はじめに
オバマ米大統領は、いわゆるプラハ演説(2009年
4
月5日)で言明したように、「核兵器な き世界」を国家の長期目標に据えて舵を切った。その目標が達成できるまでは、同演説で も言及されたように核テロリズム対策が喫緊の課題である。米国にはテロリストの動機や 核施設の現状に加えて、過去・現在のさまざまな事件を総合的に検討する研究者や実務担 当者が少なくない。理由もなく核テロの脅威を喧伝しているのではない。一方、日本で「核テロ」と言うと、安全保障や原子力の専門家の間では、懸念事項として枕詞的に一言触 れられるものの、それ以上あまり真剣に脅威の性質や防護方法をめぐって議論が戦わされ ていないように思える。“nuclear terrorism”と「核テロリズム」をそれぞれ米国版と日本版の 検索エンジンにかけてみると、最初の数ページでの情報の質・量にあまりの差がある。
本稿では、核テロの脅威を考えるために、今まで発生した事案や今後備えるべきテロま で取り上げ、日本の核テロに対する意識や取り組みの問題点を述べ、訓練の在り方を提言 する。
1
すでにあった核テロ核テロがすでにあったと書くと奇妙に思われるかもしれないが、大規模な被害をもたら していないものならば起きている。まず核テロとは何であろうか。核テロリズム防止条約
(核によるテロリズムの行為の防止に関する条約、
2005年、国際連合総会採択)
の第2
条において、おおよそ以下の行為を犯罪と定めている。①死または身体の重大な傷害、財産または環境 に対する著しい損害を引き起こす意図のもとに、放射性物質を所持すること、②それを発 散させる装置や核爆発を起こす装置を製造、または所持、または使用すること、③原子力 施設(炉を設置した車両・船舶、放射性物質を製造・貯蔵・処理する工場、それを輸送する機関 も含む)を損壊すること、である。また、放射性物質や同発散装置、核爆発装置を使用する ぞ、という脅迫も犯罪である。この条約に限らず、一般的にテロ行為には脅しも含まれる ので、同条約でもその扱いである。なお、この条約では国家による軍事的行為は原則対象 としていない。日本に対する原爆投下を究極の核テロと評する人もいるが、本稿で議論す るのは、新しい安全保障問題としてのテロリストもしくは私人による核テロである。
この条約では実行者の意図を限定してそれを犯罪要件にしている。しかし、核テロ対策
を未然防止から事後対処まで総合的に組み立てるならば、意図にとらわれず、核に関係す る事案を広く視野に入れるべきであろう。人を死傷させたり強要したりする以外にも、会 社を困らせる、第三者に譲渡する、放射性物質を趣味で収集する、今は目的もなくとりあ えずもっておくなど、実際にあった出来事で大事には至らなかったものの、その展開次第 では重大テロの伏線になりうる事案もあるからである。テロ対策の第一歩は、テロが起き るまでのシナリオ作りにあり、そこから防止や対処を考える。軽微な事件でも参考にしな い手はない。以下、事例を挙げながら軽微なものから順番に5つの核テロパターンを示す。
核テロリズム防止条約で規定された犯罪行為には相当しないものもあるが、本稿では広義 の核テロとみなす。
(1) 偽物による脅し
実際には核兵器も放射性物質も所持していないのに、所持しているかのごとく装っ て、何らかの要求を政府や企業などに突き付ける行為。米国エネルギー省傘下の
NEST
(Nuclear Emergency Support Team)創設のきっかけになったのは、1974年にボスト ンで起きた、20万ドル支払わなければボストンのどこかで核爆発を起こすと脅迫した 事件である。(2) 実物による脅し
自らの力や意図を知らしめるために実際に所持している放射性物質等を誇示する。
1995
年11
月、ロシアに反抗するチェチェンの武装勢力がモスクワのイズマイロフ(Izmailovsky)公園に埋めたセシウム
137
入りのボックスをロシアのテレビ局(NTV)を 呼びつけてわざわざ示した。この一件は、核テロがアルカイダに代表される宗教テロ組織のみの関心事ではない ことを示している。時期的には、旧ソ連でのずさんな核管理が公に問題になり始めた 頃であり、その対策である米国による協調的脅威削減プログラムも、WPC&A(核兵器 のロシアへの移送や解体)が終わり、ようやく
MPC&A
(核物質の防護・計量管理)に移 行していく段階であったので、放射性物質の密輸件数も多かった時期である。(3) 強取
核物質輸送中の船舶や車両を襲撃したり、核施設から放射性物質を盗む。核関連機 器の盗難は日本でも最近発生した。2008年4月に千葉県市原市の非破壊検査株式会社 からイリジウム192入りの検査装置が盗まれた。犯人は子会社の従業員で、1ヵ月後に 逮捕され装置も発見されたが、それまでの間、テロに使われる恐れがあると市民に緊 急告知をした東京都のような例もあったが、そのような危機管理措置をとった自治体 は例外的であった。
裁判で明らかにされた犯人の動機が人事への不満から会社を困らせてやるというこ とだったので、それを額面どおりとれば、核テロリズム防止条約の犯罪行為=狭義の
「核テロ」にはあたらない。だが、犯人が捕まり盗難品を押収するまでの間は、警察の 捜査任せで行政は何もしないのではなく、東京都のような対応をとるのが正しいので あろう。
(4) 核施設攻撃
施設の外部から攻撃される場合と、内部脅威(insider threat:従業員や出入り業者によ る犯行)によってもたらされる破壊活動とがある。前者の最も派手な事件は、1982年1 月にフランスのリヨンで
Pacifist Ecological Committee
が建設中の高速増殖炉スーパーフ ェニックスに対戦車ロケット砲を5発打ち込み、うち4
発を命中させたことであろう。稼動前のことであり、しかも放射性物質を放出するおそれのある方法で攻撃したので はないから、仮に核テロリズム防止条約に照らしても「核テロ」には相当しない。た だし、「エコテロリスト」が、(この前年にイラクの原子炉を破壊した)イスラエル並み の非妥協性を示したことは記憶しておくべきであろう。
稼働中の原子炉に航空機を突入させた事例はないが、その脅しは過去にあった(1)。 一方、核施設内部での破壊行為は枚挙に暇がない。だからこそ国際原子力機関(IAEA)
が各国に対して内部脅威対策をとるように勧告してきた(2)。
(5) 個人の暗殺
核テロというと無差別大量殺傷のイメージがあるかもしれないが、ロシア連邦保安 庁(FSB)の犯罪活動を内部告発し、英国に亡命後も、プーチン政権(当時)を痛烈に 批判していたアレクサンドル・リトビネンコ氏が、2006年
11
月にポロニウム210
を服 毒させられ死亡した事件がある。これは特異なケースだが、もしかしたら過去にも同 様のケースが死因不明で処理されたことがあったのかもしれない。英国の捜査当局は 元国家保安委員会(KGB)職員を容疑者として特定し、しかも国家的な関与さえ疑わ れているので、これが純粋に私人の引き起こしたテロとは言い難い。この時の事後対処で注視すべきは、診療にあたった医師が発症原因となった物質を タリウムと誤診していたことである(3)。ポロニウムと判明したのは入院
3
週間を経た死 後であった。医師の個人的能力の問題というよりも、やや特殊なものを使われると診 断を誤ることがあるという一般論がここでも確認された。日本のテロ対処の演習では 最初から原因物質がわかっている場合が多いが、それを伏せて症状からいったい何が 原因かを医師に問うような訓練も必要である(4)。そして、被害者と容疑者が立ち寄っ たホテルや飲食店、さらには旅客機から放射性物質が検出されたため、不特定多数の 人々に健康診断を呼びかける事態となった。核テロが小規模であっても社会的混乱が 生じたのであるから、訓練のシナリオ作りのためには参照すべきであろう。テロではないが、ロンドンで社会不安を惹起したこの
1
件よりもはるかに深刻な被 害が都市にもたらされた事件が、1987年9
月にブラジルのゴイアニアで起きた(5)。閉 鎖された医療機関跡で金属屑を探していた廃品回収業者が、がんの治療器具に密閉さ れていた青白く発光するきれいな物質を、身体にこすりつけたり切り刻んで周囲に分 け与えたりした。それがセシウムとは知らなかったのである。結果的に4人が死亡し、約
250人が被爆し、10
万人以上が受診した。無知が引き起こした惨事だが、ゴイアニア事案以降、国際的にも放射線源の管理が治安・危機管理の観点から議論され、主要 国(G8)首脳会議(エビアン・サミット、2003年)では放射線源の管理と防護について
テロ対策の観点から声明が出された(6)。
以上みてきた核に関する事件、事案は、行為主体やその意図の多様性、事後対応の複雑 さなど、それぞれが研究に値する。多くは被害が軽微か局地的であるが、次節で述べる
「まだ起きていない」重大な核テロに対処するうえでも参考になるのである。
2
まだ起きていない重大核テロ一般的に「核テロ」というと次のようないくつかのシナリオが想起される。これらはい ずれもまだ起きていない。単なる思い付きではなく、狂信的かつ計画的に準備しないと実 行できないテロである。
・RDD(Radiological[Radiation]
Dispersal Device)
またはRED(Radiological Emission Device)の 使用・IND(Improvised Nuclear Device)の使用
・核施設のメルトダウン
・軍用核兵器の使用
・同時もしくは連続の核テロ、またはBC(生物・化学兵器)テロを伴う核テロ。
これらのうちで、原材料の入手も製造も運搬もテロリストにとって最も容易だと言われ ているのが
RDD、通称「ダーティ・ボム」であり、通常の爆薬を起爆させて放射性物質を散
布する。REDならば爆破させずに装置から放射線を散布する(7)。これらは核爆発を伴わないRテロとして、核爆発テロ=Nテロとあえて区別されたり、大量破壊兵器
(WMD: Weapons ofMass Distruction)
ではなく、広範囲な区域を汚染しそこは一定期間立ち入り禁止になるであろうから、同じWMD表記でも大規模途絶兵器(Weapons of Mass Disruption)と称されること もある。チェチェンの過激派が脅しに使ったことは前述したが、1960年代以降、未遂事件 や失敗が何件かあるものの(8)、成功例はない。容易と言われているだけに、なぜあまり試み られていないのかという疑問が出てくるかもしれない。単に思いつかなかったのか、考え てはみたが魅力を感じなかったのか、散布後が予測しにくいからか、社会的な途絶を起こ すならばサイバー攻撃のほうがよいと考えているのか、それはわからない。本当はどこか で密かに使われたが、顕著な健康被害もなく、放射線検知もしなかったことで闇に埋もれ たRテロがあるのかもしれない。
INDはその名が示すように、即席の核爆発装置である。テロリスト自身が核兵器を作ると
すれば、十分な量の高濃縮ウランさえ手に入ればガン・タイプ型(砲身のなかの一方にある 高濃縮ウランの標的に対してもう一方から高濃縮ウランの砲弾を撃ち込み融合させる)が容易で あると評されている(9)。それは簡易な原理なので、核実験などしなくても爆発の信頼性は高 いと言われる。
テロリストが軍用核兵器を入手するならば、小型の戦術核や、1997年にロシアのアレク サンドル・レベジ安全保障会議書記の爆弾発言で注目されたスーツケース型のような超小 型核を窃盗あるいは購入する可能性が考えられる。また、最近の国際的な懸念は、政情不 安で治安の悪化がはなはだしいパキスタンに注がれている。ブッシュ米政権に引き続きオ
バマ政権もパキスタンの核管理を強化しようとしているが、そのことに対して、アルカイ ダやパキスタン・タリバーン運動が強く反発している。2009年
6
月にアルカイダ幹部ムスタ ファ・アブ・ヤジドは、パキスタンの核を奪って米国に対して使用すると述べた。また、同年7月には同国のラワルピンディで核施設(兵器級ウラン製造施設)の従業員バスに自爆テ ロが敢行された。
重大な核テロの発生を懸念すべき背景として2点指摘できよう。第
1に、テロリストの能
力と意図、第2に、国際的な核テロ対策がまだ完成していないことである。テロリストの能力は、昨今のプロファイリング(人物像分析)の成果や社会的関係からみ ても侮れない。知識も技術も資金もコネもなければ烏合の衆、いくら集まっても重大な核 テロ(核爆発など)を起こすのは不可能だが、テロリストのなかには科学者や医者など専門 職の従事者もいるし、国家の腐敗した役人や、現体制を倒したいと考える軍人や科学者と 関係を有していたり、犯罪組織や企業との商取引もある。また、破綻国家の出現や、政府 の統治が及ばない地域を抱える国は、テロリストが自由に活動できるセイフ・ヘブンとな る。国際社会は破綻国を再建したり、無法地帯をなくすことに対する即効薬は見出せてい ない。
テロリストの意図については、アルカイダの核兵器志向はいまさら繰り返すまでもない。
従来、テロリスト一般は自らの大義を支持し、物理的・心情的に支援してくれる同胞が必 要であるから、核爆発のように支持者をも巻き込みかねない大量無差別テロを実施すると は考えにくいと説明されてきた。しかし、1990年代に宗教・カルトテロの台頭によってこ の見方はいくぶん修正され、大量無差別的殺傷を望む集団ならばありうる、となった。ち なみに、テロリスト自身は、大量無差別殺傷ではなく、標的を絞った戦争だと信じている。
世界貿易センタービルを攻撃すれば多民族、多人種を巻き込むことになるのだが、イスラ ムの過激主義者や米国内の極右の目には、そこは「ユダヤ・タワー」にしかみえない。こ のような考え方と、かつテロリストの心性として、スペクタクルな光景を現出させること や、誰もやっていない手法を好むことから、核兵器があれば早速使うだろうと専門家にも 思われている。
ただし、すべてのテロリストが人を殺すことに必ずしも性急ではない。アルカイダの
1998
年(ケニア、タンザニア)や2001
年(米国)の大規模テロのように、その準備に数年単 位の時間をかけることもある。宗教・カルト的なテロリストだけでなく、民族主義的なテ ロリスト、エコテロリストにも共通しているのは、彼らは敵に比べてはるかにパワーで劣 るのに、その実力には不釣合いなほど権力対等意識と自己顕示欲が強い点である。そうみ ると、テロリストの核兵器志向は、小国の核開発の動機と似ていなくもない。もし手に入 ればやみくもに使うのではなく、例えば、本当に核兵器があるということを敵に何らかの 形で信じ込ませ、そのうえで、自らの法外な要求に応じなければそれを使用すると脅すこ とも想像できる。テロリストが数多くの核兵器を手にすることはないであろう。虎の子の1 発だけかもしれない。爆発させるにしてもそのタイミングと場所は慎重に検討されるであ ろう。第2に、国際的な核テロ対策については、1970年代の
IAEA
の核物質防護の勧告を手始め に、1990年代はソ連崩壊後の状況に対応して米国が協調的脅威削減プログラムを進め、さ らにはポスト9・11には、米国主導での新たなイニシアチブ以外にも、核テロリズム防止条 約の制定や国連安全保障理事会決議1540の採択をはじめとして国際社会は次々と措置を打 ち出し、また重層的に取り組んできた。それらは、①核施設の防護(内部脅威対策を含める)、②核分裂性物質の回収、③国境や空港・港湾域での輸出入管理、に分けることができる。
冷戦終結直後の20年前に比べれば保安体制も進んだ。
しかし、2010年春、核テロリズム防止条約の締結国は
64
ヵ国にすぎない。改正核物質防 護条約(核物質の防護に関する条約)に至っては34ヵ国にとどまり、発効要件の 95ヵ国に及
ばない。国連安保理決議1540の実施状況も国によってばらつきがある。2010年4
月の核セ キュリティー・サミットで4年内の目標とされた核物質の国際管理はこれからであり、高濃 縮ウランの米国、ロシアへの回収はまだ途上であり、それを保管している東欧やメキシコ の研究炉の一部では警備状態に不安が残っている。少量とはいえ盗難や紛失は発生してい る(10)。1990年代からの旧ソ連の「ルース・ニュークス(ずさんな核管理)」問題は完全に解消 されたわけではなく、いまだに核の密輸は発生している。2004年に発覚した「カーン・ネ ットワーク」については全容解明にはほど遠いまま、パキスタン政府は調査の幕を下ろし てしまった。今は「原子力ルネッサンス」とも言われ、アジアを中心に現在56基の原子力発電所が建 設中である。セイフティー(事故防止)とセイフガーズ(保障措置)のみならず、セキュリ ティーの伴った原子力の平和利用が以前にもまして要請されるはずである。だが核セキュ リティーは平和利用を妨げるのではないかと勘ぐる向きもある。核テロ対策の中身につい てまで世界は合意していない。兵器用プルトニウムや高濃縮ウランを生産し続けている国 もあり、新たな問題が発生するのは必至である。
以上から、重大な被害が予想される核テロも念頭に置いて準備と対策を立てることが重 要である。
3
日本の核テロ対策さて日本は、国連加盟国の義務として国連安保理決議
1540を遵守し、核テロリズム防止
条約は批准した(11)。輸出管理ではキャッチオール規制(補完的輸出規制)を採用し、国内企 業の不正輸出を次々に摘発している。対策の遅れている国のキャパシティー・ビルディン グ支援もセミナー・レベルから実施してきた。同盟国主導の下、大量破壊兵器や関連物質 の海上・航空輸送を阻止する拡散安全保障イニシアチブ(PSI)、輸送貨物に核兵器等が紛れ ていないか探知するメガポート・イニシアチブ(MI)やコンテナ・セキュリティー・イニシ アチブ(CSI)にもいち早く協力してきた。核物質の検知・鑑識システムに関する日米共同 研究開発も行なわれようとしている。それだけではなく国際社会に働きかけもした。2008 年7月の北海道洞爺湖サミットでは「3S(safety, safeguards, security)に立脚した原子力エネル ギー基盤整備に関する国際イニシアチブ」を提唱し、首脳宣言に盛り込まれた。2010年4月
の核セキュリティー・サミットでは、「アジア核不拡散・核セキュリティー総合支援センタ ー」の年内開設などを提案した。
このように表面的には、日本は国際的に決められた事項に取り組み、国際協力や支援に も決して消極的ではない。しかし、国際責務や貢献を果たす以前に、そもそもテロリズム の脅威に対する議論も理解も不十分なまま、さまざまな取り組みに着手しているのが現状 ではないだろうか。テロの脅威の理解は、対策を考える基本であるのだが、日本の取り組 みは、悪く言えば、国際的にそうなったからやるという、受身で主体性の欠如が見え隠れ するのである。
テロリズムの脅威とは、単にテロが迫っているかどうかという蓋然性の問題ではない。
その脅威とは、第
1に、テロの手法の新しさに不意を突かれる点である。テロの歴史は、新
しい手段、不意を打つ手法に国家や社会が振り回わされてきた歴史である(自動車爆弾、ハ イジャック、化学兵器テロ、自爆ハイジャック、手紙によるバイオテロなど)。日本もそのいく つかを目の当たりにしてきた。研究者(社会科学者)の仕事はそのほとんどが、起きたこと を解釈することに力が注がれているが、テロ対策の構築には、起きたことを解釈するのと 同じ程度、起きていないことも考えなければならない。まったくの想像上の武器ならばと もかく、核兵器については1万発以上も存在している。テロリストではないが米国は、自ら 正当と信じる大義のために2
度も原爆を使用した。核爆発テロは何も特別なことではない。今まで起きていないというだけで、考えもしないというわけにはいかない。
テロリズムの脅威の第2の点は、予測もつかない事態の展開のなかで急速にテロの脅威が 出現することである。現時点で、イスラム過激派という特定のテロ集団に限って言うなら ば、核テロはおろか日本を標的にテロを企てるとは考えにくいかもしれない。しかし、些 細と思える小さな事件への対応を誤り、大ごとに発展し、制御不能に陥ることはしばしば ある。例えば
2005
年のデンマークの日刊紙に端を発する「ムハンマドの風刺画」事件は、国際的な騒動を巻き起こし、暴動やデモだけでなく、2008年6月にはパキスタンのデンマー ク大使館に自爆テロが実行された。2001年、富山県では一市民がイスラム礼拝所からコー ランを盗み、しかも路上に破り捨てた。これには全国からイスラム教徒が駆けつけ現地で は大騒動になったが、犯人を早く逮捕し、事なきを得た。事件が長引くと、その間に予想 もできない政治家の発言やメディア報道、日本人運動家の行動などによって、全世界に怒 りが飛び火することも考えられる。
テロ対応の準備は、現時点でテロ集団と目される特定の集団だけを念頭に置けばよいも のではない。危険がどこに潜んでいるかわからないのである。テロリストの攻撃には合理 性を疑うことも多い。オウム真理教は、1994年に長野県松本市で自らに不利な状況で進行 していた裁判を止めるために、裁判所でサリンを撒いて裁判官を殺そうとした。裁判官を 殺しても一時的に裁判が止まるだけだが、そこまでの目的合理性は理解できなくはない。
しかし裁判所の業務が終了した後に現場に到着したために、急遽裁判官宿舎に標的を変え た。そのとき、なぜ裁判官官舎の正面もしくは東玄関付近から散布しないで、数十メート ル西方に離れた駐車場から噴霧したのか。その方向からでは官舎に窓はなく、間にはアパ
ートもある。官舎正面の狭い道路に噴霧車両を置くと目立つということもあるが、あれだ け離れると、付近住民を無差別に殺せるかどうか実験することが、裁判官殺害よりも上位 の目的になったと言える。さらに翌春、彼らは東京の地下鉄
3路線 5
列車内でサリンを散布 した。拉致事件での強制捜査が迫っていることを察知して警察の捜査を攪乱させたかった のである。しかし、警察がオウムによるサリン製造を疑っていたことをオウムは知ってい たのだから、サリン散布は逆効果である。松本でも東京でも被害者からみればテロリスト とは通り魔にほかならない。テロ対策を考えるときにも、自国は恨みを買っていないから 安全だと思うのは間違いである。標的は独善的に決定されるのである。テロの新しさや予測不可能性を強調すると、それでは効果的な対策を立てようがないで はないかと思われるかもしれない。しかし、それでもテロは突如降ってわいたように起き るはずがない。テロリストは何らかの方法で武器を手に入れ、何らかの経路で現場に現わ れ、犯行に及ぶ。そこには彼らなりの動機と目的がある。それらを考える材料が、過去の 事件、現状のセキュリティー、テロリストの動向などになる。
そして第3のテロリズムの脅威とは、事後の混乱にほかならない。テロ直後の不確かな情 報のなかで対処することの不安や恐れはもちろんあるが、直後よりも時間がもう少し経過 した後になって多くの問題が噴出する。被害の深刻さ、責任のなすりつけあい、政治への 不信、リスクコミュニケーションが機能せずに風評被害が発生するなど、社会的、政治的 混乱こそがテロリズムの脅威のなかでも最も対処が困難な脅威であろう。
日本人は、セキュリティー関係の問題を知覚し、認知するのが遅いのである。古くは北 朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の拉致問題であり、最近ではソマリア沖の海賊問題である。
核テロ問題は
1990年代には旧ソ連の「ルース・ニュークス」や宗教的なテロリストの台頭
によって国際的に大いに議論になっていた。しかし、日本国内ではその時期、「ルース・ニ ュークス」にせよ、新たなテロリズムにせよ、それらを安全保障問題としては捉えなかっ た。日本の原子力コミュニティー(業界、研究者)と安全保障コミュニティー(実務担当者、研究者)の交流もか細いものであった。前者は、いち早く社会に向けて核テロの議論を提起 してもよかったのだが、「〔彼ら自身の〕セキュリティー認識があまりに低かった」とか「セ キュリティー対策は迷惑なもの」と受けとめられていたらしい(12)。一方、後者の関心は、
核セキュリティーではなく核戦略であった。双方の交流が活発になってきたのは最近のこ とであろう。
日本では毎年のように核関連施設において事件、事案が発生している。核物質の盗難、
不正な使用、ずさんな管理、施設の破壊、輸送中の紛失などである。いずれも大事に至っ ておらず、逮捕されるのは無名の個人である。名のあるテロリストでも組織犯罪でもない ので、メディアの扱いも三面記事の域を出ていない。しかし、前節でも触れたが、こうい った些末に思われる事件でも、セキュリティー上の欠陥や対応のまずさを正さないと重大 事件の伏線になりうる。政治的、宗教的なテロリストでなくても、人間はしばしば会社や 対人関係への不満などの個人的動機には釣り合わないような出来事を引き起こす。核テロ リストが外国人とは限らないのである。一応、国内の原子力発電所もテロの対象とならな
いように「テロの未然防止の行動計画」(2004年
12
月策定)に則った措置をとっている(13)。 しかし内部脅威対策は実のところ進んでいない。4
核爆発テロへの備え日本の核テロ対策の最大の問題は、核テロのなかでも最も重大な被害をもたらす核爆発テ ロへの備えがないことである。対テロ訓練にはそれが明瞭に現われている。2004年に国民保 護法(武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律)が施行されて以降、現在 に至るまで、すべての都道府県で最低1回は国民保護訓練が実施されてきた。都道府県単位の 訓練のほとんどは国(内閣官房)と共同で企画されているが、それとは別に、自治体が単独で 行なってきた訓練も多数ある。国民保護は、「武力攻撃事態」(外国の侵略)もしくは「緊急 対処事態」(大規模テロやNBC〔核、生物、化学〕兵器テロ)の発生を想定している。今までの 訓練の大多数が後者、すなわちテロを想定したものであった。しかし、そのほとんどは化学 テロか爆弾テロで、核テロはわずかに福井県、福島県、島根県で原発攻撃、茨城県、東京都、
神奈川県で放射性物質の散布という想定で実施されただけで、核爆発テロは1度もない(14)。 国民保護は「避難」、「救援」、「災害への対処」という
3本柱から成る。避難の必要性が増
大するのは、建物を壊さない化学テロ、バイオテロ、放射性物質散布ではなく、衝撃波や火 災によって多くの建造物が被害を受ける核爆発テロにほかならない。爆心地付近で運よく生 き残ってもそこから脱出する必要があるし、フォールアウト( 死の灰 の降下)が予想され る地域では特に避難が必要である。消防や除染、救急救命、禁止区域の設定などの災害対処 を考えても、核爆発テロにこそマンパワーが最も必要になるだろう。通常の爆弾テロや化学 テロでは事件現場中心の活動になる。バイオテロは避難、救援、災害対処というよりも、公 衆衛生的介入が求められる。核爆発テロほど国民保護のスキームにマッチした事態はほかに ない。核爆発テロ訓練を実施してこなかった理由は明瞭ではない。一般国民の意識は核テロが想 像外だというほどでもない。朝日新聞社の調査(2005年
7
月)によると、今後10
年間に核が 使われると思うかという設問に、38%が肯定し、その約半数(全体の17%)がテロリストによ って使われると回答している(15)。警視庁警備心理研究会の実施したアンケート調査(2008年7― 8
月)では、都内居住者、都内通勤者・通学者で61%、国際テロ対策に関連する事業所管 理者で71%が「化学剤等、核物質を使ったテロ」の発生が予想されると回答している(16)。国 や自治体の訓練企画者が特に核爆発はまずないだろうと考えているのか、核兵器をタブー視 しているのか、被害規模が大きいので避けているのか、あるいは核は(内閣官房ではなく)文 部科学省管轄だと思っているのか、あるいはこれらが複合的に働いて核爆発テロ訓練を避け ているのかもしれない。核爆発テロ対策に必要なのは、初動対処訓練以上に、未然防止訓練と発生X日後を想定し ての訓練になる。未然防止訓練では、テロが実行されるまでに、テロリストがどのように核 物質を入手し、または核兵器を盗むのか、それをどのように運搬するのか、詳細なシナリオ を用意する。訓練プレーヤーには、例えば税関で不審物を通してしまい後になって気付いた
場合に、どこにどのように連絡するのか、そういうことを場面ごとに回答してもらう。プレ ーヤーの正しい判断によってテロは防止でき、プレーヤーの判断ミスが重なれば、核爆発が 起きてしまうようなゲームにするのである。核爆発が避けられない状況になれば、政府や自 治体は、住民や国民にいかなる情報伝達ツールを使って、どのようなメッセージを伝えるの かを時間限定で回答させる。
同様に核爆発X日後の訓練では、核爆発の被害規模も犠牲者数もおおむね概要がわかりは じめた頃、交通機関やインフラの破壊規模も想定して、そこから関係機関が何をなすべきか 考えさせるのである。避難場所での救援や、爆心地周辺の復旧作業に入る。生存者の健康相 談体制、その他、大混乱が予想されるあらゆる生活要素をいかに復旧させるのかをシミュレ ートしていく。プレーヤーに刻々変化する状況を付与していくブラインド型の訓練(プレー ヤーは事態がどのように展開するかあらかじめ知らされていないで対応する机上訓練)もできるで あろう。
それでも次のような疑問があるかもしれない。核テロのような可能性の低い事態に備える ことでより優先すべきものが犠牲にならないか。まず生起する確率で捉えると、前述したよ うに新たな手法に備えることができない。予算面で言うならば、テロ関連予算は各省庁、自 治体が有している。防衛費のようにひとつの省の予算を3つの自衛隊で配分するのとは違う。
拠点病院の整備、モニタリングの精度向上、除染用車両の増加、初動対処機関の隊員装備の 充実、港湾での探知機の整備などに予算を充てる必要はあるが、訓練の実施そのものに莫大 な予算はかからない。実際にあった事件、セキュリティーの欠陥、テロリストの動機、標的 の選び方、人々の反応、被害想定すべてを勘案して現実主義的な想像力を張り巡らせ、対策 と訓練のためのシナリオを作成することが重要である。被害の重大性を思えば、核爆発テロ の訓練は必須である。
核爆発テロは「ブラックスワン」(ふつうに考えられる範囲外の出来事で、予測できず、大き な衝撃があり、起きてしまってから後知恵的に筋道をたてて説明されるような出来事)(17)になっ てはならない。核分裂性物質、放射性物質の一部はずさんな管理の下にあり、テロリストの 一部は核兵器に執着している。前述したように関連の事件は少なくない。核テロ対策は数年 単位で完成するものではない。日本には核爆発災害のデータもある。唯一の戦争被爆国のな すべきことは、外交的には核廃絶の追求かもしれないが、究極の安全保障として核爆発を自 国で三度起こさせないこと、万一起きてしまった場合に対処できるように備えることである。
これらを同時に追求するのは何ら矛盾することではない。筆者は、全国至る所で核爆発テロ 対処訓練を実施すべきだと主張しているのではない。まずはいくつかの県でパイロット的に 実施していけばよい。現在の訓練は想定上の偏りや誤り、テロ直後・初日の初動対処にばか り目が向いている。日が経つにつれて混乱が深まり問題が次々に生じ本当の試練に直面する のに、その対処の在り方について訓練はおろか議論さえしない。被爆国が本気で取り組めば 国際的にも説得力がある。さらに日本は、核不拡散条約(NPT)非核兵器国のなかでは、高 濃縮ウランやプルトニウムが大量に存在しているだけに、他国以上にセキュリティー意識が 高くなければならない。まずはテロリズムの脅威の性質を理解しながら、自国の核テロ対策
(特に核爆発テロや放射性物質散布対策)に訓練を通じて主体的に取り組むべきである。そうす ることで国際社会にも有益な成果をフィードバックできるに違いない。
(1) 1972年11月、3人のキューバへの亡命希望者が米国サザン航空49便をハイジャックし、身代金 1000万ドルを支払わなければ、テネシー州オークリッジにある原子力発電所に墜落させると脅し、
施設上空を旋回させるなどした。デイビット・ゲロー(清水保俊訳)『航空テロ ハイジャック、
破壊工作、撃墜など民間機を襲った事件の記録と検証―1930年から現在までの「航空犯罪」記 録集』、イカロス出版、1997年、46ページ。
(2) 内部脅威については、財団法人電力中央研究所「原子力事業における秘密情報管理と内部脅威対 策―米国の実務例と我が国への示唆」(研究報告:Y07011、平成20年4月)を参照。
(3) アレックス・ゴールドファーブ、マリーナ・リトビネンコ(加賀山卓朗訳)『リトビネンコ暗殺』、 早川書房、2007年、418―440ページ。
(4) そのような訓練は、東京慈恵会医科大学(東京都港区)で毎年10月に実施されるバイオセキュ リティー演習(外部に開放され多数の関係機関が参加する)のなかで行なわれたこともある。
(5) Friedrich Steinhausler, “Countering Radiological Terrorism: Consequences of the Radiation Exposure Incident in Goiania(Brazil),” in Igor Khripunov, Leonid Bolshov, and Dmitriy Nikonov, eds., Social and Psychological Effects of Radiological Terrorism, IOS Press, 2007, pp. 53–64.
(6)「大量破壊兵器の不拡散、放射線源の安全確保について:G8声明」、同「G8行動計画」
(http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/summit/evian_paris03/hosyasen_z.html)。
(7) ほかにも、発火性物質で火を起こすことで放射性物質を散布する方法(Radiation Incendiary Device)、農薬散布のように飛行機から行なう方法がある。Charles D. Ferguson, “Psychologically Immunizing the Public against Radiological Terrorism: Facts Can Free Their Minds,” in I. Khripunov, L.
Bolshov and D. Nikonov, eds., op. cit., p. 8.
(8) Alex P. Schmid, “High Consequence Radiological Terrorism Scenarios,” in W. Duncan Wood and Derek M.
Robinson, eds., International Approaches to Securing Radioactive Sources Against Terrorism, Springer, 2009, p. 92.
(9) グレアム・アリソン(秋山信将・戸崎洋史・堀部純子訳)『核テロ―今ここにある恐怖のシナ リオ』、日本経済新聞社、2006年、116―121ページ。
(10) Matthew Bunn, Securing the Bomb 2010: Securing All Nuclear Materials in Four Years, Nuclear Threat Initiative, 2010(http://www.nti.org/securingthebomb).
(11) 詳細な分析は、金子智雄「核テロ防止条約の発効と日本の取組―日本の原子力規制法体系に与 えた影響と今後の課題を中心として」、防衛法学会編『防衛法研究』第33号(2009年)。
(12) 中込良廣「時論:日本社会と核セキュリティ―原子力の国際展開の中でのセキュリティ認識」
『日本原子力学会誌』第51巻第10号(2009年)、726―727ページ。中込良廣「世界の核セキュリテ ィの現状と動向」『日本原子力学会誌』第51巻第6号(2009年)、28―32ページ。
(13)「テロの未然防止の行動計画」(http://www.kantei.go.jp)は、フランス人テロリストのリオネル・
デュモンの出入国に気づかなかった国家的失態をきっかけに、国際組織犯罪等・国際テロ対策推 進本部が策定した。出入国管理の強化をはじめ16項目に及ぶ具体的な措置が現在実施されている。
核テロ防止に関係した項目、第12項「情勢緊迫時における重要施設等の警備強化」に対しては、
現行法内で実施、爆発物探知器設置などで対応するという。第13項「空港および原子力関連施設 に対するテロ対策の強化」には、従業員の制限区域内等への出入り厳格化、爆発物持ち込みを阻 止する物理的保安検査などで対応している。第14項「核物質防護対策の強化」には、原子炉規制 法(核原料物質、核燃料物質および原子炉の規制に関する法律)改正で対応したとされている。
(14) 国民保護やその訓練の概要については、「内閣官房国民保護ポータルサイト」(http://www.
kokuminhogo.go.jp/)を参照のこと。訓練の実施は自治体も広報しているが、その詳細を知るには、
訓練を視察するか、訓練が取り上げられる専門の研究会等に出るか、企画者や参加者にインタビ ューするしかない。
(15) 吉田文彦・朝日新聞特別取材班編著『核を追う―テロと闇市場に揺れる世界』、朝日新聞社、
2005年、巻末54ページ。
(16)『日刊警察』2009年5月18日。
(17) ナシーム・ニコラス・タレブ『ブラックスワン―不確実性とリスクの本質』(上下)、ダイヤ モンド社、2009年、4ページ。
■参考文献(本稿に関係する文献で引用文献以外のもの)
板倉周一郎「核物質防護」、神田啓治・中込良廣編『原子力政策学』、京都大学学術出版会、2009年。
高田純『東京に核兵器テロ!』、講談社、2004年。
高田純『核爆発災害―そのとき何が起こるのか』、中央公論新社、中公新書、2007年。
宮坂直史「核テロリズム―その背景・類型・対策」、浅田正彦・戸崎洋史編著『核軍縮不拡散の法と 政治』、信山社、2008年。
NHK広島「核テロ」取材班『核テロリズムの時代』、日本放送出版協会、2003年。
レンセラー・W・リーⅢ(桃井健司・網屋慎哉訳)『核の闇市場』、連合出版、2004年。
ゴードン・コレーラ(鈴木南日子訳)『核を売り捌いた男―死のビジネス帝国を築いたドクター・カ ーンの真実』、ビジネス社、2007年。
みやさか・なおふみ 防衛大学校教授 http://www.nda.ac.jp/cc/ir/faculty.html [email protected]