︒︶
④茶 屋遊 びで の物 真似 の系 譜を 引く 狂言 は﹁ 色っ ぽい こと
﹂が 人気 で︑ 島原 狂言 と総 称さ れる 好色 の新 形式 とな り︑ 若衆 によ る﹁ 女おんな 方がた
﹂が 効果 的な 魅力 を発 揮し た︒
﹁ふ たな りひ ら﹂ と称 えら れも した が︑ 技芸 の質 も問 われ る よう にな った
︒玉 川千 之丞
・玉 川主 膳な どが 一六 六〇
︱
七〇年 代に かけ て︑ 京都
・江 戸で 活躍 し評 判を えた
︒カ ブ キの 技芸 は女 性表 現に おい て開 花し たこ と︵ 三〇 頁︶
︑ま たヤ ヤコ 踊り に始 まり 狂言 尽し と呼 ばれ るよ うに なっ た 変化 は︑ 感性 の踊 りか ら知 性の 狂言 へと
︑観 客に 人間 行動 に関 する 客観 的理 解を 要求 し︑ 文芸 の担 い手 とな る時 期 の到 来を 予測 させ る︒ その 典型 例が
前 句付 け の興 行で あっ た︒ 連歌 の 前句 付け が 興行 とい う形 態に よっ て庶 民の 間に 普及 し︑ 観客 の意 識は 知へ の関 心を 高め︑知 略を めぐ らせ る内 容を もっ た狂 言を 作ら せる こと とな った
︵三 二頁 以下
︶と いう
︒そ の先 駆け は
金こん 平ぴら 浄瑠 璃︵一 七世 紀後 半の 酒呑 童子 退治
﹃四 天王 武者 修業
﹄︿ 一六 五九 年﹀
︑﹃ 天狗 羽打
﹄︿ 一六 六〇 年﹀
︑﹃ 渡辺 知略 討﹄
︿一 六六 五年
﹀︶ であ り︑ 人々 が求 めた もの は︑ 知略 をめ ぐら せた 続き 狂言 であ った
︒ 続き 狂言 の初 めは
﹃今 川忍 び車
﹄・
﹃非 人敵 討﹄ であ り︑ 知略 が原 動力 とな って 行動 の連 鎖的 展開 が必 然化 され
︑ 見せ 場が 形作 られ た︒ この 続き 狂言 を作 らせ た媒 体は
︑能 であ り浄 瑠璃 であ るが
︑重 要な ポイ ント は︑ 続き 狂言 で ある 以上
︑配 役上 の人 間関 係が 決め られ なけ れば なら ず︑ そこ に役 柄が 成立 した
︵一 六八
〇年 ごろ
︶︒ 立役
︑女 方︑
若衆 方︑ 親仁 方︑ 敵役
︵悪 人方
︑︶ 花車 方︵ 年増 の女 性︶
︑道 外方 であ る︒ と同 時に
︑か つて のカ ブキ 者は
︑狂 言に おけ る
ヤツ シ︵ 常態 を超 えた 変身 を︶ 通し 主人 公と して 復活 する︵四 二頁
︒︶ ヤツ シに は︑ 知略 のヤ ツシ と卑 しい ヤツ シが ある が︑ ヤツ シ狂 言の 成立
︵﹃ 野良 関相 撲﹄ 嵐三 右衛 門︶ が歌 舞伎 の 始ま りと
︑著 者は いう
︒そ の代 表例 が﹃ 煙草 屋衆 道時 雨の 傘﹄ の上 演︵ 一六 八〇 年ご ろ︶ であ る︒ その 二年 後に 西 鶴が
﹃好 色一 代男
﹄︑ さら に三 年後 に近 松が
﹃出 世景 清﹄ を書 いて
︑浄 瑠璃 の新 時代 に入 ると いう 経緯 をた どる
︒ 嵐三 右衛 門の ヤツ シを 継承 した のが 坂田 藤十 郎︵ 近松
﹃け いせ い仏 の原
﹄︿ 一六 九八 年﹀ で︶ ある
︒こ の狂 言は 御家 騒 動を 描い てお り︑ 非日 常的 な異 常な 劇し い行 動︑ つま り
劇 の展 開を 提案 する こと とな った︒ 著者 はい う︑ ヤツ シは 絵空 事で はな く︑ 当時 の社 会の 現実 であ った から
︑ヤ ツシ を核 とす る劇 の出 現は
︑社 会の 精神 的基 盤が 用意 した もの であ る︵ 五七 頁︶ と︒ 劇の 生み だす ヤツ シの 葛藤 は社 会的 普遍 性を もち
︑広 く観 客に 受 け入 れら れ︑ カブ キ者 を主 人公 とす る歌 舞伎 が劇 的芸 能と して その 価値 が認 めら れた
︵五 八頁
︶と もい う︒ こう し て︑ 元禄 文化 の一 翼を 担っ た一 六八
〇年 以降 の芝 居は
︑坂 田藤 十郎
・山 下半 左衛 門・ 初代 中村 七三 郎の ヤツ シと 初 代市 川団 十郎 の荒 事が 喜ば れた
︒ヤ ツシ が筋 の一 貫す る人 間の 生に 関わ るも ので ある のに 対し
︑荒 事は 瞬発 的エ ネ ルギ ーを 表す 見せ 場の 羅列 を尊 重す ると いう 違い があ る︒ 江戸 文化 と上 方文 化の 違い であ る︒ 以後
︑ヤ ツシ は歌 舞伎 のパ ラダ イム とな って
︑人 間の 生き る両 義の 世界
︵こ の世 とあ の世
・人 間界 と異 界・ 愛憎 の 世界 など
︶の 認識 をふ くら ませ てゆ く︵ 第二 章︶
︒
⑤両 義の 世界 は︑ 心の 動き を表 情で 示す
﹁思 い入 れ﹂ の技 法を 普遍 化し
︑内 面化 され た心 を表 面化 する 人間 理解 が︑ カブ キの 新し さを 生む
︒い わゆ る
男立 て︑立 役の 出現 であ る︒ いよ いよ 近松 門左 衛門 の出 番と なり
︑一 七〇 五年 一一 月︑ 竹本 座に
﹃用 明天 皇職 人鑑
﹄を 書い た︒ 彼は 浄瑠 璃を 書く こと に心 を注 ぎ︑
﹁生 命あ る言 葉を 書き
︑太 夫に 語ら せ︑ 見物 を感 動さ せる こと
﹂︵ 六六 頁︶ に尽 くし た︒ こう
して
︑人 形浄 瑠璃 の表 現を 介し て︑ 脚本
・作 者の 時代 が開 け︑ 得意 芸中 心の 狂言 の表 現方 法に 対し
︑筋 や演 出の 面 白さ に観 客の 目が 向け られ るよ うに なる
︒
前句 付け の 妙を 楽し む段 階か ら︑ 物語 の筋 や人 物の 人生・運 命を 鑑 賞す る段 階が 成立 した ので ある
︒ 結果 は︑ 人形 浄瑠 璃の 趣向 を狂 言の 対象 にす ると いう 状況
︑つ まり 義太 夫狂 言の 誕生 とな る︒ 有名 な歌 舞伎 狂言
﹃菅 原伝 授手 習鑑
﹄﹃ 義経 千本 桜﹄
﹃仮 名手 本忠 臣蔵
﹄は 人形 浄瑠 璃の ため に書 かれ た作 品で
︑そ れを 歌舞 伎の 脚本 とし て演 出に 磨き をか けた もの であ る︵ 六九 頁︶
︒さ らに
︑歌 舞伎
↓人 形浄 瑠璃 の具 体例 も後 に現 れる よう にな る
︵近 松﹃ 嫗山 姥﹄ では 歌舞 伎↓ 人形 浄瑠 璃↓ 歌舞 伎と なる
︶︒ この 傾向 は︑ 狂言 系の 演技
・演 出と 義太 夫系 の音 楽的 要素 が並 行し て行 われ ると いう
︑音 楽的 リズ ム・ 間を もっ た身 体の 動き を開 発す るの に役 立っ た︒ 音楽 と舞 踊に おけ る﹁ 間の 文化
﹂の 発展 であ る︒ 義太 夫狂 言の 時代 は︑ また 新し い舞 踊の 時代 でも あっ た︵ 七八 頁︶
︒人 形の 動き を写 すに は︑ 自分 の肉 体を 見詰 めな おさ なけ れば なら ず︑ 舞踊 的表 現を 発展 させ たか らで ある
︒初 代瀬 川菊 之丞 の演 技の 例で は︑ 魂の はた らき を 身振 りと 肉体 表現 で表 し舞 踊の 世界 を開 いた
︵一 七二 八年
︶︒ 菊之 丞の この 踊り は︑ 未曽 有の 大当 りで
踊 りの 名 人︵﹃役 者全 書﹄ と︶ 讃え られ た︒ それ から 一〇 年︑ 菊之 丞は 能の
﹃道 成寺
﹄と
﹃石 橋﹄ を合 成し た﹃ 百千 鳥娘 道成 寺﹄ を初 演す る︑ 富十 郎が 江戸 で﹃ 京鹿 子娘 道成 寺﹄ で絶 賛を 博し
︑六
ヶ
月 の大 入り を続 ける︒こ うし て︑ せり ふ の芝 居よ り舞 踊が 好ま れ︑ 一八 世紀 に百 万都 市と なっ た江 戸で は︑ 舞踊 が万 人受 けし た︒
﹁演 技の 上手
︑舞 踊の 妙手
﹂︵
﹃役 者年 始状
﹄︶ と讃 えら れた
︑初 代中 村仲 蔵が
︑舞 踊︵ 女形 の表 芸︶ の芸 に︑ 立役
・ 敵役 系統 の役 者が 進出 する 道を ひら いた のは
︑一 八世 紀後 半で ある
︒つ まり
︑舞 踊に 求め られ たの は︑ 肉体 によ る 表現 のみ なら ず︑ 劇の 内容 を表 すた めの 構造 をも 含ん でお り︑ その ため
︑劇 の葛 藤を 成り 立た せる ため の人 間関 係 を設 定す る必 要が 生じ てく る︒ 恋・ 嫉妬 の筋 書き によ って
︑女 性に 対す る男 性の 存在 が求 めら れ︑ 立役
・敵 役も 舞
踊の 世界 に参 入す る必 要が 生ま れた ので ある
︵第 三章
︒︶
⑥以 下は
︑一 八世 紀後 半か らの 劇作 者︑ 並木 宗輔
︵﹃ 熊谷 陣屋
﹄︶
︑並 木正 三︵﹃ 大坂 神事 揃﹄ は 愛想 づか し の創 作︑
﹃霧 太郎 天狗 酒醼
﹄︶
︑鶴 屋南 北⁝
⁝︒ 演出 上の
仕 掛け の工 夫早 替り ⁝
⁝︒ そし て一 九世 紀の 河竹 黙阿 弥 と︑ 話題 は絶 えま なく 続く
︒こ うし て一 九世 紀末 に﹁ 新歌 舞伎
﹂︵ 舞台 照明
・翻 訳劇 が︶ 成立 する
︒ 終章 は﹁ 現代 の歌 舞伎
﹂︒ いう まで もな く歌 舞伎 は現 在も 生き てい る︒ が︑ 古典 的レ パー トリ ーが 主流 で︑ 新作 はほ とん ど上 演さ れな い︒ それ が致 命的 で︑ 技術
・様 式は 形骸 化し
︑内 容の もつ 深い 劇的 感動 は失 われ てい る︵ 一 九八 頁︶ と︒ その 理由 の第 一は
︑新 作の 上演 は︑ 観客 の大 多数 を占 める 団体 客が 古典 狂言 を求 めて いる ため
︑興 行 師に 好ま れな いか らで ある
︒理 由の 第二 は︑ 社会 秩序 が多 層化 して いる 現代 社会 にお いて は︑ その 秩序 感覚 を超 え たと ころ に存 在の 場を 求め なけ れば なら ない のだ が︑ 歌舞 伎ら しい 古典 劇に おい てで さえ
︑カヽ ブヽ キヽ 者ヽ を発 見す るこ とは でき ない
︒こ うい った 観客 の関 心が 新作 の生 まれ ない 理由 とな って いる
︒ 多く の観 客が 歌舞 伎に 求め てい るの は︑ 美し い役 者に よる 現実 生活 を超 えた 雰囲 気の なか で︑ 日常 は耳 にす るこ との ない 和楽 器の 音に 夢を 求め て別 世界 に遊 ぶ雰 囲気 では ない か︒
歌 舞伎 らし い 世界 とは︑聴 覚・ 視覚 にお い て夢 を与 える 役者 の演 技で あろ う︒ こう した 現状 のも とで 新作 で目 に入 るの は︑ 一九 八六 年の
︑梅 原猛
﹃ヤ マト タケ ル﹄ であ ろう か︒ カラ クリ
・早 替り の再 創造 によ る︑ いわ ゆる
ス ーパ ー歌 舞伎 で ある︒主 人公 は闘 争の 犠牲 者で あり 社会 秩序 から の疎 外者 で ある
︒新 作と はい え
カブ キ者 の 劇で ある︒
ઊ
いよ いよ 河竹 登志 夫の 登場 であ る︒ 彼の 著作 は数 多く︑選 ぶの が困 難と いう のが 偽ら ぬ気 持で ある
︒が
︑表 題に 加え 年代 も考 慮し て︑
﹃比 較演 劇論
﹄︵ 正・ 続・ 続々 を︶ まず 選ぶ こと にし た︒ 一八
〇〇 頁に 及ぶ 大作 であ り︑ 筆者 が論 ずる 法文 化論 から みて のイ イト コド リで 紹介 して みた い︒