第 2 章 事例分析
2.9 ヨルダン
2.9.1 基礎情報
表2.9.1 ヨルダン基礎情報表
(ヨルダン)家族計画・WIDプロジェクトフェーズII、2000年7月〜2003年6月
紛争の 背景・
特徴
紛争の期間 ž 1948 年の第一次中東戦争で、ヨルダンがヨルダン川西岸地区を併合。
しかし、1967 年の第三次中東戦争で、イスラエルが西岸地区を占領し た。これらの結果、ヨルダン国内に大量のパレスチナ難民が流入するこ とになった。
紛 争の ステ ー タス (事 業開始時)
ž 1988年に西岸地区の統治権を放棄。
ž 1994年にイスラエルと平和条約を締結、国交樹立。
紛争の形態 ž パレスチナとイスラエルとの領土紛争。ヨルダンは第三者的(時として 仲介役)として関与
紛争の要因 ž パレスチナの地をめぐるアラブ人とユダヤ人の対立(パレスチナ問題)。 紛争当事者 ž アラブ系国家(ヨルダン、エジプト、シリア等)vsイスラエル
案 件開 始・
実 施時 の不 安定要因
ž 中東和平問題の展開。イスラエルでは極右のシャロンが政権を握り、パ レスチナ側の反発を招いていた。一方、パレスチナ側では、反イスラエ ル暴動(インティファーダ)によるテロなどが多発しており、中東和平 は崩壊の危機にあった。
ž 他の周辺国、特にイスラエルと微妙な関係にあるシリアおよびレバノ ン、さらにはイラクの情勢。
ž 1953年以来、長らくヨルダンを統治していたフセイン国王が1999年に 死去、アブドッラー皇太子が新国王に就任した。中東の安定化に大きな 役割を果たしたフセイン国王の死は、不安定化する中東和平にも影響が あるとみられていた。
ž 民主化の影響による、王室の近代化を非難する保守派の存在、またイス ラム主義の台頭。
ž 国民の半数余りがパレスチナ難民である。また、周辺情勢の不安定化に よるさらなる難民流入の可能性もあった。
案 件開 始・
実 施時 の安 定要因
ž 中東地域の穏健勢力として、欧米諸国と良好な関係にあった。
ž 資源には恵まれないものの、堅調な経済。
政治・
行政
政 治 動 向
(2000 年当 時)
ž 新国王の就任(1999年)直後であった。
ž 新国王は、ヨルダンがアラブ諸国における民主主義のモデルとなること を目指している。
行政動向 n 地方行政システム
ž 政治・行政は安定しているが、中央集権体制が強く、地方への権限移譲 が課題。
難民支援 n 外務大臣直轄のパレスチナ難民局(DPA)が1988年の西岸放棄を受け て発足した。ヨルダンにおけるパレスチナ難民キャンプのインフラ整 備、行政サービスを担当。
経済・
産業
マ クロ 経済 動向
n 【全国】
n 1人あたり実質GDP(USD、基準物価2000年)
年 1999 2000 2001
全国平均 1,735$ 1,764$ 1,812$
n 失業率(%)
年 1999 2000 2001
全国平均 n/a n/a 15.8
n インフレ率(%)
年 1999 2000 2001
全国平均 0.6 0.7 1.8
※World Data Bankより
・ 非産油国で、外貨獲得手段に乏しく本質的には脆弱。2000 年に WTO
(世界貿易機関)加盟、2001 年に米国との自由貿易協定を締結するな ど外国投資と自由貿易の促進による一層の経済成長を図っている。
産 業・ 労働 構造
n 農業[カラク県]
ž 果樹や野菜栽培などが主要な農産物。
n 産業[カラク県]
ž 観光業などのサービス業が中心。
経済・雇用 n 失業率・雇用問題
ž 若年層の失業率が高い傾向にある。
ž 女性の社会進出も特に地方では進んでいない。
ž ヨルダン政府は、東岸出身者と西岸出身者(パレスチナ人)の間に差別 はないと表明している。
ž パレスチナ系の中にも商業的に成功している人も多数いる。
・ 国内の雇用不足により湾岸地域への出稼ぎ者が多く、その大半はパレス チナ系住民であるが、1990年の湾岸危機の際にはこれらの出稼ぎ者の多 くが国内に帰還せざるをえなかった。
社会
コ ミュ ニテ ィの特性
ž 文化・宗教的背景から、伝統的に女性は早婚、多産の傾向がある。
・ 南部は北部に比べ一般に貧困度が高く、家族計画も行き届いていない。
パ レス チナ 難民の動向
n 難民人口
・ 第一次中東戦争が勃発すると、西岸地区にはイスラエルから約36万のパ レスチナ人が難民として押し寄せた。そのうち約11万人はヨルダン川東 岸地区に移り、その後も経済状況のより良い東岸へのパレスチナ人の移 住が続いた。
・ 1950年4月にヨルダン政府は西岸地区を併合、新たに抱えたパレスチナ 人にも国籍を付与した。この結果、ヨルダンの人口は3倍に膨れ上がっ た。
・ 1967年の第三次中東戦争で、イスラエルが西岸およびガザ地区を占領す ると、それらの地区に住んでいたパレスチナ人が避難民として東岸(ヨ ルダン領内)に大量に流入した。
・ 現在、ヨルダン国籍を保有するパレスチナ系住民は、イスラエル領とな っている土地あるいは西岸出身者である。それらの人々は、参政権を含 む国民としてのあらゆる権利および義務を保有する。
・ 一方、ヨルダン国籍を保有していないが、ヨルダンを生活の基盤として いるパレスチナ人は、①西岸出身者で、1967年6月のイスラエル占領以 降も西岸地区に居住し、1988年7月のヨルダンによる主権放棄以前にヨ ルダン国籍を保有していなかった者、ならびに②ガザ地区出身者、であ る。
・ しかし、大半のパレスチナ難民は、ヨルダン国籍の有無に関わらず帰還 権を保有している。
n 難民をめぐる状況
・ 国内に13の難民キャンプが存在している。2000年の時点で国内に約157 万人のパレスチナ難民がいたとされ、そのうち実際に、難民キャンプで 暮らしているのは約28万人で、ヨルダン在住難民の約18%。
・ 13のキャンプのうち、10が国連パレスチナ難民救済事業機関
(UNRWA)、3が外務大臣直轄のパレスチナ難民局(DPA)により運
営されている。
・ UNRWAはそれら13ヵ所の全てのキャンプに対し、学校や医療クリニッ
クを設置するなどのサービスを提供している。
・ DPAは、難民キャンプの貧困世帯に対する家屋再建、キャンプ内の道路 拡張や水道網の整備、マイクロファイナンスといった開発事業の実施に 加え、国立大学に難民の入学枠を設けるなどの支援を行っている。また、
国籍のないガザ出身難民に対しても、期間限定の旅券を発行、不動産取 得の許可、国公立病院における医療費の一部免除など、便宜を図ること で支援を行っている。
ヨルダンへのパレスチナ難民の流入は、中東戦争によってもたらされた。1948年に、イスラエ ルの独立に端を発する第一次中東戦争が開始されるや、ヨルダン川西岸地区にはイスラエルより 約36万人ものパレスチナ難民が押し寄せた。そのうち約11万人はヨルダン川東岸地区に移り、
その後も経済状況のより良い東岸へのパレスチナ人の移住が続いた。1950年にヨルダンは西岸地 区の併合を宣言。ヨルダン政府は新たに抱えたパレスチナ人に国籍を付与し、人口はそれまでの 3 倍に膨れ上がった。1967年の第三次中東戦争では、イスラエルが西岸地区およびガザ地区を占 領したことで、それらの地区に住んでいたパレスチナ人が避難民として大量に東岸地区に流入し た。1988年には西岸地区における行政権を放棄した。その後、ヨルダン政府はイスラエルと友好 的な関係に転じ、1994年にはイスラエルと平和条約を結び国交を樹立した。
紛争の背景・特徴
政治・行政は安定しているが、中央集権体制が強く、地方への権限移譲が課題。案件開始の前 年でもある 1999年には、1953 年以来長らくヨルダンを統治してきたフセイン前国王が死去し、
アブドッラー皇太子が新国王に就任したばかりであった。フセイン前国王は中東の安定化に大き く貢献した功績があり、折しも中東情勢が不安定化する中、新国王の舵取りには注目が集まって いた。
政治・行政
経済は安定しているが、非産油国であり、外貨獲得手段に乏しく本質的には脆弱。2000 年に WTO(世界貿易機関)加盟、2001年に米国との自由貿易協定を締結するなど外国投資と自由貿易 の促進による一層の経済成長を図っている。カラク県では果樹や野菜栽培といった農業および、
遺跡などを活用した観光業が主要な産業となっている。若年層の失業率が高く、女性の社会進出 も特に地方では進んでいない。
経済・産業
文化・宗教的背景から、伝統的に女性は早婚、多産の傾向がある。南部は北部に比べ一般に貧 困度が高く、家族計画も行き届いていない。ヨルダンの人口の半数以上はパレスチナ系の住民で ある。2000年の時点で国内に約157万人のパレスチナ難民がいたとされ、そのうち実際に、難民キ ャンプで暮らしているのは約28万人で、ヨルダン在住難民の約18%。13あるキャンプのうち、10 が国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)、3が外務大臣直轄のパレスチナ難民局(DPA) により運営されている。UNRWAはそれら13ヵ所の全てのキャンプに対し、学校や医療クリニッ クなどの社会サービスを提供、DPAは、難民キャンプ対象の開発事業の実施に加え、国籍のない ガザ出身難民に対しても期間限定の旅券の発行、不動産取得の許可といった便宜を図ることで支 援を行っている。
社会