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続いてクレオンは古代の〈作者〉が優れている点と現代が勝っている点を列挙する。彼 によると古代の〈作者〉が優れている点は、〈自然〉の物事や人間の心の感情に関する描 写、すべての表現に関することとする40。現代の〈作者〉が優れているかもしれない点と してクレオンは条件法を用いるが、先立つ世紀の仕事や研究が存在するという有利さで、

「適切さ=節度ビ ア ン セ ア ン ス

」、秩序、構成、配置や各部分の整合性とする41

次にクレオンは後の新旧論争でも用いられるようになった古代派(Anciens)、近代派

(Modernes)という大文字を使う。彼は双方の立場を「一方で〈古代派〉への侮辱はそれ を研究するものにとっては気持ちを害された気分であろうし、もう一方で〈近代派〉への 侮辱はこの〈世紀〉の巧みな作家にとってはまさに憤慨を覚えるという理由で、同じよう に困った結果になる42」と述べる。

続けてアリスティップが行う問題提起は超自然的な「驚くべきもの」についてである。

彼はこう言う。「舞台に必要もなくしょっちゅう現われる神々の存在を私に正当化してく

ださい。

[...]それはホラティウス (Quintus Horatius Flaccus)

の教えに全く反することではな

いですか。彼は機械仕掛けの神々を批判し、通常の自然なやり方では解決できない結末で しか用いてはならないと言っています。またエウリピデスは機械仕掛けの神々を用心して 使っています」。

それに対してクレオンは、半可通の大きな欠点の一つは半分しか理解しないこと、ある いはアリストテレスやホラティウスの教訓を間違って適用することで、あなたが主張され た問題はとても良い点で、喜劇や悲劇においてはぜひとも留意すべきことだと答える。続 いて「しかし〈オペラ〉や〈機械仕掛け劇〉はホラティウスの時代には用いられなかった ので当時守られた〈規則〉に従わせることはできないのです43」と断定する。

39 Charles Perrault, Critique de l’Opera, ou Examen de la tragedie intitulée Alceste, ou le Triomphe d’Alcide, op.

cit., pp. 61-62. « Vous avez pû remarquer quand j’ay loüé nostre Autheur de n’avoir pas imité Euripide en plusieurs endroits, ce n’a pas esté parce que je trouve ces endroits-là absolument mauvais; mais parce qu’ils ne sont pas conformes aux mœurs de nostre Siecle. Ainsi, quelques bons & quelques divins que soient les sentiments d’Euripide, par rapport aux mœurs de son temps, [...] »

40 Ibid., p. 63. « [...] les Autheurs anciens ont eu plus de genies que ceux de ce temps icy pour la description des choses de la Nature, des sentiments du cœur de l’homme, & pour tout ce qui regarde l’expression. »

41 Ibid., pp. 63-64. « [...] comme la bien-seance, l’ordre, l’œconomie, la distribution, & l’arrangement de toutes les parties; [...] il se pourroit faire que les derniers Siecles ont de l’avantage en ces sortes de choses, parce qu’ils ont profité du travail & de l’estude de ceux qui les ont precedez. »

42 Ibid., pp. 64-65. « Parce que si d’un costé le mépris des Anciens est une disposition tres-mauvaise pour ceux qui estudient; d’un autre costé, le mépris qu’on fait des Modernes, est aussi d’une fâcheuse consequence, à cause de la juste indignation qu’en peuvent concevoir les habiles gens de ce Siecle, [...] » 後にラシーヌが『イフィジェニー』

の「序」で近代派(Modernes)という用語を使ったのも、ここから引用したのであろうと言われている。

William Brooks, Buford Norman et Jeanne Morgan Zarucchi éd. « Critique de l’Opera, ou examen de la tragedie intitulée Alceste, ou le triomphe d’Alcide », Alceste suivi de La Querelle d’Alceste, op. cit., p. 98,. not. 11. 公式の 新旧論争は16871月王の手術からの回復を祈りペローは自作のルイ14世時代を讃える詩「ルイ大王の 世紀」を、ラヴォー師 (abbé de Lavau) に読んでもらった。ここから正式に「新旧論争」が始まる。

43 Charles Perrault, Critique de l’Opera, ou Examen de la tragedie intitulée Alceste, ou le Triomphe d’Alcide, op.

cit., p. 67. « [...] mais non pas dans les Opera ou Pieces de Machines, qui n’estant point en usage du temps d’Horace, ne peuvent estre sujettes aux Loix qui en ont esté faites de ce temps-là. » William Brooks, Buford Norman et Jeanne Morgan Zarucchi éd. « Critique de l’Opera, ou examen de la tragedie intitulée Alceste, ou le triomphe d’Alcide », Alceste suivi de La Querelle d’Alceste, op. cit., p. 99.

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ここでペローは、機械仕掛けについてのアリストテレスの理論は用いない。アリストテ レスは「機械仕掛けを用いる必要があるとすれば、それは劇の外のことがら、すなわち人 間が知ることのできない過去の出来事か、あるいは予言や報告を必要とする未来の出来事 についてである。というのは、神々が全知全能であることをわたしたちは認めるからであ る44」と述べた。しかし、ここでペローは

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世紀後半の時点で、現在弁護の論を展開して いる《アルセスト》のようなオペラ、そして『プシシェ』に代表される大掛かりな機械仕 掛け音楽劇に限定して答えていると思われる。オペラや大掛かりな機械仕掛けの音楽劇は 確かにホラティウスの時代には存在しなかった。よってその教訓に従う必要はない。この ことについてノーマンはペローとしては《アルセスト》に古典悲劇の基準を当てはめよう としたのではなく、むしろ新しいジャンルの文学としての基準を適用しようとしたと述べ る。そして「ホラティウスの時代にはトラジェディ・リリック45はなかったので、その規則 からオペラを除外しようとする点で、ペローの取った態度は明瞭だ46」とする。

確かにここでのペローは、オペラや機械仕掛け劇の革新性ゆえに古代の規則からの逸脱 が許され、新しい規則が適用されることを述べていると思われる。ホラティウスの時代に 存在しなかったトラジェディ・アン・ミュジックは、ペローによるとその教えに従う必要は ないのだ。ここまではアリスティップの機械仕掛けで登場する神々についての質問に対す るクレオンの返答である。つまりわれわれが定義した二つの「驚くべきもの」においては、

超自然的な狭義の「驚くべきもの」についてのクレオンの考えであるといえよう。

続いてクレオンはアリストテレスの演劇の基本理念から、もう一つの「驚くべきもの」

に言及する。

アリストテレスたちは〈戯曲〉を取り扱ってこう言いました。そこで特に留意すべき 点がある。真実らしさ

le vray-semblable

と驚くべきもの

le merveilleux

だと47

ここでペローが言及する「驚くべきもの」とは、それがアリストテレス『詩学』から引 かれている以上、作劇上の基本要素とされる、「筋書きミ ュ ー ト ス」の展開からもたらされる「驚く べきもの」、つまりタウマストンについて述べていると思われる。ペローの長年の僚友で あったシャプランが定義した、劇作の基本要素としての「真実らしさ」と「驚くべきもの」

について、ペローによって同じ定義が言及されている。

次にクレオンはこの「真実らしさ」と「驚くべきもの」の概念を用い、具体的に演劇の 区別を行う。

44本論文6頁参照。

45 トラジェディ・アン・ミュジックの同意語として1770年カユザック (L. de Cahusac) により規定された とされる。E. Lemaître, art. « tragédie en musique ou tragédie lyrique » dans Dictionnaire de la musique en France aux XVIIe et XVIIIe siècles, dir. M. Benoit ( Paris: Fayard, 1992), pp. 684-685.

46 Buford Norman, « Ancients and Moderns, Tragedy and Opera: The Quarrel over Alceste » in French Musical Thought 1600-1800, op. cit., p. 181.

47 Charles Perrault, Critique de l’Opera, ou Examen de la traedie intitulée Alceste, ou le Triomphe d’Alcide, op. cit., pp. 67-68. « Aristote & les autres qui ont traité des Pieces de Theâtre, ont dit qu’il y avoit deux choses

particulierement à y observer, qui sont le vray-semblable & le merveilleux, [...] »

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〈喜劇〉では真実らしさ以外はなく、一方で〈悲劇〉では驚くべきものは節度がある のなら認められます。よって悲劇に超自然的な何かの出来事を混入せざるをえなかっ たり、何がしかの〈神々〉を介入させねばならない時、そこには必然性が見られるの です48

ここに来て、クレオンの「驚くべきもの」の概念に変容が見られる。それはアリストテ レスのタウマストン、悲劇で用いられる筋の展開によってもたらされる「驚くべきもの」

の概念から、超自然的な「驚くべきもの」へと限定され、変位している。もともとアリス ティップの問題提起が機械仕掛けの神々の妥当性についてであり、それに対する返答のせ いもあるであろう。クレオンはもう一度念を押す。

演劇の〈詩〉を完全に分けるには、まずひとつには〈喜劇〉がありそこでは真実らし さ、すなわち自然で日常的な出来事のみしか認められません。その反対に、尋常でな い超自然的な (extraordinaires & surnaturels) 出来事しか認めない種類があり、それが

〈オペラ〉や〈機械仕掛け劇〉のなすことです。一方で〈悲劇〉はその中間で真実ら しさと驚くべきものが交じりあっているのです49

さらにこうも述べる。

そして〈オペラ〉においては、それらを用いるいくばくかの根拠がある時には、その 類いの奇跡や〈神々〉の出現ほど素晴らしいものはないのです50

ここで、ペローの論が矛盾をきたす。オペラにおける機械仕掛けの正当性を弁護しよう とするあまり、論の前半部でキノーの戯曲において、その筋を丁寧に追いながら従来の古 典主義において模範とされたアリストテレス以来の演劇規則に則って擁護していた「驚く べきもの」が、最後に「オペラや機械仕掛け劇では尋常でない超自然的な出来事しか認め ない」となり、「驚くべきもの」を超自然的なものに限定してしまっている。キノーの戯 曲の筋の展開から来る「驚き/称賛」と「超自然的なものしかないオペラ」という矛盾し た論は何処から来るのか。

これまで見たように古典悲劇においては、機械仕掛けを用いる神々の介入に象徴される 超自然的な「驚くべきもの」は、ロトルーの時代と異なり

1670

年代には次第に使用は認め られなくなっていた。しかし後に見るようにラシーヌの『イフィジェニー』や『フェード

48 Ibid., p. 68. « [...] dans la Comedie il ne doit y avoir rien que de vray-semblable; au lieu que la Tragedie admet le merveilleux, mais avec moderation, en sorte que si l’on est obligé d’y méler quelques incidens surnaturels, &

d’introduire quelques Divinitez, il y paroisse de la necessité; [...] »

49 Ibid., pp. 68-69. « Pour rendre la division du Poëme dragmatique parfaite, il faloit que comme une des especes, qui est la Comedie, n’admet que le vrai-semblable, c’est à dire, que des évenements naturels & ordinaires, il y eust une espece opposée qui n’admist que des évenements extraordinaires & surnaturels, & c’est ce que font les Opera &

Pieces de Machines pendant que la Tragedie tient le milieu, estant mélée du merveilleux & du vray-semblable. »

50 Ibid., p. 70. « Et rien n’est plus beau dans les Opera, que ces sortes de miracles & d’apparitions de Divinitez, quand il y a quelque fondement de les introduire. »