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秋山は

2011

年の論考において《アルセスト》をギャラントな美学で論じ、「トラジェ ディ・アン・ミュジックは悲劇でも、喜劇でもなく、従来のジャンルを超越しようという 野望を持っていた28」とする。そのギャラントな美学は多様性を持ち、やがて来るロマン 主義のユゴー (Victor Hugo) の

1827

年『クロムウェル

Cromwell』「序」における「崇高さ

とグロテスクという二つのタイプの全く自然な結びつき」を予告したと論じている29

ノーマンが言うように、《アルセスト》におけるキノーの喜劇と悲劇の混在から、従来 の古典主義規則における二つの演劇の明確な区別を超越しようとする試みを読み取る考え は、

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世紀の悲喜劇を得意とする作家であったキノーの「あらゆる種類の文学的な文体を 合体し、駆使する」その多形で多様性に満ちた文体からは感じ取れると思われる。そして、

そこに秋山の述べるように、やがて来るロマン主義文学の一つの前触れとなった様式を見 ることは否めないと思われる。

しかし一方で、ここにはかつてキノーが得意とした悲喜劇の様式の名残を見ることが可 能であると筆者は考える。なぜならキノーは《アルセスト》において悲劇と喜劇の混在を 批判された後、次第に喜劇的要素をトラジェディ・アン・ミュジックから除外していくか らである。

1670

年代、時代は次第に単純な悲劇の筋立てに純化洗練されていく傾向があっ た。キノーも次作の《テゼー》では喜劇的要素のエピソードを

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箇所のみに限り、翌年の

《アティス》以後はすべて省くこととなる。ペロー自身も《アルセスト》の悲劇と喜劇の 混在には、その概念の革新性から擁護を行っているのではなく、レトリック上の対比の原 則に論の重心を置いていると思われる。

クレオンが述べる第四のキノーが付け加えた点は、第二と重なるが「アドメートは戦い で瀕死の重傷を負う、その若々しい戦士の出で立ちのほうが、年老いた老人の病人より舞 台栄えする」という擁護である。

オペラの主人公は若々しく美しい男女である必要性をペローは重ねて説いている。オペ ラの趣向は宮廷の祝祭からの伝統を引き継ぎ、豪奢で華美な舞台装置や衣装が用いられた。

また「ルイ

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世時代の宮廷風俗は、女性の衣装よりも男性の衣装が華美かつ豪奢になった 稀な事例30」だと言われている。機械仕掛けの超自然的な「驚くべきもの」の出現と共に、

舞台上で演じる主人公の姿に悲壮さと高貴さをもたらし、観客に「驚くべきもの」の効果 を与えるためにも、視覚的な美しさが要請されたのであろう。そこにボーサンが形容する ように「王をそのまま映した鏡」としてオペラを見る視点も、ペローの「小アカデミー」

の一員としての立場を考えれば可能であると思われる。

第五として機械仕掛けで降りてきたアポロンが、アドメートの身代わりになる徳高い者 を讃えるため寺院と彫像を造ると宣言する場面をペローは指摘する。寺院と彫像は技法の 神々によって即座に稲妻から彫られるのだ。

27 Ibid., pp. 121-122.

28 Nobuko Akiyama, « Alceste de Quinault et de Lully », 青山フランス文学論集復刊、東京:青山学院大学、

2011年、27頁。

29 同上、30頁。

30 Philippe Beaussant, Versailles, Opéra (Paris: Gallimard, 1981), p. 22. 渡邊守章『劇場の思考』東京:岩波書 店、1984年、147頁。

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このような尋常でない美徳の行為に対して、〈神〉によって褒賞を与えると宣告させ るのは非常に適切であるだけでなく、その〈記念碑〉はとても美しく、また特に奇跡 的な〈装置〉になるのです31

続いてクレオンは、アルセストの彫像によって、彼女が自刃して果てたという事情が一 瞬にして分かり、この辛い場面を描写する長い会話が省略できるとその利点を加える。

ここには超自然的な「驚くべきもの」を「非常に適切である

tres-convenable」として肯

定し、その奇跡により美しい装置が舞台上に表現されることを称賛するペローがいる。ペ ローはこの超自然的な「驚くべきもの」が悲劇の要素として肯定されるためには、当時悲 劇の必須要件とされた「真実らしさ」とどう折り合うかという問題には「適切である」と するだけで解決している。

この場合の「適切さ」とは、コルネイユの定義を用いることが可能であろう。コルネイ ユの章で前述したように、彼は「神話・伝説がわれわれに伝える神々や彼らの変身はすべ て不可能なことであるが、それでもそれが語られるのを聞くのに慣れ親しんできたという われわれ共通の認識、および伝説の理解によって、ほんとうと信じられるといわざるを得 ない32」としている。クレオンの言う「尋常でない美徳」、普通の人間には成しえない気 高い決心に応える神の奇跡的な褒賞行為は、われわれ人間には不可能であるが、アリスト テレスによれば「神々が全知全能であることをわたしたちは認めるから33」、そしてコル ネイユ曰く「われわれ共通の認識および、伝説の理解によってほんとうといわざるを得な い」のだ。この二人の擁護でアポロンのなす超自然的な「褒賞」は「適切なこと」として、

「真実らしさ」を請合われるであろう。

そして、確かにクレオンが言うように、剣で自分の胸を貫くアルセストの彫像が開示さ れた時のアドメートの驚愕は、多言を弄するより視覚的な表象によりもっと衝撃的なもの となるであろう。

アルセストの死を知ったアドメートの苦悩と関連してクレオンは第六として、アリスト テレスから例を引いて語る。クレオンによれば、アリストテレスは『アンティゴーヌ』に おいて、恋人エモンが父から結婚の許しを得て歓喜のあまり、父によってアンティゴーヌ が閉じ込められた地下牢へ急ぐと、アンティゴーヌはすでに絶望から息絶えていた場面、

それを想像できるうちで最も美しいものの一つと言及している。アリストテレスを引いて、

クレオンはこの場面を次のように説明する。

アリストテレスは次のように言っています。すなわちこの非常な喜びから耐え難い苦 痛への突然の変化は、

[...]

〈 観客〉の心に同時に怖れと憐れみをこの上なく抱かせる

31 Charles Perrault, Critique de l’Opera, ou Examen de la tragedie intitulée Alceste, ou le Triomphe d’Alcide, op.

cit., p. 53. « Outre qu’il est tres-convenable de faire proposer par les Dieux des recompenses pour les actions d’une vertu extra-ordinaire, ce Monument fait une Decoration tres- belle & tres-surprenante. »

32 本論文19頁参照。

33 本論文6頁参照。

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という、〈演劇〉が提示する効果のすべてを作り出すと34

クレオンによれば、アリストテレスは『アンティゴーヌ[=アンティゴネ/ソポクレス作]』 におけるエモンの歓喜から悲嘆への急転回は、観客に「怖れと憐れみ」を与えると述べて いる。クレオンはこのエモンの心境とアドメートは同じ状況に置かれると説明する。自分 の傷が治り、これからアルセストと共に生きようと歓喜のうちに彼女の姿をあらゆる場所 に探したところ、開帳された寺院の彫像でアルセストが自刃したこと、しかも自分の身代 わりになったと知った時ほど悲痛で絶望的な思いをすることはない。エモンよりも癒され ることの無い苦悩であると述べる。

このクレオンの解釈箇所は、アリストテレスの指摘する幸福から不幸のどん底へと突き 落とされる主人公の逆転、観客の予期しない「急転回」の場面であり、ペローがキノーの 戯曲から悲劇の基本的要素である「驚くべきもの」の概念の生じる場面を引き出して解説 した部分である。ここにおいてペローは、シャプランが説き、自らも『辞典』で確認する ことになる悲劇の「驚くべきもの」の基本理念を、みずからの演劇美学として明確に提言 している。

第七にキノーが付け加えた点は、アルシードがアルセストとアドメートの変わらぬ愛を 目の前にし、アルセストを返すことを決心する場面である。この場をクレオンはこの戯曲 の中で一番美しい箇所であると称賛する。クレオンは続ける。個人的な恋の炎に打ち克ち 真の栄光を手に入れたアルシードの栄誉、その英雄的な美徳が悲劇の解決を導きだす。ア ルシードは危険を冒して連れ帰ったアルセストを我がものにしたいにもかかわらず、最後 には恋よりも名誉を取り、彼女をアドメートに返す。エウリピデスではアルセストとアド メートの愛しか語らない。アルシードは半神である。人間的弱さと偉大で真摯な資質が交 じりあった存在であるが、最後に冥界に勝利し、自分自身にも打ち克った真の英雄である。

〈天〉は彼[=アルシード]を偉大な行為を成さしめるために〈地上〉に送ったのです。

すなわち〈怪物たち〉や〈暴君たち〉、〈死の神〉、〈冥界〉を手なずけ、ついには 自分自身をも克服し、その栄光をほかのすべての者に分け与えるべく。そしてこの〈悲 劇〉は次のような美しい〈詩句〉で終わりを告げます。

寛大なるアルシードよ..........

、勝ち誇れ....

!幸いなる夫妻よ.......

、平和に生きよ......

! この言葉がこの〈戯曲〉を通しての主題であり、内容なのです35

そして、もし、「この種の作品がいくばくかの倫理性を持っていなかったならば、ただ の空しいお遊びにしか過ぎず、思慮分別のある人間の興味を喚起するには値しないと信じ

34 Charles Perrault, Critique de l’Opera, ou Examen de la tragedie intitulée Alceste, ou le Triomphe d’Alcide, op.

cit., p. 55. « Aristote dit, que ce passage subit d’une grande joye à une grane douleur [...], produit dans l’esprit des Spectateurs tout l’effet que le Theâtre se propose, qui est d’émouvoir souverainement l’horreur & la compassion en mesme temps. »

35 Ibid., pp. 59-60. « [...] le Ciel l’a donné à la Terre pour faire de grandes actions; pour dompter les Monstres & les Tyrans, la Mort & les Enfers, il doit aussi se surmonter luy-mesme, & ajoûter cette victoire à toutes les autres. Aussi la Tragedie finit-elle par ces beaux Vers / Triomphez genereux Alcide, / Vivez en paix heureux Epoux, /

qui marquent le sujet & la substance de toute la Piece. »