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⑴ 正 巻

ドキュメント内 法 文 化 論 序 説 ︵ 六 ︶ (ページ 81-84)

バロ ック 演劇 は︑ 即興 性・ 流動 性・ 自由 奔放 など が特 色で

︑外 在的 非構 成的 絵画 的と 考え てよ い︒ どん どん 場面 転換 し︑ 遠近 法に よる 空間 拡大 と幻 想舞 台の 発達 によ り生 生流 転の 相を 現出 して 人間 の運 命を 描き

︑直 接感 覚に 訴 える

︒こ の様 相に 照ら すと

︑歌 舞伎 はバ ロッ ク演 劇の 日本 にお ける 開花 とい うこ とに なる

︵六 一頁

︑だ から 傾 き であ る︶

︒ 歌舞 伎は 狂言 が卑 俗化 して でき た猿 若の 物真 似が シン にな って おり

︑能 の﹁ 翁﹂ が歌 舞伎 の﹁ 三番

﹂ とな り︑

﹁道 成寺

﹂﹁ 勧進 帳﹂ にも 喜劇 的場 面が 後段 に加 えら れて いる

︒そ して

︑そ れを 助長 する のが 三味 線の 賑や かな 音楽 であ って

︑こ こに 能と 歌舞 伎の 本質 的差 異を みる こと がで きる

︒能 舞台 の簡 素と 歌舞 伎舞 台の 華麗

︑能 の貴 族的 古 典美 と歌 舞伎 の世 俗的 卑近 美と くれ ば︑ 判り 易い こと この 上な い︵ 六二

︱六 三頁

︑範 例と して

﹁四 谷怪 談﹂ が解 説さ れて いる

︒︶ また 歌舞 伎作 者は

︑役 者が 立体 化す るよ う演 技の 余地 を大 きく 残し てい るの も特 色で ある

③つ ぎの 特色 は

局面 中心

と いう こと

︒﹁ 与話 情浮 名横 櫛﹂ なら 源氏 店で のゆ すり

︑﹁ 三人 吉三

﹂な ら大 川端 の 出会 いな どの 場面 で︑ いか に趣 向を こら すか であ る︒ 義太 夫節 が介 入し

︑常 磐津

・富 本・ 清元 の浄 瑠璃 や長 唄な ど の音 楽性 が次 第に 豊か にな り︑ 七五 調の せり ふな ど様 式性 をも つよ うに なっ た︒ これ では 近代 劇の 系譜 から みれ ば きわ めて 異様 であ る︒ 荒事 にお いて は隈 取・ 見得 の表 現と いう 様式 があ る︒

﹁そ れは 能の よう に︑ 古典 的簡 潔さ に よっ て︑ ぎり ぎり の線 まで 制約 され 静的 に象 徴化 され たも ので はな く︑ より 具象 的に

︑し かし 演劇 的に

⁝⁝ 象徴 さ れて いる

﹂︵ 六四

︱六 五頁

︶︒ 簡略 化す れば

︑官 能的

・浮 世絵 的・ 祭礼 的・ 遊廓 的で すら ある

︒そ れを

︑著 者は バロ ック 的な 即物 的表 象的 演劇 とい うの であ る︒ 付言 すれ ば︑ 花道 の外 在的 演劇 性も 空間 拡大 の放 埒な バロ ック 気質 の所 産で あり

︑そ の気 質の な かに 愛欲

・嫉 妬・ 怨恨

・誠 忠・ 江戸 ッ子 気風 を描 いた ので ある

︒﹁ 虚構 のな かで 遊び なが ら︑ 虚構 を超 え︑ さら に 現実 より も真 実な

﹃情

﹄の 世界 を創 って いる

﹂︵ 六五 頁︶ と︒

けだ し︑ 名言

︵筆 者︶

︒そ れが 江戸 庶民 のつ くり あげ たエ ネル ギッ シュ なテ アト ルで あっ た︒

④次 いで

︑﹃ 妹背 山婦 女庭 訓﹄ と﹃ ロミ オと ジュ リエ ット

﹄の 相違 と相 似に つい て詳 細に 論ず る︒ 彼我 の

劇的

な点

悲劇 的

な点 の位 相差 をみ よう とい うの だが

︑筆 者の 心情 にひ っか かっ た叙 述だ けを 拾う こと にす る︒ まず

︑境 遇悲 劇と して は共 通す る︒ が︑ 悲劇 に至 る筋 は︑

﹃ロ ミオ

﹄は

﹁一 気呵 成に 発端 から 結末 へ﹂

︑﹃ 妹背 山﹄ は多 くの 見せ 場を 含む 複雑 な筋 をも つ︒ しか も﹃ 妹背 山﹄ には 主従 関係 とい う重 い受 動的 背景 があ り︑

﹃ロ ミオ

﹄ には 愛情 を貫 こう とす る当 事者 の意 志的 行動 が明 確で ある

︵筆 者・ それ が筋 書き の複 雑・ 単純 を分 ける のだ ろう

︒︶ 著 者は 自ら 問う

︒﹁ 明る く生 き生 きし た﹃ ロミ オ﹄ の世 界に 比し て

不可 能

を大 前提 にし た﹃ 妹背 山﹄ の

諒解

諦 観

の悲 劇は いか なる 人間 観・ 世界 観の 産物 であ るの か﹂

︵八 二頁

︶と

︒曰 く﹁

﹃ロ ミオ

﹄が

⁝⁝ エリ ザベ ス朝

⁝⁝ 時代 の上 昇気 流を 反映 した もの であ り⁝

⁝一 個の 人間 とし ての 自由 な行 動意 志を 描い たの であ る﹂ のに 対し

﹁﹃ 妹背 山﹄ は⁝

⁝浄 瑠璃 歌舞 伎が 徳川 封建 制下 の絶 対観 念の 時代 の産 物﹂ だか らで ある

︵八 二頁

︶︒ また 曰く

︑日 本近 世劇 と﹁ 西洋 悲劇 との 大き な相 違の ひと つは

︑⁝

⁝主 人公 が劇 的境 遇に 対し て西 洋式 の争 闘を

顕 在的 な

形で 行な わな いこ とと

︑⁝

⁝該 当場 面の はじ まる 前に

︑す でに その

不 可能

の 悲劇 は起 って しま っ てい ると いう こと だ﹂

八四 頁︶ と︒ また 日本 的悲 劇は

﹁自 主的 顕在 的な 行動 すら 否定 して

︑諦 観的

・諒 解的 な非 行動 的経 緯を 辿ら ざる をえ ない とこ ろ﹂ 八五 頁︶ だと も︒ そし てこ の悲 劇は

︑﹁ 親子

・肉 親間 の悲 痛な 情愛 を描 き出 すこ と﹂

︵八 七頁 以下

︶に ある と強 調す る︒

⑤外 国人 はこ れを どう みる か︒

﹁海 外公 演の 反響 にみ る歌 舞伎 の普 遍性 と特 殊性

﹂が

︑こ うし て論 ぜら れる

︵九 一頁 以下

︶︒ そし て︑ 外国 の新 聞・ 雑誌 の劇 評な どに よる 反響 をみ ると

︑日 本で の本 公演 と変 わら ない 質の 高い も のだ った とい う︒ 演目 につ いて いえ ば︑ 舞踊

︵洋 舞に 馴れ た眼 には 平板 単調 だか ら︶ より 科白 劇︵ ドラ マ︶ が好 まれ たが

︑内 容が 単

調・ 稀薄 なの に上 演時 間が 長い

︵変 化に 富ん だ小 唄・ クド キに よる 振り の趣 向が 数多 く異 なっ ても

︑︶ リア ルで ない 話 の筋 が理 解さ れ難 い︵ 悲劇 的ム ード と喜 劇的 ムー ドの 混在

︑時 代設 定の 不統 一な ど︶ とい う問 題が ある にも 拘ら ず︑ 感 動し たの は﹁ 人間 の本 性的 な情 感の 純化 され た表 出﹂

︵九 九頁

︶が 外国 人の 胸を 打っ たの では ない か︑ ただ し︑ お 涙頂 戴の 安易 低俗 なセ ンチ メン タリ ズム と批 判さ れる もの もあ る︵ 一二 三頁 と︶

︑著 者は 推測 する

︒そ こが 能と は 異な る︒ しか し︑ 能も

﹁普 遍的 な人 間の 情念 を感 覚的 に表 象し たも のだ けに

︑幽 玄の ムー ドを 好み さえ する なら

︑そ れは 容易 に受 けい れら れる 一般 性を 持つ

﹂︵ 一二 二頁

︶と も︒ その とき 外国 人は

︑能 のほ うが 理解 でき ると いう

ドキュメント内 法 文 化 論 序 説 ︵ 六 ︶ (ページ 81-84)

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