第 7 章 まとめと今後の課題
1. まとめ
NIEs・ASEANは、1980年代以降、多国籍企業の事業活動の立地先として位置づけられ、
先進国等との工程間分業が進んだことで、貿易・投資が拡大している。世界とNIEs・ASEAN の経済統合の進展は、先進国からNIEs・ASEANにモノやカネが流れ込むだけでなく、先 進国の優れた技術やノウハウやマネジメント手法等まで伝えられ、これらの国や地域で生 産性が上昇しやすい状況にあると言える。そこで、NIEs・ASEAN の生産性上昇について どの程度まで先進国からの技術普及が影響してきたか製造業種別に実証分析したものが小 生の博士課程学位請求論文である。
論文の問題意識は以下の3テーマに整理される。まず、近年増大するNIEs・ASEANの 貿易が先進国からの技術普及にどのような影響を与えてきたかについて把握する。とりわ け同貿易の特徴である、所得・技術水準に対応した貿易、90 年代以降の貿易増大、機械業 種を中心とした貿易構造に注目する。次に、同貿易の特徴である工程間分業による中間財・
資本財の貿易や対内直接投資の増大を踏まえて、技術の伝わる経路(媒介)の違いとNIEs・
ASEAN における技術普及の関係について実証分析する。三番目に、NIEs・ASEAN では
域内貿易が増大しており、技術普及が先進国だけでなく、技術水準が比較的高いNIEsから 生じているかどうか検証する。
第 2 章では、技術普及がもたらす経済成長への理論的含意と技術普及に関する先行研究 を紹介している。理論的含意については内生的成長理論モデルに海外からの技術普及要因 を組み込むことで海外からの情報獲得による品質の改善が生産性上昇となって経済成長の 増大に結びつくことを理論的に導いた。先行研究については、まず技術普及の実証分析と してパイオニア的研究であるCoe and Helpman(1995)を紹介した。先進国を対象とした同 分析では自国の研究開発ストックだけでなく、輸入を通じて得られる海外の研究開発スト ックも自国の全要素生産性に影響を与えることを明らかにしている。途上国を分析対象と
したCoe, Helpman and Hoffmaister(1997)の実証分析でも海外先進国の研究開発ストック
は途上国の全要素生産性に影響を与えている。次に技術普及について製造業種別の先行研 究、経路別の先行研究、アジア地域に特化した先行研究を取り上げた。業種別の先行研究 では機械業種などハイテク産業において技術普及が有意に確認される。ただし、主として 先進国製造業を対象としたサンプルにおいてである。経路別の先行研究では中間財輸入に ついては技術普及を有意に確認しているが、他の輸入経路と比較して定量化したものでは ない。アジア地域に特化した先行研究では先進国からの技術普及が確認されているが、ア ジア地域の中ではこれといったパターンを見て取ることはできなかった。
第3章では、技術普及分析に不可欠なNIEs・ASEANの製造業種別の全要素生産性を計 測した。Törnqvist指数に基づき、1976年から2006年まで製造業17業種を計測対象とし た。東アジア・東南アジア両地域は1980年代以降、貿易・投資の自由化が進められている が、業種によってその自由化の程度は異なるため、これらの影響を把握するためには業種 別に全要素生産性を計測する必要がある。その際、業種別デフレータとして、公的統計が 不在のため、両地域の生産者物価もしくは卸売物価を代替活用した。製造業の全要素生産 性の伸び率についてNIEsとASEANを比べると、NIEsの方が1.7~2.5%とASEAN(0.2
~1.2%)に比べて高い。次に、期間別に見ると、1970年代後半から80年代半ばまでの同伸 び率が高い国(シンガポール、マレーシア、フィリピン)と1980年代半ばからの同伸び率 が高い国・地域(香港、韓国、タイ、インドネシア)に分かれる。ただし1970年代後半か ら80年代半ばまでの方が全要素生産性の伸び率が高い国でも、業種によっては1980年代 半ばからの方が同伸び率が高いものが散見される。業種別に見ると、概ね業種横断的に全 要素生産性が上昇した国・地域(香港、韓国、シンガポール、インドネシア)と業種横断 的に上昇していない国(タイ、マレーシア、フィリピン)に分かれる。ただし、業種横断 的に上昇していない国においても1990年代半ばまでに限れば全要素生産性が上昇した業種
120 も存在する。
一方、いずれの国・地域においても1990年後半から2000年代にかけて同生産性が下方 にシフトする動きが、程度差はあれ、見られている。これについてアジア通貨危機やITバ ブル崩壊などマクロ経済環境の変化と中国台頭による競争環境の悪化がその理由として考 えられる。
第4章では、NIEs・ASEANの貿易の特徴を踏まえて、NIEs・ASEANにおける先進国 からの技術普及について製造業種別に実証分析している。Coe and Helpman(1995)の手法 に基づき、先進国の研究開発ストックを先進国からの輸入額でウェイト付けして積み上げ たものを説明変数、全要素生産性の動向を被説明変数としてパネルデータ分析手法を用い た。
NIEs・ASEANに特化した業種別の技術普及について、サンプル全体で分析したところ、
先進国研究開発ストックの係数に対する推定値の符合はプラスで、推定値そのものも概ね 有意であったことから、先進国からの輸入を経路とした技術普及を確認することができる。
これは技術普及に関する多くの先行研究の結論と合致する。NIEs・ASEAN 別に見ると、
NIEsにおいて先進国からの技術普及が有意に確認されたが、ASEANでは確認されなかっ た。先進国との技術格差の観点では、ASEANの方がNIEsと比べて格差が大きいものの、
人的資本の蓄積など技術普及を享受するための技術吸収力が劣っており、有意な技術普及 が発生していなかったと考えられる。先行研究に比べて所得・技術水準別のサンプルの違 いで技術普及の有無がはっきりと出ているが、これは比較的正確に計測された業種別全要 素生産性データによるところが大きい。
対象期間を 1990年前後で分けた分析では、1990 年代以降の方が先進国研究開発ストッ クの係数に対する推定値の有意性が低下、もしくは有意性が消失している。期間後半の分 析で有意性が低下、もしくは有意性が消失したのは、アジア通貨危機やITバブル崩壊等の マクロ経済ショックの影響と輸入とは異なる経路からの技術普及の増大が考えられる。
研究集約的な機械産業に絞った分析では、機械 4 業種全体で見ると分析結果は不安定で あった。しかし、業種別に分析すると、輸入規模を考慮した先進国研究開発ストックの係 数に対する推定値は電気機械・情報通信機械と精密機械のサンプルでは有意となった。つ まり、NIEs・ASEAN の場合、研究集約度の高い業種において先進国からの技術普及が生 じやすいとは一概に言えない。技術普及が確認された 2 業種は、機械産業の中でも工程間 分業が進展していることから、先進国関連業種との結びつきの強さやNIEs・ASEANの関 連業種の技術吸収力の高さなどの条件が満たされて初めて、技術集約度の高い業種におい て技術普及が発生したと言えよう。なお、輸入代替政策から輸出促進政策への転換は、NIEs を中心に同生産性に影響を与えているものの、先進国からの技術普及は依然として有意に 確認されている。
第5章では、NIEs・ASEANの工程間分業の進展に注目して、これらの国・地域におけ る経路別の技術普及の実証分析を行った。NIEs・ASEAN では工程間分業が進展して、技 術情報の詰まった中間財や資本財の貿易が拡大しており、これらの財の輸入を通じて技術 普及による恩恵を享受していると考えられる。また近年、世界において貿易だけでなく、
直接投資、特許情報、人的交流など貿易以外のヒト、モノ、カネの国境を越えた流れが活 発化しており、技術普及の経路として、対内直接投資など輸入以外の経路の存在感も増大 していると考えられる。本章では、経路の違いに着目してNIEs・ASEANにおける技術普 及について第4章と同じくパネルデータ分析の手法を用いて実証分析を行った。
産業連関表から抽出した海外からの中間財投入データを使用して実証分析したとき、先 進国からの技術普及が有意に確認される。これはASEANサンプルにおいても同様である。
また、中間財に絞った経路からの技術普及力は、それ以外の輸入経路よりも大きい。ちな みに海外からの中間財取引経路の技術普及の影響力は、輸入全体の経路と比較してNIEs・
ASEANでは最大4.4倍程度増大している。これまでの先行研究では中間財経路からの技術
普及力について同じ論文の中で同一手法を用いて定量化したものはない。