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《アルセスト》の翌年

1675

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47、前述したようにパリ市中の「王立音楽アカデミー」

で起きた「アルセスト論争」に懲りたルイ

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世の計らいで、サン=ジェルマン=アン=レ 宮殿のバレエの間でカーニヴァル期間中に第三作目のトラジェディ・アン・ミュジック《テ ゼー》が初演された。前作《アルセスト》と比較して《テゼー》にはキノーによる作劇上 の変化が見られる。《アルセスト》で多用された機械仕掛けは《テゼー》では抑制されて 使われている。また《アルセスト》では副次的なエピソードによって悲劇と喜劇の並存が 批判されたが、《テゼー》では副次的なエピソードは

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場面のみで、メデーに付き添うド リーヌには《カドミュス》での乳母のようなビュルレスクな性格は見られない。彼女は古 典悲劇に使われる「腹心」の役割を担っている。また、第一幕の戦闘場面は《アルセスト》

第二幕のように舞台上に描かれるのではなく、古典悲劇に倣って舞台裏で進行する。ノー マンはその方向転換を《アルセスト》での批判に対してキノーが熱心に取り組んだ成果で あるとしている48。確かにキノーは「アルセスト論争」を経て

1674

年「小アカデミー」の 一員に加えられた後、その劇作法において

1670

年代の古典主義理論に近づきつつあること が分かる。

1926

年の論考でグロも、《テゼー》におけるキノーの古典悲劇への転向を提示して、「そ の実際の筋書きは[=《テゼー》という]題目にもかかわらず、密接にメデーの嫉妬や激怒に 拠っている。主役はメデーである49」と述べる。《テゼー》では古典悲劇を動かす人間の 情念である嫉妬と憤激に大きく焦点が当てられている。そしてグロはメデーの特性である 魔術の変容を次のように述べる。

その魔術はここで、筋書きの中で最も活動する役割を担う登場人物の一つの属性―

すなわち基本的な属性である。その結果、驚くべきもの[=超自然的な]は《カドミュ ス》や《アルセスト》でのように単なる重なり合いではなく、筋書きに密接に結び ついている。それ[=超自然的な驚くべきもの]は筋書きと共に本体を作り出す50

こうグロが評価するように、メデーの超自然的な「驚くべきもの」であるその魔術は単 なる装飾から離れ、人間的側面を表わし、筋書きからもたらされるもう一つの悲劇の基本 要素である「驚くべきもの」と結びつき、悲劇的必然性を持つに至ったといえるであろう。

しかしながら、《テゼー》にはラシーヌ悲劇と比較して、キノーの悲喜劇的様式がいま だ存続している点が見られる。それはコルニックが指摘するように、テゼーが身分を隠し

47 初演の日付については諸説ある。シュネイデルは111日とし、ドネショーとソルディーニの研究は 115日とする。H. Schneider, art. «Thésée » dans Dictionnaire de la musique en France aux XVIIe et XVIIIe siècles. dir. M. Benoit ( Paris: Fayard, 1992), p. 677. Pascal Denécheau et Elisabetta Soldini, dans Thésée ( Paris:

Avant Scène Opéra, 2008), p. 76.

48 Buford Norman, Quinault, Librettiste de Lully: Le poète des Grâces, op. cit., p. 133.

49 Étienne Gros, op. cit., p. 599.

50 Ibid.,p. 602.

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て行動し、恋敵で自分の毒殺を謀った父王によって最後に認知されるという、以前キノー が得意とした悲喜劇の典型を結末に持っているからである51

翌年の《アティス》において、キノーはオウィディウス『祭事暦 Les Fastes』を原作と し、悲喜劇の影響を払拭し、悲劇としての様式を統一した。《アティス》は

1676

年1月

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日サン=ジェルマン=アン=レで初演された。《アティス》は別名「王のオペラ」と呼 ばれ、ルイ

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世はこのオペラの登場人物における心理表現の場面や魂の相反する動きに深 く心を奪われたと伝えられている。その頃オランダ戦役は

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年にも及び、新たにオランダ と組んだスペインとのシシリー島を巡る戦いが

1675

年から始まっていた。東方に遠征して いた王は

1675

7

月から

1676

3

月末までヴェルサイユに戻った。セヴィニエ夫人の子 息シャルルは

1676

2

月姉グリニャン夫人に宛てた手紙で、《アティス》を観て感激し、

特に最初の二幕が大変美しかったと書き送っている52

このオペラでは古典悲劇的構造が明確になり、すべてのコミックな場面や副次的なエピ ソードが削除され、文体とあらすじの統一が成されている。グロによれば「この戯曲がそ れまでと異なる点が二つあり、まずコミックな要素はすべて除外され、次に副筋的なエピ ソードはすべて消えている。そして作品は一つになった。文体の点で統一され、筋書きの 上からもひとつになった53」。

またモレルは「キノーはこの新しいジャンルが、ラシーヌの厳格な悲劇と誇りを持って 競い合えることを証明したいと思った」と述べる。「結末を悲劇的にすることに彼は躊躇 しなかった。当時の人々がオペラと呼ぶこのジャンルが、悲劇と呼ばれるのに相応しいこ とを証明しようとした54」。モレルが注釈するように、結末はそれまでのハッピー・エン ドではなく、主役のアティスとサンガリード二人の恋人の死で終わる。しかも、アティス は自分を恋した女神シベールの嫉妬と復讐により、誤ってサンガリードを刺殺し、正気に 戻って自死するのである。女神シベールはアティスを憐れんで、自分の好む松の木に変身 させる。

この作品では登場人物も限られ、主役の他には彼らが自分の本心を打ち明ける相手とし て二人の腹心が登場するだけであり、ここにも古典悲劇の構図が見られる。キノーはこの イダスとドリス兄妹の腹心たちに主人公の行動の一部を担わせると同時に古代悲劇のコロ スの役割もあてがっている55

また機械仕掛けは

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回のみ使われ、スペクタクルよりもドラマに集中させている。グロ は「オペラのジャンルにおいてキノーは、悲劇においてのラシーヌと同じ均衡を保ってい る56」と《アティス》を評する。ジルレトーヌは「《アティス》は最も演劇的で、神とし て登場するのはシベールだけであり、彼女はまた劇の主役として行動する。その超自然的 な力は第四幕終わりまで出てこない。もっとも現実的なキノーの悲劇である57」とする。

51 Sylvain Cornic, op. cit., p. 207.

52 Jacques Morel, « Philippe Quinault, librettisite d’Atys » dans Atys (Paris: L’Avant Scène Opéra, 2011), p. 22.

53 Étienne Gros, op. cit., p. 603.

54 Jacques Morel, op. cit., p. 25.

55 Jean Duron, « Introduction » dans Atys, op. cit., p. 34.

56 Étienne Gros, op. cit., p. 607.

57 Cuthbert Girdlestone, op. cit., p. 17.

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グロも、シベールは人間的に一人の女として恋し、嫉妬し行動し、彼女はもはやその筋書 きを展開したり、結末を導く機械仕掛けの神ではないとする58。アンソニーも「《アティ ス》は古典主義的用語の悲劇に値する59」と述べる。

ここに女神シベールとしての超自然的な「驚くべきもの」の力は、人間の男アティスを 恋することで地上に生きる一人の女として苦悩し悲嘆する人間的な感情へと比重が移り、

次第に筋の展開からもたらされる悲劇の基本要素としての「驚くべきもの」へと変容して いることが分かる。女神シベールは《アルセスト》でのディアーヌやアポロンのように、

神として人間世界の感情とは無関係に機械仕掛けで介入する、単なる超自然的な「驚くべ きもの」としての存在ではない。自らの女神としての不死身、その超自然的な「驚くべき もの」の力に絶望し、アティスと共に人間として死ねないわが身を歎く時、この恋に苦悩 するシベールの姿には、超自然的な「驚くべきもの」の概念に、悲劇の基本要素としての

「驚くべきもの」の概念が混入している。

そしてデュロンは「これはオペラと呼ぶよりも悲劇であり、真の作者は作曲家リュリで はなく、詩人キノーである60」と評する。デュロンは《アティス》はキノーにとってもリュ リにとっても危険な賭けをした作品だという。主人公たちは非常に誠実であるために、矛 盾した行動に出るという、複雑な性格と錯綜した筋書きを持つ。案の定、分かりにくいと 宮廷では評判が良くなかった。

リュリの音楽も心理的オペラとしてのキノーの演劇性に応えるべく、ディヴェルティス マンを除いて極力オーケストラの参加を控える。よってオペラというよりも演劇に近い61。 矛盾するようだが、当時の記録では、1676年の《アティス》初演の時、リュリはかなりの 数のオーケストラと合唱を用意したが、彼らは大半の時間、押し黙ったままだったという。

このオペラには、シンフォニア、リトルネル、プレリュードは稀でしかもとても短い。オー ケストラ伴奏つきのエールは数少ない。しかし各幕のディヴェルティスマンには盛大な器 楽が用いられている。キノーは詩句を

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行から

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行に分け、それぞれをレシタティフと小 さいエールに区別し、曲が付けられている。このエールは通奏低音に伴われ、せいぜい

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小節である。このレシタティフの詩句はとても旋律的に書かれているので、エールのパッ セージも単なるニュアンスの変化としか聞き取れない。しかし、「いくつかのオーケスト ラに伴われたエールでは浮き出た効果を持つ62」とデュロンは説明する。

コルニックはキノーの悲劇に対するコンセプトについて「無実で完全な人間が押し潰さ れることは、[=アリストテレス『詩学』で要請される]怖れと憐れみよりも、恐怖と嫌悪を喚 起する63」とする。キノーは冷酷な進展や逃げ道のない筋書きの成り行きを通して悲劇の 喜びを追求するのではなく、反対に危険の認識、主人公を危惧させて期待を掛けさせたり、

新たな展開をみせたりして、最後のカタストロフを逃れさせようとする。しかし《アティ ス》は例外である。アティスは王と婚約したサンガリードを奪うことで王の愛顧を裏切り、

58 Étienne Gros, op. cit., p. 654.

59 James R. Anthony, op. cit., p. 99.

60 Jean Duron, « Introduction » dans Atys, op. cit., p. 32.

61 Ibid., p. 35.

62 Ibid., p. 32.

63 Sylvain Cornic, op. cit., p. 196.