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パレスチナ

ドキュメント内 AF KMAUD Project (ページ 113-128)

第 2 章   事例分析

2.8 パレスチナ

2.8.1 基礎情報

2.8.1 パレスチナ基礎情報表

(パレスチナ)ジェリコ地域開発計画調査、2005年10月〜2006年9月

持続的農業技術確立のための普及システム強化プロジェクト、2007年3月〜2010年3月 ヨルダン渓谷地域高付加価値型農業普及改善プロジェクト、2011年9月〜2015年1月

紛争の 背景・

特徴 

紛争の期間  ž 1948 年にイスラエルが独立宣言。その後の第一次中東戦争で、イスラ エルが「パレスチナ」の大部分を獲得する。なお、ヨルダン川西岸地区 はヨルダンが併合し、ガザ地区はエジプトが統治した。これにより、従 来パレスチナの地に住んでいたアラブ人(パレスチナ人)が難民化し、

西岸とガザに押し寄せた。1967 年の第三次中東戦争では、イスラエル が西岸とガザを占領した。

紛 争の ステ ー タス (事 業開始時) 

ž 1993 年にオスロ合意が調印され西岸、ガザにおけるパレスチナ自治政 府(PA)による暫定自治の開始とともに、パレスチナ国家の最終的な 地位を定めるための和平交渉を開始。

ž 2000年には第二次インティファーダ発生で和平交渉が決裂。

紛争の形態  ž イスラエルとパレスチナ(アラブ諸国を含む)との領土紛争 

紛争の要因  ž パレスチナの地をめぐるアラブ人とユダヤ人の対立(パレスチナ問題)

紛争当事者  ž パレスチナ人及び周辺国家のアラブ人 vs イスラエルのユダヤ人 案 件開 始・

実 施時 の不 安定要因

ž パレスチナ問題の展開。イスラエルでは極右のシャロンが政権を握り、

パレスチナ側の反発を招いていた。一方、パレスチナ側では、反イスラ エル暴動(インティファーダ)によるテロなどが多発しており、中東和 平は崩壊の危機にあった。

ž 2004 年にアラファト・パレスチナ解放機構(PLO)議長が死去、2005 年1月にアッバースがPLO議長に就任したが、和平交渉や過激派への 対策などの手腕が未知数であった。

ž 2006年1月にはハマースがパレスチナ評議会(国会)で第一党となる。

同党を過激派テロ組織とみなすイスラエルの態度硬化や、米国、EU、 日本の援助差し止めを招いた。さらにハマースと穏健派のファタハが衝 突し、ハマース率いるガザとファタハが率いる西岸が分裂状態になるな どパレスチナでは混迷が深まっていた。

案 件開 始・

実 施時 の安 定要因

ž ヨルダン渓谷地域、特にジェリコ市とその周辺は、西岸の他地区に比べ て比較的安定した治安状況にあった。

政治・

行政 

政 治 動 向

(2005 年以 降) 

ž アッバース新PLO議長の就任(2005年)直後であった。

ž 翌2006年に過激派のハマースが第一党となった。その後、ファタハと 挙国一致政権を樹立するも崩壊、西岸はファタハ、ガザはハマースによ る分裂統治となった。

行政動向 n 行政システム 

ž パレスチナ自治区はヨルダン川西岸地区とガザ地区からなっており、そ の自治は、PLOが母体となって設立されたパレスチナ自治政府が行う。

しかし、上述の通り現状では分裂状態にある。 

難民支援 ž 難民支援については、基本的にはPLOが担当するため、PAの権限外。

これは難民が西岸やガザといった自治区内の問題のみならず、ヨルダ ン、シリア、レバノンにも居住していること、さらにオスロ合意におい て難民問題は自治権の範囲外となっているため。 

関連計画 ž 2005-2007 年中期開発計画(MTDP)が2005 年末に改訂され、2006 -2008 年を対象とした計画が立案されている。双方とも、2005 年9 月に発行 された法令にて設定されたミレニアム開発目標にもとづいて形成され ている。重視されている事項は:(i) 独立した民主的パレスチナ国家 の樹立、(ii)人的資本を最も優先度の高い資源とした近代的経済の構

築、(iii) 全ての市民に対する社会配慮・保護の供与、(iv) 土地、

水、環境、エネルギー資源を含む天然資源の保全・開発。 

n PAは、雇用創出、貧困削減、食料の安全保障、持続的な開発に不可欠 な分野として国家農業開発戦略書:A Shared Vision (2011-2013)を策 定している。「農業資源の効果的かつ持続的活用の促進」「農家及び関 連機関の能力向上」「農民の組織化の促進」「普及員の能力向上」など が具体的な活動方針となっている。

経済・

産業 

マ クロ 経済 動向 

【全国】

n 1人あたり実質GDP(USD)

2005 2006 2007

全国平均 1,152$ 802$ 754$

n 失業率(%)

2005 2006 2007

全国平均 23% 40% 44%

n 貧困率(%) 

2005 2006 2007

全国平均 44% 67% 72%

※世銀による推定値「West Bank and Gaza Update 2006」より  

産 業・ 労働 構造

【全国】 

ž 農業、建設業、製造業(農産加工、建築資材等)、観光業、情報通信 など。 

【ヨルダン渓谷地域】 

ž 農業、畜産、遺跡を活用した観光業などのサービス業が中心。 

経済・雇用 n 失業率・雇用問題

ž 2006年 3 月にハマース主導の内閣が発足したことを受け、イスラエル 政府はPAへの税還付を凍結し、パレスチナ経済は急激に悪化した。

ž パレスチナ自治区の経済はイスラエルに大きく依存している。輸出品や 物流の管理はイスラエルに委ねられており、また輸入品も大半はイスラ エル製品によって占められる。さらに、従来からパレスチナ人の雇用も イスラエル国内の労働市場に依存していた。

・ 2000年の第二次インティファーダ以降、イスラエルでのパレスチナ人の 雇用機会が減少した上、物流も大きな打撃を受け、パレスチナ経済が疲 弊していった。

・ ハマース主導の内閣発足に伴うパレスチナ自治政府の財政難及び各国 の経済制裁を含む支援レベルの低下などにより、パレスチナの経済活動 は一層低迷している。 

社会   

コ ミュ ニテ ィの特性

n 人口・地理的特性

・ ヨルダン渓谷地域はジェリコ県、トゥバス県、ナブルス県の一部を対象 地区とする。同地区の推定人口は88,900 人。

・ 西岸地区の他地域と比較し、温暖で乾燥している。そのような気候的な 特徴は土壌や水資源、さらには農業に影響を及ぼしている。 

パ レス チナ 難民の動向 

n 難民問題

・ 西岸の登録難民数は2005年12月時点で699,817人(UNRWA)。19の難民 キャンプがあり、うちジェリコには2ヵ所存在する。

・ パレスチナ難民の帰還権が国際法上、認められており、これが難民のア イデンティティー、連帯感や絆の源となる。

・ 難民支援を実施するに当たっては、帰還権の放棄につながるような発言 や活動は慎まねばならない。

・ パレスチナ側からみれば、難民が西岸やガザの社会に同化・定住し難民 問題が解消されることは政治上望ましいことではなく、少なくとも帰還 以外の解決を目指すことは難しいという帰結になる。

n 難民をめぐる状況

・ パレスチナ難民が居住する今日の難民キャンプは、通常想像するような 緊急避難措置として難民受入国でテントを張り、水・食糧や緊急医療と いった人道支援を受けるいわゆる難民キャンプの姿とは異なる。多くの 場合、パレスチナ難民キャンプと周辺コミュニティを識別することは困 難である。

・ 難民キャンプには、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が、

教育、保健、福祉といったサービスを提供している。

・ 難民キャンプ内に自治組織のような人民委員会が組織されている。し かしながら、委員の選出は選挙ではなく、キャンプ内の有力者や長老 が委員となることもあるが、多くの場合、PLO難民局により任命されて いるようである。

1948年に、イスラエルの独立に端を発する第一次中東戦争が開始され、イスラエルは「パレス チナ」の大部分を獲得する。一方、ヨルダン川西岸地区はヨルダンが併合し、ガザ地区はエジプ トが統治したため、土地を追われた多くのパレスチナ人は、西岸ないしガザへ難民として流れ込 んだ。なお、1967年の第三次中東紛争では、イスラエルが西岸とガザも占領した。1993年のオス ロ合意により、パレスチナ自治政府による暫定自治が開始され、中東和平への期待が高まってい たが、その後イスラエルでは右派政権の誕生、パレスチナでは過激派の台頭もあり、2000年には 第二次インティファーダが発生するなど中東和平は混迷を極めていた。

紛争の背景・特徴

政治面でも、2004年にはパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長が死去、2006年にはイ スラエルや欧米諸国が過激派とみなすハマースがパレスチナ評議会(国会相当)の第一党になり、

その後ファタハとハマースが衝突・西岸とガザが分裂状態となるなど、混迷の渦中にあった。パ レスチナ自治区の自治は、PLO が母体となって設立されたパレスチナ自治政府(PA)が行うが、

難民支援については、基本的にはPLOが担当する。これは難民が西岸やガザといった自治区内の 問題のみならず、ヨルダン、シリア、レバノンにも居住していること、さらにオスロ合意におい て難民問題は自治権の範囲外となっているためである。

政治・行政

パレスチナ自治区の経済はイスラエルに大きく依存している。輸出品や物流の管理はイスラエ ルに委ねられており、また輸入品も大半はイスラエル製品によって占められる。さらに、従来か らパレスチナ人の雇用もイスラエル国内の労働市場に依存していた。第二次インティファーダ以 降、イスラエルでのパレスチナ人の雇用機会が減少し、物流も大きな打撃を受け、経済は疲弊し ていった。また、ハマース主導の内閣発足に伴うパレスチナ自治政府の財政難及び経済制裁を含 む各国の支援レベルの低下などにより、経済活動は一層低迷している。

経済・産業

西岸の登録難民数は2005年12月時点で699,817人。パレスチナ難民の帰還権は国際法等で認めら れており、これが難民のアイデンティティー、連帯感や絆の源となっている。つまり、避難先に 社会

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