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第3章  事例研究:前川製作所

第 5 節  組織間における場の創造(1)−食品加工機械の開発事例−

5.2  第Ⅰ期(1980〜86 年)

鶏モモ肉自動脱骨機の開発の話が持ち上がったのは1980年のことであるが、

具体的に開発がスタートしたのは1981年のことである。それも、公認された全 社プロジェクトといった形ではなく、社長の前川が食品機械のエンジニアだっ

50 歩留まりは、脱骨の後工程である成形のところで調整される。皮が多ければ歩留まりは 高いのだが見た目があまりよくないのでクレームがつく場合がある。どの程度皮をつけて 出荷するかは企業の考え方による。

51 モモ肉のgあたりの単価は鶏の種類によって異なる。

スタイナー︵血抜き︶ 湯通し 脱 羽 中抜き︵内臓を抜く︶ 検査︵病原菌︶ 冷 却 脱 骨 計量・包装・冷凍

図表 3‑5‑1:ブロイラー工場の工程

(参考資料:前川製作所)

た万本と、元ベアリング研磨会社社長の遠藤を引き合わせて「こんな機械が開 発できないかな」と打診したのが発端であった。その当時万本は、30 代の中堅 エンジニアで、ミート・エンジニアリング・グループに所属していた。ミート・

エンジニアリング・グループは、食肉関係(チキン、ハム、ソーセージ、ポー ク等)の二次加工や食品ラインの設計・施工を総合的にエンジニアリングする グループだった。万本は「トリダス」開発において一貫して、市場と組織、組 織内の製造・販売・技術をつなぐ橋渡し役を担うことになる。一方、遠藤は前 川の大学時代の友人で電気工学が専門であり、技術者としてのキャリアと実績 をかわれてマエカワに入社したばかりであった。

万本をはじめ開発に携わった技術者たちは、東北にある顧客のブロイラー工場 に入り込んで、鶏肉の解体作業をつぶさに観察することから始めた。最初は職 人技であることに感心し、機械化できるかどうかわからないと感じた作業も、

だんだん機械的な動作の繰り返しであることがわかってきた。そこで、工場の ラインに入って現場でどのように肉をさばいているのかを体験することにした。

脱骨作業は、おおよそ次のような手順で行われる。

(1) くるぶしを左手で握り、そこに包丁を入れて足首の腱を切る。

(2) くるぶしから大腿部にかけてタテに一本の筋をいれる。「筋入れ」

(3) くるぶしの関節をはずし、脛骨を起こして膝の関節部分まで引き剥がす。

(4)骨にからまっている膝関節の腱を切断する。

(5) 右手で大腿骨を押さえて肉を引き離す。

(6) 最後にくるぶしを切りとって成形する。

パートの作業員に混じって包丁をにぎったが、生肉は思ったよりも硬く関節の 部分には筋や腱が複雑にからみついていてうまく切れない。最初は全く歯がた たなかったが 5 日目くらいになってようやく形になってきた。一般に、新人が 脱骨の技術を習得するのに最低 3 ヶ月、ラインに入って一人前に脱骨作業がで きるようになるまでは4〜5ヶ月はかかるという。52

現場の体験から、モモ肉を骨から切り取るプロセスは、大体技術者たちの頭に 入ってきたが、手さばきと同じ動きを機械にさせるのは不可能であるように思 われた。そこで機械には機械の原理で脱骨を行わせようということになり、部 分的な試作機の製作を千葉にある小さな町工場に依頼した。最初に出てきたア イデアは、板状のカッターを円錐状にセットして、そのカッターを振動させて 骨から肉を削ぎ落とそうというものだった。しかし、これでは骨まで削ってし

52 小野氏へのインタビュー

まったり関節部を切断する恐れがある。牛肉の肋骨をはずすプロセスを転用し て太い麻紐を使ってみたりしたがなかなかうまくいかない。いずれにしても重 要なのは骨から肉を切り取る「刃物」である。刃物を探すことが開発のポイント であると思われた。ベルト状のカッターを使ってみたが、プラスチックでは強 度が十分に出ないし、金属では関節部分にカッターが食い込んでしまう。刃物 探しは思いのほか難航した。

1982 年に、日本無人化システムという食品加工の自動機械や自動化ラインの 開発・設計を専門に行う独法ができた。トリダス開発の組織上の受け皿ができ たのである。また、運良く畜産近代化リース協会から開発助成金もついた。更 に1983年には、老舗の工作機械メーカーで自動機の設計・製造にかかわってき たベテラン技術者の岩崎保隆が日本無人化システムのメンバーになった。岩崎 は請われてトリダスのプロジェクトに参画し、それ以降同プロジェクトの技術 面で中心的な役割を果たすようになっていった。岩崎は万本らと同様にブロイ ラー工場の現場での作業を体験して、骨と肉を引き離すには何より機械にパワ ーが必要だと直観した。しかし、この時点ではまだ「切る」ということにこだ わりがあり「はがす」というコンセプトには行きつかなかった。

岩崎は、守谷工場の片隅で試作機を作っては思考錯誤を続けた。しかし、当時 の守谷工場には工作機械53をつくるための設備がなかった。脱骨機の開発には、

工作機械技術を応用することが不可欠であると思われた。そこで、岩崎は長野 県に拠点を移すことを周囲に打診した。機械工作の設備が完備している工場を 借りて本格的に試作機を作るためである。周囲もそれに同意したので、岩崎は つてをたどって長野に移った。

腿の両端をはさむ力、カッターにかける張力、カッターの移動にともなう力加 減の変化、移動スピードなど次々に克服するべき難問が出てきたが、1985年に どうにか試作機と呼べるものができた。当時の試作機は 300 グラム前後の大き さのものに限って加工することができる限定付きの機械だった。実際の鶏の腿

は200〜500グラムと大きさにかなりばらつきがある。また、足首から腿の付け

根までの長さや太さ、膝の位置などもばらばらである。試作機はこのようなば らつきをひとまず棚上げした機械であった。この試作機を鹿児島と東北の有力 ユーザーに持ち込んでテストが行われた。テストの結果、ユーザーからの反応 は「機械としては面白いが、実際には使い物にならない」という厳しいもので あった。脱骨できることは確認されたが、カッターがすぐ消耗してラインがス トップしてしまう。カッターの交換のために誰かが常時ついていなければなら

53 工作機械というのは、金属などの固形材料のワーク(被加工物)を切削したり研磨しな がら所定の形に加工する機械のことである。

ないのでは省人効果もない。現場レベルでノーが出た。これまでの延長線上で 考えていても、これ以上の結果には結びつきそうもなかった。岩崎には、工作 機械のコンセプトでこの不定形軟弱体のワークをさばくこと自体が不可能なよ うに思えた。