第 3 章 パルメニデスのあるもの
第 2 節 あるものの時間性
第3章 パルメニデスのあるもの 66 パルメニデスが、プラトンのような時間の原型としての永遠論を語っていないことは確 かだが、「あった」や「あるだろう」を生成の世界に位置付けて実在の世界から排除し、あ るという実在をあることのみに認める点で両者はほぼ一致するとみていいと思われる。
そこでパルメニデスは、無時間的永遠の概念に達した最初のギリシア人かどうかという 議論がいろいろと研究者の内でなされている。
第3章 パルメニデスのあるもの 67 違である。すなわちパルメニデスが、「今()あるのである」と「今」という語を用いて いる事実は、彼が無時間性を主張していないということを示している。というのも今は時 間の部分である。プラトンは『ティマイオス』で だけをあるものに適用しているが、
パルメニデスはそのように語ってはいないといった理由である。
Taránはさらに詳細な分析を行いながら、パルメニデスが無時間的永遠の概念を把握し
ていたと結論づけるためには、少なくともパルメニデスはそのことに明確でなければなら ないと語り、彼の思想のうちに無時間的永遠を予見させるものがあったとしても、彼自身 はそうではなかったと見ている。
Tarán が挙げている、このプラトンとの比較は興味深い。確かに上記のパルメニデスと
プラトンの引用文を比較すると、パルメニデスは「あった」と「あることになる」を否定 して、「今ある」を肯定しているが、プラトンは「あった」と「あることになる」を時間の うちにあるものとして否定して、「ある」だけを肯定している。そしてこの「ある」には「今」
という副詞はつけられていない。さらには、文章の後半部では、「かつてなったこと」「今 なってしまったこと」「これからあるだろうこと」なども時間の経過のうちのものとして否 定されている。
動詞に注目すれば、未完了、アオリスト、現在完了、未来の時制がすべて否定され、現 在形だけが肯定されていることになる。プラトンは明確に時間のうちのものと時間のうち にないものとを区別し、「今」という副詞を時間のうちにあるもののほうに付している。こ のことは、プラトンの『パルメニデス』の次のような一節によっても確かめられる。
より年長であるということは、それが成長という点で、あったとあることになるの中 間である今という時間に基づく場合のことではないか。
(
)(152b2-4)
プラトンはここでも「今」を時間のうちにおいて語っているのは確かである。このこと から、パルメニデスとプラトンは、その表現が類似していても同一の語りかたをしている のではないことは明らかであり、プラトン自身もパルメニデスのあるもののあり方に関す る説明には曖昧さを認めていたのかもしれない。
しかし、プラトンとパルメニデスの「今」についての語り方が違うといっても、そのこ とで、パルメニデスに無時間的概念がなかったと即断することもできないだろうし、Tarán は「今」は時間の部分であると言っているが、それが適切かどうかも疑問の残るところで
第3章 パルメニデスのあるもの 68 ある。だが全体としてみれば確かに否定されているのは生成消滅であって、時間まで否定 されているようには思われない。
Mourelatosは、パルメニデスのあるものは、時間から独立的なあるいは中立的な教義で
あることは確かだが、無時間性の教義とするのは確かではないと折衷案を考えている10。
Gallop は、Taránが挙げているような「今」や持続に関する見方に同意して、無時間性
をパルメニデスに帰するのは難しいと考える11。Austin は、どちらの選択肢もとらず、問 題の「今」について、永続性にも永遠性にも適合すると結論を避けている12。
以上のように、パルメニデスの無時間性の問題をめぐっては未だに様々な解釈がなされ、
結論は出ていない。テクスト自体の解釈も含め、限られた断片から結論を出すのは困難だ と思われる13。
ただ、パルメニデスが、生成変化する世界を「あった」や「あることになる」という概 念と結び付け、一方実在の世界を生成変化の世界から極限まで切り離そうと試みたことは、
プラトンによって意義深く受容され、プラトンがイデア世界を思い描く契機となったであ ろうことは十分考えられることである。無時間的永遠の概念にパルメニデスが達していた
10 Mourelatos, 1970, 110.
11 Gallop, 1991, 13-14.
12 Austin,1986, 72. Coxon(1986, 196)は、パルメニデスの断片8. 5の「今」を時間の瞬 間でもなく、時間の部分でもなく、同時性であるとして、今を時間のうちに認めること を否定している。
13 ただテクストに関しては近年、Stamatellos(2007, 109-110)がCoxonのテクストの読 み方に注目して、別の可能性も提案している。Stamatellosは、パルメニデスのあるもの に無時間性を認めることを主張する立場だが、その理由のひとつとしてDiels の断片8.
36-38の扱いに言及している。この部分に関しては、シンプリキオスには2通りのテクス
トがあって(Dielsもそれを脚注で認めている)、Dielsの採用したテクストに基づいて
Taránは、パルメニデスは時間に言及していないと主張しているのだが、Coxon(1986, 76)
が採用したテクストの読みに従うと以下のようになる。「時間は、あるものとは別の何か であることも、何か別のものになることもない。というのも運命は(それを)、完全で不 動であるよう縛り付けているのだから(
)」。Dielsでは、
の部分が<>となっており、「あるもののほかには、
なにもあることはなく、あることになることもない」と読まれる。Stamatellosは、Coxon のものを、韻律的にも、断片8. 5-6との整合性からも採用すべきであると主張している。
確かに、このテクストを採用するならば、パルメニデスは時間に自覚的に言及している ということになるが、この一節が無時間性や時間を超える永遠を示唆していることにな るのかどうか断定はできないように思われる。時間は運命によって縛りつけられている で、流れる時間ではなく、あるものと一体となって止まっているような時間がイメージ される。しかしそうだとすれば、あるものは時間を超えているというよりも、時間と一 体となっているのではないだろうか。その意味でこの一節を採用したからといって、パ ルメニデスに無時間性を求める立場の者にとっては、かえって有利なテクストとはなら ないのではないかと思われる。
第3章 パルメニデスのあるもの 69 かどうかはともかく、彼がプラトンの永遠的な概念の形成に関して大きな役割を果たして いたことは間違いないと思われる。そこで次にプラトンの永遠をみていきたい。