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第 3 章 パタの密教儀礼について

3.1.   パタを見る功徳

  まず,“パタを見る”功徳について言及する記述として以下をあげることができる.

(1)[MMK ch.5, 3.]

rogī mucyate rogād daridro labhate dhanam // 5 //

aputro labhate putraṃ madhyame paṭadarśane /

中位のパタを見るならば,病を患う者は病から解放され,貧しい者は富を得て,息子 のいない者は息子を得る.

(2)[MMK ch.5, 3.]

na śakyaṃ vācayā vaktum api kalpāgrakoṭibhiḥ /

yat puṇyaṃ prāpnuyāj jantuḥ saphalaṃ paṭadarśanād // 10 //

千万劫の時間をかけても言葉で言い表せない程の有益な福徳を,人はパタを見ること より得るだろう.

(3)[ MMK ch.6, 2.]

yat puṇyaṃ sarvabuddhānāṃ pūjāṃ kṛtvā tu tāyinām // 4 //

tat puṇyaṃ prāpnuyād vidvān kanyasapaṭadarśane /

保護者である一切の諸仏に供養をなすと,功徳があるが,それほどの功徳を,知者は 小位パタを見るときに得るだろう.

まず引用文

(1)

は,中位パタを見ると,病を患う者はその病が治癒し,貧しい者は富を得て,

息子のいない者は息子を得るという,現実の実生活に密着した現世利益を得られることを 説いている.

(2)(3)

には,現世利益の具体的な記述は見られない代わりに,各々のパタを見 ることで得られる功徳の広大さを述べている.なお,最勝パタの儀則には,求める利益や 悉地の違いによって,三種のパタに一応の区別があったことを確認できるが4,このような 区別は,あくまで密教儀礼を行うことによって利益や悉地を得ようとする行者の視点に立 つものだと考えられ,在家信者を主な対象とする世間レヴェルでは,三種のパタの功徳が,

どこまで区別されていたかは甚だ疑問である.そもそも世間レヴェルの立場では,三種の パタから得られる功徳に優劣をつけるような意識がなかったのではないだろうか.

  そのことを証明するように,以下にあげる三種のパタの讃嘆偈には,パタを見ることに よって得られる滅罪の功徳が全てのパタに共通して説かれている.

(4)[MMK ch.4, 4.](

最勝パタの讃嘆偈

)

ālikhet yo hi vidvān vai tasya puṇyam anantakam /

yat kṛtaṃ kalpakoṭībhiḥ pāpakarmasudāruṇam // 61 //

naśyate tat kṣaṇād eva paṭaṃ dṛṣṭvā tu bhūtale / pañcānantaryakāriṇaṃ duḥśīlān jugupsitān // 62 //

sarvapāpapravṛttānāṃ saṃsārāndhāracāriṇām / gatiyoninikṛṣṭānāṃ paṭaṃ teṣāṃ na vārayet // 63 //

darśanaṃ saphalaṃ teṣāṃ paṭaṃ maunīndrabhāṣitam / dṛṣṭamātraṃ pramucyante tasmāt pāpāt tu tatkṣaṇāt // 64 //

61.[

パタを

]

描くかの智者には無量の福徳がある.コーティ刧の間になされた非常に凶 悪な悪業,

62ab.

それが,地上においてパタを見ると,すぐに滅するだろう.

62cd.

五無間罪をなした者,誤った習慣を有す者たち,非難される者たち,

63.

あらゆる罪を犯した者たち,輪廻の暗闇の中で生活する者たち,死後の所趣や生ま れの下劣な者たち,そのような者たちに,パタ

[

を見ること

]

を妨げるべきでない.

64.

彼らにとって,最勝の牟尼によって説かれたパタを見ることは有果であり,見ただ けでその瞬間に,その罪から解放されるだろう.

(5)[MMK ch.5, 3.] (

中位パタの讃嘆偈

)

yat kiṃcit kṛtaṃ pāpaṃ saṃsāre saṃsarataḥ purā / naśyate tat kṣaṇād eva paṭasaṃdarśanād iha // 2 //

以前にいかなる罪がなされ,輪廻の中をさまよっていても,ここにおいてパタを見る

ことより,その罪がまさに瞬間に滅するのである.

(6)[MMK ch.6, 2.] (

小位パタの讃嘆偈

)

yat kṛtaṃ kāritaṃ cāpi pāpaṃ karma sudāruṇam / kalpakoṭisahasrāṇi darśanāt paṭaṃ mucyate // 2 //

paṭaṃ tu dṛṣṭamātraṃ vai tatkṣaṇād eva mucyate /

2.

百億劫の間に,なしたり,なさせられた,ひどく残酷な悪業であっても,パタを見 ることより解放される.

3ab.

パタを見るや否や,まさにその瞬間に,解放される.

引用文

(4)(5)(6)

によれば,パタを見ることで得られる滅罪の功徳には,あらゆる罪人や社会

的弱者を救済する意図もうかがい知ることができる.功徳を生むような善行を行い,天界 に生じることを願う習慣は,広くヒンドゥー文化の根底にあることが指摘されていること から5,特に,今生あるいは過去世から積み重ねてしまった罪障や悪業を滅することは,一 般民衆の切実な思いであったに違いない.このような民衆の実生活に根付いた宗教慣行を くみ取るように,本経の三種のパタには滅罪の功徳が具えられていると考えられる.

  したがって,引用文

(1)–(6)

のパタを見る功徳を説く記述から,パタは行者が儀礼を行う 際の視覚的補助手段として用いられていただけでなく,幅広い一般民衆を対象とした現世 利益を得るための手段,さらには救済手段としても機能していたことがわかる.研究篇第

4

章で言及したように,特に最勝パタは,経典に描写されたワンシーンを切り取ったよう な説法図や浄土図のような構図を有するとともに,「千仏化現」という仏伝文献の著名な 場面をモチーフとした作例と共通する要素も取り入れていた.このような特徴を有するパ タの画像は,一般の在家信者を始めとして仏教の知識を全く持ち合わせていない者たちに 対しても,その趣意が容易に理解され,一種の「絵解き」のような役割も担っていたので はないだろうか.それゆえ,パタの功徳が広く宣揚されることで,いわゆる「御利益のあ るもの」としてパタが一般民衆に対して流布したことは想像に難くない.そして,このよ うなパタに対する信仰を基盤とし,行者がパタ作製のための資財を得ていたと思われる6.   さらに,パタを見ることによって滅罪の功徳があると説く同様の記述は,下記の文献に も確認できる.

(7)[Amoghapāśakalparāja,

密教聖典

[2000, 45b3]

・木村

[2001, p.22, 6–8.])]

saha darśanamātreṇa ayaṃ duṣyapaṭaṃ janmaśatasahasraṃ avīcisañcitaṃ pañcānantarya- kārakaṃ te sarve naśyanti vinaśyanti /

この布のパタを見るだけですぐに,十万の生の間に積集した無間地獄

[

に陥る原因とな る悪業

]

や,五無間罪をなす

[

悪業

]

,そのすべてが消滅する.7

(8)

『菩提場所説一字頂輪王経』8

(vol.

19, p.199c5–10

)

此輪王佛頂大畫像儀軌.無量佛宣説.纔見一切罪悉皆消滅.金剛手若得圓具依法畫.

纔見衆生滅除五無間罪.遠離一切罪.若見此微妙像.一切如來之所説.其人現世有報.

今世及他世倶胝劫作一切罪.由見此像悉皆消滅.

引用文

(7)(8)

は,いずれもパタを見ることによって罪障が消滅されると説いている9が,特 に引用文

(8)

下線部に確認できる滅罪の功徳は,上記の引用文

(4)(5)(6)

で見た記述とよく一 致している.したがって,パタを見る功徳は,パタを説く種々の初期密教経典に確認でき ることがわかり,特に滅罪の功徳は,前述したようなヒンドゥー文化に根付いた輪廻や生 天思想を背景として,あらゆるパタが共通して具えていた功徳と考えるべきであろう.

  また,パタ作製儀則において重要な役割を持つ織工師に対しても,注目すべき功徳に関 する記述が確認される.

(9)[MMK ch.4, 3-2-1]

tathā mūlyaṃ tato dattvā yathā vadati śilpinaḥ /

prathame vāksamutthāne śilpinasya sa mantravit // 11 //

dadyāt mūlyaṃ tataḥ kṣipraṃ vīrakrayeti sa ucyate / prārthanād eva caitasya mūlyabhāṣā na jāpine // 12 //

śilpinaṃ svastyayitvā tu saṃvibhāgārthavistaraiḥ /

gatvā yatheṣṭato mantrī susamācārasuvratī // 34 //

11.

そこで,織工師が述べる通り,その通りの価格の金銭を与えて,織工師の

[

対価に 関する

]

始めの声の生じた際に,彼の真言を知る者

(

行者

)

は,

12.

それより直ちに金銭を与えるべきであり,それは勇ましい購入と言われる.彼

(

織 工師

)

の要求に応じて

[

金銭を与えるべきであり

]

,持誦者

(

行者

)

においては価格につい て交渉しないのである.

34.[

パタの

]

広大な利益を分配することによって,織工師に安寧を与えて,真言行者は,

善き行いと善き誓いを保持し,意のままにおもむき,

引用文

(9)

は,最勝パタ作製儀則において,行者が画布の作製を織工師に依頼する際の費用 に関する規定を示しており,

v.12b

句の下線部

vīrakraya(

勇ましい購入

)

10によって,織工師 に対する対価を与えるべきことを説いている.このような行者と織工師の関係の実態を読 み取れる記述は非常に興味深い.

  しかし,本節の観点から注目すべきなのは,

v.34

の二重線部である.

vv.11–12

では,画 布作製の費用に関する現実的なやり取りが明らかにされているが,

v.34ab

では「織工師に 対してパタの広大な利益を分配することによって安寧を与える」とある.したがって,パ タを作製する織工師に功徳を積ませるという功徳観念が,少なからず意識されていたこと を読み取れる.

  以上のように,容易に現世利益や滅罪の功徳をもたらすパタの機能は,パタを身近なも のとし,行者のみならず,幅広い在家信者や職人たちに対しても,パタを作製する意義を 知らしめる効果があったと考えられる.それゆえ,世間レヴェルの功徳を与えるパタの機 能は,パタを作製するための資財の布施,あるいは職人たちの技術の提供へとつながり,

行者たちを支える重要な役割を担っていたと考えられる11

  なお,田中

[2010b, pp.5–6]

は,最勝パタの作例に比定するトンワトゥンデン図の名称の由 来を,引用文

(4)

v.64

に対応するチベット訳

(ras ris mthong ba’ang don ldan zhes || thub pa’i

dbang pos gsungs pa yin || mthong ba tsam gyis dag ’gyur te || de bas skad cig de tsam gyis ||)

に求め ている.この田中博士の見解に依拠するならば,チベットでは,最勝パタが「見るだけで 利益のある

(mthong ba’ang don ldan)

パタ」という呼称で呼び慣わされていたわけであり,こ れまで述べてきたような「パタを見る功徳」がチベットへも伝播し,伝持されていたこと を知ることができる.