第5章 中世日本語の音韻構造
5.2 研究方法
5.2.2 品詞の認定
副詞や助詞,助動詞の定義がポルトガル語の定義と異なるため,注意を払わなければな らない。特に,形容詞や形容動詞の連用形を副詞としている例が目立つ。『日葡辞書』で問 題となる品詞はすべて日本文法に合わせる。判断の根拠は,『新潮国語辞典古語現代語』『新 潮現代国語辞典』に依る。この辞書が根拠にしている日本文法は,現在,学校教育で教科 用に用いているもので,いわゆる橋本文法に沿うものである。
問題となる語の例に次のようなものがある。『日葡辞書』で,副詞や形容動詞,連語とし て挙げられていているが,名詞として数えなければならない和語名詞があり,一部をここ に挙げる。すべての語は稿末に資料〈付表A〉として挙げる。なお,名詞と形容動詞二つ の用法がある場合は,名詞とする。
9.
裸な,鼻付きに〈副詞〉,物越しに,似合いの,†毛切りの,沿ひ退きの,たが(誰が),たつに,または,たて(縦)に,〈副詞〉月替りに,生まれ落ちに,
痺れが切るる,やけどに遭ふ
55 5.2.3 品詞の違い
5.2.2
と関連することであるが,例えば漢語の愚鈍という語を例にとると,愚鈍 愚鈍な
愚鈍に 愚鈍さ
と挙げられている。これは,名詞,形容動詞連体形,一字下げて,形容動詞連用形,派生 による形容動詞の名詞であるが,例えば,名詞がなかったり,あるいは「~な(形容動詞 連体形)」の横に,l.(または)として「~に(形容動詞連用形)」が挙げられていたり,
あるいは何かが欠けたり,「~に」の横に副詞と書いてあったりなかったり,あるいはすべ て一項目ずつ挙げられていたりと実に様々なバリエーションがある19。『新潮』では,愚鈍
(名・形動)と一語掲載されているだけである。よって,『日葡辞書』でもこのような場合,
見出し語としては一語として扱う。
形容詞の場合も同様である。派生による名詞,連用形を挙げているのが典型的な例であ るが,これも先述のように,3項目あったりなかったり,連用形の横に副詞と書いてあっ たりなかったり,3語をすべて一項目ずつ挙げてあったりと様々なバリエーションがある。
現代語でも,形容詞の連用形を副詞とする場合(「早く」)があるし,「さ」や「み」がつい た名詞形(「明るさ」「明るみ」)を載せている場合もある。名詞を一字下げて載せている場 合と,一つの見出し項目として載せている場合の区別はないと思われる。よって,形容詞 の派生による名詞は一字下げていても,一項目として扱う。
漢語の音韻的特徴を見る場合,品詞による差はあまり見られないので,漢語は一括して 調査する20。したがって,形容動詞や副詞,連語としてしかない見出し語は,後項要素や 付属語を省いて,語形を整えて調査対象とする。語例は稿末に資料〈付表B〉として,挙 げる。
5.2.4 同語別語判断
日本語でも辞書によって,見出し語の立て方はやや異なるが,『日葡辞書』では日本語の 感覚とは異なる意味のはばをもった語がいくつか存在する。一つの単語と認めるかどうか も『新潮』に依ることとする。
異なる意味のはばを持った語の例に,「くゎぅや」がある。それには,「広き野」という
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意味と「荒野」という意味があるが,『日葡辞書』では同語として扱っている。このような 例は「広野」と「荒野」の2語として数える。
あるいは,同語を別語として挙げている例もいくつかある。例えば「をさえ」が別語と して2語あるが,それぞれの説明は「例,(押さへ勢) 敵を押しとどめたり,敵を山路と か隘路とかへ通さないようにするために・・以下略」「押しとどめること,また妨害するこ と」である。このような語は同語と判断し,1語として数える。
5.2.5 補遺による重複
補遺で*がついているものは定義では本篇に含まれているものと重複している語のはず であるが,そうでないものも含まれる。また,補遺には,本篇の語義を訂正補完したもの も少なくなく,見出し語としては重複している。
5.2.6 表記法による重複
例えば,開音「きゃう」には qiŏ,qeŏ,合音「きょう」には,
qeô, qiô
の表記法がある。『日葡辞書』の序言に次のように記されている。
Fiŏrŏ(兵糧),Meŏji(名字)などのように長音調〔開長音〕をもっている語では,
われわれはこれらの第一音節をE字またはI字で〔Feŏrŏ,Meŏji,または,Fiŏrŏ,
Miŏji のように〕書くことにする。また,Fiô(豹),Qiô(興)などのように短音調
〔合長音〕を持っている語でも,同様に〔I字またはE字でFiô,Qiô,または,Feô,
Qeô のように書くことに〕する。それは次のような理由にもとづく。すなわち仮名
(Cana)文字では一方〔長音調〕をFiau(ひやう)と書き,他方〔短音調〕をFeu(へ
う)と書くけれども,実際の発音においては,I字〔Fiau〕よりもE字〔Feu〕の方 に近いというわけではない。(中略)しかし,仮名(Cana)による表記法に従ってE字 で書くことも一般に行われているので,われわれは本書で,これらの語をば区別な くE字でもI字でも表記している。
つまり,
I
字,E
字に関わらず,これらは同一の発音と考えてよいとすると,同一語が別 の箇所で載録されていることになる。これらも一語として扱わなければならない。また,「イ」は本来,iを用いるが,
y
でも表した語もある。「蝟皮(いひ)」「ごいん(五 音)」,「ユ」をyu
ではなく,iyuでも表した語,「めゆい(目結い)」などもある。そのほか,「Fiai.」という見出し語に「Fiyai.」を見よとある。ポルトガル語の二重母
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音
ia
の渉り音がヤに近く発音されるため,便宜上載せてあるだけで,「Fiai.」を「ひやい(冷い)」と読む語ではない。したがって,これも重複の語例である。そのほか,「Age.」
の例もある。これは,ポルトガル語では,jと
g
が通用するところから,出た語で,これ は,「あぜ(畷)」である。ここでは,音は同じであるにもかかわらず,表記が異なるため,重複している語は,片 方を削除した。
5.2.7 略号l.により並べられた見出し語
略号
l.
(または)は,日本語やポルトガル語の文中に頻繁に現れるが,見出し語に他の 日本語を並べ掲げる場合にも多く用いられる。例を見ていると互いに関係のある語をもつ ものを並べたようであるが,その趣が様々である。森田(1993)が,まとめているので以下 に記す。① 同じ語の同音異表記形
Qeô. l, qiô. / Soreacu. l, soriacu.
② 同語の清濁二形
Anchŭ. l, angiŭ. / Vbuguinu. l, vbuqinu.
③ 漢語の漢音形と呉音形
Niguen. l, nigon. / Sanga. l, Xenga.
④ 語の原形と省略(短縮)形
Masa. l, masame. / Namexi. l, Namexigaua.
⑤ 漢語の入声形と開音節化形
Qetyen. l, qechien. / Matçudai. l, Matdai.
⑥ 語の原形と転化形
Camayete. l, Camaite. / Ibitçu. l, iybitçu.
⑦ 語幹と活用形
Cannô. l, cãnôna. / Nauozari. l, nauozarini.
⑧ 語末に小異ある二形
Carisomeno. l, Carisomena. / Farucana. l, farucano.
例外 類義の別語を並べたもの
Qeôten. l, sŏten. / Voricami. l, fineri.
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これらの見出し語の両形は,本篇補遺中に挙げられているものが多いが,若干の見落と しもある。まずは,これらすべて見出し語として存在すると考えた上で,2.3,2.4,2.6 で述べたものは省き,見出し語としたい。
上記の例で言うと,①⑦⑧は同語で,それら以外は別語として扱う。
5.2.8 『邦訳日葡辞書』における仮見出し語の問題
『邦訳日葡辞書』では,辞書の不備,表記による引きにくさを解消するために,仮見出 し語を載せているが,この仮見出し語には種々のものがある。以下,仮見出し語を分析し,
見出し語として数えるかどうか示したい。
まず『邦訳日葡辞書』の凡例を引用する。
d. 語頭に:印をつけたものは,新たに訳者の立てた仮見出し語であり,次のよう な場合に属する。
ⅰ.原本の見出し語以外のところに現れた日本語で,見出し語としては立てられて いないもの
ⅱ.原本の見出し語のローマ字綴りが異例であったり,誤ったりしているものは,
検索に便するために正しい形を仮見出し語に立てる
ⅲ.オ段の拗長音節を,開音は~iŏ,合音は~eôと綴るという通則に従わないもの は,通則による形を見出し語に立てる
ⅱとⅲは既に述べた。これらは省くものとする。問題となるのは,ⅰの場合である。し かし,仮見出し語はさらに次の3つに分けられる。
ⅰ-1 原文の見出し語以外のところに現れた日本語で,見出し語としては立てられてい ないもの
例:Acane momen.
アカネモメン(茜木綿)Acane. アカネ(茜)¶Acane momen.(茜木綿)
:Aqe fanare,ruru.
アケハナレ,ルル(明け離れ,るる)Aqe,uru,eta.
アケ,クル,ケタ(明け,くる,けた)¶Yoga aqe fanaruru.(夜が明け離るる)
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ⅰ-2 見出し語の後項成分で,見出し語としては立てられていないもの
例:Cucumi,u.
ククミ,ム(含み,む)Fumicucumi,u,ùda.
フミククミ,ム,ゥダ(踏み含み,む,うだ)Nuicucumi,mu,unda.
ヌイククミ,ム,ンダ(縫い含み,む,んだ)ⅰ-3 略号
l.で並列された見出し語で,本篇補遺中に収録されていないもの
例:Icqi. イッキ(一忌)
†Ixxûqi. l, Icqi.
イッシュゥキ.または,イッキ(一周忌.または,一忌)ⅰ-3については,2.7 で述べた通りデータとして採録する。ⅰ-1,ⅰ-2は,省略 することとする。なぜならば,定義で用いられている語はすべて定義されなければならな いという考えは現代のものであり,『日葡辞書』編纂期にはそのような考えはなかったであ ろうし,また,『日葡辞書』の定義に出てくる語を,『邦訳日葡辞書』がすべて仮見出しと して挙げているかどうかを確認することは難しいからである。
「定義にあるすべての語はすべて説明されなければならない」とは,ズグスタのいう定 義の原則の一つである。しかし,この問題は大部分の辞書で時折起こっていることで,本 研究の音素分布表を作成する目的からすれば,それほど重要でないと考える。したがって,
本研究でも始めから見出し語になかった語はとらないこととする。
5.2.9 「連語」について
最後に,「連語」について述べたい。本研究では,連語を「いくつかの単語からなるもの21」 とする。「連語」かどうかの区別は難しく,立項するか,さらに品詞は何にするか,「連語」
として扱うのか,名詞等として扱うのか,辞書によってもさまざまである。実際,『新潮』
においても,「連語」として立ててある見出し項目は,例えば「あ」の項を見ても「あいい れない」「あいまって」「あえず(敢えず)」「あきたらぬ」「あきたりない」「あしからず」
「あずかりしらない」「あたらずさわらず」「あたらない」「あったもんだ」「あってみれば」
「あてられる」「あなかしこ」「あらばこそ」「あらんかぎり」「ありし(有りし)」「ありま す」「ありません」「ありもしない」「ありゃ」「ありやなしや」「あるもんか」「あれから」
など,さまざまである。矢澤 (1995)は「連語は,事実上,登録語彙のごみ溜めになってし まっている」と述べている。