587
化学と生物 Vol. 55, No. 9, 2017
地球規模の大気水素循環に重要な役割を果たす鍵微生物群の発見と生理生態学的特性
超低濃度の水素を酸化可能な新規ヒドロゲナーゼをもつ植物共生放線菌
大気中の水素は,メタンに次いで多く存在する還元性 ガスである.燃料電池自動車の普及などに伴う人為的な 水素放出量の増大は,地球温暖化の促進やオゾン層の破 壊を引き起こすと懸念されており,水素の地球環境への 影響は無視できない(1).大気中に存在する水素の約80%
にも相当する量(年間0.4〜0.9億トン)は陸地表層で取 り込まれることが観測されている(2).しかしながら,過 去数十年の間,この消費過程を担うプレーヤーは不明の ままであった.では,誰が,空中の水素を消費している のだろうか? 本稿では,大気水素を酸化する微生物群
(高親和性水素酸化細菌)の最近の発見からこれまでに 得られた知見を紹介したい.
まず,水素の地球化学的循環を俯瞰する(図1).水素の 大部分は嫌気的な環境で生物学的,もしくは非生物学的 に発生する.発生したほとんどの水素は嫌気性の微生物 によって消費されるが,好気条件では,取込み型ヒドロ ゲナーゼをもつ好気性の水素酸化細菌が水素を直接酸化 してエネルギー源とする.陸域における主な水素の発生 源は,マメ科植物の根粒などに住む窒素固定細菌であり,
窒素固定を行う際の副産物として水素が発生する.大気 濃度の約2万倍の水素が発生するとされる根粒表層には,
水素酸化細菌が優占し,土壌からの水素放出を抑制する ことで農耕地全体のエネルギーロスを防ぐ(3).しかし,
大気中にいったん水素が放出されて濃度が約0.00005%
まで低下してしまうと,既知の水素酸化細菌のもつヒド ロゲナーゼでは親和性が低く反応することは不可能であ る.このことから,大気水素を利用できる生物はいない とされていた.
ところが,2008年,大気濃度レベルの極めて希薄な水 素を酸化する微生物がついに土壌から分離された(4).この 属の放線菌株は,既知の酵素の下限からさ らに100倍低濃度の水素を酸化可能な全く新しい[NiFe]
ヒドロゲナーゼを有しており,グループ1h/5の酵素分類 群が新しく設けられた(5, 6)(図2).この高親和性ヒドロゲ ナーゼの遺伝子が初めて報告されたのは,2015年に大村 智先生がノーベル賞を受賞なされた抗寄生虫薬エバーメ
クチンの生産菌 のゲノムからで
あった.登録ゲノム情報の探索結果から,この酵素遺伝
子をもつ微生物株の約9割は放線菌(39属: , など)
で占められることが明らかとなった.これまでに放線菌 とアシドバクテリウム門細菌とウェルコミクロビウム門 細菌の分離株のみで,高親和な水素酸化活性が報告され
ている(7, 8).ちなみに,高親和性水素酸化の分析には,
水素の検出に一般に用いられる熱伝導度検出器(TCD:
Thermal Conductivity Detector)ではなく,より高感 度な還元性ガス検出器(RGD: Reduced Gas Detector)
が不可欠となる.プロテオバクテリア門細菌やクロロフ レキシ門細菌からもこの酵素遺伝子が見いだされている ものの,水素酸化活性はいまだ確認されていない.
高親和性ヒドロゲナーゼの大サブユニットをコードす る遺伝子( )を分子マーカーとして,高親和性水素 酸化細菌の分布範囲や存在量,多様性といった生態学的 特性を調べることが可能である.土壌における分布調査 は国外の他チームにより進められた.その結果,この微 生物グループは,森林や農耕地,泥炭地,砂漠などあら ゆる生態系の土壌に普遍的に存在することが明らかとな り,グローバルな大気水素の循環に主要な役割を担う可 能性が示唆された(5).一方で,筆者らは,土壌以外の別 の生物圏である植物表面や植物体内に住む微生物に着目 した.地球上の陸地表層の50%以上を占める植生地にお いても,水素の放射性同位体であるトリチウムを用いて 大気からの取り込みが報告されているものの,それを担 う微生物は当時明らかとなっていなかった(9, 10).植物体 内は通気組織の発達した好気的環境であり,植物1グラム 当たり102〜107個もの細菌が存在することが知られる(11). そこで,「植物共生微生物も大気水素の循環にかかわる 隠れた生態系機能を有しているのではないか」との作業 仮説を立て,分子生態解析,微生物の分離培養,植物接 種試験,蛍光顕微鏡観察,ガス分析などを駆使すること で,高親和性水素酸化細菌は土壌だけでなく植物にも広 く存在することを初めて明らかとした(12)(図3).具体 的には,(i)試験した野生植物6科6種のすべてから多様 な 遺伝子が検出され, そのすべてが放線菌の遺伝 子クラスターに属した.(ii)シロイヌナズナおよびイネ の体内から高親和な水素酸化活性を有する
日本農芸化学会
● 化学 と 生物
今日の話題
588 化学と生物 Vol. 55, No. 9, 2017
属放線菌株を獲得した.(iii)放線菌特異的な蛍光可視 化技術によって,接種4週間後に植物表面および植物体 内にて分離株の局在を観察した.微生物1細胞当たりの 水素酸化活性は土壌と植物で同等であり,微生物が共生 した植物体でのみ,フィールドの観測報告値と同等の大 気水素の消費を確認した.地球上には草本植物約640億 トン,木本植物約7,360億トンの膨大なバイオマスが存 在するが,これら植物に高親和性水素酸化細菌が普遍的 に存在していると仮定した場合,共生微生物の地球規模 での大気水素循環への寄与は多大なものと推測される.
さて,超低濃度の水素を利用可能な放線菌群の発見か らは,さらなる疑問が生じる.従属栄養生物として知ら れる放線菌は,そもそも何のために大気中の水素を利用 するのだろうか? とりわけ,植物との共生関係におい て大気水素を利用できることのメリットはあるのだろう か? 非常に興味深いことに,栄養制限下の非増殖期の 細胞や 属の胞子において,高親和性ヒドロ ゲナーゼ遺伝子の発現と水素消費が見られている(13, 14). このことは,放線菌が非増殖の状態で長期生存するため のエネルギーが大気水素の酸化によって獲得される可能 性を示唆している.実際に,高親和性ヒドロゲナーゼの 遺伝子破壊株の解析より, 属細菌の栄養 制限下の生存率や, 属胞子の発芽率は,そ れぞれ野生株と比較して60%, 24%に低下することが報 告されており,筆者らが作製した遺伝子破壊株において もこれを支持する結果を得ている(15, 16).放線菌が住処
とする土壌中や植物体内の導管や細胞間隙は,有機物が 常に安定的に得られる環境とは考えにくく,従属栄養生 物にとって我慢を強いられる局面も多いと推察される.
そのような環境でも生物集団を維持する(共生関係を維 持する)放線菌の頑強さの一因は,大気水素酸化の代謝 様式を併せ持つことにあるのかもしれない.
以上述べてきたように,放線菌は,医薬・工業分野や 図1■生物圏における水素の発生および消費にかかわる反応の
概略図
嫌気環境から好気環境に移行するにつれて,より低濃度の水素と 反応可能な微生物代謝となる.
図2■[NiFe]ヒドロゲナーゼの大サブユニットのアミノ酸配 列を基にした分子系統樹
新しく見いだされた高親和性ヒドロゲナーゼは,水素取込み型,
膜結合型といった特徴からグループ1に大別されるが,既知の酵 素とは明確に別のクラスターを形成する.
図3■高親和性ヒドロゲナーゼをもち大気水素を利用可能な放 線菌は環境中の植物に広く棲息する
写真の微生物は,放線菌に特異的な蛍光標識DNAプローブを用 いたFISH法(Fluorescence hybridization)によって可視 化した.
日本農芸化学会
● 化学 と 生物
今日の話題
589
化学と生物 Vol. 55, No. 9, 2017
農業分野において有用のみならず,大気水素の循環の立 役者といった重要な生態学的役割を演じる.この類いま れなる生物機能は,水素社会の到来が予想される将来に ますます重要になるものと考えられる.また,今回見つ かったグループ1h/5の[NiFe]ヒドロゲナーゼは,既知 酵素にない高親和性かつ酸素耐性といった特徴を有する ため,たとえば燃料電池の酵素電極としての活用など,
生体触媒として魅力的である.さらに今後は,
属放線菌の生物間相互作用や複雑な形態分化,多 種多様な二次代謝産物の生産誘導に関して,大気水素の 利用といった切り口から新知見の獲得が期待される.
謝辞:本研究を遂行するにあたり,鎌形洋一氏,玉木秀幸氏(産業技術 総合研究所),Dr. Philippe Constant(INRS-Institut Armand-Frappier, Canada)にご協力を賜りました.本研究の一部は,科研費およびアサヒ ビール学術振興財団の支援を受けて行われました.
1) T. K. Tromp, R. L. Shia, M. Allen, J. M. Eiler & Y. L.
Yung: , 300, 1740 (2003).
2) P. Constant, L. Poissant & R. Villemur:
, 407, 1809 (2009).
3) S. Piché-Choquette, J. Tremblay, S. G. Tringe & P. Con- stant: , 4, e1782 (2016).
4) P. Constant, L. Poissant & R. Villemur: , 2, 1066 (2008).
5) P. Constant, S. Chowdhury, L. Hesse, J. Pratscher & R.
Conrad: , 77, 6027 (2011).
6) C. Greening, A. Biswas, C. R. Carere, C. J. Jackson, M. C.
Taylor, M. B. Stott, G. M. Cook & S. E. Morales: , 10, 761 (2016).
7) C. Greening, C. R. Carere, R. Rushton-Green, L. K. Har- old, K. Hards, M. C. Taylor, S. E. Morales, M. B. Stott &
G. M. Cook: , 112, 10497 (2015).
8) S. Mohammadi, A. Pol, T. A. van Alen, M. S. M. Jetten &
H. J. M. Op den Camp: , 11, 945 (2016).
9) J. C. McFarlane: , 18, 131 (1978).
10) M. Ichimasa, M. Suzuki, H. Obayashi, Y. Sakuma & Y.
Ichimasa: , 40, 243 (1999).
11) S. Compant, C. Clément & A. Sessitsch:
, 42, 669 A (2010).
12) M. Kanno, P. Constant, H. Tamaki & Y. Kamagata:
, 18, 2495 (2016).
13) P. Constant, S. Chowdhury, J. Pratscher & R. Conrad:
, 12, 821 (2010).
14) L. K. Meredith, D. Rao, T. Bosak, V. Klepac-Ceraj, K. R.
Tada, C. M. Hansel, S. Ono & R. G. Prinn:
, 6, 226 (2013).
15) M. Berney & G. M. Cook: , 5, e8614 (2010).
16) Q. Liot & P. Constant: , 5, 47 (2015).
(菅野 学,産業技術総合研究所生物プロセス研究部門)
プロフィール
菅 野 学(Manabu KANNO)
<略歴>2005年東北大学農学部応用生物 化学科卒業/2007年同大学大学院農学研 究科資源生物科学専攻修士課程修了/同年 産業技術総合研究所研究員/2014年同研 究所主任研究員,現在に至る.2015年博 士(農学)取得(筑波大学)<研究テーマと 抱負>環境微生物の未知機能探索とその活 用技術開発に従事.植物や土壌に住む微生 物の知られざる生き様に興味があります.
生物共生や難培養性といった生命現象の原 理探究に挑み,バイオ産業の革新につなが るシーズを次世代に残したいと考えていま す<趣味>テニス,読書(科学書・新書)
Copyright © 2017 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.55.587
日本農芸化学会