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内蒙古中南部における新石器時代の集落形態

内蒙古中南部は田広金氏(1997)よると、北が陰山山脈、南が長城、西がオルドスと包頭を繋 ぐ線、東が張家口市とシリンハォトーを繋ぐ線、と定義できる。黄河と蛮汗山を境界として三つ 部分に分けられ、部分ごとに地形特徴を持っている。西部がオルドス高原、中部が黄河平原、東 部が黄旗海-岱海湖を中心とする丘陵地帯である(図

3-1)

。集落遺跡は、主に中部の黄河両岸と東 部の岱海・黄旗海湖の周辺に分布している。この地域の考古学文化は、石虎山文化・王墓山坡下 文化・廟子溝(海生不浪)文化・老虎山文化という四段階に分けられる。地域間の交流について、

石虎山文化・王墓山坡下文化の段階にはおもに中原地域の仰韶文化との交流が認められるが、廟 子溝文化の段階から東西方向への交流に変化していくという(宮本一夫

2000)

。本章では、内蒙 古中南部の考古学文化ごとに遺跡分布・集落形態・居住単位を解明し、遼西地区との交流を明ら かにしたい。

1石虎山 2王墓山坡下 3大壩溝 4廟子溝 5園子溝 6阿善 7莎木佳 8黒麻板 9威俊 10西白玉 11老虎山 12板城 13大廟坡 14寨子上 15小沙湾 16寨子塔 17馬路塔

図 3-1 内蒙古中南部集落分布

第 1 節 各考古学文化の集落遺跡の分布

内蒙古中南部における新石器時代遺跡は数百箇所に上る。それらは二類に分けられ、一類は遺 物(土器、石器)のみ発見された遺跡、二類は遺物と遺構が発見された遺跡である。集落遺跡の

- 49 -

分析の為、遺跡の年代・規模・機能を確認する必要がある。遺跡数は石虎山文化

3、王墓山坡下文

14、廟子溝文化 15、老虎山文化 35

箇所であり、そのうち老虎山文化の集落遺跡は石壁(18箇

所)と非石壁集落(17 箇所)に分けられる。つまり、遺跡数では、時期に従い徐々に多くなる。

また、老虎山文化の石壁集落(老虎山

1)と非石壁集落(老虎山 2)がほぼ同じ数量ということも

わかる。

図3-2 各考古学文化集落遺跡の最大・平均面積

まず、遺跡の最大面積と平均面積を示した図

3-2

をみよう。最大面積から見ると、石虎山文化 から王墓山坡下文化までは大きくなるが、廟子溝文化時に減少し、廟子溝文化から老虎山文化ま で再度大きくなる。そして、老虎山文化の石壁集落は非石壁集落に比して大きい。平均面積の変 化は最大面積とおおよそ同じである。以上の分析から見ると、石虎山文化と廟子溝文化では、集 落規模の差はそれほどない一方、王墓山坡下文化と老虎山文化では、集落間の規模差は顕著にな っている。老虎山文化の石壁集落の最大・平均面積は非石壁集落より大きい。

(1)石虎山文化

図3-3 石虎山文化の遺跡分布図 図3-4 石虎山文化遺跡の面積 2

30

8

40 36

1.67

4.47

2.54

7.72

4.91 石虎山(3) 王墓山坡下(14) 廟子溝(15) 老虎山1(18) 老虎山2(17)

最大面積(万㎡) 平均面積(万㎡)

- 50 -

石虎文化の集落遺跡

3

箇所あり、石虎山遺跡(1)は東部の岱海湖に、官地(2)と魯家坡遺跡

(3)は中部の黄河平原に位置している(図

3-3)

。遺跡の面積は、石虎山遺跡

2

万㎡、官地遺跡

2

万㎡、魯家坡遺跡

1

万㎡、遺跡の規模と規模差が小さい(図

3-4)

(2)王墓山坡下文化

王墓山坡下文化の集落遺跡は

14

箇所あり、うち

12

箇所は黄河西側に位置している。黄河西側 にはそれぞれ大型集落遺跡、馬山窯子遺跡(1)

30

万㎡と架子迦󠄀旦遺跡(2)

10

万㎡を中心として 二つの遺跡群がある。東部の集落遺跡群は中型遺跡

2

箇所あり、遺跡の面積が王墓山坡下遺跡(4)

3.2

万㎡、秦家遺跡(7)

3

万㎡である(図

3-5、 3-7)

。そのため、全体は三つの遺跡群に分けられ、

集落最大面積と遺跡数において差が認められる。

図3-5 王墓山坡下文化の遺跡分布図

(3)廟子溝文化

図3-6 廟子溝文化集落遺跡分布図

廟子溝文化の集落遺跡は

15

箇所あり、中部

7

箇所と東部

8

箇所に区分できる。中部最大面積

- 51 -

を持つ海生不浪遺跡(4)は

3

万㎡、東部の最大面積を有する大坡遺跡(1)は

8

万㎡である。二 つの遺跡群の間は、遺跡数において差はないが、最大面積遺跡においては差が存在する(図

3-6、

3-8)

図3-7 王墓山坡下文化遺跡の面積 図3-8 廟子溝文化遺跡の面積

(4)老虎山文化

老虎山文化の集落遺跡は

35

箇所あり、石壁集落(18 箇所)・非石壁集落(17 箇所)に分かれ る。遺跡の分布から見ると、陰山山脈の南麓(9箇所)、岱海湖(8箇所)、黄河平原(18箇所)

という三つの地域に分かれる。石壁集落の比率は、以上の三地域の順に段々に小さくなっている。

大型石壁集落には、後城嘴東遺跡(1)

40

万㎡と三套石圏遺跡(2)

30

万㎡は黄河平原に位置し、

中型石壁集落には、老虎山遺跡(3)13万㎡と板城遺跡(4)10万㎡と西白玉遺跡(5)9万㎡岱 海湖に位置し、大型非石壁集落には、五龍山遺跡(19)36 万㎡と園子溝遺跡(20)30万㎡は岱 海湖に位置し、他の全て小型集落(6万㎡以下)である。つまり、大・中型集落は黄河平原と岱海 湖に位置し、陰山山脈の南麓には小型石壁集落である(図

3-9、3-10)

図3-9 老虎山文化の遺跡分布図

- 52 -

図3-10 老虎山文化遺跡の面積

第 2 節 各考古学文化の集落形態

本節では、各聚落における土器編年に基づいて、集落の形態を解明したい。資料の制限がある ため、主に発掘された集落遺跡を対象として分析する。

(1)石虎山文化

石虎山文化 は土器(釜・

鼎・小口尖底 瓶)の編年に 基づいて三期 に分かれる。

石虎山Ⅱ遺跡 が一・二期に、

石虎山Ⅰ遺跡 が二・三期に 対応している。

石虎山Ⅱ遺 跡には、住居 址

14

棟・ピッ ト

23

点・墓

1

基があり、そ 図3-11 石虎山Ⅱ遺跡編年図 の内一期には、

住居址

5

棟・ピット

3

点、二期では住居址

6

棟・ピット

9

点がある。住居址はおおよそ等高線に 従って、西南-東北方向の列状に並んでいる(図

3-11)

石壁集落 非石壁集落

- 53 -

一期の住居址

F3

(20㎡)は最大面積を持つ住居址で、住居址の西北角には側室がある。ほかの 住居址はすべて

15

㎡以下の面積である。

二期の住居址は等高線に従っておおよそ四列(一列

F9、二列 F1・13、三列 F8・5、四列 F6)

に並んでいる。F6(37.2㎡)が二期最大面積の住居址であり、ほかの住居址の面積は

25

㎡以下 である。F4 には炉がなく、居住の機能を持ってないと推測される。また、F4 の周辺にはピット 数点がある。また、H16・20・21・22は二期集落の周辺に位置し、これらは集落共同の貯蔵所と 考えられる。

(2)王墓山坡下文化

図3-12 王墓山坡下遺跡編年図

王墓山坡下遺跡は土器(弦紋罐・無紋罐)に基づいて三期に分かれる。各期の住居址は図

3-12

の通りであり、一期の住居址

3

棟、二期の住居址

8

棟、三期の住居址

7

棟である(図

3-12)

。住 居址はすべて竪穴住居である。図

3-12

における二重線で示された住居址は、居住穴の外に柱穴が 一周に並んでいるのであり、一重線の住居址はそのような柱穴を持たないものである。

一期の住居址は

3

棟で、すべて面積

20

㎡以下である。東西に二つ部分に分けられ、最大面積の

住居址

F8(20

㎡)は東の部分に位置している。

二期の住居址は

8

棟で、並び方は等高線に従って

2

棟ずつに分布している。全体で四組に分け

- 54 -

られ、各組

2

棟間の面積は大差ない。一組の

F11

F10

はそれぞれ

25.5

㎡と

21.1

㎡で、ほかの 住居址は

15

㎡以下である。また、西側最大の

F11

の西側には通路があり、通路を境界として他 の住居址と区別される。

三期の住居址は

7

棟で、最大面積の住居址

F7(62.1

㎡-内周線内面積)は遺跡最大のテラス面 に位置する。二期から存在する通路の東側には、住居址

4

棟(F6・12・20・13)が南北に並ぶ一 方、ほかの住居址

2

棟(F6・16)は通路の西側に位置している。

(3)廟子溝文化

廟子溝文化は土器(筒形罐・平口罐)に基づいて四期に分かれる。集落遺跡は

2

箇所(大壩溝

Ⅰ遺跡、廟子溝遺跡)あり、大壩溝Ⅰ遺跡は一・二・三期に、廟子溝遺跡は一・二・三・四期に対 応している。

大壩溝Ⅰ遺跡

大壩溝Ⅰ遺跡では住居址

36

棟が三期に分かれる。

一期の住居址

15

棟は、住居址ごとに炉

1

点を持つ。全体が溝を境界として北部分(9棟)・南 部分(6棟)に分かれる(図

3-13)

。北部の住居址は、入り口を正面とした場合、奥行きが幅より 長く、南部はその逆である。北部の住居址

9

棟は主に南北に四列(一列

F2・4、二列 F7・6・9・

3・5、三列 F8、四列 F33)に並び、最大面積の住居址 F33

17.4

㎡ある。この住居は一番西に

位置し、ほかの住居址は

15

㎡以下である。南部の住居址

6

棟は

F34

を中心として半円形で並び、

最大面積の住居址

F34

20.3

㎡である。ほかの住居址は

15

㎡以下である。

図3-13 大壩溝Ⅰ遺跡一期集落

- 55 -

図3-14 大壩溝Ⅰ遺跡二期集落

二期の住居址

7

棟はすべて溝の南側に位置し、一般的に住居址ごとに炉

2

点が東西方向に並ん で、西の炉が奥側に位置し、東の炉が入り口に面している。住居址の入り口を正面とした場合、

奥行きが幅より短い(図

3-14)

。住居址は西北-東南に、一列目(F28(9.4㎡)と

F16

(11.4㎡))、 二列目(F13(14㎡)と

F23(10.8

㎡)と

F31(13.6

㎡))、三列目(F25(19㎡)と

F26(20

㎡))のような三列を形成する。列ごとに住居址の面積は段々と大きくなり、三列目の住居址

2

棟 は大型住居址である。

図3-15 大壩溝Ⅰ遺跡三期集落

三期の住居址の形態は二期と同じである。住居址は東北-西南方向に、一列目(F1(16.9 ㎡)

- 56 -

F32(19.5

㎡)と

F29(16.5

㎡))、二列目(F17(27.5㎡)と

F18(17.3

㎡)と

F20(17.5

㎡))、三列目(F19(8.2㎡)と

F27(10.6

㎡))のように並ぶ(図

4-15)

。一・二列目は、主に大 中型住居址、三列目はすべて小型住居址で、そのうち最大面積の住居址

F17

は一番東に位置して いる。

廟子溝遺跡

廟子溝遺跡は住居址

52

棟が四期に分かれる。

一期では、住居址

4

棟(F3・6・7・9)・墓

2

基(M25・29)・室内墓

1

基(F9M)があり、遺 跡の南側に位置している。主に小型住居址であり、面積は大差ない、最大面積の住居址

F6

13.8

㎡である(図

3-16)

二期は、住居址

3

棟(F29・31・32)・墓

4

基(M31・32・36・37)から成り、遺跡の北側に 位置する。主に中小型住居址で、各面積は大差ない。住居址

F29

は最大面積(16.9㎡)である(図

3-16)

図3-16 廟子溝遺跡一・二期集落

三期は、住居址

12

棟・墓

5

基(M9・11・13・23・27)・室内墓

9

基(F8・10・12・17・19・

23・24)から成る(図 3-17)

。住居址の並び方は等高線に従って、東南-西北に並んでおり、各列

には住居址

1-3

棟がある。最大面積の住居址は

F10(23.4

㎡)で、室内墓を持つ住居址(F23)

20

㎡ある。全体は西部、東部に分けられ、それぞれ住居址が

7

棟、3棟ずつある。F8と

F28

は南部、北部に分けられ、それぞれ住居址

1

棟ずつある。

四期では、住居址

18

棟・墓

6

基(M2・3・4・6・35・38)・室内墓

5

基(F2・20・15・35・

46)がある(図 3-18)

。住居址の並び方は三期と同じである。西部には住居址

F20・4・5・44・