河西文化の査海集落と類似し、居住と埋葬の機能を併せ持つ集落である。

F63

の面積は

20.58

㎡、東北向きである。F76は破壊が大きく、面積と方向は不明である。

- 27 -

二期では、

A

区の住居址は三列に並んでおり、第一列(F40・39・35・36・37)、第二列(F43・

19・13・9・10・12)

、第三列(F52・17)である。F20・8は時期が不明であるが、第二列内に位

置し、形態から考えても本列に属するかもしれない。第一列の

AF36

は列内で最大面積(48.48㎡)

を持ち、唯一、床面を部分的に泥で被った住居である。第二列では、

F13

が最大面積(86.49㎡)

を持ち、これも床面が部分的に泥で被われている。本住居はさらに、環濠地域の中心に位置して いる。第三列はすべて小型住居址であり、二列に付属したものかもしれない。

三期の住居址は二列に並んでおり、第一列(F24・

32・ 31・ 25)

、第二列(F51・50・16・15・78)

から成る。第一列の隣にある

F22

の床面は部分的に泥で被われており、第一列の状況に類似する ので、本列に属する。第一列の

F25(49

㎡)と第二列の

F50(40.32

㎡)は各列で最大面積の住 居址である。また、F50は二列中唯一、床面が部分的に泥で被われた住居である。

二期の

B

区では、住居址は二列に並んでおり、第一列は

F48・61

・68・69・3、第二列は

F62・

74・73・72・71

である。第一列に隣接する

F44

の形態は、同列の住居址と類似するので、第一

列に帰属できるかもしれない。第二列の

F74

は面積が列中で一番大きく(72.25㎡)、床面を部分 的に泥で覆っている。また、第一列の

F68

の面積は集落中最大で(91.46㎡)、床面を全てを泥で 覆い、かつ環濠地域の中心に位置している。

三期の住居址は

2

棟のみ(F55・28)であり、集落は衰退を示している。

図2-21白音長汗遺跡編年図

二・三期集落はすべて

A

区・B区に分けられ、しかも、A・B区がそれぞれⅠ・Ⅱ号墓地に対 応する。また、区間の差は二期においては大きく認められないが、三期には規模の差が明らかに なっている。

B

区の年代不明の住居址であるが、これらはすべて実地の床面、地面炉と無炉の状況があり、

- 28 -

二期住居址の抹泥床面と石板炉と比べて原始的形態を示す。また、住居址の向きは一期の

F63

と 似ており、東北向きである。従って、これらの住居址(F70・75・59・34・30・38・60・2・4・

5

6

77)は一・二期の間に位置すると考えられる。これらは、最大面積の住居址 F70

(47.12㎡)

を中心として楕円形に並んでいる。この並び方は査海遺跡の一期と似ているが、環濠との関係は 不明である。

M5

はⅠ号墓地に位置して、地面に円形石囲いの石板墓、墓形態から見て一・二期の 間に位置して、円形集落と同時期である。

小結

興隆窪文化の集落は、一期では白音長汗と査海遺跡集落、一・二期の間期では白音長汗遺跡集 落のみ、二期には査海遺跡集落と白音長汗遺跡

A

区・B区、三期では査海遺跡集落と白音長汗遺 跡

A

区・B区が確認できる(表

2-2)

表2-2 興隆窪文化集落統計表

遺 跡

編年 査海遺跡

一期 査海一期集落

一二期間

二期 白音長汗二期A区集落 白音長汗二期B区集落 査海二期集落 三期 白音長汗三期A区集落 白音長汗三期B区集落 査海三期集落

白音長汗遺跡 白音長汗一期集落 白音長汗一二期間集落

一期では、白音長汗集落は小型集落で、居住区と埋葬区に分かれ、小河西文化の伝統が続いて いる。一方で、査海集落は墓地を中心として住居址が円形に並んでいる。

一・二期間期では、白音長汗遺跡の集落形態は査海遺跡の一期集落と同じく、円形集落である。

二期では、査海集落と白音長汗

A

区・B区集落は、それぞれ龍形石堆と大型住居址を中心とし て列状に並んだ住居址を持つ。査海集落は龍形石堆を境界として二部分に分けられ、白音長汗の 両区と類似する。

三期では、査海集落と白音長汗

A

B

区集落は前の段階と同じく列状をなす。前段階に比べて、

二つの部分に分かれる現象が続くが、区間に規模差あるいは地位差が出現している。

(3)趙宝溝文化

趙宝溝文化の集落遺跡としては、趙宝溝遺跡(中国社会科学院考古研究所

1997)と南台地遺跡

(敖漢旗博物館

1991)がある。南台地遺跡では編年が困難なため、趙宝溝遺跡を中心に検討する。

趙宝溝遺跡

趙宝溝遺跡は内蒙古自治区赤峰市敖漢旗に位置し、面積が

9

万㎡である。遺跡は一区、二区に 分けられ、それぞれ灰土円が一区で

82

箇所、二区で

7

箇所があり、各灰土円一つが住居址一棟 に、基本的には対応する(図

2-22)

。住居址はおよそ等高線に沿って、列状に並んでいる。