第 2 章 パタ作製儀則 (2) ̶ 作画規定を中心として ̶
sarvavighnaghātakī 2 devī uttamā bhayanāśinī /
2.2. 中位パタ
最勝パタに続き,本節では
MMK
第5章に説かれる中位パタの画像に描かれる諸尊を取 り上げたい.研究篇<本論>1.4.
において言及したように,中位パタは,最勝パタの儀則が ベースとなっていることから,基本的な構図は最勝パタとほぼ一致しており,最勝パタと 同一の祖型を基盤として展開していったパタだと考えられる.すなわち,三尊形式を基調 とした群像表現であり,パタ下方に実在する行者自身を描く点,山や海が広がる情景の表 現がなされる点など,最勝パタからの一貫した特徴を確認できる.そこで,中位パタに描 かれる各々の尊格のグループを整理するとともに,中位パタ独自の特徴を浮き彫りにする ために,最勝パタとの比較を行いながら,その相違点を中心に取り上げながら考察を進め ていきたい.2.2.1. 中位パタに描かれる尊格(Cf. 資料篇<復元図試案>) 2.2.1.1. 菩薩
ではまず,中位パタに描かれる菩薩について見ていきたい.中位パタの作画規定には,
以下のように菩薩を描くように規定されている.
(1)[MMK ch.5, 2-2-3
〜2-2-4.]
dakṣiṇapārśva āryamañjuśrīḥ padmakiñjalkābhaḥ kuṅkumādityavarṇo vā vāmaskandhapradeśe nīlotpalāvasaktaḥ kṛtāñjalipuṭo bhagavantaṃ
śākyamuniṃ nirīkṣamāṇa īṣatprahasitavadanaḥkumārarūpī pañcacīrakopaśobhitaśirasko bāladārakālaṅkārabhūṣito dakṣiṇajānumaṇḍalāvanata-
śiraḥ // bhagavataś ca śākyamuner vāmapārśva āryāvalokiteśvaraḥ śaratkāṇḍagauro yathaivapūrvaṃ tathaivābhilekhyaḥ, kiṃ tu bhagavataś cāmaram uddhūyamānaṃ, tasya pārśva
āryamaitreyaḥ samantabhadro vajrapāṇir mahāmatiḥ śāntamatir gaganagañjaḥ sarvanīvaraṇa-viṣkambhinaś ceti / ete ’nupūrvato ’bhilekhyāḥ / yathaiva prathamaṃ tathaiva sarvālaṅkāra- bhūṣitāḥ ciatrāpayitavyāḥ //
[
釈迦牟尼の]
右辺に聖文殊師利が,蓮華の雄しべのような[
色]
,あるいはサフランのよ うな太陽の色で,左肩の辺りに青蓮華を持ち添えて,虚心合掌し,世尊釈迦牟尼を観 察しつつ,少しく微笑し,童子の体つきで,五髻によって飾られた頭頂を有し,幼い 少年の飾りによって飾られて,右膝頭を地につけて(
蹲踞)
低頭している.また,世尊 釈迦牟尼の左側に,観自在が,秋季の月のように輝かしく,まさに前述したように,そのように描かれるべきであるが,ただし,世尊に拂子を振り動かしていて,かの者
(
観自在)
の側に,聖弥勒,普賢,金剛手,大慧,寂慧,虚空庫,除一切蓋がいる.か の者たちは,順番に描かれるべきである.最勝[
パタ作成儀則]
のように,そのように 一切の装飾によって飾られた者たちが描かれるべきである.引用文
(1)
の冒頭のdakṣiṇapārśva
は,中位パタの主尊である釈迦牟尼の右辺を示しているが,その右辺に描かれる菩薩は,文殊一尊のみであることがわかる.一方,釈迦牟尼の左辺に は,観自在を筆頭に,弥勒,普賢,金剛手,大慧,寂慧,虚空庫,除一切蓋が描かれる.
そこで,まず気づくのが,主尊の右辺に文殊一尊,左辺に八尊という左右非対称の構図で ある.後述するように,中位パタ全体を俯瞰すれば,結果的に左右対称の構図を見て取る ことができるが,菩薩だけに注目すると,明らかにバランスが悪い.ただし視点を変えて,
主尊の右辺に文殊一尊という構図を考察すれば,文殊の存在が強調された構図とも捉える ことができるだろうか.
また,最勝パタと比較した場合,文殊の描かれる位置が左右逆転し,釈迦牟尼・文殊・
弥勒の三尊形式から釈迦牟尼・文殊・観自在へと転換した点が,顕著な相違点といえる.
この二点については,本項の最後に詳しく考察することにする.このような最勝パタに描 かれる十六尊の菩薩と,中位パタに描かれる九尊の菩薩の比較をまとめてみると,以下の 表のように整理できるだろう.
[
表1
:最勝パタの十六菩薩と中位パタの九菩薩]
最勝パタの十六菩薩 中位パタの九菩薩
① 左 文殊師利(Mañjuśrī; 妙吉祥) 観自在(Avalokiteśvara; 観自在)
右 弥勒(Maitreya; 慈氏) 文殊師利(Mañjuśrī; 妙吉祥)
② 左 月光(Candraprabha; 月光) 弥勒(Maitreya; 慈氏)
右 普賢(Samantabhadra; 普賢)
③ 左 善財(Sudhana; 妙財) 普賢(Samantabhadra)
右 観自在(Avalokiteśvara)
④ 左 [除]一切蓋(Sarvanīvaraṇa; 能除一切蓋) 金剛手(Vajrapāṇi)
右 金剛手(Vajrapāṇi)
⑤ 左 虚空庫(Gaganagañja; 虚空蔵) 大慧(Mahāmati; 大意)
右 大慧(Mahāmati; 大聖意)
⑥ 左 地蔵(Kṣiṭigarbha) 寂慧(Śāntamati; 善意)
右 寂慧(Śāntamati; 善意)
⑦ 左 無罪(Anagha; 無價) 虚空庫(Gaganagañja; 虚空蔵)
右 遍照蔵(Vairocanagarbha)
⑧ 左 妙眼(Sulocana; 妙眼意) [除]一切蓋(Sarvanīvaraṇa; 除蓋障)
右 滅罪(Apāyajaha)
表
1
より,中位パタの九尊の菩薩は,その全てが最勝パタにも描かれる菩薩であり,最勝 パタでは,右辺に描かれていた観自在,弥勒,普賢,金剛手,大慧,寂慧が,観自在を筆 頭として,左辺に移動し,最勝パタにおいても左辺に描かれていた虚空庫,除一切蓋が加 えられたと見ることができる.さらに,右辺に描かれる文殊を加えれば,研究篇<本論>2.1.1.1.
において言及した「標準型八大菩薩」(
観音・弥勒・虚空蔵・普賢・金剛手・文殊・除蓋障・地蔵
)
の八尊とほぼ重なることになり,中位パタも最勝パタと同様に「標準型八大 菩薩」に影響を受けて展開した一形態と見ることができるだろう.このような「標準型八 大菩薩」の系譜は,2.1.1.1.
で言及したように,『金剛手灌頂タントラ』および『大日経』所 説のマンダラにも確認することができ,本経第2
章所説のマンダラのみならず,本経所説のパタを代表する最勝パタ,中位パタも胎蔵マンダラの系譜と無関係ではないことがわか る.この点は,次節で『文殊師利法寶蔵陀羅尼経』所説のパタを扱う際にも言及すること にしたい.
では本項の最後に,注目すべき最勝パタとの相違点について,以下の二点をさらに詳し く考察していきたい.
(a)
文殊の描かれる位置が中尊釈迦牟尼を中心として左右逆になる点.(b)
菩薩の上首が弥勒から観自在に交代する点.まず(a)の問題について,そもそも本経のパタを始めとし,初期密教経典所説のパタは,
中期密教以降のマンダラのように,一定の幾何学的なパターンや教理に基づいて尊格が配 置されるわけではなく,経典に描写される一場面を切り抜いたような説法図,あるいは浄 土図に近い構図を有している.したがって,三尊形式を基調とするものの,脇侍となる上 首の菩薩の左右の配置に関してはあまり重視されず,むしろ画像全体にわたる情景のバラ ンスによって,尊格の配置が柔軟になされる傾向が強かったのではないかと思われる.実 際,近年の図像学の範疇においても,三尊形式の発展型である胎蔵マンダラのように,本 尊の右側に観自在,左側に金剛手という配置が固定されていくのは,ポスト・グプタ期以 降であることが報告されている36.したがって,本経のようなパタ作成儀則が制作されて いた年代は,三尊形式という構図は一般的に普及していたが,後代に発展していくマンダ ラのように左右の尊格を固定化し,パタと密教儀礼が有機的に関わる段階までには至って いなかったと考えるのが妥当であろう.それゆえ,本経のパタ作成儀則の制作者たちは,
文殊の位置を始めとする左右の諸菩薩の配置をあまり重要視していなかったと考えられる.
次に(b)の問題について,研究篇<本論>
2.3.
において後述するように,中位パタ作成儀 則の成立年代は,少なくとも菩提流志の活躍年代である7世紀頃まで遡ることができる.当時は初期密教から中期密教への過渡期にあたる年代であり,観自在に関連する密教経典 が次々と生み出された年代に相当する.こうした事情を考慮すれば,密教経典において徐々 に地位を確立していった観自在と,本経の中心的存在である文殊を上首することで,中位 パタを当時のインド密教の潮流に呼応させようとした意図が読み取れるのではないだろう か.
さらに中位パタの下方に注目すれば,最勝パタと同様にヤマーンタカとターラーが描か れる.後代の密教文献では,ヤマーンタカは文殊の忿怒相の化身とされ,またターラーと 観自在は密接な関係にある.したがって,中位パタにおいて文殊を上首とする集団の下方 にヤマーンタカ,観自在を上首とする集団の下方にターラーが描かれる構図は,前述した 両尊の密接な関係に合致するといえる.
一方,最勝パタでは,ターラーは弥勒を上首とする八菩薩の下方に描かれている.この 八菩薩の中には観自在が含まれているが,ターラーとの関係を考慮すると,弥勒を上首と する八菩薩とターラーが直線上に描かれる構図は,少し不自然な印象を受ける.おそらく 弥勒は,初期の大乗経典から菩薩の上首として登場することが多く,この最勝パタの不自 然な構図は,そのような大乗経典の影響を根強く受けたと思われる.実際,次節
2.3.
で取り 上げる『文殊師利法寶蔵陀羅尼経』所説のパタの中心の尊格は,釈迦牟尼・文殊・弥勒の 三尊であり,最勝パタとは脇侍である文殊・弥勒の配置が逆であるものの,三尊は一致し ている.したがって,この三尊を中心とした構図を有するパタも決して珍しくないことがわかる.いずれにしても,釈迦牟尼の両脇侍と,ヤマーンタカ・ターラーの上下の関係は,
最勝パタよりも中位パタの方が妥当であろう.
2.2.1.2. 八如来
次に中位パタに描かれる八如来について見ていきたい.中位パタの作画規定によれば,
中位パタに描かれる八如来は,以下のように規定される.
(2)[MMK ch.5, 2-2-5.]
teṣāṃ copariṣṭād aṣṭau buddhā bhagavantaś citrāpayitavyāḥ sthitakā abhayapradānadakṣiṇa- karāḥ pītacīvarottarāsaṅgīkṛtadehā vāmahastena cīvarakarṇakāvasaktā
īṣadraktāvabhāsakāṣā-yasunivastāḥ samantaprabhāḥ sarvākāravaropetāḥ / tadyathā saṃkusumitarājendras tathāgato
ratnaśikhiḥ śikhir viśvabhuk krakucchandaḥ kanakamuniḥ kāśyapaḥ sunetraś ceti / etebuddhā bhagavantaś citrāpayitavyāḥ //
またかの者たちの上に,尊き八仏が描かれるべきであり,立ち上がっていて,右手で 施無畏をなし,黄色い衣を上衣として着た姿で,左手には衣の端が掛けられていて,
少しく赤色に輝く袈裟を着て,普く光り輝き,あるゆる勝れた形相を具えている.
[
そ の八仏とは]
すなわち,開華王,宝頂,
Śikhin, Viśvabhuj, Krakucchanda, Kanakamuni,Kāśyapa,
妙眼である.これらの尊き諸仏が描かれるべきである.引用文
(2)
の下線部teṣāṃ
は,直前に説かれる左辺の八菩薩を指しているため,八如来は,釈迦牟尼の左辺上方に描かれることになる.これらの描かれる位置は,最勝パタと同様であ るが,描かれる如来の諸尊は,最勝パタの八尊のうちの五尊が交代している.すなわち,
開華王如来,宝頂如来,妙眼如来はそのまま中位パタにも描かれ,Śikhin,
Viśvabhuj
,Krakucchanda, Kanakamuni, Kāśyapa
の五尊が新たに加えられている.これらの五尊は,過去七仏として知られ,仏伝文献を中心として,実に様々な仏教文献に登場する尊格である.
したがって,初期密教経典に位置づけられる経典群とも決して無関係ではない.初期密教 経典と過去七仏の関係は,宮坂
[1970]
によって指摘されて以来,その後の先行研究37によっ ても言及されており,過去七仏の名称が,密教経典所説の護呪と結びつけられて登場する 場合が多い.こうした背景には,「大本経」などの仏伝文献所説の過去七仏に対する根強 い信仰があったと指摘されている.それゆえ,本経の中位パタに描かれる八如来のうちの 五尊が,過去七仏というグループを構成する尊格であることを考慮すれば,過去七仏信仰 に少なからず影響を受けていたと考えるのが自然であろう.この点については,次項の天 部の尊格の関係とも併せて詳しく考察したい.なお,研究篇<本論>2.3.1.で後述するよう に,『金剛手灌頂タントラ』所説のマンダラの主要な八如来にも,過去七仏のうちの四尊 が布置される.この点からも,MMK所説のパタが,胎蔵マンダラの系譜と関連を有する ことをうかがい知ることができよう.
2.2.1.3. 天衆