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ピリオド・アプローチは完全には浸透しないという認識

まず団員の間で共通しているのは、「自身のオーケストラはモダン・オーケストラであり、

ピリオド・オーケストラと完全に同化することはないため、ピリオド・アプローチが完全 に浸透することもない」という認識である。この認識は、以下の様々な理由から成り立っ ている。

1つめの理由は、多様な指揮者への対応が必須という、モダン・オーケストラ特有の構造 である。第 1 章でも少し触れたが、モダン・オーケストラである以上、ピリオド・アプロ ーチを採用する指揮者とのみ共演するのではなく、モダン・アプローチを採用する指揮者 とも共演する機会が生じる。そうした機会についてX氏は、「ただ普通の指揮者が来たとき に、古楽に戻って古楽で演奏するわけではないですよね。古楽の集団では無いですから」

と語り、自分たちモダン・オーケストラと、ピリオド・オーケストラとは明確に別物であ

ることを強調している。また、そうした「普通の指揮者がきた」際には、たとえば「ヴィ ブラートを元に戻して」というように、指揮者がピリオド・アプローチを拒否し、奏法の 変更を要求してくることもあるのだと、団員は語る。たとえば、U氏は次のように述べる。

筆者:ピリオド的な、古楽器を用いるとか、ピリオド的なことを意識してやるって 流れは、ずっと今後ももうなくならずに、あり続けるだろうなっていうのは?

U:ああー、そうですね、どうなんですかね、流れとしてでしょ。うちのオーケス トラじゃなくて、全体として。

筆者:ええ、そうです。一時の流行に過ぎないって言う方も、モダンの中にはいら っしゃったりもするので。

U:ああ、わりとそういう面はあると思います。確かにお客さんは目新しいし、こ っちも慣れてくれば楽しいことですし、いいとは思うんですけど、指揮者がそれに、

そういう人ではない人になってしますと、元に戻ってしまいますよね、どうしても。

うちはポジションのある指揮者の一人がそれがまだ好きなんで、うちは当分続くのか なって気はしますが。戻っちゃったらもう、戻っちゃいますよね。だからモーツァル トだからって、前にある指揮者が、同じモーツァルトやるときに、それ気持ち悪いか らちゃんとヴィブラートかけてって。そんなことまで言っちゃうくらい、指揮者によ って好みが違うので、なんとも言えないですよね我々は。[スダーンは]音楽監督で すから、この曲はこう演奏するようにって監督に言われてるものなので、そのまま演 奏しますけれど、指揮者によっては、それはおかしいからこっちにしてくれって指揮 者はいっぱいいます。なので、たぶん元に戻ると思いますね。

こうしたピリオド・アプローチの変更は、「秋山先生は古楽嫌がることもある」とAA氏 からも聞いていた通り、筆者が秋山指揮のモーツァルト・マチネのリハーサルを見学して いたときに、実際に目撃することもあった。たとえば、モーツァルトの交響曲第36番《リ ンツ》の第 1楽章に、「ソシラドシレドミレファミラソソー」という旋律がある(【譜例 1】 の 119〜121小節目参照)。こうした音型を、最初は 1stヴァイオリンの団員が小さなスラ ーごとに一つ一つ抜いて、すなわちデクレッシェンドするような形で弾いていた(【譜例2】 の小さなスラーとデクレッシェンド参照)。こうした音を抜く弾き方は、ピリオド・アプロ ーチの指揮者のときに定型として行われる奏法である。しかし、10月30日の公演初日のリ ハーサルでは、《リンツ》の第1楽章の練習中に1stヴァイオリン・セクションをつかまえ、

このセクションの団員だけを独立して弾かせて、秋山がその弾き方を直した。小さなスラ

ーごとに抜くのではなく、音をつなげてなめらかにし、大きなスラー全体を大きなクレッ シェンドで弾くように指示をしたのである(【譜例 3】の大きなスラーとクレッシェンド参 照)。その指示があった後の通し練習では、1 stヴァイオリンの団員たちは、他のところで 出てくる同じような音型や、長めの音価の伸ばしの音も、抜かずに弾くようになっていた。

また、同じ楽章の192 小節目のフレーズにさしかかったところ【譜例 4】では、1stヴァイ オリンの方に向かって、左手を振るわせる動作をしながら「ヴィブラート」と声をかける こともあった。

こうした変更の要求はまた、弦楽器のボーイングについてもなされることがある。以下 のW氏が語ったエピソードを参照されたい。

ちょっと変なエピソードなんですけど、昨日リハーサルしてて、ドビュッシーの《海》

の練習してて。明後日川崎で本番やるんですけど。で実はね、去年ね、ドビュッシー の《海》をスダーンでやったんですよ。珍しく、あんな新しい曲を。とっても弦楽器 のこと詳しいんで、フランス音楽のやっぱり色が、音色が出ますよね。ああいうの出 すために、弦楽器のボーイングをものすごい研究してきてるから、それで普通とは違 うボーイングが書いてあって、それでやってそれはそれですごく良かったんですけど、

そのあと昨日その譜面を使って違う指揮者でやったんですよ。そしたら、その指揮者 が、「そのボーイング、おかしくない?え、それなんか弾きにくそうでおかしいよね。

普通にいきましょうよ」って。皆やっぱり指揮者が一番だから、絶対逆らえないから、

じゃあ今回の演奏会はっていうので消しゴムで消して、っていうのはあります。その くらい違います。そのくらい彼はこだわってます。

あるいは、ティンパニの場合は楽器の変更を要求されることがあるのだと、R氏は述べる。

R:皮のプラスチックであるか本皮であるかっていうので、音色がまったく変わっ てしまうので、やっぱり指揮者の方で、ブラームスぐらいになると、モダンの楽器を 使って欲しいというようにリクエストが来る。それは、オーケストラ全体の編成が大 きくなっている影響だと思うんですけど、まあそういうことによって、大きい楽器を、

モダンの楽器を使ってくれというリクエストが来る方もいます。

筆者:ブラームスのときは、場合によっては使うときもある?

R:そうです、指揮者が大きい楽器に変えてくれってリクエストがあったときなん かは。だいたいでもね、ヨーロッパからいらっしゃる指揮者なんかは、そのままでい

いですよって言ってくださって。秋山先生とかあたりだと、大きいのに変えてって言 われることがわりと多いですね。指揮者の方によって変わってくることもありますね、

ブラームスなんかになると。(中略)オーケストラ全部の編成が、大きい編成で求め られるときは、ある程度大きい楽器じゃないと、オケになじまなくなってきちゃうの で。だいたいあの、東響でもずいぶん前からやってますけど、スダーン先生がね、い らっしゃったころからモーツァルト・マチネっていうのやってて、そういう演奏会な んかはもう編成自体がわりと小ぶりでやりますから、それにちょうど合ったぐらいの 楽器を使うと、一番馴染むというか。だから東フィル[=東京フィルハーモニー交響 楽団]なんていうのは、まあ東フィルがっていうことじゃないんですけど、韓国のチ ョン・ミョンフン(Myung-Whun Chung, 1953- )さんなんかは、編成も物凄い大きい のを好むんですよ。僕も東フィルにお手伝い行ったときに、ちょうどチョンさんの棒 で、ブルックナーの[交響曲第]9 番やったときも、コントラバス 20 人くらい、18 人か、もう信じられないくらいの大編成。普通は8本くらいかな。で、倍以上の人数 がいるんですよ。ヴァイオリンも、もうもちろん。そういう編成での音を求める指揮 者もいますから。そうするともうね、ほんとそれに合う楽器で演奏しなきゃいけない し、バチもそういうので演奏しなきゃいけないし、っていうことになる。

ここで挙がってくる、ブラームスやブルックナー(Josef Anton Bruckner, 1824-1896)とい った作曲家の名前。彼らも当然、モダン・オーケストラにとっては「常連」の作曲家に含 まれる。モダン・オーケストラの団員は、様々なアプローチの指揮者に対応しなければな らないだけでなく、多様な作品への対応も必須なのである。これが、ピリオド・アプロー チが完全に浸透しない理由の2つ目である。たとえば X 氏が「我々あんまりバッハとかバ ロックをオケで演奏することはない」と語るように、ピリオド・オーケストラでは頻繁に 取り上げられるバロック時代の音楽の演奏機会はモダン・オーケストラでは少なくなった が、レパートリーが比較的狭い範囲に限定されることの多いピリオド・オーケストラとは 対照的に、古典派から現在までの幅広い時代の作品であったり、中にはクラシック音楽以 外のジャンルに対応することさえ求められる。

たとえば東響では、今の音楽監督のノットは現代音楽を得意としており、モーツァルト・

マチネの2015 年 3月の「第20回モーツァルト・マチネ」ではシュニトケの作品をモーツ ァルトと組み合わせている【表1】。あるいはN響であれば、筆者が見学した公演の中だと、

2015年8月の「フェスタサマーミューザKAWASAKI 2015」および「夏休み特別公演 N響 ほっとコンサート~オーケストラからの贈りもの~」で、ディズニー映画《アナと雪の女