• 検索結果がありません。

中国雲南にイスラームを訪ねて

ドキュメント内 indb (ページ 64-82)

 

長 谷 部   茂

 筆者の所属する拓殖大学日本文化研究所の 2011(平成 23)年度個人研究助 成を得て、「中世~近代日本とイスラーム世界の接点――媒介としての中国イ スラームと田中逸平」のテーマのもと、中国雲南省の回族(ムスリム)に関す る現地調査を、2011 年 12 月末から翌 2012 年の年始にかけて行った。2008 年 以来毎年続けてきた筆者の中国イスラーム現地調査は、今回で4度目となる。

イスラーム研究自体は、日本イスラームの先駆者・田中逸平(拓殖大学第一期 生)の研究に着手してから7年目を迎えた。

 2008 年に訪れた福建省泉州と 2010 年の広東省広州は海のシルクロードを伝 わったイスラームの拠点、2009 年に訪れた山東省青島・済南は陸のシルクロー ドを伝わったイスラームの終着点。そして今回の雲南省は、中国の内陸に独自 の発展をとげたイスラームの拠点であり、同時に東南アジアに伝わったイス ラームの中継地点の一つである。

 雲南省を選んだ理由の一つは、明末清初の回儒(儒教的素養をもつムスリ ム)・劉智の著作を刊行した際の版木が、この地方に残されていると聞いたこ とである。劉智は、田中逸平のイスラーム入信の契機となり、大きな思想的影 響を与えたイスラーム学者である。著作の版木が残っているということは、劉 智の著作がこの地で広く読まれた可能性があると思ったのである

 中国イスラーム人口の約半数を占める回族は約 1,000 万人。雲南省には約 50 万人の回族が居住する。以下に雲南省における調査の概要を報告するととも に、この調査を通じて著者が感じた雲南イスラームの特徴について述べる。

一.雲南のイスラーム社会 現地調査報告

 雲南省の首府であり、雲南省最大のムスリム人口をもつ昆明市と、雲南回族

の伝統的な生活を残している回族村を訪問した。昆明市内の回族は約 4 万人。

回族村については、事前に場所を特定せず、現地ムスリムの意見を聞いてから 訪問先を選ぶことにした。

1.昆明市

 12 月 28 日(水)午前、市内最大のムスリム居住区・順城を訪問した。新市 街ではほぼ中央、旧市街では城の北に当たる。順城清真寺は、創建が明代、15 世紀前半とされる。現在の建物は 1880 年に再建された。ムスリム居住区は、

順城街の回りに形成されているが、それと気づく人はまれであろう。イスラー ムを感じさせるのは、清真寺(モスク)周辺の一角だけである。漢族との雑居 というよりは、むしろ漢族社会にムスリムが溶け込んでいるというべきかもし れない。

 順城街は、ビルの立ち並ぶ賑やかな通りである。その通りをやや斜めに入っ たところに少し開けた空間があり、その奥まったところに「順城清真寺」とい う大きな金文字が見える。三階建のビルの一階部分を通路にして、その通路部 分の入口の上に瑠璃色の瓦屋根が突き出していて、門の体裁になっている。金 文字はその瓦屋根の上にある。この清真寺の正門前の空間だけが、かろうじて 漢族の生活空間とは隔たるイスラーム世界である。

順城清真寺

 清真寺の門(通路)の両脇には、イスラーム関係の用品・食品を売っている 店がある。門を入ると左側に受付があって、女の子が一人座っているが、誰何 されることはない。受付の向かいの壁に、清真寺の教長・アホン現任者の名前 が書かれている。とても開放的な印象を受けた。門を抜けると中庭に出る。両 脇に木が植えられ、その木陰にベンチがある。白い帽子をかぶった男性、色と りどりのベールをかぶった女性が三々五々、ここで世話話をしている。中庭の 向こう正面に朝真殿と称する中国寺院式建物がある。石段を登ると広い礼拝場 になっている。戸はあるが、開け放たれている。朝真殿の後ろは宿舎。朝真殿 に向かって左側に抜けると、右側が食堂である。食堂の前を通ると鉄門があっ て、そこまでが清真寺の境内ということになるが、ここも広く開け放たれてい るので、清真寺の門からそのまま朝真殿の脇を通って外に抜けることができ る。食堂は誰でも利用できる場所にあり、昼食のセットメニューの看板が置か れていた。

 境内を通り抜けて、清真寺の回りを一周してから、正門前に戻り、向かって 右隣の看板に「経書」とある店に入った。店の前半分はイスラーム式の衣類・

調度を、後ろ半分は書籍を販売している。店の主人夫婦は快活で明るい人で、

もちろん回族。奥さんの方(50 歳くらい)が応対してくれた。書籍といって も本棚4本程度の量である。まず劉智の本を売っていないか尋ねたが、無かっ た。以前置いていたというが、記憶は定かでない。最近、女清真寺が近くに出 来たので礼拝に行くのが楽しいという。以前は朝真殿の廊下で礼拝していたと いう。ここで『中国伊斯蘭百科全書』(四川辞書出版社、2007 年)、『穆斯林家 庭育子読物(基礎篇)』、『鄭和家系研究』(馬継祖著、雲南人民出版社、2005 年)

と、イスラームへの入信及び結婚の際の登録証を購入した。登録証は立派な装 丁の冊子である。この地域のムスリムは、順城清真寺の教長に入信、結婚を届 けることになっているという。

 書店を出て再び清真寺に入る。この清真寺の歴史を知りたいと受付の女の子 に告げると、二階に事務所があるが、今は席を外せないとのこと。朝真殿の廊 下に白い服を来た老人が二十人ばかり集まっている。席を外せないのは、葬式

のためであった。

明徳民族中学校正門

明徳民族中学校前の碑文

 清真寺の周辺を改めて散策。順城街に面した中学校を見つけた。校門がモス クを思わせる特殊な造りになっている。「明徳民族中学」とあるので、ムスリ ム子弟のための中学校かと居合わせた人に尋ねたところ、普通の中学校だとい う。しかし後日調べたところ、確かに入学するのはムスリム子弟に限らない が、雲南回族が初めてムスリム子弟のために創設した中学校の後身で、全く「普 通」の中学校ではなかった。校門脇に三つの石碑があり、孔子と毛沢東、それ にムハンマドの言葉が、中国語とアラビア語で書かれている。ムハンマドの言 葉は、直訳すれば「学びは、揺籠から墓場まで」である。ちなみに孔子の言葉 は『論語』の一節「学びて思わざれば即ち罔(くら)し、思いて学ばざれば即 ち殆(あやう)し」、毛沢東の言葉は「若者は午前8、9時の朝の太陽のよう に溌剌としている。希望は君たちに託されている」である。

 小一時間の散策を終えて事務所に戻ると、まだ取り込んでいるので、直接、

事務所に行ってくれという。事務所は門の上に当たる二階にあった。親切な馬 純副主任が応対してくれた。事務所には馬副主任の他に男性一人、女性一人が いた。人の出入りがけっこうある。この清真寺の歴史を知りたいというと、早 速、『順城清真寺案内』をもとに、昆明市のムスリム全般について説明してく れた。『案内』も一部いただいた。清真寺には毎礼拝時 40 人ほどのムスリムが 来るという。

 劉智のことも聞いてみたが、事務所の人は誰も知らない。そこで、さきほど 購入したばかりの『百科全書』で劉智の項目を引き、その部分を示すと、馬副 主任は丁寧に音読を始めた。半分ほど読んでから、「劉智は雲南の人ではない。

南京の人だ」云々と、突き放すような口調だったので、劉智の著書の版木が雲 南にあると聞いたと話すと、クルアーンの版木があることは知っているが、

劉智のものは聞いたことがないという。教長ならば知っているかもしれないと いうことになったが、あいにく教長は授業中だという。それでは明日また来る と言ったら、教長が劉智のことを知らなかったら明日来てもしょうがないのだ から、とりあえず、劉智を知っているかどうか教長に確認すると言って、馬副 主任は、私を教室のある清真寺内の別棟に連れて行った。馬副主任は、教室に

入ってしばらくすると、教長を連れてきた。教長は少し迷惑そうだったが、劉 智の版木は昆明市伊斯蘭(イスラーム)協会が保存していること、昆明市にあ る雲南大学に劉智を研究している教授がいることを教えてくれた。雲南大学の 研究者とは姚継徳先生のことであった。教長はその名前を、先程もらった『案 内』の余白のところに書いてくれた。早く教室に戻りたいという様子で、そそ くさと帰って行った。教長は 40 歳前後、知性と情熱を兼ね備えた立派な人物 と見受けたので、どういう方かと尋ねると、サウジアラビアに二度留学して、

最近、二度目の留学から帰ってここの教長に就任したという。

南城清真寺

 劉智の版木は昆明市伊斯蘭協会が所蔵していると聞いたので早速、馬副主任 に行き方を尋ねたところ、歩いてすぐだという。馬副主任が近くまで案内して くれた。場所は昆明市のメインストリート・東風東路から少し入った繁華街で ある。馬副主任から言われたとおりに歩いたが、見つからないので通行人に尋 ねたら、ニコッと笑って、ドームを屋上にもつ立派なビルを指差した。協会は そのビルにあり、南城清真寺はそのビルの裏にあるという。南城清真寺には、

ドキュメント内 indb (ページ 64-82)