⑴
バロ ック 演劇 は︑ 即興 性・ 流動 性・ 自由 奔放 など が特 色で
︑外 在的 非構 成的 絵画 的と 考え てよ い︒ どん どん 場面 転換 し︑ 遠近 法に よる 空間 拡大 と幻 想舞 台の 発達 によ り生 生流 転の 相を 現出 して 人間 の運 命を 描き
︑直 接感 覚に 訴 える
︒こ の様 相に 照ら すと
︑歌 舞伎 はバ ロッ ク演 劇の 日本 にお ける 開花 とい うこ とに なる
︵六 一頁
︑だ から 傾 き であ る︶
︒ 歌舞 伎は 狂言 が卑 俗化 して でき た猿 若の 物真 似が シン にな って おり
︑能 の﹁ 翁﹂ が歌 舞伎 の﹁ 三番
叟
﹂ とな り︑﹁道 成寺
﹂﹁ 勧進 帳﹂ にも 喜劇 的場 面が 後段 に加 えら れて いる
︒そ して
︑そ れを 助長 する のが 三味 線の 賑や かな 音楽 であ って
︑こ こに 能と 歌舞 伎の 本質 的差 異を みる こと がで きる
︒能 舞台 の簡 素と 歌舞 伎舞 台の 華麗
︑能 の貴 族的 古 典美 と歌 舞伎 の世 俗的 卑近 美と くれ ば︑ 判り 易い こと この 上な い︵ 六二
︱六 三頁
︑範 例と して
﹁四 谷怪 談﹂ が解 説さ れて いる
︒︶ また 歌舞 伎作 者は
︑役 者が 立体 化す るよ う演 技の 余地 を大 きく 残し てい るの も特 色で ある
︒
③つ ぎの 特色 は
局面 中心 と いう こと︒﹁ 与話 情浮 名横 櫛﹂ なら 源氏 店で のゆ すり
︑﹁ 三人 吉三
﹂な ら大 川端 の 出会 いな どの 場面 で︑ いか に趣 向を こら すか であ る︒ 義太 夫節 が介 入し
︑常 磐津
・富 本・ 清元 の浄 瑠璃 や長 唄な ど の音 楽性 が次 第に 豊か にな り︑ 七五 調の せり ふな ど様 式性 をも つよ うに なっ た︒ これ では 近代 劇の 系譜 から みれ ば きわ めて 異様 であ る︒ 荒事 にお いて は隈 取・ 見得 の表 現と いう 様式 があ る︒
﹁そ れは 能の よう に︑ 古典 的簡 潔さ に よっ て︑ ぎり ぎり の線 まで 制約 され 静的 に象 徴化 され たも ので はな く︑ より 具象 的に
︑し かし 演劇 的に
⁝⁝ 象徴 さ れて いる
﹂︵ 六四
︱六 五頁
︶︒ 簡略 化す れば
︑官 能的
・浮 世絵 的・ 祭礼 的・ 遊廓 的で すら ある
︒そ れを
︑著 者は バロ ック 的な 即物 的表 象的 演劇 とい うの であ る︒ 付言 すれ ば︑ 花道 の外 在的 演劇 性も 空間 拡大 の放 埒な バロ ック 気質 の所 産で あり
︑そ の気 質の な かに 愛欲
・嫉 妬・ 怨恨
・誠 忠・ 江戸 ッ子 気風 を描 いた ので ある
︒﹁ 虚構 のな かで 遊び なが ら︑ 虚構 を超 え︑ さら に 現実 より も真 実な
﹃情
﹄の 世界 を創 って いる
﹂︵ 六五 頁︶ と︒
けだ し︑ 名言
︵筆 者︶
︒そ れが 江戸 庶民 のつ くり あげ たエ ネル ギッ シュ なテ アト ルで あっ た︒
④次 いで
︑﹃ 妹背 山婦 女庭 訓﹄ と﹃ ロミ オと ジュ リエ ット
﹄の 相違 と相 似に つい て詳 細に 論ず る︒ 彼我 の
劇的 な点・
悲劇 的 な点 の位 相差 をみ よう とい うの だが︑筆 者の 心情 にひ っか かっ た叙 述だ けを 拾う こと にす る︒ まず
︑境 遇悲 劇と して は共 通す る︒ が︑ 悲劇 に至 る筋 は︑
﹃ロ ミオ
﹄は
﹁一 気呵 成に 発端 から 結末 へ﹂
︑﹃ 妹背 山﹄ は多 くの 見せ 場を 含む 複雑 な筋 をも つ︒ しか も﹃ 妹背 山﹄ には 主従 関係 とい う重 い受 動的 背景 があ り︑
﹃ロ ミオ
﹄ には 愛情 を貫 こう とす る当 事者 の意 志的 行動 が明 確で ある
︵筆 者・ それ が筋 書き の複 雑・ 単純 を分 ける のだ ろう
︒︶ 著 者は 自ら 問う
︒﹁ 明る く生 き生 きし た﹃ ロミ オ﹄ の世 界に 比し て
不可 能 を大 前提 にし た﹃ 妹背 山﹄ の 諒解諦 観 の悲 劇は いか なる 人間 観・ 世界 観の 産物 であ るの か﹂
︵八 二頁
︶と
︒曰 く﹁
﹃ロ ミオ
﹄が
⁝⁝ エリ ザベ ス朝
⁝⁝ 時代 の上 昇気 流を 反映 した もの であ り⁝
⁝一 個の 人間 とし ての 自由 な行 動意 志を 描い たの であ る﹂ のに 対し
︑
﹁﹃ 妹背 山﹄ は⁝
⁝浄 瑠璃 歌舞 伎が 徳川 封建 制下 の絶 対観 念の 時代 の産 物﹂ だか らで ある
︵八 二頁
︶︒ また 曰く
︑日 本近 世劇 と﹁ 西洋 悲劇 との 大き な相 違の ひと つは
︑⁝
⁝主 人公 が劇 的境 遇に 対し て西 洋式 の争 闘を
顕 在的 な 形で 行な わな いこ とと︑⁝
⁝該 当場 面の はじ まる 前に
︑す でに その
不 可能 の 悲劇 は起 って しま っ てい ると いう こと だ﹂︵八四 頁︶ と︒ また 日本 的悲 劇は
﹁自 主的 顕在 的な 行動 すら 否定 して
︑諦 観的
・諒 解的 な非 行動 的経 緯を 辿ら ざる をえ ない とこ ろ﹂︵ 八五 頁︶ だと も︒ そし てこ の悲 劇は
︑﹁ 親子
・肉 親間 の悲 痛な 情愛 を描 き出 すこ と﹂
︵八 七頁 以下
︶に ある と強 調す る︒
⑤外 国人 はこ れを どう みる か︒
﹁海 外公 演の 反響 にみ る歌 舞伎 の普 遍性 と特 殊性
﹂が
︑こ うし て論 ぜら れる
︵九 一頁 以下
︶︒ そし て︑ 外国 の新 聞・ 雑誌 の劇 評な どに よる 反響 をみ ると
︑日 本で の本 公演 と変 わら ない 質の 高い も のだ った とい う︒ 演目 につ いて いえ ば︑ 舞踊
︵洋 舞に 馴れ た眼 には 平板 単調 だか ら︶ より 科白 劇︵ ドラ マ︶ が好 まれ たが
︑内 容が 単
調・ 稀薄 なの に上 演時 間が 長い
︵変 化に 富ん だ小 唄・ クド キに よる 振り の趣 向が 数多 く異 なっ ても
︑︶ リア ルで ない 話 の筋 が理 解さ れ難 い︵ 悲劇 的ム ード と喜 劇的 ムー ドの 混在
︑時 代設 定の 不統 一な ど︶ とい う問 題が ある にも 拘ら ず︑ 感 動し たの は﹁ 人間 の本 性的 な情 感の 純化 され た表 出﹂
︵九 九頁
︶が 外国 人の 胸を 打っ たの では ない か︑ ただ し︑ お 涙頂 戴の 安易 低俗 なセ ンチ メン タリ ズム と批 判さ れる もの もあ る︵ 一二 三頁 と︶
︑著 者は 推測 する
︒そ こが 能と は 異な る︒ しか し︑ 能も
﹁普 遍的 な人 間の 情念 を感 覚的 に表 象し たも のだ けに
︑幽 玄の ムー ドを 好み さえ する なら
︑そ れは 容易 に受 けい れら れる 一般 性を 持つ
﹂︵ 一二 二頁
︶と も︒ その とき 外国 人は
︑能 のほ うが 理解 でき ると いう
︒