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ラシーヌは『イフィジェニー』「序」の後半に次のように述べる。

すべてホメロスやエウリピデスから模倣したものが我々の〈舞台〉で挙げたる効果 によって、良識や理性があらゆる〈世紀〉を超えて同じであることを確信できて喜 ばしく思った。パリの趣味は古代アテネのそれと同じということを見出したのだ。

我が〈観客〉はかつてギリシアの最も賢明なる人民に涙を流させ、あらゆる詩人の 中でエウリピデスは極めて悲劇的であり、言い換えれば〈悲劇〉の真の効果である 憐れみと怖れ (la compassion et la terreur) を見事に(merveilleusement) 喚起すること を知っていると言わしめた、その同じことに感動したのだ32

そして、いよいよ『アルセスト批評』に言及する。

それなのに最近、〈近代派〉33たちがその《アルセスト》で下した判断の中で、この 偉大な〈詩人〉に対してひどく嫌悪感を示したことに驚く。私のこの序文は《アル セスト》作品についてではない。しかし、実際私はエウリピデスに多くの恩義を受 けているので、彼の追憶にいくばくかの心配りをし、これらの近代派の〈諸氏〉34と 詩人とを仲直りさせる機会を逃してならないと考える35

このようにラシーヌは後半の論を進めていく。ラシーヌは自分がエウリピデスに恩義を 受け、自分の《イフィジェニー》が好評を持って受け止められたことを「パリの趣味は古 代アテネのそれと同じということを見出した」とする。これはペローの「古代の趣味は現 代のフランスのそれとは合致しない」とする『アルセスト批評』に対するアンティ・テー ゼであろう。しかしながら前節で見たように、ラシーヌ自身同じ「序」でエウリピデスに よるイフィジェニーの牝鹿への変身を「エウリピデスの時代は信じられていたが、われわ れの時代ではあまりにばかばかしく、あまりに信じがたいもの」であり、「とうてい信じ られないゆえに我慢できない奇跡 (un miracle) 」であるとし、ゆえにエリフィールという

32 Jean Racine, « Préface d’Iphigénie » dans Œuvres complètes, t. I, Théâtre-Poésie, éd. Georges Foresties, op. cit., p. 699. « J’ai reconnu avec plaisir par l’effet qu’a produit sur notre Théâtre tout ce que j’ai imité ou d’Homère, ou d’Euripide, que le bon sens et la raison étaient les mêmes dans tous les Siècles. Le goût de Paris s’est trouvé conforme à celui d’Athènes. Mes Spectateurs ont été émus des mêmes choses qui ont mis autrefois en larmes le plus savant peuple de la Grèce, et qui ont fait dire, qu’entre les Poètes, Euripide était extrêmement tragique, [...]

c’est-à-dire qu’il savait merveilleusement exciter la compassion et la terreur, qui sont les véritables effets de la Tragédie. »

33 この «des Modernes»という大文字表記は前述したペローの『アルセスト批評』に使用された用語を繰 り返したものと考えられている。本論96頁註42参照。

34 渡邊はラシーヌがこの人たち«ces Messieurs»と大文字で書くことによって、ペローの背後にある近代派 と彼らの支持するオペラ作者への攻撃を向けたと取れるとする。渡邊清子、前掲論文、8頁。

35 Jean Racine, « Préface d’Iphigénie » dans Œuvres complètes, t. 1, Théâtre-Poésie, éd. Georges Foresties, op. cit., p. 699. « Je m’étonne après cela que des Modernes aient témoigné depuis peu tant de dégoût pour ce grand Poète dans le jugement qu’ils ont fait de son Alceste. Il ne s’agit point ici de l’Alceste. Mais en vérité j’ai trop d’obligation à Euripide, pour ne pas prendre quelque soin de sa mémoire, et pour laisser échapper l’occasion de le réconcilier avec ces Messieurs. »

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エピソードを付け加え、現代の観客が納得し感動する大団円にしたとする言及とは矛盾を きたしているのではないだろうか。やはり、ラシーヌは現代の趣味と古代のそれとの差異 を認識していたと考えざるを得ないと思われる。

続いてラシーヌはペローが間違っている点を具体的に順次並べて、徐々に攻撃の爪を研 いでいく。第一にエウリピデスの『アルケスティス』のなかには一つの最も驚くべき場面

(une Scène merveilleuse)

がある36。それは死に赴くアルケスティスとアドメトスの最後の別

れの場面である。それを近代派がどう解釈したか。近代派はギリシア語の原典に当たらず、

ラテン語訳を参照したために重大な過ちを犯した37。このように、ラシーヌはペローの間 違いを指摘する。

この箇所は前述のペローの『アルセスト批評』でも説明したが、アドメトスの後に来る アルケスティスの台詞を示す表記が欠落していたため、ペローはアドメトスの台詞が続い ていると勘違いした箇所である。ペローは、アドメトスがカロンの舟に早く乗れと妻を急 かし死に追いやったと解釈し、非難した。ラシーヌはそう勘違いしたならば「それが諸氏 にとってきわめて....

野卑..

に.

思えたのは当然である」と二重の皮肉を籠める。

ラシーヌ研究家フォレスティエは、近代派がエウリピデスの欠点をあげつらうのは、彼 の原典を正しく読む力がないからだということをラシーヌは示したと述べる38。そして続 いてフォレスティエはこう注釈する。ラシーヌはキノーの《アルセスト》については一言 も述べない。「何故なら彼が問題にしているのはオペラそのものではなく、古代との関係 性なのであるからだ39」。このように注釈するフォレスティエにとっては、キノーの戯曲

《アルセスト》そのものは批判する価値もないという、ラシーヌの「序」で取る姿勢を代 弁しているかのようである。

しかし、ペローがこの箇所で夫婦の会話を混乱して解釈したとしても、ラシーヌが指摘 するようにこの場はエウリピデスの最も美しい場面と言えるであろうか。われわれはすで にエウリピデスの『アルケスティス』原作を検討し、アドメトスは自分が助かりたいため に妻アルケスティスの命を犠牲にしたことを確かめた。ラシーヌは妻が死に行くことに対 してのアドメトスの悲嘆「私も一緒に連れて行ってくれ」という一連の詩句を引用し、エ ウリピデスのこの場の悲劇的な美しさを強調する。しかしながらエウリピデスではアルケ スティスが死んだ後、アドメトスは皆が自分を卑怯者だと噂するだろうと気に病んでいる。

ペローが批判するように、いくら死に赴く妻に悲痛に満ちた台詞を並べても、それならも ともと死すべきだった自分が順序通り死を選ぶことはせず、妻を身代わりにするアドメト スは卑怯な夫だという謗りは免れ得ないと思われる。よって、この場面がラシーヌが指摘 するように悲劇的で美しい場面であるとは言い切れないと考える。

第二のラシーヌの批判は、『アルセスト批評』ではアルケスティスを年経た妻と解釈し ているが、「花のさかりに入ったばかり、若い夫のために死ぬ」とコロスは歌っているで はないか。またアルケスティスに結婚適齢期の一男一女がいるとしているが、二人ともま

36 Ibid., p. 699.

37 後にペローはこの点について反論し、この誤植のあった版はギリシア語訳でラシーヌが指摘するよう にラテン語訳ではなかったことを明らかにする。本論131頁参照。

38 Georges Forestier, Jean Racine, op. cit., p. 524.

39 Ibid., p. 525.

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だ幼子であるとラシーヌは誤りを糺す。この箇所については、ペローの『アルセスト批評』

の章ですでに触れたが、ペローの誤解の一因として息子のエウメロスに幼子とは思えない 台詞が与えられていることも確認した40

そしてラシーヌは近代派の「ほかの非難もほとんどこの程度のものである。しかし私の

〈著者〉への擁護はこれで十分であると思う41」として、反論を切り上げる。こうしてラ シーヌは、ペローが筋の展開からエウリピデスの原作とキノーの戯曲を比較しながら詳細 に問題を設定して行ったキノー擁護論には、まともに正面から答える必要もないという態 度を示す。

そして次が留めの文言で、「これらの〈方々〉には〈古代〉の作品に関しては、これか らは軽々しく論評を加えないようにお勧めする42」として、古代ローマ時代の修辞学者ク インティリアヌス (Marcus Fabius Quintilianus) の言葉を持ち出す。

優れた〈人たち〉の〈作品〉について判断するときは、多くの例に見られるが、われ われが理解できぬものは非難しないように、きわめて慎重に控えめでなくてはならな い。いずれかの極端になるとするならば、その著作の多くを非難する罪をおかすより、

すべてを褒める罪をおかすほうがましではないか43

これでラシーヌは「序」を終えている。

ラシーヌはあらゆる詩人の中でエウリピデスは極めて悲劇的であり、言い換えれば「〈悲 劇〉の真の効果である憐れみと怖れ

la compassion et la terreur」を見事に merveilleusement

喚起することを知っていると述べる。しかしながらペローもアンティゴーヌの例と共に、

アドメートがアルセストの死を知ったとき、演劇の効果である、「〈観客〉の心に同時に 怖れと憐れみ

l’horreur et la compassion

をこの上なく抱かせる44」としていることをわれわ れは見た。「序」の最後で、クインティリアヌスを持ち出し、ペローのエウリピデス批判 に対して「われわれが理解できぬものは非難しないように」そして「その著作の多くを非 難する罪をおかすより、すべてを褒める罪をおかすほうがましではないか」と、一方的に ペローの悲劇論の理解や認識のなさを非難するラシーヌであるが、ペローが従来のアリス トテレス以来の教義をもって、キノーの変更を詳細に擁護してきたことはすでに確認した。

それまでのペローの宮廷での公式詩人としての立場、またコルベールの片腕としての王 室建造物監督官、「小アカデミー」の一員、「アカデミー・フランセーズ」の中枢にいる 地位、しかも若い無名の時に取り立ててもらった恩義あるペローに対して、ラシーヌの批

40 本論85頁参照。

41 Jean Racine, « Préface d’Iphigénie » dans Œuvres complètes, t. I, éd. Georges Foresties, op. cit., p. 701. « Tout le reste de leurs critiques est à peu près de la force de celles-ci. Mais je crois qu’en voilà assez pour la défense de mon Auteur. »

42 Ibid., p. 701. « Je conseille à ces Messieurs de ne plus décider si légèrement sur les ouvrages des Anciens. »

43 Ibid., p. 701. « Il faut être extrêmement circonspect et très retenu à prononcer sur les Ouvrages de ces grands Hommes, de peur qu’il ne nous arrive, comme à plusieurs, de condamner ce que nous n’entendons pas. Et s’il faut tomber dans quelque excès, encore vaut-il mieux pécher en admirant tout dans leur écrits, qu’en y condamnant beaucoup de choses. »

44 Charles Perrault,Critique de l’Opera, ou examen de la tragedie intitulée Alceste, ou le Triomphe d’Alcide, op.

cit., p. 55. « [...] ce passage [...] produit dans l’esprit des Spectateurs tout l’effet que le Theâtre se propose, qui est d’émouvoir souverainement l’horreur & la compassion en mesme temps. » 本論92‐93頁参照。