では次に,第
7
章所説の第四パタの画布の作製規定について見ていきたい.研究篇<本 論>1.2.
において言及したように,第7
章は,前三章とは独立して制作された可能性が高い.というのも,前項引用文
(12)(13)
で確認したように,第4
章から第6
章は,明らかに一続き であり,三種のパタ作製儀則を以て一つの形態を有していたと考えられ,第7
章はいわゆ る“後付け”の感が否めないからである.そこで本項では,第四パタの画布の作製規定を説 示する前段階に位置する,第四パタ作製儀則説示の契機,そして六字真言の説示という,前三章と異なる要素を取り上げて,その相違点について考察しておきたい.
1.5.1. パタ作製儀則説示の契機
まず第
7
章の冒頭には,導入として,第四パタ作製儀則説示の契機となる文殊の請願が 示されており,文殊は釈迦牟尼に対して以下のように懇願している.
(16)[MMK ch.7, 1]
anāgate 'dhvani nirvṛte lokagurāv astamite tathāgatādityavaṃśe riñcite sarvabuddhakṣetre
sarvabuddhabodhisattvāryaśrāvakapratyekabuddhair andhakārībhūte lokabhājane vicchinna
āryamārge sarvavidyāmantrauṣadhimaṇiratnāpagate sādhujanaparihīṇe nirāloke sattvadhātau,
sattvā bhaviṣyanti kusīdā naṣṭaspṛhaṇā aśrāddhāḥ khalakā akalyāṇamitraparigṛhītāḥ śaṭhāḥ
māyāvino dhūrtacaritāḥ, te imaṃ dharmaparyāyaṃ śrutvā saṃtrāsam āpatsyante /
ālasyakausīdyābhiratā na śraddhāsyanti, kāmagaveṣiṇo na pratīṣyanti, mithyādṛṣṭiratā
bahvapuṇyaṃ prasaviṣyanti / saddharmapratikṣepakā avīciparāyaṇāḥ ghorataraṃ gatāḥ, teṣāṃ
duḥkhitānām arthāyāvaśānāṃ vaśam ānītāya vaśyānām abhayapradāya, upāyakauśalya-
saṃgrahayā mantrapaṭavidhānaṃ bhāṣatu bhagavān / yasyedānīṃ kālaṃ manyase //
未来世において,世間主が滅した時,如来や太陽神の種族の系統が尽きた時,全ての 仏,菩薩,聖声聞,縁覚たちによって全ての仏国土が放棄された時,器世間が暗闇に なった時,聖なる道が切断された時,あらゆる明呪や真言や薬や摩尼宝が消失した時,
善人がいなくなった時,有情界が光を奪われた時,有情たちは,怠惰となり,無気力 になり,信心がなくなり,乱暴になり,悪友によってとらわれ,嘘つきになり,虚偽 を有し,詐欺を行うだろうが,その者たちが,この法門を聞くと,恐怖に陥るだろう.
怠惰で無精でいる者たちは信仰せず,愛欲を求める者たちは信頼せず,邪見にとどま る者たちは多くの不善を生み出すであろう.正法を誹謗する者たちは阿鼻地獄に落ち る運命にあり,この上ない恐怖に陥るのであるが,そのような苦しめられた者たちの 利益のために,支配されない者たちを支配下にするために,支配下にある者たちに無 畏を与えるために,巧みな方便を集成することによって,諸々の真言やパタに関する 儀則を世尊は説きたまえ.今やそのときと汝は思いたまえ.
引用文
(15)
の内容を要約すれば,いわゆる末法の時代の様々な危惧が列挙されており,そ のような恐怖,不安,苦しみから解放するために,文殊が,釈迦牟尼に対して,真言やパ タに関する儀則を説くように懇願している.またここには,倫理・道徳に反するような者 たち,正法(仏法)を誹謗する者たちを救済する目的も含意されており,少々過激な印象を 受ける.一方,これまで見てきた第
4
章から第6
章は,第4
章の最勝パタ作製儀則を中心とする 構成になっていたために,後続の第5
章,第6
章では,引用文(16)
のような作製儀則の導 入部は,一切省略されていた.そこで,第4
章の導入部分の記述を略述すると22,文殊が,一連のパタの儀則を実践することによって得られる殊勝な功徳や悉地を宣揚し,賞賛する 旨が説かれている.しかし,第
4
章には,引用文(16)
のような末法を連想させるような記 述は見当たらず,第4
章の最勝パタ作製儀則は,苦しみを抱えた様々な有情を救済すると いうよりも,宗教的レヴェルのより高みを目指す密教者を対象として説かれている印象を 受ける.ここに,第4
章を中心とする前三章と第7
章の相違を確認することができるだろ う.1.5.2. 六字真言の説示
次に取り上げたいのは,六字真言を説示するセクションである.このような真言を説く セクションは,前三章には確認できなかったため,当該箇所の記述を引用して考察してみ たい.
(17)[MMK ch.7, 3]
atha khalu bhagavān śākyamunir mantraṃ bhāṣate sma //
oṃ vākyārthe jaya / oṃ vākyaśeṣe sva / oṃ vākye khaṃ jaya / oṃ vākyaniṣṭhe ya / oṃ vākye ya namaḥ / oṃ vākye daṃ namaḥ
1/
ity ete mañjuśrīḥ kumārabhūta tvadīyaṣaḍmantrāḥ ṣaḍakṣarā mahāprabhāvāḥ tulyabalavīryāḥ
paramahṛdayāḥ paramasiddhā buddha ivotpannāḥ sarvasattvānām arthāya sarvabuddhaiḥ
saṃprabhāṣitāḥ samayagrastasaṃpracalitasārvakarmikā bodhimārgānudeśakāḥ tathāgatakule mantrapravarāḥ uttamamadhyametaratridhāsaṃprayuktāḥ
2suśobhanakarmaphalavipākapradāḥ śāsanāntardhānakālasamaye siddhiṃ yāsyanti / ...
tasmiṃ kāle tasmiṃ samaye mahābhairave pañcakaṣāye sattvā alpapuṇyā bhaviṣyanti / alpeśākhyā alpajīvino ’lpabhogā mandavīryā na śakyante ativistaratarapaṭavidhāne karmasādhanādīni karmāṇi prārabhantum / teṣām arthāya bhāṣiṣye saṃkṣiptataram
3//
そのとき実に世尊釈迦牟尼は真言を説いたのである.
①オーム.言説の義利を有する者よ,勝利よ.②オーム.言説の残余を有する者よ,
スヴァ.③オーム.言説よ,カム,勝者よ.④オーム.言説に巧みな者よ.ヤッハ.
⑤オーム.言説よ.ヤ.帰依致します.⑥オーム.言説よ.ダム.帰依致します.
以上のこれらは,文殊師利童子よ,汝の六首の真言であり,六字からなり,大力を有 し,等しく力と強さを有し,最勝心呪であり,最勝の成就を有し,一切有情のために 仏の如きものが生起したのであり,一切諸仏によって説かれたのであり,確立された り混乱した三昧耶を有する者たちのあらゆる儀礼行為に関するものであり,菩提道に 導くものであり,如来の部族の中で最勝なる真言であり,最勝・中位・その他
(
小位)
の三種の[
パタ儀礼]
に用いられるものであり,とてもすばらしい儀礼行為の結果を実 らせるものであり,教義が埋没した時であっても,悉地に至るであろう....
そのときその機会に,大いなる怖畏のある五濁のときに,有情たちの福徳は少なくな るであろう.身分の低い者たち,短命の者たち,恵まれない者たち,弱者たちは,あ まりに詳細なパタの儀則の場合,儀礼の所作を行うことを始めとする諸々の儀礼行為 を始めることができない.
[
そこで]
彼らのために,私は非常に要略して説くであろう.
引用文
(17)
において示される6
首の六字真言の解釈は非常に困難であり,且つ,解釈するこ と自体がここでの考察に有益な情報を与えてくれるとも思えないので,各々の六字真言の 解釈は省略したい.ただし,付言しておく必要があるのは,下線部1の6
首目の六字真言で ある.詳細は,資料篇<試作テクスト>第7
章の後註に示したが,この下線部1の六字真言 は,本経以外にも,阿地瞿多訳『陀羅尼集経』「文殊師利菩薩法印呪」23,菩提流志訳『六 字神呪経』24を始めとする六字文殊成就法の真言と一致する25.したがって,本経第7
章は,六字文殊成就法と密接な関係にあることがわかる.
一方,下線部
2
では,六字真言が最勝パタ・中位パタ・その他の三種のパタに関わる密教 儀礼に適応することが説かれている.ここでは,三種目のパタをitara
という少々曖昧な語 が使用されているが,おそらく文脈上,小位パタを指していると考えてよいだろう.しか し,それでは当該の第7
章で説かれている第四パタを全く考慮していないことになる.この 問題は,第四パタの画像にも関わる問題であるため,研究篇<本論>第2
章において改めて 考察するが,以下に筆者の考えを簡潔に示しておく.次章で後述するように,パタの画像 に注目すれば,第6
章所説の小位パタ,そして第7
章の第四パタの画像は,六字文殊成就法 において用いられるパタの画像と類似する.六字文殊成就法の関連文献は数多く現存して いるため,この種のパタは,数多く存在していたことは明らかである.そこで,小位パタ・第四パタと同様のパタ全般,すなわち六字文殊成就法に用いられるパタ全般を指して,
itara
の語を用いたのではないだろうか.このように考えれば,小位パタも第四パタも含意されることになり,六字真言の汎用性がより強調されることになるだろう.いずれにしても,
下線部
2
の記述から,第7
章の第四パタ作製儀則も,前三章との関連が少なからず意識され ていたことを読み取ることができる.この点は,研究篇<本論>第2
章において,パタの画 像に関する考察を絡めて改めて考察することにしたい.最後に下線部
3
には,前項1.5.1.
で言及した内容と類似した特徴を見ることができる.す なわち,五濁の悪世に言及し,そのような末世の中で苦しむ社会的弱者や,機根の乏しい 者たちに対して,当儀則が説示されることを釈迦牟尼が明かしている.このような記述の 背景には,当時の密教者のみならず,幅広い一般民衆をも対象とし,パタの殊勝な功徳,さらにはそれを得るためのパタの密教儀礼を宣揚しようとする意図があったように考えら れる.
1.5.3. 画布の作製規定
では,前項の六字真言に続いて説示される第四パタの画布の作製規定について見ていき たい.
(18) [MMK ch.7, 4-1]
ādau tāvad vīrakrayeṇa sūtrakaṃ krītvā, palamātram ardhapalamātraṃ vā, hastamātraṃ dīrghatvenārdhahastamātraṃ tiryak karpaṭaṃ sadaśaṃ tantuvāyena vāyayitavyam / apagata- keśam anyaṃ vā navaṃ karpaṭakhaṇḍaṃ pratyagram ata ūrdhvaṃ yathepsitaḥ dvihastacatur- hastaṃ vā ṣaṭ pañca daśa vāṣṭaṃ vā suśuklaṃ saṃgṛhya, yathepsitaḥ citrakareṇa citrāpa- yitavyam aśleṣakai raṅgaiḥ candanakarpūrakuṅkumavāsitaiḥ paṭaṃ, candanakuṅkuma- karpūraṃ caikīkṛtya niṣprāṇakeṇodakena niṣkaluṣenāloḍya nave bhāṇḍe paṭaṃ plāvayitvā, divasatrayaṃ supidhānapihitaṃ sthāpayet / kṛtarakṣāṃ śucau deśa ātmanaś ca śucir bhūtvā, śuklapakṣe pūrṇamāsyāṃ paṭabhāṇḍasyāgrataḥ pūrvābhimukhaḥ kuśaviṇḍakopaviṣṭa ime mantrapadā aṣṭaśatavāram uccārayitavyāḥ / tadyathā
oṃ he he bhagavan bahurūpadhara divyacakṣuṣe avalokaya avalokaya māṃ samayam anusmara kumārarūpadhāriṇe mahābodhisattva kiṃ cirāyasi / hūṃ hūṃ phaṭ phaṭ svāhā //
anena mantreṇa kṛtajāpaḥ tatraiva svapeta / svapne kathayati siddhim asiddhiṃ vā //
tata utthāya mā vilambitaṃ siddhinimittaṃ svapnaṃ dṛṣṭvā taṃ paṭaṃ likhāpayet / na ced siddhinimittāni svapnāni dṛśyante, tatpaṭaṃ tasmād bhāṇḍād uddhṛtyātape śoṣayet / śoṣayitvā ca bhūyo ’nye nave bhāṇḍe nyaset / suguptaṃ ca kṛtarakṣaṃ ca sthāpayet / tato bhūyo teṣāṃ paramahṛdayānāṃ anyatamaṃ mantraṃ gṛhītvā, yatheṣṭataḥ ṣaḍakṣarāṇāṃ bhūyo ’kṣara- lakṣaṃ japet / tata āśu tatpaṭaṃ sidhyatīti //
まず始めに,勇ましい購入によって綿糸を買い,1パラあるいは半パラの重さで,縦
1肘
(hasta)
,横半肘の長さで,縁を有する布地が織工師によって織られるべきである.あるいは,毛羽立ってなく他の新しい布地の断片を,