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第 2 章 プロティノスの三つの原理と永遠

第 1 節 三つの原理

1.魂

魂(プシューケー)は、の訳である。古代ギリシア語では、この語は「生命」や「生 気」という意味も含み、生命能力全体をつかさどるものとして把握される。

プロティノスにおいては、大きく三つの魂の捉え方がある。すなわち個別の魂、万有の 魂、そして本来の一なる魂である。個別の魂や万有の魂はその働きによって区別されるが、

本来はひとつの魂で、知性由来であり、かつ知性のもとにある魂である。

個別の魂は、その魂の宿る物体のあらゆる部分に内在するという意味では分割可能だが、

いかなる物体の部分にも全体として内在するという意味では不可分であると言われる。つ まり魂は、物体に接する領域で区別が生じているにすぎないが、本来は一つなのである1。 生きものに宿る魂のうち、その最も下位の部分は、意識の及ばない成長や生殖などの、

生命活動をつかさどる魂の部分である。これは植物的な部分()と言われたりも する。生きものは植物であれ動物であれ、この部分を働かせていることになる。

個別の魂のうちで主に議論されるのは人間の魂についてであり、そこではプラトンやア リストテレスの魂の区分説が議論に応じて用いられている。このときは「心」や「精神」

に近い意味をもつが、魂は意識されない部分も含めた全体として把握されなければならな い。というのもプロティノスにおいては、意識されている部分は魂の一部分に過ぎないか らであり、植物的な部分だけでなく、知性のもとにとどまっている魂も普段意識されてい ないが常に働いている。

思考はこの世界に魂がやってきたときに生じたとされ、知性界にいる魂は推理思考を必

1 Ⅳ2. 1. 53-66.

2 プロティノスの三つの原理と永遠 43 要としない2。人間の魂に関する問題は、知覚や思考する部分との関係もありかなり複雑で ある。この問題については本稿第7章、第8章で扱う。

万有の魂は、大地、海、空気、天のうちの星々、太陽、そして天体すべてを秩序づけ、

動かし、生命を与える魂である3。万有はこの魂ゆえに生命をもち、一つになっていると言 われる。したがってこの場合、一般に生命がないとされる自然界の諸物も、全体としては 生命をもっているということになる。いわば感覚世界全体の秩序に携わっている魂で、個 別の魂が下方へ深く降りてきて素材としての身体(物体)と結び付き、個物に分かれてい るのに対して、万有の魂は降りてくることがなく知性界にとどまっているとされる。

万有の魂は感覚界に降りてきてはいないが、存在の階層において万有の魂のさらに下位 に位置づけられる自然()が降りてきて、万有の魂から受け取った形相あるいはロゴ スによってこの世界の形成に携わっている。ロゴスは、「言葉」や「言論」、「理性」といっ た意味で用いられるが、ここで言われるロゴスは、もっと広い連関で理解しなければなら ない。それは世界にゆきわたっている「ことわり」や「形成原理」のようなものとみなす ことができる。このロゴスによって万有は秩序づけられ、全体が統一された生命となって いるのである。世界にゆきわたるロゴスという見方には、ストア派の影響もみることがで きる。全体がひとつの魂であるということから、魂の共感といったことも説明される4

魂が知性界にとどまっているという説は、プロティノス自身がプラトンの言説5から説明 できると述べている6。人間の魂のうちの栄養摂取などの能力は、万有の魂由来とされ、そ の支配のもとにあるが7、人間の魂も知性界にとどまっている部分をもっているので、すべ て万有の魂に支配されているわけではなく、自己の魂を純粋にすることによって、自己の 起源である知性界へもどることができるとされる。

2.知性

知性()は、プラトンが『パイドン』で、アナクサゴラスの説として語っている8。 そこでは知性は万有の原因と考えられていた。『パイドン』でのソクラテスは、アナクサゴ ラスの説をあまり評価していなかったが、『ティマイオス』では、アナクサゴラス説を思わ

2 Ⅳ3. 18. 1-15.

3 Ⅴ1. 2. 1-9

4 Ⅳ3. 8. 1-3.

5 プラトン『ティマイオス』34e、36e参照。

6 Ⅴ1. 10. 21-25

7 Ⅳ9. 3. 23.

8 プラトン『パイドン』97c以下。

2 プロティノスの三つの原理と永遠 44 せる、万有の成り立ちが述べられている。プロティノスも、プラトンが『ティマイオス』

で語っている万有をつくる「制作者()」とは、知性のことであろうと解釈して いる9。

プロティノスにおいては、知性は魂が宿るあらゆるものの原型()で、すべて を自己のうちにもつ飽満()の神といった表現で説明される。それは永遠に静止し、

すべてが満たされているので変化もなく、完全で、そのうちには思惟しないものはなく、

思惟していても、探求するような思惟ではなく所有しているのだとされる10。所有している のだから知性はすべてを常に知っているのである。

『ティマイオス』で、時間は永遠の動く似姿と言われているように11、プロティノスも知 性のありかたは全くの永遠であり、時間は永遠をまねていると考える。それは過去も未来 もなく、いつも「ある()」と言われる12

知性は思惟()とも言い変えられて、存在すなわち「あるもの()」と同一 視されるが、その関係は次のように説明される。

それら(思惟とあるもの)は同時的で共にあり、互いに離れているのではなく、一つ のものは二つのありかたをしていて、つまり同時に知性とあるもの、思惟するものと 思惟されるものである。知性は思惟の側に、あるものは思惟されるものの側にある。(Ⅴ 1. 4. 30-33)

知性の思惟の働きは思惟対象と同じものというのは、プロティノスの知性の大きな特徴 で、思惟対象は存在のすべてであり実在(イデア)である。知性はすべてを知っていると いうことは、知っている対象のすべてが知られているのでなければならない。ある時は知 り、ある時は知らないということではすべてを知っているということにならないから、す べてを同時に知っているということになる。そういう意味で、知るものと知られるものは 同時であるし、離れているのでもない。離れているのではないから二つでありながら一つ と言われるのである。

プラトンの場合、世界制作者は原型(イデア)を観ながら世界を作るのだが、プロティ ノスの場合、制作者とモデルが、知性という一にして二なるものとして解釈されているよ うだ。知性の世界にはあらゆるものが存在するので、そこはあらゆるものの生命が満ち溢

9 Ⅴ1. 8. 5.

10 Ⅴ1. 4. 1-16.

11 プラトン『ティマイオス』37d。

12 Ⅴ1. 4. 16-25.

2 プロティノスの三つの原理と永遠 45 れ沸き立っている世界である13

知性は永遠であり、時間のうちにないということが、ある時は知り、ある時は知らない ということがありえないということを説明する。知性の知は時間的なプロセスを持たずに、

一挙にすべてを知るのである。

さらにプロティノスは、プラトンの『ソフィスト』14で述べられている、イデアの最高類 である「有」「異」「同」「動」「静」も知性の多様性として取り入れている15。このように知 性には、知るものと知られるものという区別や、最高類の区別が理論上つけられるので、

その意味で完全に一なるものではない。

そもそも「ある」とか「存在する」ということが成り立つためには、一つの存在として の限定があってはじめて可能であり、限定することが「知る」ということでもある。一方 知ることが可能となるのも、限定する対象としての存在があるからであり、知性の多様性 もその点から理論上述べられている。そこでプロティノスは、知性が思惟し、思惟対象と しての実在がなりたつためには、その限定を可能にする究極の一なるもの、つまり一者が なければならないと考える。

3.一者

一者()は、限定を可能にするものだから、それ自体は無限定である。だから本来 一者として語ることもできないのだが、便宜上一者と呼ばれる。それは、「すでに完全なも のはすべてを生む。常に完全なものは、常に永遠的なものを生む」16と言われるような、「あ らゆるものを可能にする力」17である。したがってこの生み出す力は、何かを意図して作る といったものではなく、完全で満たされているから溢れだすように出てくるものである。

プロティノスは、一者の生み出す力と生み出されたものとの関係を、円光、火と熱、雪の 冷たさ、芳香などの喩えを用いて説明する。いずれも元となるものはとどまって、周辺を めぐるものはその影響下にあるということを表している。この流れ出すような一者の能力 によって知性、魂が生じてくるのだが、その過程は「時間のうちでの生成は問題外」だと 言われる18。つまりこれは永遠的な存在の因果的な序列の説明であって、時間的な出来事で はない。そして一者は存在をも超えているのである。

13 Ⅵ7. 12. 12. 22-23.

14 プラトン『ソフィスト』256d。

15 Ⅴ1. 4. 33-43.

16 Ⅴ1. 6. 38-39.

17 Ⅴ1. 7. 10.

18 Ⅴ1. 6. 19-20.