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アスペクトからの解放

ドキュメント内 現代日本語動詞のアスペクトとテンス (ページ 71-114)

64 第H部 完成報のアスペクト

      第4章 アスペク1・からの解放 65  2) 分割。非分割からの解放

 「わたしはそうおもう。」というとき,そうおもうのは,まさに,それをいう ときのことであり,そのまえのことでもあとのことでもないので,話しの時点 のことだという意味で瞬間的といえるかもしれない。けれども,その瞬間に始 発から終了までふくんだまるごとの動作としてのべているわけではない。それ が話しの瞬闘のことをのべているとしても,その動作がそのまえからつづいて いたのかどうか,そのあとまでつづくものかどうかが考慮にはいっていない。

このことは,その〈おもう〉〈かんがえる〉などの動作の過程が基準時問である 話しの時点とどうかかわるかが問題になっていないということである。つまり,

それは,基準時問によって動作過程が分割されるか分割されないかということ と関係がない。したがって,この「おもう」は,アスペクi・的な意味において,

完成相でも継続相でもないのである。

 このことは,完成相の基本的な意味をもちながら現在の瞬間的な動作をあら わすものとくらべてみると,よくわかる。たとえば,手品の動作をしながら「こ

うして,ひもをひっぱりだします。」というばあいには,そのすぐあとに「は い,ひっぱりだしました。」といえる。つまり,このfひっぱりだします。」は,

始発から終了までをふくめて,まるごとのすがたでさしだされているのである。

 また,つぎのような,「おねがいします」「さんせいする」など,発言そのも のが行為となっているもののばあいでも,アスペクト的には,完成相の意味を

もっている。

  (1紛 ちょいと,でかけますから,おねがいします。(自由25)

  (146) いそがしんだから,はやくたのみます。(わが75)

  (147)わたしはさんせいする。

 このばあいも,すぐあとに「たのみましたよ」「おれ,さんせいしたぞ」とい うことができる。けれども,ヂおもいます」や「信じます」は,そのようにはな らない。「おもいます」や「信じます」は,完成相の意味をもっていないのであ

る。

 つぎの「感謝する」なども,「おもいます」のグループだろう。もし,「感謝 の念をささげます」なら,完成相かもしれない。

  (148)諸君の協力を感謝する。(得待66)

 66  第H部 完成翅のアスペクト  3) モーダルな性格

 一入称現在の「おもう」や「かんがえる」が動作過程の分割・非分割に無関 心であるのは,これによってつくられる述語の内容としての動作過程の対象性

と,形式としての発話過程の陳述性とが未分化だからである。

 「ひもをひっぱりだします。」というとき,その動作はことばのぞとにある。

だから,その客体としての動作とそれをのべることばは分化していて,動作過 程と発話時とのあいだにアスペクト的な関係が成立する。ところが,「わたしは そうおもいます。」というときは,その内容としての心的過程は,そのことばを 成立させている心的過程とおなじものであるために,関係心血のものとなって

しまって,アスペクト的な関係が成立しないのである。

 こういうと,「おねがいします」のばあいにも,ことばそのものが動作ではな いかという問いがかえってくるかもしれない。けれども,「おねがいします。」

ということばの内容は,ことばそのものではない。それは,話し手の聞き手に 対する行為であって,そのことばをはなすという動作として,そのことばを成 立させている心的過程のぞとに,客観的に存在する。したがって,その内容で ある動作と発話時とのアスペクト的な関係が成立するのである。

 fおもう」ということばの内容はこころのなかにあって,音声形式をもった ことばからみれば,そとにあるのではないかという反論があるかもしれない。

けれども,思考濡動は,ことばのかたちで存在するのである。過去におもった ということをはなすときはべつだが,一人称現在のばあいは,おもいながらは なすのであり,思考活動としての内言と表現活動としての外書が分化していな い。まさに,そのことばが思考活動と表現活動の統一として存在するのである。

話し手の現在の思考活動の表現がアスペクト性をもちえないのは,そのためで

ある。

 「おもう」や「かんがえる」などがmodusの要素をもっていることは,文法 形式のいろんなところにその証拠がみられる。そのひとつとして,陳述副詞「ま

さか」「よもや」との呼応のことにふれておこう。「まさか」や「よもや」は,

「まさか死なないだろう」「よもやいくまい」のように,うちけしと推量のあわ さった述語形式と呼応するのだが,「おもう」「かんがえる」などが述語になる ばあいには,rまさか死ぬとはかんがえなかったjfよもやいくとはおもわなか った」のように,推量形式を必要としなくなる。そのようなモーダルな性格が

       第4章 アスペクトからの解放 67 これらの動詞の語い的意味のなかにひそんでいるからである。また,「おねがい します3というかわりに,「おねがいしたいとおもいます」というばあいの「お もいます」なども,陳述的な性格のほうが勝っているといえるだろう。

  (149)けれども,そのまえに,われわれはここで,全翼でですね,ここで黙     とうをささげたいとおもいます。……黙とう!(水俣20の

 これは,目本語だけのことではない。「おそらく」の意味でつかう英語の ,I think, などもmorda至word化しているといえるだろう。それから, fおもう」が アスペクトから解放されているということは,英語で lam thi紐くh}g. といわな いこととも無関係ではないだろう。

 寺村秀夫1971も「おもう」がムード・テンス的に特殊である点をとらえ,「彼 ハ死ヌi・思ウ」のようなものは,…人称しかないのに,蹟本語を学んでBの浅 い外国人は,実際,上の文をHe thinks…… と角孕釈しがちである。」とのべてい

る。

 以上,「おもう」や「かんがえる」がアスペクトから解放されていることにつ いてのべてきたが,われわれの関心は,それらがアスペクトから解放されてい ることよりも,むしろ,アスペクトというものが,ムードやテンスよりも.客体 的なものだということを確認することにある。つまり,これらが陳述的なもの に対する客体性の欠如によってアスペクトから解放されたのだということを,

うらがえしにしていえば,アスペクトから解放されないものは,客体的なもの だということである。このことは,アスペクトというものをとらえるために,

だいじなことである。

 4) ヂおもった]εおもっている」について

 おなじ一人称であっても,「おもった」や「おもっている」は,アスペクトか ら解放されていない。過去におもったということは,「おもった」ということば を言うときの言語活動のぞとに存在する。この完成網点島形は,過湿の心的動 作を始発から終了までまるごとのすがたでさしだしていて,完成相の基本的な アスペクト的意味を実現している。また,「おもっている」は,現荘をふくむ持 続過程がことばのぞとに存在していて,動作を,その持続過程のなかにあるす がたでさしだしている。ここでは,継続掘の基本的なアスペク1・的意味を実−現

しているのである。

68  第II部

(翻

(151)

(152)

(153)

(IM)

 完成相のアスペク}

そのときの私ははらのなかで先生をにくらしくおもった。にご81)

かれは杉子と一軒家をもつことをかんがえた。(友情70)

安吉はほっとして助かった気がした。(むら24)

おれはうまいとおもっている。(末枯40)

これが実にまた,武蔵野第一の特色だろうと自分はしみじみ感じて  いる。(武蔵/9)

(155)ぼくはただ理くつなしに民子はどんな境涯にはいろうとも,ぼくを   おもっている心はけっしてかわらぬものと信じている。(野菊45)

 5) 「つかれる」「すっとする」など

 ヂつかれる」「すっとする」「はらがへる」など内的な感覚をあらわす動詞は,

完成相良過去形で一人称現在の内的な状態をあらわすことができる。

  (156) 「つかれるわ,わたし。……ねむらせて。ねむらせて」彼女はうわご     とをいいつづけつつ,ひんぱんにひきつけた。(伸子66)

  (157) ときどきなまあくびをして,かすかなかすれこえで,「ねむい。」とい     う。「のどがかわく。」という。(本M・98)

  (1謝 どういうものか,ふしぎなほどいたみます。(本日77)

 これらは思考活動ではないので,ことばとその内容である対象とがひとつの ものではない。感覚活動でとらえる対象は,その感覚活動を統括する大脳の活 動のぞとにある。その点で,これらは第3章の第1節でとりあげた「みえる」

や「きこえる」などの知覚活動のばあいとおなじである。けれども,それは,

ことばのぞとにあっても,話し手のなかにある。そのために内容が対象化しに くく,現在のばあいは,「おもう」「かんがえる」と同様に活動の側薗が強調さ れて,アスペクトから解放されるのであろう。

 6) 「おどろく」「よわる」など

 「おどろく」「よわる」など,感情活動,または,感情的な態度をあらわす動 詞も,完成相非過去形が話し手の現在のことをあらわすことができる。

  (159) 「まア,おどろきますわ……」これは,駒子が,ぼう然とするのが当     然であろう。(自由113)

  (1鋤 おまえのごへいかつぎにもあきれるよ。」(出家27)

ドキュメント内 現代日本語動詞のアスペクトとテンス (ページ 71-114)