4.2 実験
4.2.3 観測されたスペクトルと分光計の評価
振動基底状態と v1 = 1状態の振動回転準位は,回転の角運動量 J とその分子軸へ の射影 K で指定される.ν1 バンドの選択則は (4.18b) 式で与えられ,これを満たす 場合に強い吸収が観測される.∆J = −1 の場合は P ブランチと呼ばれ,本章では (v1 = 0, J, K)→(v1 = 1, J−1, K)遷移をν1バンドのP(J, K)遷移と表記する.図4.5 は,ν1バンドP(J = 23, K = 5)遷移の飽和吸収スペクトルを示す.これは観測したスペ クトル信号を4回平均しており,S/Nは5 – 10程度である.CEAC内での線形吸収率は 28 %,線形吸収に対するラムディップの相対深さは1 %程度である.CH3I分子のJ ≥3 の振動回転準位は,I原子核の核スピンI = 5/2に起因する電気四重極相互作用によって,
F = I+J で指定される6つの超微細準位に分裂している.ここで,F は核スピン角運 動量I も含めた全角運動量である.核スピンを含めた選択則は,全角運動量量子数の変化
∆F = 0,±1で与えられる.図4.5のスペクトルは,∆F = ∆J の6つの強い超微細成分 が完全に分解されている.
超微細成分の遷移周波数間隔とスペクトル線幅は最小自乗フィットにより求めた.ま ず,観測されたスペクトルのベースラインの傾きを目視で取り除き,6つの超微細成分に 対して,それぞれの中心周波数νi,高さhi,半値半幅∆νi をパラメーターとしてLorentz 型関数の1次導関数の和
g(ν) =
∑6 i=1
(
−hi ν−νi
[(ν−νi)2+ ∆νi2]2 )
(4.24)
で最小自乗フィットした.ここでiは超微細成分を区別する添え字で,中心周波数の小さ い成分から昇順とする.図4.6(a)はベースラインの傾きを取り除いたP(J = 23, K = 5) 遷移の観測スペクトルとフィッティングした曲線を示し,図4.6(b) はそれらの残差を示 す.また,決定したパラメーターを標準偏差とともに表4.2に示す.図4.6(b)の残差が系 統的に正側にあるのはベースラインを除去を目視で行っているためであるが,これは周波 数差決定には大きく影響しない.
図4.5 分光計で観測したCH3Iν1バンドP(23,5)遷移のスペクトル.周波数の低い 方から(F00 →F0) = (512 → 492),(412 → 392),(492 → 472 ),(432 → 412),(472 → 452), (452 → 432)の超微細成分である.ここで,F00とF0はそれぞれ振動基底状態とv1= 1 状態の全角運動量量子数である.
-1 -0.5 0 0.5 1 1.5
1f signal / arb. unit
-0.2 0 0.2
-8 -6 -4 -2 0 2 4 6 8
(1)-(2)
Relative frequency / MHz (1) (2) (a)
(b)
図4.6 (a) (1)ベースラインの傾きを取り除いたP(J = 23, K = 5)遷移の観測スペク トル,(2)フィッティングした曲線.(b) (1)と(2)の残差.
表4.2 図4.6について,最小自乗フィットによって決定したパラメーター
i νi/ MHz hi / arb. unit ∆νi/ MHz 1 −3.0907(18) 0.083(3) 0.291(3) 2 −2.165(2) 0.058(2) 0.280(4) 3 −0.1309(19) 0.067(2) 0.283(4) 4 1.416(2) 0.060(3) 0.284(5) 5 1.969(2) 0.050(2) 0.261(4) 6 2.654(2) 0.064(3) 0.286(4)
観測した全てのスペクトルについて同様のフィッティングを行った結果,半値半幅は
250 – 290 kHzだった.このスペクトル線幅は以下の要因で決まっている.圧力広がり
は,典型的な封入圧力1.9 Paと圧力幅係数約78 kHz/Pa [73] から,150 kHzと見積もら れる.共振器長の変調による広がりは,シミュレーションから約30 kHzである.ビーム ウェストでのビーム径0.71 mmによる通過時間広がりは,(2.26)式から28 kHzと見積も られる.その他,中赤外光源の線幅とCEACの共振器長のドリフトもスペクトル幅を広 げる.中赤外光の線幅はNd:YAGレーザーとECLDの線幅で制限される.Nd:YAGレー ザーの線幅のカタログ値は1 kHz以下である.ECLDをPDH法で CEACのモードに安 定化した状態でDFBレーザーとのビート信号を測定したところ,その線幅は 50 kHz以 下であった.DFBレーザーの線幅のカタログ値は60 kHz以下であるがこれは実測はして いない.しかし,ECLDとDFBレーザーのビート信号の線幅が50 kHz以下だったので,
ECLDの線幅は少なくとも50 kHz以下である.一方,スペクトルデータを平均する間に 共振器長がドリフトすると,スペクトル線は広がる.S/Nを上げるためにスペクトルデー タを長時間平均すると,そのスペクトル線幅はおよそ10 kHz/sのレートで広がった.図 4.5や典型的な測定ではスペクトルデータの積算時間は4 sなので,スペクトル線幅への
寄与は40 kHz程度である.各原因を加えたスペクトル線幅は300 kHzと見積もることが
でき,これは観測されたスペクトル線幅と一致している.より高いS/Nと分解能を同時に 得るためには,光共振器ではなく光周波数コムのような周波数基準に基づく周波数掃引を 行う必要がある.これに関しては,6章で述べる.
表4.3 観測したν1バンドP ブランチとν2+ 2ν62バンドPP ブランチ.
ν1P(J, K) ν2+ 2ν62PP(J, K) (17, 7) (17, 9) (18, 8) (19, 6) (21, 4) (19, 8) (20, 7) (21, 3) (21, 4) (22, 4) (21, 6) (22, 4) (22, 5) (22, 6) (23, 4) (23, 4) (23, 5) (24, 2) (24, 4) (24, 4) (25, 0) (25, 1) (25, 2) (25, 4) (25, 4)
(26, 4) (27, 4) (28, 2) (26, 4)