• 検索結果がありません。

伝統的慣習法上の婚姻制度

ドキュメント内 제8회 한일학술포럼(선명) 수정0830.hwp (ページ 87-106)

1. 慣習法上の婚姻風習

慣習法(婚姻風習)上の婚姻形態として 招壻婚 と 聚嫁婚 があった

招婿婚とは

婚礼後に

(婿)が妻の実家で暮らす婚姻を言う( 率壻婚姻 ともいう)

このような婚姻には2種類の婚姻形態が あって

1つは

婚礼後に

夫が妻の実家で一生暮らす婚姻と

もう1つは一定期間だけ妻の実家で

暮らす婚姻である

このような婚姻は

母系社会で見られる原始的婚姻風習である

これに対し

娶嫁 婚とは

婚礼後に最初から妻(嫁)が夫の家で暮らす婚姻をいう(親迎制に該當する)

これは

徹底し た男性中心の家父長的特徴を有する婚姻風習である

(1) 招壻婚の起源について

招婿婚の婚姻風習は

古代から伝わってきた普遍的婚姻形態であり

朝鮮(1392〜1910年)中期ま では朝鮮社会の一般的な婚姻形態であった

その起源は高句麗(B.C.37〜A.C.668)の壻屋制に由来し たものといわれている47)

婿屋制とは

妻の実家に壻屋という小屋を建築し

婚姻した娘の夫婦を住まわ せる

その夫婦が婿屋で子供を産み

その子供が成長したときにはじめて婿の家に帰らせた制度であっ た

このような招婿婚制は

その初期においては壻の労働力が要求され

また母権が強かった時代に生 じた事象であった

したがって

當時の招婿は純然たる奉仕婚制であったと解されている48)

このような婚姻風習は

夫(婿)が妻の実家で暮らすという意味で 壻留婦家 ともいう

今日において 男性が結婚する場合に 丈家(ジャンガ)간다 (妻の実家に行く)

または 丈家(ジャンガ)든다 (妻の実家 に入る)という言葉が使われているのは

招婿婚の婚姻風習に由来したものと思われる

 

(2) 朝鮮時代の婚姻及び近親婚姻の風習について 

(a)招婿婚制度は

儒教を国是とした朝鮮時代(1392〜1910年)において儒教的社会倫理の実践を 図る為政者にとって

陽が陰にしたがう という不合理な制度であると認識された

したがって

朝鮮初期 には婚姻制度に対する議論は少なかったが

婚姻と同時に妻が夫の家で暮らせる娶嫁婚政策を強行しよ うとする人々により招婿婚制の風習は厳しく批判され

婚礼後に最初から嫁を夫の家に迎える 親迎制度 に替えるべきであるという主張が強く出された

朝鮮3代王の太宗(1400〜1418年)は

わが国の婚姻制度は

婚姻したら夫が妻の実家で暮らすと いうことは

笑いものになるから

古今の制度を斟酌して婚姻制度を定めよう と命じたほど

婚姻制度の 改革に積極的であった

したがって

王室で親迎の模範をまず見せて

一般人が親迎制に従うようにし た

4代王の世宗17年(1435)に

坡原君尹泙と淑愼翁主との婚姻は親迎儀式で行われた

この婚礼が わが国において親迎制の始まりであると解されている

しかし

このような模範的な親迎制が施行されたにも

47) 朴秉濠․前揭韓国の法p.117以下

48) 鄭光鉉․韓国家族法硏究(ソウル大学校出版部, 1967年)p.530

拘らず

士大夫(両班)らの間においても親迎礼を行う人は殆どなく

男帰女家婚(招婿婚)の風習は続いた

親迎制が朝鮮社会の婚姻制度に初めて影響を及ぼしたのは

朝鮮建国後150年が経過した13代 王の明宗(1545〜1567年)朝の時期からである

それも 半親迎 という婚姻制で

以前の招婿婚と折 衷した婚姻であった

すなわち

半親迎制とは

婚礼式は妻(新婦)の家で行われ

婚礼後に妻の実 家に滞在する期間を2~3日にするなど

暮らす期間が大幅に短縮された

しかし

このような形態の半親 迎制も當時の社会では受け入れなかった

婚礼後3日目に新郞(夫)の家に行くという

新婦側中心の 招婚制と新郞側中心の親迎制を折衷したこの半親迎制が慣習として朝鮮社会に完全に根をおろしたの は

朝鮮後期になってからである

この半親迎制は

韓国の伝統的な婚礼制度として知られており

今 日においても伝統的な農村ではその遺風が残っている49)

(b) 近親婚の風習について 

朝鮮時代に至るまでには王室を中心とした近親婚が多かった

すなわち

新羅時代(B.C.57〜935年) においては

骨品制度(骨品制度は聖骨(両親が王族である身分-最高位身分階級)

真骨(両親中 の一方が王族である身分階級)という2種類の王族身分と6頭品·5頭品·4頭品の3種類の身分階級で構 成されている)は徹底的に王族身分を維持するためにその身分階級内の婚姻が奨励された

結局

王族 身分階級内の人口が最も少なかった王室の聖骨と真骨の同姓間の婚姻が自由に行われたのはやむを得 ないことであった

新羅時代全般にわたって王室では異姓婚よりも同姓婚の方が多く

いとこ(四親等)間 や六親等の間

さらに叔姪間でも

婚姻が行われた

高麗時代の婚姻は

新羅の身分階級や婚姻制を踏襲し

同姓婚ないし近親婚が盛んに行われ た

高麗王室において同姓婚

近親婚はもちろん

両班階級において広く行われ

再従(六親等)姉 妹

姪女

異性姉妹の婚姻まで行われた

高麗王室はいとこ(四親等)間の婚姻につて何の罪の意識 もなく

むしろ王室の嫡統を保存するための近親間の結婚であったと認識された

しかし

徐々に儒教礼 俗の影響でこのような同姓婚に対する議論が生じ

近親婚を禁止する法令が発布された

すなわち

同 姓間または近い親姻族間の婚姻で産まれた者は官吏に採用されないという禁錮令が発布され

宣宗12年 (1085)に

同父異母の子女が婚姻して産まれた子どもについてその禁錮令が適用された

さらに

粛宗1 年(1096)には六親等間の婚姻で生まれた子どもについても禁錮令が適用された

このような高麗の禁錮 令は高麗末まで継続して広がった

この禁錮令は

あくまでも官吏採用を制限するにとどまるものであっ て

婚姻自体を禁止するものではなかったがゆえに

かかる禁止令の意味は

近親婚の抑制という意味

49) 参考文献として, 韓国古文書学会編․朝鮮時代生活史, 歴史批評社1997

よりは身分階級内の婚姻を通して貴族勢力の拡大強化を防ぐことにあったといわれている50)

最初に近親婚禁止令が発布されたのは

1096年6月

六親等までの婚姻を禁止するものであった が

その実効性はあまりなく

1101年に失効した

その後に

いとこ(四親等)間の婚姻は禁止された が

五親等

六親等間の婚姻は禁止されなかった

結局

幅広く同姓禁婚令が出たのは14世紀の高 麗忠宣王の1309年であった

しかし

同姓間の禁婚が法的にも慣習的にも確実な規範として位置づけら れたのは

朝鮮時代に入ってからである

(3)

統的な婚姻の成立風習と妻の地位

(a)高麗時代の婚姻風習は原則的に男女當事者の自由意思による婚姻であったが

親の許可を得 なければ婚姻は成立しなかった

しかし

身分階級が異なる男女(例えば

士大夫家の子と賤民の娘)が 婚姻する場合には

官庁の許可を得なければならなかった

官庁の許可を得ずに婚姻した男女は

厳し い罰に処せられた

これは

身分が違う両班と賤民が勝手に混ざることを防ぐための装置であった(士庶 不婚 良賤不婚)

朝鮮時代における伝統的儒教社会では

恋愛結婚の代わりに仲媒(ジュンメ)結婚(お見合い結婚)が 婚姻の主な形態であった

仲媒結婚において婚姻とは男女個人ではなく

各男女が属する 家 と 家 と の結合という意味を有し

男女當事者は結婚するまで互いに顔も知らず

むしろ

その家の親が主人公 になった

したがって

婚姻は

男女當事者だけではなく家族間の結合を意味し

家族という血縁共同 体を主にした結婚儀式が発達した

このような婚姻風習は

儒教イデオロギーを基礎とした家父長的秩序 が強いられた社会であったからであろう

したがって

女性については男性中心社会を維持するための補 助的な役割の担當者として認識された

女性を出産・養育・家事労働などに専念させるために法的思 想的に様々な制限を設け

再婚禁止

七去之悪(離婚事由)などのような婦女の道理をつくったのである

ここで妻の地位について若干立入ってみる

先に述べたように

妻は儒教的家族制度下でそれに適応し服従したが

実際には女性の行動拘束と は異なり

妻の財産取得能力

取引行為能力

訴訟能力が法律上保障された

すなわち

①結婚し た娘は

実家の両親が死亡した場合に

実家の兄弟と均分相続分を受けて所有する

②妻は

不動 産などの重要な財産を特有財産として所有し

自分の名義で処分することができる

夫婦の財産は

各 自の特有(固有)財産として所有する

妻が夫または媤父母(夫の両親)から贈与された財産は妻の財産 となり

夫の死亡後に改嫁せず節操した末に死亡したときには

子どもがいない場合に妻の血族が相続す 50) 高麗王室の近親婚について;http://kin.naver.com/qna/detail.nhn?d1id=11<invited 18.June 2013>

③女性 妻が所有している財産について紛争が生じた場合に

女性・妻の名義で原告 被告にな る

特に両班の婦人が法廷に直接出席することは好ましくないので子

婿

姪や奴婢が訴訟代理人また は使者として訴訟に臨むようになっている51)

このようなことから考えると

當時の女性の地位は決して低い ものではなかったと思われる

(b)日本の婚姻風習と妻の地位

日本の婚姻風習は

婿入婚(むこいりこん)から嫁入婚(よめいりこん)への移り変わりからみることができ る

奈良(710〜784年)・平安時代(794〜1184年)に庶民や公家の間で行われた婿入婚は村内婚が普 通であった

村内婚は當人同士の恋愛から始まることが多く

新婚2〜3日後に妻の実家で ところあらわ し(所顕し) (結婚の成立を披露する宴)と呼ばれる披露目の儀礼が行われてから夫は妻の家に数ヶ月 通い

その後夫婦は新居

又は夫の家で暮らした

鎌倉時代(1185〜1333年)以降普及した嫁入婚で は村外婚が普通であった

村外婚では 家 の繁栄・存続のため

結婚相手を選ぶ際に身分や家の格 式が重んじられた

そのため婚姻は當人たちの意思に関係なく

婿の父親の意思により未知の男女が引 き合わされた

そして嫁入りの儀礼が行われ

男女は最初からずっと男の家で暮らした

また

男女双方 の親が合意し

幼ない息子・娘を成人後結婚させる約束をする許婚〔いいなずけ〕という風習は

大百 姓や豪族

武士の間で平安時代から盛んに行われ

江戸時代(1603〜1867年)には一般庶民にも広 まった52)

このような風習は

朝鮮時代の上流社会で男女が10歳になる前にも納采(男の側が女の家に 婚姻を求める儀礼

婚約の表示)を行う序壻婚という風習に似ているところがあるように思われる

日本における旧来の家族制度のもとにおいて婚姻は

三つの特徴を持っていると解されている

1)結婚は

個人と個人とのことというよりは

むしろ 家 と 家 とのこととされた

すなわち

結婚は個人 の問題でなく

家 の問題であった

例えば

渡辺太郎君と鈴木花子さんとが結婚するということは

太 郎君個人と花子さん個人とが夫となり妻となるというよりはむしろ

花子さんが渡辺 家 の嫁になることであ る

つまり

結婚を機に花子さんは

それまで育ってきた鈴木 家 を去って

渡辺 家 に入る

このような 考え方 観念に照応して

明治31年(1898)に制定された明治民法788条は ①妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ 家ニ入ル

②入夫及び婿養子は妻の家に入る と定めたのである

明治民法起草者の梅謙次郎は

こ の規定について 本条ハ婚姻ノ結果トシテ當然妻ハ夫ノ家ニ入ルヘキコトヲ定メタルナリ雖モ入夫婚姻及ヒ 婿養子縁組ノ場合ニ在リテハ夫去テ妻ノ家ニ入ルヘキハ是亦慣習上當然ト謂ハサルコトヲ得ス 53)と解し 51) 朴秉濠‧韓国の伝統社会と法(ソウル大学校出版部, 2004年)p.163

52) 中尾英俊․日本社会と法(日本評論社, 1994年)p.102参照 53) 梅謙次郎‧民法要義(親族編)<復刻板>(有斐閣, 1985年)p.144

ている

2)上記1)に関連して

結婚する當事者個人の意思よりはむしろ親の意思(ないし 家 の意思)の方 が

結婚を成立させる上で決定的な力をもっていた

したがって

結婚の當の本人は

結婚する 主体 というよりは

むしろ結婚させられる 客体 の観がある

つまり

家族制度のもとでは

子は親の命令の下 で

あるいは統制の下で結婚すべきものであるとされていたわけで

それが家族制度の結婚の倫理であ り

また

事実

そのように行われていたというのが

明治民法時代の結婚の常態であった

3)結婚生活においては

妻は夫に対して従属的な地位に立った

すなわち

夫婦の地位は平等では なかった54)

ここで上記3)について若干立ち入ってみる

明治民法14条は

妻が 借財又は保証ヲ為スコト

不動産又ハ重要ナル動産ニ関スル権利ノ得 喪ヲ目的トスル行為ヲ為スコト

訴訟行為ヲ為スコト などには

夫ノ許可ヲ受ケルコトヲ要ス と定め て

妻は独自的に有効な法律行為を行うことができず

夫の許可を受けなければならなかった

明治民 法起草者の梅謙次郎は

妻の行為能力の制限理由について

婦人ハ婦人トシテ無能力ナルニ非ス故 ニ処女及ヒ寡婦ハ其能力ニ於て男子ト異ナルコトナキヲ原則トス唯妻ハ妻トシテ(即チ婚姻ノ結果ニ因 リ)55)無能力ナリ其理由ハ天ニ二日ナク国にニ王ナキト一般家ニ二主アリテハ一家ノ整理ヲ為スコト能ハ ス故ニ今日ハ家ニ必ス戸主アリ…然レトモ…親権

夫権ノ発達ヲ見ルニ至レリ…夫権ハ主トシテ妻ガ重 大ナル法律行為ヲ為サント欲スルニ方リ之ヲシテ夫ノ許可ヲ受ケシメ以テ其行為能力ヲ制限スルニ由リテ 行ハル 56)と説き

妻の行為無能力の理由について述べている

明治民法起草者の富井政章は

日本の古来の慣習によれば

妻は夫に対して殆んど無制限なる服 従の義務を負い

殊に自己の財産を有することは稀にして諸般の法律行為は夫の黙示の委任によりその 代理人としてその行為をなすものと見て

妻ノ無能力ハ夫権ノ効果ニシテ畢竟一家ノ秩序及ヒ利益ヲ保 持スル必要ニ基クモノト謂ヘシ 57)と述べている

 

いずれにせよ

上記の1)

2)の特徴は韓国の婚姻風習と似ているように思われるが

韓国の場合に妻 は

夫の許可を得ずに独自的に有効な法律行為(売買契約や訴訟行為など)をなし得る点では異なる

朝鮮高等法院は

妻の行為能力を認めていない明治民法(14条)を適用しなかった

すなわち

妻カ重 要ナル法律行為ヲ為スニ付テハ夫ノ許可ヲ受クルコトヲ要スルモ遺贈ヲ為スニ付テハ夫ノ許可ヲ受クルコト

54) 以上は, 川島武宜/来栖三朗の外2人‧家族法相続法講話(日本評論社, 1970年)p.23以下参照 55) 富井政章‧民法原論(総論)<復刻板>(有斐閣, 1985年)p.168

56) 梅謙次郎‧民法要義(総則編)<復刻板>(有斐閣, 1985年)p.39 57) 富井政章‧前揭書p.168

ドキュメント内 제8회 한일학술포럼(선명) 수정0830.hwp (ページ 87-106)