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これまで、主に《アルセスト》を中心にキノー/リュリのトラジェディ・アン・ミュジッ クを二つの「驚くべきもの」の概念から検討してきた。従来、オペラにおける「驚くべき もの」とは、18世紀のバトゥー師などが定義した、トラジェディ・アン・ミュジックで多 用される機械仕掛けによる神話の神々の介入や魔法、変身などを指す超自然的な「驚くべ きもの」に限定されて用いられてきた。超自然的な「驚くべきもの」は、

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世紀ラ・ブリュ イエールや現代でもフュマロリの批判に代表されるように、その「子供っぽさ」が指摘さ れ、「真実らしさ」に背くと非難を浴びてきた。しかしわれわれは

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世紀オペラ成立時に はもう一つの本質的な「驚くべきもの」の概念があり、それはアリストテレスのタウマス トン以来の、「筋書きミ ュ ー ト ス」の展開での予期せぬ急転回による驚き、その効果からもたらされ る魂を「驚きと称賛」とで魅了するという概念があることを確認した。その「驚くべきも の」の概念は

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世紀前半シャプランにより定義され、「真実らしさ」とともに悲劇作劇上 の重要な要素とされた。そして、われわれは序論で、この二つの「驚くべきもの」の概念 が混在しているからこそ観客を驚かせ称賛させる、それがオペラの本質なのではないかと 仮定した。オペラには劇のあらすじの展開や人物像から生み出される基本的な作劇上の「驚 くべきもの」の概念に、機械仕掛けという視覚的な「驚くべきもの」の概念が加味され、

それにバレエや音楽という、視覚的にも聴覚的にも観客を驚嘆させ、楽しませる要素があっ た。その二つの「驚くべきもの」が融合し、古典劇の筋の展開からもたらされる「驚くべ きもの」にも従い、しかも超自然的な要素も加味した「驚くべきもの」の表現は、見るも のにある種の怪物性を醸し出し、それがオペラの人々を引き付けて止まない魔力となった のではないか、そしてそのことを最初に考察したのがペローの『アルセスト批評』ではな いだろうか。そういう仮定の下に論を進めてきた。

ペローは『アルセスト批評』で、上記二つの「驚くべきもの」の概念を用い、キノーの 戯曲を擁護している。前半ではアリストテレス以来の古典主義の悲劇理論に従い、キノー の戯曲をその筋の展開から弁護し、それが時代の「適切さ=節度ビ ア ン セ ア ン ス

」に適い、引いては「真 実らしさ」を獲得していること、また予想外の急転回で筋が解決される成り行きを見守る 観客の心に、驚きと喜びの効果が生み出されることなどを論じている。ここでペローはア リストテレスのタウマストンの教義を受け継いだ、シャプランの定義する「驚くべきもの」

の概念から論じているといえよう。ペローはその置かれた社会的役割から「小アカデミー」

や「アカデミー・フランセーズ」でシャプランと緊密な関係を持ち、ペローが深く関わっ た『辞典』における「驚くべきもの」の定義が示すように、彼がシャプランの概念を継承 していることをわれわれは確認した。

後半の「驚くべきもの」には、それまでの筋の展開から来る劇作上の重要な要素として の「驚くべきもの」から、超自然的な「驚くべきもの」への性急な転換と混乱が見られる。

ペローは前半で劇作上の要素である「驚くべきもの」の観点からオペラを擁護していたこ とは無視したかのように、「悲劇には超自然的な驚くべきものと真実らしさが混在し、オ ペラには超自然的な驚くべきものしかない」と断定する。この点についてカンツレルは、

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ペローが時代遅れの理論に従っているとする。カンツレルによるとすでに

1660

年のコルネ イユの『三劇詩論』で、オペラと古典劇とは超自然的な「驚くべきもの」で分けられたと する。よって、カンツレルによると古典劇には超自然的な「驚くべきもの」の要素はすで に排除されていたのだ。

しかし、古代ギリシア悲劇復活を目指すトラジェディ・アン・ミュジックの成立により、

古典悲劇自体も変容を見せていたと思われる。なぜなら、ペローの『アルセスト批評』を 受けて上演されたラシーヌの『イフィジェニー』には、機械仕掛けこそ使われていないが、

ディアーヌの託宣という超自然的な「驚くべきもの」の要素が劇の発端であり、またその 大団円を締めくくっているからである。そこには超自然的な「驚くべきもの」に関して、

機械仕掛けで舞台上に載せるか、「活写法」として俳優の口から語らせるかという表象形 式の違いしかないようにも思われる。

むしろペローの言いたかったことは「ホラティウスの時代にはオペラはなかったので、

オペラはその演劇規則に従う必要はない」ということであったと思われる。トラジェディ・

アン・ミュジックにおいてはすでに機械仕掛けや装置で観客の目を楽しませるために場所 の転換や時間の経緯などで、古典劇の三単一の規則は守られていない。ペローは、オペラ の革新性、現代性を言うために、むしろ古典主義の規則からの逸脱に正統性を与え、オペ ラに新しい理論を与えたかったのではないかと思われる。ペローはオペラ理論の確立者と して、オペラに用いられる超自然的な「驚くべきもの」を新しい作劇上の要素として、オ ペラが古典劇を超えることを意図していた。そこにはオペラの諮問機関である「小アカデ ミー」の一員としてのペローの立場もあった。「小アカデミー」ではオペラにおいて機械 仕掛けで登場するオリンポスの神々に、ルイ

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世時代の栄光と繁栄の表象を担わせるとい う、政治的役割を受け持っていた。

2002

年の著作でトーマスは

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世紀末から

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世紀にか けて活躍した文学者で「王立碑文・文芸アカデミー」会員であったテラソン(Jean Terasson) の次のような言葉を紹介している。テラソンは「オペラは演劇や叙事詩では舞台に乗せな い驚くべきもの......

を舞台で見せるから、より先端を行っていた1」と述べる。テラソンの用い る[=超自然的な]「驚くべきもの」の概念は、ペローの文脈を言い当てているといえよう。

こうして見ると、超自然的な「驚くべきもの」の要素は、カンツレルの言うようにオペ ラと古典劇を分かつものではなく、むしろトラジェディ・アン・ミュジックの流行でその 境界が次第に曖昧になり、『イフィジェニー』に見られるように古典劇サイドにも流れ込 み、そしてトラジェディ・アン・ミュジックでは《アティス》において、次第に人間的な 悲劇的要素に結びつき、《アルミード》において内面化、内在化されるに至ることが分か る。

1674

年『アルセスト批評』を書いたペローは

1686

年《アルミード》成立後、

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巻からな る『古代人と近代人との比較』でオペラにおける超自然的な「驚くべきもの」の必要性を 説いて次のように述べる。

1 Jean Terasson , Dissertation critique sur l’Iliade d’Homere, où à l’occasion de ce Poëme on cherche les regles d’une Poëtique fondée sur la raison, & sur les exemples des Anciens & des Modernes , t. 2, 1ère éd. 1715 (Geneva:

Slatkine, 1971), p. 209. Downing A. Thomas, op. cit., p. 75.

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〈オペラ〉においてはすべてが尋常でないことであり、自然を超えているのです。こ の〈詩〉のジャンルでは作り話過ぎるということはありません。『プシシェ』の話の ように昔の物語はオペラにもっとも美しい主題を提供しますし、それはよく構成され 最も規則だった筋書きよりもより大きい快楽を与えてくれます。

[...]これらのうまく

扱われたキマイラは理性自体に反していても、それを楽しませ、眠らせ、すべての想 像上の真実らしさよりも理性を魅惑するのです2

ここでのペローの超自然的な「驚くべきもの」には、古典劇が信条とする「理性」や「真 実らしさ」を超えようとする過激な文脈が見える。オペラの超自然的な「驚くべきもの」

は古典劇の「よく構成され最も規則だった筋書き」よりも「より大きい快楽」を与えてく れるのだ。そしてペローのこの「オペラはキマイラ」という表現は、同時代のラ・ブリュ イエールの「オペラは魔法」という言説を思い起こさせるであろう。彼は

1688

年、オペラ の「機械仕掛けは子供騙しでしかなく、マリオネットでしかないと酷評しながらも、そ の抗し難い魔力を次のように述べる。

機械仕掛けはフィクションを増大させ飾り立て、観客の心に演劇の喜びそのもので ある甘美な幻影を引き出し、そこにさらに[=超自然的な]驚くべきものを投影する。

[…]

このスペタクルの独自性はこのような魔法 (enchantement) で観客の精神、眼、

耳を惹きつけることだ3

そして、現代においてスタロバンスキーは上記ラ・ブリュイエールの「オペラは魔法」

と い う 概 念 を 用 い 、 オ ペ ラ の 魅 力 を そ の オ ペ ラ 論 『 オ ペ ラ 、 魅 惑 す る 女 た ち

Les

enchanteresses

4』において[=超自然的な]「驚くべきもの

le merveilleux」という項立てで

展開する。またスタロバンスキーはコルネイユの登場人物における修辞法について、それ は「とても原初的な感情にその手法を負っている」とし、次のように述べる。

神話のレヴェル、詩的な驚くべきものの (de merveille poétique ) レヴェルにまで還元 されたその感情は、もはやひとつの美しい欺瞞でしかない。それは偉大なものを前 にしてわれわれが抱く尊敬の念を誇張法で表現することを許容する5

キノーはこの「神話のレヴェル」にまで還元された超自然的な「驚くべきもの」と、一 方で古典主義理論の要素である観客を驚かせ、称賛させるという「驚くべきもの」の要素 を融合させようと考慮した。そこにはキノーの長年の戯曲作家としての熟練した筋の運び

2 本書162‐163頁参照。

3 La Bryuère, Les Caractères, fragment 47, 1ère éd. 1688 (Paris: Gallimard, 1975), p. 34. « ; elle [=la machine]

augmente et embellit la fiction, soutient dans les spectateurs cette douce illusion qui est tout le plaisir du théâtre, où elle jette encore le merveilleux. [...] le propre de ce spectacle est de tenir les esprits, les yeux et les oreilles dans un égal enchantement. »

4 Jean Starobinski, Les Enchanteresses (Paris: Édition Seuil, 2005), pp. 13-16.

5 Jean Starobinski, « Sur Corneille », dans L’œil vivant (Paris: Gallimard, 1961), p. 34.