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ピリオド・アプローチの問題にまつわるストレス

ではここから、ストレスの具体的な内容について扱ってゆきたい。まずは身体的なスト レスである。第 2 章では、フォルテピアノと大規模なホールで共演した際には、オーケス トラのほうも極力音量を落とさなければならず、フォルテピアノの側もスピーカーを通し たりして、ちぐはぐしたことになってしまったという、BB氏の語ったエピソードを引用し た。このように、モダンとピリオドが混ざることによって生じた食い違いを埋める際の措 置により、身体的に負荷がかかったり無理が生じたりということは、しばしばあるのだそ うである。たとえば、U氏はピッチの差について以下のように述べる。

ただ、前、うちの客演指揮者だった人が、モーツァルトの《コジ・ファン・トゥッテ》

をサントリーオペラでやるときに、どうしてもピアノフォルテが440ちょうどしかな かったんです。それで下げろって言われたんですけど、すごく大変なんですね。まず リードから変えなきゃいけない。徐々に張ってってしまうので、普通442〜3、高いと き445いっちゃうときがあるので。弦楽器はゆるめれば大丈夫かも知れないけど、や っぱりポイントが変わってってしまうので弾きにくいとは言ってましたけど。我々そ の2、とか3を下げるのがものすごく一苦労で、すごく大変だったんですけど、急に その楽器を持ってくるわけにはいかないので、耳で聴いてひたすら演奏を下げてくし かない。それはそれで苦労しました。どうしてもそれ以上は上がらないって言ってた ので。

あるいは、S氏は楽器の差について以下のように語る。

まず、[モダン楽器は]音量が大きいでしょ。だから、モダンのオーケストラの中で、

たとえばティンパニもモダンで、トランペットだけ古楽器を使うと、かなり音量的に 厳しい。それは前に、トランペット2本だけナチュラル持ってって、ベートーヴェン の[交響曲第]7番やったら、かなりきつかった、音量的に。ティンパニも、やっぱ りかなり音の立ち上がりが違うから。マレットも違うので。だから、その時代は、モ ーツァルト、ベートーヴェンなんかは、セットね、トランペットとティンパニが。動 きもほとんど一緒だし。だから、片方がモダンでっていうとかなり厳しい。

加えて、奏法の差でもこうした難しさは生じる。たとえばインタビューの中で、ソリス

トがノンヴィブラートで弾くのに苦労していたというエピソードを耳にしたことがあった が、これはソリストに限ったことではなく、団員にも当てはまることだそうである。たと えば前章にも引用した会話であるが、Y 氏は団員の中でも個人的にピリオド・アプローチ に親しんだ経験の少ない人にとっては、特にそうなるのだと語る。

Y:ヴィブラートはできるだけ全然かけないで、開放弦を普通に使ってくれって言 われたら、やってみる人もいるけど、やらない人もいる。

筆者:やっぱりそうなんですね。

Y:開放弦は、難しいから。ある意味ね。特に弦楽器の一番細い、一番線の開放弦 っていうのは、ちょっといい音出すの難しい。だけど、あのガット弦だったら、そん なに差が出ないけど、スチールだと特に差が出るから。

筆者:キーンっていう、あの。

Y:相当弓のスピードをゆっくり使わないと、あのー、ひっくりかえるか、でかく なっちゃうか、そういうことが難しいんだけど、それを自分のものにして使ってけば、

良い音は出るはずなんだけど、ま、もともとそういうことをしてない人は、やっぱり 抵抗ある。

東響においてはまた、金管楽器の団員がモダン楽器を使用するのではなく、ピリオド楽 器の演奏にチャレンジすることにより、かえって不都合が生じていると感じている団員も いる。たとえば以下の語りを参照されたい。

たとえば現代のトランペットじゃなくてナチュラルトランペットとかナチュラルホ ルンを使ったときに、どうしても音が外れることがより多くなるじゃないですか。す ごく難しいのに、すごく下手に聴こえちゃう。普通のモダン楽器の人が吹いちゃうと。

ティンパニとかだったら、全然そういうのもないから、すごく興味深い響きもするけ ど、古楽が流行ってるからって、モダン・オーケストラでナチュラルトランペットと かナチュラルホルンでやっちゃうと、それがすごく良いことかっていうと、単なる下 手にしか聞こえないこともある。ほんとに[ピリオド楽器に]スペシャリストが必要 ってのはそういうこと。

この点に関しては、S氏も以下のように語っていた。

筆者:ピリオド楽器を使うのはやめてくださいって言ってくる指揮者もいるんです か?

S:あのねえ、うん。いるみたい、それは。ちょっと不安定だから普通の楽器でや ってって。(中略)[ピリオド・アプローチを]嫌だって言う人は、今実際にモダンの ことをやって、そのことで精一杯って思う人もいるわけだし。新たにそれを勉強し直 して、で、勉強してもかなり人前で聴かせるの時間かかって、しかもそれなのにもの すごく不安定な状態。要するに、音が外れやすい、とかいろいろあるから。そういう 不完全なものを人前で聴かせるのは嫌だっていう。から、そこにタッチしないってい う人もいるわけ。だって聴くのは、聴いてて別に[不都合は生じない]っていう。

S氏は歴史的演奏習慣に興味があってというよりも、モダン楽器のトレーニングを兼ねて、

ピリオド楽器の演奏に着手し始めたのだと語っていた。しかし、第 1 章で歴史的資料を読 むことがモダン・オーケストラの団員にとっては必須ではなく、やりたい人だけがやれば よいという位置付けであったように、ピリオド楽器の演奏も、モダン・オーケストラでは 同じ位置付けにある。それゆえ、ピリオド楽器やピリオド奏法に取り組むことが、モダン 楽器の演奏に際してもプラスに働くと感じる団員も中にはいるが、特にそうは感じていな い団員も確かにいるのである。たとえば、E氏は以下のように述べる。

筆者:ピリオド・アプローチがなかった頃と比べて、たとえばヴィブラートを今ま でずっとかけてたのがノンヴィブラートとか、それって演奏の水準が上がるってこと につながってるなと感じますか?

E:水準。うーん、それはどうかな、専門じゃないのでわからないんだけど、たと えばじゃあ自分がナチュラルホルンを吹けるようになったら、今の自分の技術が上が るかっていうと、あんまりそうは思わないので。それがあるんであれば、とっくに練 習してると思うんだ。それがあったんだとしたら皆練習してるし、大学とかでも先生 がやらせるところが絶対出てくるはずなんだけど、僕の知る限り一つもないので。ま ったく別物という。弦楽器のほうはわからないけど、ホルンに関してはそうかなあ、

という感じ。

以上見てきたように、団員は、ピリオド・アプローチの公演期間中に演奏の難しさ、苦 労による不都合を経験することがある。しかしそれは時に公演期間中だけでなく、その期 間中に受けた身体的ストレスが他の公演にも不都合を及ぼし、より長期間、あるいはより

大規模な演奏能力の低下をもたらすことがある。

たとえば東響では、大きな編成の、野太い音、重くて渋い音が要求される作曲家の作品 は前よりも苦手になったように感じると語った団員がいた。たとえばCC氏は次のように述 べる。

で、[スダーンが音楽監督をしていた]10年で危険だなと思うのが、奏法が臨機応変 に対応できればいいんだけど、それが難しくなっちゃってて、全部がそうなっちゃっ てるからチャイコフスキー、ドヴォルザーク(Antonín Dvořák, 1841-1904)を弾いた ときにちょっとふわふわしてるのが気になるかな。昔もっと野太い音、田舎くさいよ うな音が出てたのが、ちょっと洗練され過ぎちゃって、こぎれいな感じになっちゃっ た。そこがどうなのかなとは思ってるね。その弾き分けっていうのがもうちょっと皆 できたほうがいい。

この点に関してはAA氏も、「スダーンとの経験を積んだことで、明るく、爽やか、ライ トな音で演奏ができるようになったんだけど、その反面少しこじんまりした音になり、重 い、渋い音を出すのが難しくなった。今度の音楽監督のノットとの経験で、これからまた 鍛えられると思う」と話していた。

さらに、前で引用したG氏の発言にもあったように、「モダン・オーケストラはヴィブラ ートをかけるっていうのが通常の状態」であり、特に基本としてノンヴィブラートを徹底 されることの多い弦楽器セクションの団員の中には、それを負担に思う団員もいる。もち ろん、前に指摘した通り、モダン楽器でピリオド楽器の音を模倣することが技術的に不可 能ではないし、W氏が言う通り、「今の人が全部ヴィブラートかけてるかっていうと、そう いうわけじゃない」。第2章で明らかにしたように、ピリオド・アプローチだからといって 必ずしも特別な奏法を要求されるわけではないし、ノンヴィブラートがピリオド・アプロ ーチに特殊な奏法というわけでもない。しかし、度合いの問題は残る。決して特殊な奏法 でないノンヴィブラートであっても、それを使用する頻度があまりに極端に多ければ、そ れはモダンの演奏者にとっては不自然で、慣れていない奏法になりうる。実際、ピリオド・

アプローチの指揮者の演奏会の後は手が疲れるという感想を、O 氏は語っていた。あるい は、以下のように話す団員もいる。

たとえばアーノンクールは、むしろ清音のためにヴィブラートをちょっとかける。見 えないくらいね。リラックスする効果もあるって言われてるから。止めるっていうの