この節で注目したい、ピリオドに関する演奏経験として個人間で目立った差が出る要素 は、個人的音楽経験の違いである。まずは、ピリオド楽器の使用経験の差について見てゆ きたい。
今回調査を行った二つのオーケストラには、ピリオド楽器とモダン楽器の両方をコンサ ート本番で使用したことのある団員も在籍している。その本番の中でもさらに差があり、
ピリオド・オーケストラの中でピリオド楽器を使って本番に出たことのある団員と、モダ ン・オーケストラの中でのみピリオド楽器を使って本番に出た経験のある団員とに分かれ る。この差は、ピリオド楽器に対する成熟度、およびモダン・ピリオド間での自らの立ち 位置に関する自己評価に影響を及ぼしている。前者には、ピリオド楽器に対してもモダン 楽器と同程度の専門性を有しているという意識が見られるのに対し、後者は、自分の本拠 地はあくまでモダンであり、本当の意味でピリオド楽器の専門家ではない、というような スタンスを取りがちである。たとえば、後者に該当する S 氏はインタビューの中でナチュ ラルトランペットについて語る際、「実際にその専門家じゃないから何とも言えないけど」
と前置きしている。
しかし、モダン・オーケストラの中にもピリオド楽器演奏経験者が在籍しているのは確 かであるが、彼らは実は少数派で、多数派なのはむしろ、ピリオド楽器を本番では一度も 演奏したことのない団員である。ピリオド楽器の専門家からレッスンを受けた経験はある ものの人前では演奏したことのない者、友人から少し借りたりなどして、遊び感覚での試 奏はやったことがある者、まったくピリオド楽器に接したことがない者まで様々である。
彼らがピリオド楽器を演奏しない理由としてはまず、技術的に困難で、本番で演奏でき るほどのクオリティに仕上げられないという点を挙げる者が多い。ピリオド楽器を演奏す る派としない派の団員は、モダン楽器とピリオド楽器をまったく別物の異なる楽器として 認識している点では共通していた。しかし、その中でも持ち替えを可能とする団員と、不 可能とする団員とに分かれる。
ピリオド楽器を演奏する派、すなわち持ち替えが可能と語る団員の感覚例として、H 氏 は「古楽器っていうのはやっぱり吹くのが難しいわけで、あれね、いろんな技術を駆使し ないと吹けない」としつつも、ピリオド楽器の演奏が、自分のモダン楽器の演奏に影響が
あるかという問いに対しては、以下のように回答している。
あまりないです。モダン楽器をやるときも、古楽器をやるときも、一緒。要するに、
クラリネットの人がバスクラリネットに持ち替えますくらいの認識でしかないです。
一方、ピリオド楽器を演奏しない派、すなわち技術的に持ち替えが難しいとする団員の 感覚例としては、弦楽器では弓の形状が違うこと、奏法がまったく違うこと、木管楽器で はリードのセッティング、運指が異なることなどが挙げられる。中には、ピリオド楽器の 要求するテクニックはモダン楽器以上だと評価する者もいる。たとえば、H 氏と同じクラ リネット奏者のV 氏は、パリ音楽院の本科(モダン専攻)を卒業した後の6ヶ月間、エリ ック・ホープリッチ(Eric Hoeprich, 1955- )のピリオド楽器のレッスンを受けた経験19を踏 まえて、以下のように語っている。
自分の考えだと、古楽器専門の奏者がいたほうがいい。リードのセッティングとか全 然違うと思うので。現代のクラリネットと昔のクラリネットと全く違っているものだ から、2つのスタイルで同時にプロフェッショナルにやることはすごく難しいから。
昔のクラリネットは音量がもっと小さい、そして昔のコンサート・ホールも小さいの で、大きい音量で演奏する必要もなかった。現代の楽器っていうのは音量も改良され ているから、すごく大きな音が出るようになった。違う楽器だと思って良いので、そ れぞれにスペシャリストがいるべき。(中略)たとえば、バロック・オーケストラの CD 聞くのも好きだし、ほんとにテクニックがある。テクニックがないと、逆にでき ないと思う。昔のクラリネットはキーがあまりなく、半音出すのに穴を半分開けたり、
それを早業でやるわけだから、すごい技術が必要。だから、モダンの楽器がだめだか らそっちに行ったとは思わない。古楽器で上手に聞かせるためにはモダンの楽器の人 以上にテクニックがないと。耳もそうですよね。
ただ、H氏が2番吹きでV氏が1番吹きという差が関係していて、特殊楽器の持ち替え を行うポジションの人ほどピリオド楽器の持ち替えに抵抗がないのかといえばそうではな い。ピリオド・オーケストラにも乗っている T 氏は1番吹きであるし、イングリッシュ・
ホルンの持ち替えを行うポジションであるW氏は、「モダンオーボエとバロックオーボエの
19 パリ音楽院では、モダン楽器専攻の学生は、全員ではなく希望者のみが卒業後に古楽科でピリオド楽器 のレッスンを受ける仕組みになっているのだと、V氏は語っていた。
差が激しいので、両方やるってのがかなり難しい」と語っている。
しかし中には、持ち替えたほうが楽になる側面もあると考える者もいる。Z 氏は、「やは りピリオド楽器とモダン楽器を両方やるのは難しいのか」という筆者の問いに対して、以 下のように回答している。
やってる人もいますけどね。いるけど、うん、でも逆に言うと、両方やるっていうの で、こっちをやるときはこの楽器、こっちをやるときはこの楽器、って楽器そのもの を変えるほうが楽かもしれないね。一つの楽器で、自分の奏法とテクニックだけで変 えるよりも。
加えて、ピリオド楽器を本番で使用しない理由としては、技術的に不可能という理由だ けでなく、ピリオド楽器に対する興味の無さを理由に挙げる者も少なくない。中には、「ピ リオド云々に関しては、自分はまったく興味ないので」とインタビューで言い切った団員 もいる。あるいは、L氏は「ピリオド楽器やバロック弓を使って演奏したことはあるか」と いう問いに対し、以下のように語っている。
自分はありません。もちろん弾いたことはあるけど、そういうことはしてないので、
本番で。でも有田[正広](1949- )先生の授業とか好きだし、フルートの。やっぱ すごいな、あれだけ考えてるのは、と思います。ま、だけど別にいいやって。興味な いやって、うん。あっちの世界、またちょっと別かな、特殊だよな。
あるいは、ピリオド楽器を選ばない理由として、現代の演奏環境にピリオド楽器はそぐ わないという点を挙げる団員もいる。先の V 氏の発言のように、特に大きめのホールに応 えうるほどの十分な音量がピリオド楽器では出せないことを指摘する団員もいれば、聴衆 も奏者も現代人なので、響きもそれに合わせたモダン楽器の響きがふさわしいのではない かという意見を述べる団員もいた。もう一点、ピリオド楽器が選ばれない要因にはレパー トリーの狭さがあり、演奏できる楽曲が限られるのが難点だと語る団員も複数いた。
以上、インタビューを通じて、ピリオド楽器にまったく関心を示さない団員もいれば、
プロフェッショナルのピリオド・オーケストラにも乗るほどピリオド楽器に精通している 団員もいることが明らかとなった。同じオーケストラに所属していながらも、ピリオド楽 器経験にはこれだけの差があることはかなりの衝撃であったが、中でも初めて知って特に 驚いたのは、モダン・オーケストラの団員の中に、ピリオド・オーケストラの団員として
も活動を兼任している団員が存在しているという事実20だった。
その驚きは、筆者がプロフェッショナル・オーケストラの仕組みを知る前、プロフェッ ショナル・オーケストラに「掛け持ち」という概念があることを想定していなかったこと による。筆者は当初、常設でメンバー固定のプロフェッショナル・オーケストラには、専 属契約のような仕組みがあるのだろうと想像していた。つまり、試験を受けて正式に入団 したら、オーケストラの仕事は自分が所属しているオーケストラでのみ行うもので、エキ ストラというのは特定のオーケストラに所属していないフリーの演奏家や学生などで構成 されているのだろうと考えていた。確かに、急病などの突然のアクシデントが起きた場合 にはプロフェッショナル・オーケストラからもピンチヒッターを呼ぶことがあるとは、文 献に書いてあった(鈴木 2000: 25)が、実際はそうしてプロフェッショナル・オーケスト ラからもエキストラを呼ぶことが決して珍しくないことを知ったのは、調査を進める中で のことであった。たとえば首席の団員のうちの一人が辞任して次の首席が決まるまでの間、
他の首席の団員が「降り番」の場合、他所のオーケストラの首席がピンチヒッターで呼ば れる習慣があることは、N 響でリハーサルを見学していて初めて知った(首席がエキスト ラの場合、練習開始前にインスペクターから団員に紹介があるので、それで気づいた)。
それゆえ、複数のプロフェッショナル・オーケストラ、ましてやジャンルの垣根を超え てオーケストラが兼任されることがあるとは、余計に想定していなかった。もちろん、近 年ではモダン楽器とピリオド楽器の両方を使い分ける演奏家もいること自体は知ってはい たものの、ピリオドのプロフェッショナル・オーケストラには専らピリオド楽器を専門と する演奏家が集まっているものという固定観念があって、まさかモダン・オーケストラの 団員がピリオド・オーケストラの団員を兼ねているのが普通だとは思いもよらなかった。
そもそも、日本ではプロフェッショナルのピリオド・オーケストラはモダンに比べて圧 倒的に数が少ない。バッハ・コレギウム・ジャパン、オーケストラ・リベラ・クラシカ、
クラシカル・プレイヤーズ東京、コレギウム・ムジクム・テレマン、以上のわずか 4 団体 に限られる。このように数が限られているからこそ、団員はピリオド楽器の専門家で占め られているのだろう、そうでなければピリオド楽器の専門家の仕事場がなくなってしまう。
調査に入る前、筆者はこのように考えていたのだが、それは現実とは食い違う想像でしか なかった。実際はむしろその逆で、ピリオド専門の奏者が仕事のできる場が少ないからこ そ、ピリオド楽器だけでなくモダン楽器を演奏できるようにしておかなければ(というよ
20 これは日本の特殊な事情というわけではなく、イギリスでも同じであるという話を、筆者は2016年7 月に参加したthe Fourth Performance Studies Network International Conferenceにおいて、自身と同じセッショ ンで発表したイギリス人の研究者から耳にした。たとえば、BBC交響楽団の団員の一部はピリオド・オー ケストラに出張し、その団員同士でピリオド楽器や奏法について教えあったりもするそうである。