• 検索結果がありません。

イングランドの道徳教育と宗教教育

1 イングランドの道徳教育

イギリスの中でも、今回はイングランドを調査対象とした。イギリスは、イングランド・

スコットランド・ウエールズ・北アイルランドの4つに分かれている。それぞれの地域が独 自の教育制度をもっている。そのなかで、総人口の84%*4を占めるイングランドの教育を ここでは見ていく。

イングランドのナショナルカリキュラム(以下「NC」と言う)を見ても、そこには「道 徳」と称した教科はない。ただし、道徳教育に該当するものとして、以下に示すような3つ

29 の大きな柱がある。

イングランドには、学校のすべての教育活動を通して進めていこうとするいわゆる「全面 主義教育」*5の立場をとった道徳教育が行われている。

大久保正弘(2012)*6によれば、その指導方法は、①現実の問題にひきつけて身をもって 学ぶ。②実際に行動することに関わった学習を行う。③多様な価値を提示して、自ら考え、

話し合い、そして判断することを基調として、教師側からの押し付けがない、という点を特 徴としている。

こうした指導方法が実際のカリキュラムの中では、道徳教育に相当する人格・価値教育と して「宗教教育」、「PSHE教育」、「シティズンシップ教育」の中で中心的に行われている。

イングランドの学校は伝統的に宗教を必修教科としてきた。それは現在でも同様である。

そのため、初等中等教育においてはカリキュラムを見ると1~9学年まで宗教教育が全児 童生徒の必修となっている。また、PSHE教育は、教科ではないが1~11 学年のすべて の学年で実施されている。また、シティズンシップ教育はパストラル(生徒指導)と統合さ れて7~11学年までの全生徒の必修教科となっている。

2 イングランドの人格・価値教育の具体的指導内容

宗教教育については、別の項を設けて説明するとして、ここでは人格・価値教育のコアと なるPSHE教育とシティズンシップ教育の中身について考える。

(1) PSHE教育

正式名称は、Personal Social Health Economic教育である。人格・社会性・健康・経済 といった具体的内容を総合的に扱う。WHO(世界保健機関)が定めたいわゆるライフ・ス キル(「日常の様々な問題や要求に対して、より建設的かつ効果的に対処するために必要な 能力」を指す)をテーマとした学習である。その目標は、コミュニケーションスキルを高め たり、自らを知り、自らを守り、自らを成長させていくスキルを高めたりすることである。

そのため、座学だけでなく具体的な活動をともなった学習をすることがある。また、集団や 社会の中で生きていくためのスキルを高めていくことで、キャリア教育との連携を図る学 校も多い。さらに、近年では、薬物教育、金融教育、性に関係する教育、健康的なライフス タイル等の学習など、経済や健康に関する社会からの要請に応える形での教育内容を大き な柱としている。また、こうした内容に指導者側の教師がきちんとした対応ができるよう研 修の充実をPSHE協会*7が中心となって実施している。

ここで、PSHE協会のChief ExecutiveであるMr. Haymanから紹介されたモデル的な学校 として聖ルカ小学校の取り組みを分析してみる。

この学校は、エセックスのコルチェテプトリーの村に位置している。約 300人 の生徒 の男女共学のイギリスの教会小学校である。 NCの実施状況を確認に来校した検査官は 次のように評価している。

「精神的、道徳的、社会的、文化的な開発は抜群です。生徒から善悪の明確な感覚を開発

30

し、安全で健康な自分自身を維持するために、優れた学習理解の力を持っています。」

この小学校のPSHE 教育カリキュラムの主題としては、年間を通じてのレッスンではな いが、各学期の初めに 1 週間のタイムテーブルの大半を PSHE 教育に与えているという ことであった。

検査官が訪問した日に、3年間でいくつかの素敵な自分のイメージをつくりあげる『子 供のための哲学』をテーマにした学習を見学して、愛の意味を討論している様子を参観し た。これらは数週間にわたる長期計画で、異なる学年の児童が一緒に実施していた。(キ ー・ステージ1,2)このプログラムの成功のおかげで、子どもたちは、異学年交流の機会 を大事にしているとのことであった。

今では、学校の多くの指導方法の一つとして、こうした「社会哲学」に関係するグルー プを設けて、PSHE教育を実践しているところが、多くなってきているとのことである。

日本でも、このPSHE教育に注目し、主体性や社会正義を培う教育として、いじめを許さ

ない子どもの人格形成に応用できると期待されている。

(2) シティズンシップ教育

シティズンシップ教育の目的は、社会をよりよくするために自発的に行動する「積極的・

活動的な市民」の育成を目指すものである。英国では、2000 年版カリキュラムのキー・ス テージ3と4で教科としてシティズンシップが必修化された。そして、2002年より実施さ れるようになった。

シティズンシップ教育は、いま日本でも注目されている教育である。東京都品川区では 2005年度から品川区小中一貫教育を進めることとなり、その中で「市民科」*8を小中で導入 した(市民科の詳細は注を参照のこと)。政府の構造改革特区の小中一貫特区として認定さ れ、当時から注目を浴びている。また、お茶の水女子大附属小学校*9や岡山大学附属小学校

*10では学校主体型としてシティズンシップ教育を研究テーマに掲げた小学校現場での研究 発表会が 2014 年に開催された。既存の社会科との違いや 21 世紀型学力における市民科の 役割など、広く注目を浴びるところとなっている。このシティズンシップ教育は、「市民性 の教育」と翻訳されるように、そこには知識とスキルと価値、そしてアクティビティの4つ の教育の柱が見られる。

イングランドのカリキュラムの概要を見ていくと12歳~14歳(KS3)、15歳~16歳(KS4) の年齢的な段階に応じて、それぞれに①知識・スキル・理解、②良識ある市民になることに 関する知識と理解、③調査とコミュニケーションのスキルを育成、④参加と責任ある行動の スキルの育成が示されている。(2000年版カリキュラム(KS3,4)で、2002年から実施され ているものである。具体的な指導内容は以下の表1とおりである。)*11

学習内容だけでなく、身に付けるべき「スキル」については「調査とコミュニケーション」

と「参加と責任ある行動」の2つを核にしているところを見ても、知識だけでなく実際に行 動し考えることをとおして学ぶことが意識されているのが分かる。

31

表1 シティズンシップ教育カリキュラム(2000年)

① 知識の柱 自由と秩序,民主主義,政治制度,選挙制度,紛争,国際協力,法制度, アイデンティティ,多様性,相互理解と相互尊重,地域貢献

② スキルの柱 思考,討議,ディベート,交渉,調査分析,プレゼンテーション

⇒ 市民の生活として実際に必要となってくるコンピテンシー能力

③ 価値の柱 遵法精神,寛容,交渉による解決や平和的解決などの民主主義的な価値観

④ ア ク テ ィ ビ ティの柱

市民性を養うような児童生徒の自治的活動

実際には、イングランドのある中等学校*12では、シティズンシップ教育は第7学年(13 歳)で、「権利と責任」「多様性」「民主主義と政府」についての授業を受ける。また、「能動 的市民性プロジェクト」として、生徒たちがグループで野外活動を行ったり、校内の安全の ためのリーフレットを作成したり、多文化に触れる行事などを学校内外のコミュニティ活 動に取り込んだりしている。

3 イングランドの宗教教育 (1) 歴史的な流れ

イングランドでは公立学校において、非宗派的キリスト教育による宗教教育を行うとい う特色のある教育制度をとっている。(1944年教育法;通称「バトラー法」*13による。)そ して、これが公立学校での道徳教育の中核となっている。伝統的に聖書による教授を中心と する宗教教育によってキリスト教徒としての生き方を教え、身に付けさせることが人格教 育の根本であり、それがとりもなおさずに道徳教育であるという考え方が支配的であった。

すべての学校において毎朝の一斉礼拝と宗教教授からなる宗教教育が義務化された。そこ では、宗教を基盤としない道徳教育という概念はあまり存在しなかった。

最近はイングランドでは非キリスト教徒移民の増加にともない、多様な宗教を取り上げ る非宗派的なアプローチ*14が主流となってきた。そこには、従来の宗教教育だけでは非キ リスト教徒の子どもたちに対しする道徳教育の充実が補いきれない現状が生まれてきた。

あらたな宗教教育の改革が必要となったのである。

1966 年にコックス(Cox.T.)*15は『変わりゆく宗教教育の目的』において、社会の世俗 化と多宗教化の進行を鋭くとらえ、宗教教育の目的を新たに設定すべきであると訴えた。彼 は学校教育の中に宗教教育が位置付けられるためには、他教科同様に子どもが彼らの経験 を通して検証したことから学ばせ、自らの経験に基づいて解釈するよう導くべきと述べて いる。彼はここで「宗教教育は真に教育的価値をもったものであるべき」であるという、の ちの「教育的宗教教育」の基本原理を打ち出している。

公立学校の宗教教育をめぐる新たな議論は、イングランドの道徳教育の研究を進めるこ とにも役立った。また宗教教育自体が道徳教育化している状況で、果たして宗教教育の存在