西 夏
の
土
着信 仰
に
関
す
る
一
考 察
大
西
啓 司
は じ
め
に
10
世紀,
現在
の中 国寧夏
回族自治
区,
甘 粛省
を中 心とする地 域に チベ ッ ト系タングー
ト(党項)
人 を中
心 とし た国家
であ
る西夏 (
982
〜 1227 年)
が誕生 し,
モ ン ゴ ルによっ て1227
年に滅
ぼ さ れ るまで独
立 を保
っ たω。 西夏
で は仏 教が厚
く信 仰 され,
その領 域には 仏 教の隆 盛 を髣髴
とさせ る遺
跡,
遺物
が数多
く残 さ れた。1900
年 代 初 頭,
ロ シアの コ ズ ロ フ探検
隊に よっ て カ ラ ホ ト遺
跡(
中 国内
モ ンゴル自
治 区エ チ ナ 旗)
か ら大 量の西 夏 語経
典 が 発 掘 さ れ た。
これ まで の西 夏 研 究 は,
そ れ らの西 夏語
仏教経典,
西夏語
に関す
る研究
を中心
とし て進
め ら れ,近年
で は 歴 史 学 的 見 地 か らの研 究 も増 えつ つ ある〔2〕。
だが西夏
に於
ける仏教隆
盛の 要 因,
即 ち なぜ西 夏に於い て仏 教 が 隆 盛 してい たの かという問
題は,
な お検討す
べ きも
の として現在
に残 さ れて い るQ筆 者はこ の問 題 を考 えてい く上で の基 礎 的 な 作 業 とし て
,
仏教が隆 盛し てい た当 時の西 夏 社会
がt どの よう
な 社 会であっ た か という
こ と を まず
明 らかに しておく
必要
があ
る と考
える。西 夏で は仏
教
儒教
道 教 な ど も取 り
入 れ られたが,
その国内
に は 土着信仰
と呼
びう
るもの も なお存在
して い た。 岡 崎 精 郎(
1956)
は 漢 籍 史料
を 用い,
西 夏の土着信仰
につ い て研究
し た ものであ り,
西 田 龍雄 (
1988 〜 1990)
は西 夏語文献 中
に見
ら れ る西夏
の土着信
仰に関 する記 述 を紹 介 して い る。 近年
では 湯 開 建(
2005)
の中
で西夏
の土着信仰
の概略
が述べ ら れてい る。 これ らの先 行 研 究に よ り西 夏にお ける土 着 信 仰の存 在が知ら れ る よう
に なっ てい る が,
西 夏の 土 着 信 仰に関 する漢 籍,
西 夏 語 文 献の 記 述 を総 合 的にま とめたう
えで,仏教隆
盛の背
景にあっ た西 夏 社 会の実 態につ い て検 討 した もの は管 見の限り見
ら れ ない。
そ こ で本稿
で は先 行 研 究の成
果 を踏 まえ
つ つ,
西 夏 文 字 を韻 母 別に分 類 し文字
の構
成要素,字義
を解説
し た総合的
西夏
語 字 典『
文 海(3)』 (ll24 〜 1131年
出版
官 刻本 〈
西 夏 政府
に よ る刊行物〉
),格
言集 『
新 集 錦 合 道 理(4)』(
1176 〜 1187
年 出 版,
私 刻 本(5)〈民 間の出 版 物〉,
以下 『道理』
),類書 (
百科辞
典)「
聖立義
海(6 )』〈
以 下『
義 海 』〉
(II83
年 出版,
官 刻 本)
,法
典 『天盛 旧改新定禁令
(7)』 〈
以下『
天盛
』〉
(
1149 〜 ll69
年 に 制 定,
官 刻 本 ) な どの カラ ボ ト出土 西夏語文献
〔8)に見
ら れ る西夏
に於 ける土 着 信 仰に関 する記 述 を見てい き なが ら,
そ れ ら が出版,制定
さ れ た時 代に於い て西 夏 がどのよう
な社会
であっ たのか,
その一
端 をう
か がっ て みたい (9}。
1
西
夏
に
於
け
る
神
信
仰
北宋
の 人,
沈 括(
1031 〜 1095
年 )の撰 じた 随筆
集 『夢
渓筆談』
巻18
,技
芸篇
に は西 夏の風27
一
西夏の 土着 信 仰に関する一
考察一
習
につ い て「
西方異民
族の風習
で は居住区
の中
心の部
屋に,常
に一
空 間 を設 けて鬼 神 を 祀 り,
そ こ に は座ろう
とし ない 。 こ れを「
神 明」
という
ω」
と述べ られ る。また
『
宋 史 」 巻486 ,夏
国伝 (
中華書
局 標点
本p.14029)
に は「
機鬼
〔11) を篤信
し,詛祝
を尚
ぶ02}」と記 されて い る。 こ の よう
に漢 籍 史 料に よ れ ば西夏
で は「
鬼神,機鬼」
が信仰
さ れ てい たと伝 え られ,
『宋 史 」 夏 国 伝 (中 華 書 局 標 点 本 p.
13995)
に西 夏皇
帝 景宗 (
李
元昊
〔13〕,在位
1032
〜
1048
年 ) が その即 位.
出 兵に際 して 「祠 神 」に詣で た という
こ とが 記さ れ てい る こ と と,
「神 鬼,
機 鬼 」 信 仰 との関 連 が 岡 崎 (1956
,320
)に より指 摘 されて いる。『義 海
』
巻5
「人 立 ちて名 を 為 す 」の 「鬼 神 が 守 護 する」という
項 目に は,「
徳
の高
い行
い を 追求す
るな ら ば,善神
が守護
し損害
を 無 くす (
HHB.
No
.
1452614
(33
−
1
))」という 記 述 が 見 ら れ,
こ こか ら西夏
で は徳
の高
い行
い を 追求す
るな らば「
善神
」の守
護 が得
られ ると考 え ら れた こ と が分か る。 ま た「
文 海 』にも「
神 (
椴 )は守護神
な り。神 (
猟骰
) なり。
神徽
) な り。 守 護 者 を言う
な り(
『
文 海 』:254)
」,
あるい は「
神 (
鞠 は神 (
筱腰
)である。守護
者 を 言う
(『文 海 』;10 )」と記 さ れてい る ように,
西 夏で は 「神 」が守 護 者 と さ れ てい た。
また 『文 海 」に は
,
「ミは護 羊 神 な り。 羊を守 護 する神
である(「
文海』
:181)」
という記
述が 見 られ,
『義 海 』 巻1
「8
月の名 前,
意 味 」の 「穀 物の神を供 養 する」
という
項目 に は 「秋に は普
通,穀
物をす りつ ぶす時
に穀物
の神
ビジュ を供養す
る(
MHB,
No 、143684 )
」 という
ものが 見 ら れる。西 夏 皇 帝 仁 宗
(
李 仁孝,在位 ll39 〜 1194 年)時代
の乾祐
7
年 (
1176),
甘 州(
中 国 甘 粛 省 張 掖 市 )に立 碑 さ れた漢 蔵 合 壁 碑 文 「西 夏 黒 水 橋 碑〔且4〕」
の漢 文 面に は「
山神,水神,龍神,
樹 神,
[土 コ 地 諸 神等
」とい う文 言 が 見ら れ,蔵文
面にも 「
…
の神
と,龍
の神
と,
樹 神・
土 地 神 な ど…
朕 (仁 宗 )の勅 命 を 聞 け〔15}」と記 され,
こ れ らの神
へ の信仰
が示さ れ てい る{16)。
ま た その 信 仰 が 公 式に認め られてい た と佐 藤 貴 保・
赤木 崇敏 ・
坂
尻彰宏 ・
呉
正科 (
2007
,33)
に よっ て 指 摘 されてい る。皇 帝の権 威 を損 な
う,
あるい は侮
辱 する行為
につ い ての罰則
を記す
『天盛』
巻1
「大 不 恭 門 」 には 「守 護 神,
天 神 を盗ん だ り壊 し た りする こ と」
に対す
る罰則
が定
め ら れ てい る(
HHB.
No .
25704187
(
30−
26))
。 こ こ か ら西夏
に は「
守護神,
天神」
の像
が存在
し,
そ れ らが 信 仰の対 象 と なっ てい たことが 分 かる。ま た 尊 崇
,
信 仰の 対 象とされ る事物 ,
特に墳
墓の盗毀
に対す
る罰則
を定
め てい る 『天 盛 』 巻3
「盗 毀 仏 神 地 墓 門 」には,
「諸々 の人々 には仏 像,神廟 (
般鞴
),
道教
の像
天 尊,
孔 子の 肖像 画 な ど を 盗んだ り,
壊 し損 なっ て し まう
こ と等
は許
さ ない(
MHB.
No .169 (46−36))
」 とい う条 文が見 られる。 また 『天 盛』
巻 11 「為 僧 道修寺
廟 門」
にも 「
諸
々 の寺廟,官
堂,神
廟(
搬 鞴 ) の 中に人々 が 泊 まる……
こ と は許 さない(
HHB.
No .176)」
と記さ れ て おり,
「寺
廟 」 な ど と 共に「
神
廟 」 が 記 さ れてい るところか ら見て,
西夏
に於い て「
寺廟」
と共
に「
神廟」
が存 在 してい た ことが 分 かる。 そ して,
恐 らく
この「
神廟」
とは「
天神,守護神
」 な どの 「神 」 を祀っ て いた場所
であ
ると考
え られる。 『天 盛 』 巻6
「軍 人 使 親 礼 門」
に は厂
諸人 に は宴 を設 けて神 を 祭る,
葬儀 (
をす
る)
t 子 供 を 産 む,
家 を分 ける時, (
以下略〉, (
zHB.
・No .160
(34−15)
)」という
記 述が見
ら れ, 『
道 理』
にも 「宴 を 設 けて神 を 祭るなら羊
を屠
る。敵
が来 た ら追っ て牝 馬に乗る(
HHB.
No .765 (
31−9))」
と あり,
人々 が 宴 を設 けて「
神」
を祭
っ てい た様
子 がう
か が わ れる。一
西夏の土着信 仰に関する一
考 察一
また
『
天盛』巻
19
「
畜
患病
門」
に は「
神馬,祭牛,神牛」
な どの突然
の病気
や死 亡に関す
る規定
が記
さ れ ている。 そ こ に は毎年
4
月
3
日,「
古
い宮
殿」内
の「
天 聖」
のも
と に送
る「(
祭
祀 用の)神
馬,祭牛,神牛」
が 死ん だ場 合,
そ れ らに 「神の文 字(17)の跡 」 が ある とき に は 「官
巫」
の派
遣 を要請
し,「
官
巫」
に よっ て祭 祀 を行う
よう
定め ら れて い る(19)。 法 典であ る 『天盛
』 にこのよう
な 条 文 が 見 られるこ とは,
こ の法 典 が 制 定 さ れ た 時 代(
即 ち仁 宗 時 代)
に於い て も,
西夏
では「
神」
が 畏敬
され る存在
であっ たこ とを示 して いる といえる。2
西
夏
に
於
け る
天 信 仰
西 夏に於いて 「天 神 」 が 信 仰 され
,
その像 が 祀 られてい たこ とは先
述した 通り
であ
る。
そも
そ も西 夏 建 国 以 前の タングー
ト人につ い て記
してい る 『隋書』巻 83,党項伝 (
中華書
局標点本
p.1845>
の記 述に は,「
三年
に一
た び聚會
し,牛羊
を殺
し て 以 て 天 を祭
る(2°)」
とあ り,
こ こ か らタングー
ト人の 天信仰
がう
か がえる こ とが指摘
さ れ てい る(21)(
岡 崎1956
,321)
。『文
海』
の「
天(
轂)
」
の字義説 明
を見
て み る と,「
天(
覈 )は 天 聖(
職 轍 ) な り。 賢 聖(
級豸
1
) なり。
聖 なるもの の宮殿
なり。
聖霊(
鼓彼
)な り。 ヒャ ン(
儼 ) な り(
『
文 海 』:198)
」 と いう記
述が見
ら れ る。更
に『
義 海』
の記 述 を見て み る と,
巻1
「天の名 前,
意 味 」には,
「天(
瞹
)はも
し人が悪行
を為せ ば,
即 ち 災 難 に あわ しめる。 善 行 を 為せば 即 ち幸
福 を得
る(
HHB.
No
,143684
(
10−6))」
という
もの も見 ら れ る。 こ の ように『
文 海』
『義 海』
の記 述 か ら は西 夏 に おい て天 が 神 聖 な もの と看 做 さ れて信 仰 さ れてい たこ と が 分 かる(22)。 『旧 唐書』
巻 196上,
吐蕃伝 (
中華書
局標点
本p,5220)
に拠 れば,
古 代 チベ ッ ト(
吐 蕃 )で も 「天 地 山 川 日月 星 辰の神⊥ 「
天神」
が信
仰 され た と漢 籍 史 料に は記 さ れてい るが,
こ こか ら西 夏に於い て も同じ信仰
が もた れ てい た こ と が分か る。 更に西 夏の天 信 仰に 関連 して 『義 海 』 巻1
「9
月の 名 前,
意 味 」 に は次
の よう
な記 述が見
ら れ る。9
月は戌に属 する(23 >。 天王(
職r
葡 は 国 を巡 検 する。 皇 帝,
庶 民 が 良い 行い をす
れば,高
い と こ ろの霜 や 露は損 な わ れ ず, 柴 草の 果 実 が 熟 する(
月
の こと を)言 う (
HHB.
No .143
684 (10−8))
o こ れ に よ れ ば9
月は 「天王」 が 国 を 巡 検 する月とされ,
皇 帝や庶 民の 行い が良い もの であ
れば草木
の実は熟
すと さ れてい る。 また同 巻には9 月 15
日 は賢
聖 の集
まる 日。 禅 が穏
や か に生ずる日。 皇 帝の徳 と民の孝により,
天 王(
敗
席)
に願 う (
HHB.
No .143684 (
10−8))
。 とあ り,9
月15
日 には皇 帝の徳 民の孝で もっ て 「天 王 」に加護
を 願っ た とさ れてい る。 こ れ らの記 述 から西 夏 に於い て 「天 王 」 が 人々 の 信 仰の 対象
と なっ てい たこ とが,佐藤 ・赤木 ・坂
尻・
呉(
2007,25)
に よっ て指 摘 されてい る。 この 「天 王 」が何者
である か につ い ては現在
の ところ はっ き りと分かっ てい ない が, 儀
海』 か ら 「天 王 」に関 する記 述 を探 してみ る と, 『
義
海 』巻 5 「
孝
に よ りて吉 祥の名 を成 す 」に,
一29 一
一
西 夏の土 着信 仰に関する一
考 察一
昔,親孝行
な子供
が母に孝行
し た。母
は常
に菜
の露
を食
べ た。冬
になり青菜
が無 く
なっ て も,
母は青 菜 を食
べ たいと望ん だので,
子 供は困っ て泣い て しまっ た。 する と 天 王(
賊 『葡
が 目の前
に現れ,孝行
な 子供
に青菜
を与
えた(
HHB.
No .1452614 (
33−14))。
という
記 述 が 見ら れ る。 この記 述内
容と先の 「天王」
に関 する記 述を鑑み る な ら ば,
西夏
で は 善 行,
孝 行 を為 すことによっ て 「天 王 」の加 護 が 得 られ る と考 えら れて いた こ と がう
か が わ れ る。ま た 『文 海
』
の 「祀る(
翳 )」 とい う文 字の説 明には諸 仏,
土 地 神,
大 神 など と並ん で 「賢 聖(
鋭
彡D
」 を 祀るこ と を 言う
と さ れてい た。 「祀る (職 )」の 字 義 説 明にも 「祭る(
囃 )は祭 る(
Pt飛) なり
。 祈るなり
。 諸 仏,
賢 聖,
地 神.
大 神 な ど を祭 祀 し,
香 (を 焚いた り) 供 え 物 を することの 意である(
『文 海』
:26D
」 とされ,
西 夏では 諸 仏,
地 神,
大 神と並び 「賢 聖 」 が 祀 られてい たことが分 かる。 「賢 聖 」につ い て西 田 (1988−89,427
) は根 拠 不 明 な が ら 「祖 先 神 」 と し,佐藤 ・赤木 ・坂
尻・呉 (
2007
,
25)
は,何者
である か は不
明 と してい る。 『文 海』,
『文 海雑
類 』を見てみ る と「
賢
聖」
は「
天(
皺
){24)」
,「
ヒ ャ ン(
衡)(25)」
,「
聖(
骸「
)〔26>」 と同 義である と さ れてい る。 ここ か ら 「賢聖」は「
ヒ ャ ン(
働」
や「
聖(
孩
D
」と 同義
の 存 在であ り,
天 と 関 連 する神
聖 な存在
である こ と が分か る。ま た先 述し た
「
天盛 』巻 19 「
畜
患 病 門」
に は「
神馬,祭牛,神牛
は毎年 4
月3
日冬 夏 を 分か つ とき,古
い宮
殿内
の天 聖の下 に送 ら ん」 という
記 述が見 られ る。 この 「天 聖 」 が 具 体 的に ど の よう
なも
のである か は不明
だが,「
天(
瞹)
+聖(
鰻 )」 という
単 語の成 り立 ち か ら して,
史・
聶 ・
白 (
1994,
437
)
やKbiuaHoB
(
1987
−
1989
,178)
の解
釈 する よう
に,
「天 神 」,
あるい は 「天の 聖 なる もの」
である と考 え
ら れ,
西夏
で毎年 4 月 3
日 に行
わ れた儀式
は天信
仰 と 関 連 するもの とい える。 こ の よう
に 「天王」
,「
賢
聖」,「
天聖」
へ の信仰
が『
文海』, 「
義海』,
『天盛』
に記さ れて い る こ と か ら は,
それ ら が出 版さ れ た当 時の西 夏に於い て,
天信仰
が存在
し たこと をう
か がい知
る こ と が出
来る。3
巫
者
(
シ
ャ
ー マ
ン
)
,呪
術
に
つ い
て
『
宋史
』巻 486,夏
国伝
下(
中華書局標点本 p.14029)
に は タングー
ト人の戦 闘の慣 習に関 し て,
「(
タングー
ト人は)
戦 闘に於い て敗走す
る こと を恥
とは せず,破
れた な ら ば三 日後に再び その破 れた場 所 に 戻っ て くる と人馬
を捉
えて射
る, も
しく
は草
で作
っ た 人 形 を縛っ て皆で射て これ を 「殺 鬼 招 魂 」と称 した(27)」とある〔29)。また
『
遼 史』 巻115,
西夏外
記(
中華書
局標点本 p.1523)
に は,
その風 俗 と して 「病 める者 は 醫 藥 を用い ず,
巫者 を召 して鬼
を送らしむ。 西夏語
巫を以 て「
厮」
と為す
也 Qg} 」 と記 さ れて い る〔3°}。 これ は『
宋 史 』 巻492 ,
吐 蕃伝 (
中華書
局標点本 p.14163)
に青唐
吐蕃
の風 俗 を 述べ て「
醫藥
を知 らず,
疾 病 あ らば 巫覡 を召 して之 を視
し め,柴
を焚
き鼓 を聲 す。 之 を 「逐 鬼 」と 謂う
(3DJ という
記 述 が 見 ら れる よう
にt この「
鬼 を送
る」「
逐 鬼 」 という
風 習 は 青 唐 吐 蕃,
タ ン グー
ト人に共 通 した もの で ある(
張 雲1989,125)
。漢 籍 史 料の中で 「鬼 を 送る」とされて い る 巫
者
につ い て 『文 海』
の説 明 を見ると 「供 養,
守一
西 夏の土着信 仰に関 する一
考 察一
護す
るもの である(
『文海』
:302)」,「邪
悪 な ものを駆 除す
るも
のであ
る(『
文海』
:259
)
」
と説
明
さ れ, 『
文海雑類』
にも 「
巫術を為 す な り。鬼
を追い払 う者 を 言う
な り(『
文 海 』:350)
」 と 記 されて いる よう
に,
巫者
は鬼
を払
い,
人々を守 護 す る存 在 と され た。 『西 夏 書事
C32)』(
巻27
,
42)
に は 大 旱 魃 や 不 祥の際、
官 を 派 遣 して祈 らせ た という
記 述 が 見 ら れ(
岡崎 1956,322)
,先
の『
天 盛 』 「患 畜 病 門 」にも 「官巫」の派 遣につ いて言及
さ れ てい た。 また『
天盛』巻 7 「
殺 葬
賭 門 」 に は,
罪 人の埋 葬に 巫者 (小 巫(33})
が 関 わっ てい るこ と,「
局
分処 (
役所)
」
に告げず
に 埋葬 した場 合,
埋 葬の際に呪 術 を行っ た 巫者
は処刑 (
絞
殺)
さ れ るこ とが記
さ れ てい る。 この『
天 盛 』の 記 述 か らは 当 時の西 夏 社 会に於い て,
巫 者の呪 術が重 要 な もの と見
なさ れ てい た こ と が うか が える。前 述 した よ
う
に 『宋史』
夏 国伝
に よ ればタ ングー
ト人 は「
詛祝 (
呪)
を尚ぶ」
とされて い る。「
呪(
氈)
」
という字
につ い て『
文海
』の記 述を見てみ る と,
「呪(
讖 )は呪 詛の声である。 呪 詛 なり
。穴
の上で罵言す
るも
のであ
る(
『
文
海 』:302)」
という
記 述 や,
「糀(
穴)
」の字義
につ い て「
鬼に対
し て呪う所
を 埋 め た もの をい う (『文 海 』:177
)
」 という
記 述が見 られ る。 これ に よ るとタン グー
ト人 は呪う
た め に穴の 上で罵っ た り,
呪っ た ところを 埋 め た り してい たことが分
か る。この
「
呪 詛」
は『
新 唐 書 』 巻216
上,
吐 蕃 伝(
中 華 書局標点本 p,6072)
に そ の風俗
と して「
呪 詛に習 れる(
習 呪 詛)
」と述べ られ,
『宋 史』
巻492,
吐蕃伝 (
中華書
局標点本 p.14163)
に も「
呪 詛 を 信 じ,
或いは以て決 事 す(
信
呪 詛,或
以決事)」
と記
さ れ てい る こ と から分 かる よう
に,
古
代 チベ ッ トと共 通 した 慣 習である。 「呪 詛 」に関し て 『天盛 』に は幾つ かの記 載 が 見 られ る。『
天盛
』 巻11
「矯 誤 門 」に は 「呪 術,
法 事 」 を以て人 を殺す,
あるい は傷
つ けた場合
の罰 則 が定
め られて い る04)。 ま た 『天 盛』
「矯 誤 門 」に は,「
諸
々 の人々 に は教道 (
教え導
くこ と ?)
お よ び呪 術,
漢 語……
等 を 行う
こ と を 許 さ ない(
HHB.
No .176 (
49−
8
)
)」
というも
のや,「
諸々 の婦 人に は男の人の とこ ろへ 行っ て呪 術 を為
したり,食物
の中
に雑物
を撒
き散
らすこと は許 さ ない(
MHB.
No .176 (
49−9))
」とい う条 文 が 見 られる よう
に,
これ らの条文
か ら は, 『
天盛
』 制定
当 時の西 夏 社 会で 「呪 術 」 が一
般 的に行
われ てい た様
子がう
か が わ れ る。お わ り
に
一
崇 宗
,仁 宗
の
時代
と土
着 信 仰
一
以上に 見て きた ように
,
カ ラホ ト出 土 西 夏 語 文献
『文海』, 『
義海』
, 『
天盛
』, 『
道
理 』,
そ して 石刻史
料の記 述 か らは西 夏の土 着 信 仰に関 する様
々 な記載
を見
出す
こ と が出 来る。『
文 海 』は崇宗 (
李 乾 順,
在 位1086 〜 ll39 年),
『義海』,
『天盛』, 『
道
理』は仁宗
時 代に刊 行,
制 定 さ れ た もの である。 では この時 代は どの ような 時 代であっ たの だろう
か。
崇宗,仁宗
時 代(
ll
世 紀 末〜 12
世 紀 末)
には,
孔 子 を文
宣帝
とし て祀る こ と,「
太
漢 太 学(
漢語
で教
える官
僚養成機
関 ?)
」 を重ん じる こ と,
「内 学 」 を 作り儒者
に 運営
さ せ る こ と な どの儒教教育振
興策
が積
極 的 に推 進 され た。 この時代,
北宋
の南
遷に よっ て西夏
は北宋
と国 境 を接 す る こ と がな くな り,
代わっ て華 北 を支 配 し た 金に対
して は友好政策
をとっ た こ とで,
対 外 的に 概 して平 和 な 状 態にあっ た。 その ことに より
国力
が充実
し,
西夏
文 化の隆 盛 期 を迎 え た とい わ れ る(
中 島 敏1936
,413−416 )
。 し か し,松澤博 (
1982,323)
は,
一
方で仁 宗の 時 代 は 地 震や飢
一
31一
一
西 夏の土着 信 仰に関する一
考 察一
饉,
そ し て 反乱
な ど に より,国
内的
に は政権
が安定
せず.絶
えず
政権崩壊
の危
ee
〔SS〕に瀕
し てい た こ と を指
摘し てい る。文化
的に は 西夏語
一
漢語
用語集
『番漢
合時掌中珠
(36)」
や類書
『類 林』,
兵 法 書 『六 韜』
な ど漢籍
の西夏
語 訳,
司 馬光 (
1019
〜
1086
年)
など宋
の人物
の文章
を抜粋
し て西夏語訳
した官箴書
『
徳行集』
な ど が刊行
さ れ る な ど,
西夏
の支
配者層,知識
人 が儒教
思想
をは じ めとす
る漢
文化
に 高い関 心 を持 ち,
そ れ ら を 旺盛
に受
容 しよう
とした時期
である(
佐藤 2006,123)
。 また チベ ットよ りカルマ カギュ
Karma
bka’
rgyud 派の祖 師 ドゥー
ス ムケン パ’
Dus
gs
myen
pa (1110〜
ll93
年 )の弟 子ッ ァ ンポワコ ンチョ クセ ンゲgTsang
po
ba
dKon
mchog sengge (
?〜 121811219
年)
を迎 えチベ ッ ト仏 教 が 伝 播 した(37 )。 そ して,
チベ ッ ト語や漢 語 か ら西 夏 語 に訳 され た仏 典,
漢 語 仏 典が多
数 刊 行 さ れ た。 仁 宗 時 代 は現 存 する西 夏 語 訳 経 典の殆 どがこ の時 代 に翻 訳,
もしくは校 訂さ れ るという
西 夏 最 大の訳経
校 訂 期であっ た(
松 澤1986,
24 )。 また,
仁 宗の時代
の乾祐
15
年 (
ll84
)
には 西 夏 語,
漢 語 仏 典5
万1
千 余 巻 が 印 造 され,
ま た そ れ と 同 数の仏 画,数珠
が製作
さ れ,官吏,僧,民
間に施
さ れた。 そ の5
年後
の乾祐 20 年 (
1189)
には7
昼 夜 に及ぶ大法会
が挙行
さ れ,
西夏語,漢語
仏典
10
万巻が印
造さ れた。その ような時 代であっ た に も関わ ら
ず,崇宗,
仁宗
時 代に刊 行,
制 定さ れ た官 刻 本 『文 海 』,
『
義海』, 『
天盛』,
私刻本 『
道理』
の記
述中
に土着信仰
に関す
る様
々 な記 載 を見 出 すことが 出 来,
ま た「
西夏黒水橋碑」
の中で仁宗
の名
に於
い て,神
霊に対し て呼 びかけてい る文 言 が 見 られる こ とは,崇宗,仁宗時代
の西 夏 社 会で は,
恐 ら く支 配 者 層や一
般 民 衆 を含 め,
な お も土 着 信 仰 が根
強い影響力
を持
っ て存在
してい た こ と を示 し てい るの で は ない だろう
か。 西 夏 語,
漢 籍 史料
の記
述 か ら は そう
い っ た ことが読み取
れ るとい えるだろう
。略号表
・
史料
『夏 漢』 (李 範 文 1997 ) 『俄 蔵』(
史・
魏・
克 恰諾夫1996−2007
) 『義 海』 『聖 立義 海 』(『俄 蔵』10
巻収 録),
中 国語訳 (克恰 諾 夫・
李・
羅1995
),
ロ シ ア語 訳 (Kb・qaHoB 1997)
。 『金 史』 (元)脱 脱 等 撰,
中 華 書 局,
1975年。
(後 晋 )劉陶 等撰,
中華 書 局,1975
年。 「新 唐 書』 (宋)欧 陽修・
宋祁 撰,
中華 書局,1975
年。 『隋 書』 (唐 )魏徴,
長孫 無 忌 等 奉勅撰,
1973 年。
『宋 史』 (元)脱 脱 等撰,
中華書局,
1985 年。
『天 盛』 『天 盛 旧 改 新定禁令 』 (『俄藏』8
巻収録),
ロ シ ア語訳 (Kbi
・iaHoB 1987−
1989 >,
中 国 語 訳(
史・
聶・
白1994
;2000
)。 『道理』 『新 集錦 合 道理』 (『俄蔵 』10
巻収録),
中 国 語 訳(
陳1993
)。 『文 海』 (史・
白・
黄編 1983)
『夢 渓筆 談』(宋 )沈括 著,
胡 道 静 校 証 「夢 渓 筆 談』上 海 古 籍 出 版社,1987
年。 『遼史 』(元) 脱 脱 等 撰,
中華 書局,
1974 年。 HHB.
ロ シア科 学ア カ デ ミー
東 方 文献 研 究 所 資料整 理番号。
一
西 夏の土着 信 仰に関 する一
考 察一
文献表
荒 川 慎 太 郎1997
「西 夏 語通 韻 字典 」 『言 語 学研 究』
16,
pp.
1− 151
。1999
「夏 蔵 対 音資料 か ら み た 西 夏語の声 調 」 『言 語 学 研 究』
17−18,pp.27−43
。 岡 崎 精郎1956
「西夏の民 族 信 仰につ い て 」 『古 代 学 』 5
−
1,
pp.
12−
21。 (後 「タン グー
トの民 族 信 仰につ いて」と改題 して 匚岡崎 1972:319
−
335 ]に 再録 頁 数はこれ に拠っ た)
1972 『タン グー
ト古代 史研 究 』 東洋 史研 究 叢刊 佐 藤 貴保2003
「西夏 法典 貿易 関連条文 訳 注 」『シル クロー
ド と世界 史』 大 阪 大学21
世 紀COE
プロ グラム,
PP.
197−2560
2006 「西 夏の用 語集に現れる華 南産の果 物一
十二世 紀 後半にお ける西夏 貿易 史の解明の 手 が か りとして
一
」『
内 陸ア ジ ア言 語の研 究 』21,pp.93−127
。2008a
「西夏の 二 つ の 官僚 集 団一
十二 世 紀 後半にお ける官 僚登 用 法一
」 『東 洋 史 研 究 』66−3,
pp.
34_66
。2008b
「ロ シ ァ所 蔵西夏 文 『天盛禁令』 刊 本の未公 開 断片」『西 北 出 土文 献研 究』 6
,
pp.
55−62
。 佐 藤 貴保・
赤 木 崇 敏・
坂尻 彰 宏・
呉 正科2007
「漢 蔵 合 璧 西 夏 「黒水 橋碑 」再 考 」 『内 陸アジア言語の研 究』 22,
pp,
1−37
。 史 金波1999
「西 夏文書と西夏 史 」 『史滴 』
21,
ソー
ハ ン・
ゲレ ル ト 訳, pp.
49−
55。 島田 正 郎2000
「西夏 法典 初 探
一
その九 官 牧一
」 『法 律 論 叢 (明 治 大学 )』 73−1,pp.
87−
145。
(再 録 :[島田 2003 ],
頁 数はこれに拠っ た) 2003 『西夏 法 典 初探 』 創 分 社 中 島 敏1936
「西夏に於け る政 局の推 移 と文 化 」 『東 方 学報 』6
(再 録 ;『東 洋史 学 論 集一
宋 代研究 史と その周辺
一
』 汲 古 書 院1988 年
,
pp.
399−
423,
頁 数はこれに拠っ た) 西 田 龍 雄1988
−
1990「西夏王 国の 文 化 」 『出 版 ダ イ ジェ ス ト』二 玄社。 ([西 田 1997 ]に再 録 頁 数 はこれ に 拠っ た)
1989a
「西 夏 語 」『言 語学大 辞典』 2
,
三省堂,
pp,
408−429e
l989b
『西夏文 字の話』大 修 館 書店1997
『西 夏 王 国の言 語 と文 化』 岩 波 書 店 松 澤(野 村) 博1982
「西夏 文 『新 集 錦合 道理 』につ い て」 『小野 勝年博士 頒寿記 念東方 学 論 集』龍 谷 大学 東洋 史学
研究 会
,
pp.
317−
357。1986
「西 夏 仁 宗の 訳 経につ い て一
甘 粛 省 天 梯 山 石窟出 土 西 夏経を中心 とし て一
」 『東 洋 史苑 』 26/27,
pp.
1_
310 間 野 英二2007
「バ
ー
ブルの神 」 『龍谷 大 学 論集』 469,pp,
79−115
。 向本 健2006
「西夏の 仏 教 とその政 治 的背 景」 『大 谷 大 学大学 院 研 究 紀 要』 23
,
pp.
113−
135。
2007
「西夏に お け る 黒水 城と敦煌の仏 教 文 化につ い て一
弥勒 信 仰 をて が か り に一
」『黒 水 城 人 文 与 環境研 究
一
黒水城 人 文与 環 境 国際 学 術 討 論 会 文 集』 中 国 人民大学出版社,
pp.
354−3690
−
33一
一
西夏の土着信 仰に関 する一
考 察一
護 雅夫1985
「突厥の信 仰 」 「三 上次男 博士喜 寿 記念論 文 集 』三 ヒ次男 博士 喜寿記 念 論 文 集 編 集委員会 編pp
.
304−
319(再 金乗:[言隻
1992
])1992
『古 代トル コ民族史研 究』 2(
中文)
克恰 諾 夫・
李 範文・
羅 矛 昆 1995 「聖 立義 海研 究 』 寧夏 人民出 版 社 史 金 波1988
『西夏仏 教 史略 』寧夏人 民出版社
2004
「二 十 世 紀 西夏 宗教 研究 」 『二 十 世紀西夏学』 寧夏 人 民 出 版 社
,pp.
86−
102。
2007
『西夏社 会 』上・
下,
上海人民 出版社。
史 金波・
魏 同 賢・E.
Z .
克恰 諾 夫 編 1996−
2007 『俄 羅 斯 科 学 院 東 方 研 究所聖彼 得堡 分所 蔵 黒水 城 文獻 』上海古 籍出 版 社,
1〜
12巻.
史 金 波・
白 濱・
黄 振 華 編1983
『文 海研 究 』 中国社 会 科 学 出版社 史 金波・
聶 鴻 音・
白 濱 訳1994
『中 国珍稀法律 典 籍 集 成
甲 編 第五冊
西夏天盛律 令 』 科 学出 版 社 史 金波
・
聶 鴻 音・
白 濱 訳 注2000
『天盛 改旧新 定 律 令』 法 律出版社 沈 衛 栄2007
「宗 教 信仰 和 環 境需 要 :十
一
至 十 四 世 紀 蔵 伝 密 教 于 黒水城 地区的流行 」『黒 水 城 人 文 与 環 境 研 究
一
黒水城 人文 与 環 境 国際 学 術 討 論 会 文 集』中 国 人 民 大 学 出 版社,
pp.
310−
327c 張 雲1989
「論 吐 蕃 文 化 対 西 夏 的 影 響 」『中 国 蔵 学 』1989
−
2,pp.
114−
131。
張 迎勝2006
「西 夏 人 的 天 神 崇 拝 」『西夏研究』第3
輯,
pp.
290−299
。2008
「西夏人的 自然崇 拝管窺」 『第三届 西 夏 学 国 際 学 術 研 究会論 文 集』
pp.
85−
90。 陳 永 腔2006
「西夏 法律 制 度研 究 』民 族出版社 陳 炳 応 1993 『西夏諺 語」山 西 人 民 出 版 社 湯 開建 2005 『党項 西 夏 史探 微 』 允晨 文化 白 濱1983
「
《
文 海》 所反映的 西夏社 会 」 『文 海研 究 』pp.
31−
64。
李 範 文1997
『夏 漢字 典』 寧夏人民出版社(
欧
文
)
Clauson,
G.
1972
An Etymological
Dictionat
), ofPre−
Thirteenth−
CentuTy Turkish.
Oxford.
Kveerne
,
P.
一
西 夏の 土着 信 仰に関 する一
考察一
1(Llqa 臼OB
,
E.
レ1.
1987
−89
− aueHeHHbni u 3aHo60 ymeep[nc∂eHHblfi κo∂eκc ∂eeuea nlapcmeoeaHtLg HebecHoe nponleemaHue(
1149−ll69
).
4TOM,
MOCKBa.
1997
吻 e 3na ”eHufi
,
アctnaHoeneHHbtx eB”mb 肌tu.
CaHKr−HeTep6ypn
Nebesky−WojkowitZ。
1956
0raeles andDemons ofTibet.
The Hague.
Roux
,
J,
R
1956
Tangri.
Essai
surle
ciel−dieu
des
peuples alt包iques,
Revue
des
l’
histoire
des
retigions,
Tome CXLIX et Tome CL,
Stein
,
R .
A.
1951
Mi
nyag etSi−
Hia.
Geographie
historique
etl6gendes
ancestrales.
Bulletin
de
l
’
Ecole
fran
¢ aised
’
Extr6me−Orient.
pp,
223−
2650注
(1
) (2) (3> (4 ) (5)(
6)
(7) (8
) (9
) (10) (ll) (12
) 西 夏の成立年 代につ い ては 諸 説 あ る。一
般 的に は李元昊が 「大夏 皇帝 」 を 自称し た1038
年説が 採 ら れてい る が,
本 稿で は佐 藤 貴保 (2003,
198)に従い 実質 的な建国年代とい え る982 年説を採 るこ と とする。 最近では 西夏語 法 典 を利用 した佐 藤 (2003
;2006
;2008ab),
小 野 裕子 (2008 ) などの研 究が発 表 されてい る。 『文海雑 類』,
『文 海 宝 韻』な ど幾つ かのバー
ジョ ンが存 在 する。 『文 海』に見 ら れる西夏の土着 信 仰 に 関する語彙につ い て は (白濱 1983 )の 中で紹 介 さ れてい る。
松 澤 博 (1982,317
)はこ の文 献 につ いて 「タ ン グー
ト族,
或い は西夏国の市 井で の金 言,
裡 諺と い っ た 土俗 的 な物 を詩 文型式まで高 め た物 」と述べ てい る。 西 田 (1982,
342
)によっ て指 摘さ れ てい る よう
に,
この文 献は表現が簡 潔であ り格助詞な どは省 略さ れる こ とが多く,
内 容のつ な が り を 読 み 取 ること が難しい。
しか し,
西夏の一
般 社 会を 知 る 上で第一
級 史 料で ある ことは松澤 (1982,
343)
の指 摘する とおりである。 松 澤 (1982,332
)は私 刻本につ いてt
啓蒙書 とし て の使 命を もっ て,
官刻本の 内容が余 りにも高 度で到底理解できない 階層が 十 分 理 解 出 来 る ような内容を 主 とし て編纂さ れ た と述べ てい る。
全 15巻の内一
部を欠 くもの の西 夏の自然 社 会状 況 が詳述 さ れてお り,
西 夏の 歴 史や社 会を研 究 する 上 で重要 な 史 料 と さ れてい る (史金波 1999,
54)。 目次 2巻,
本 文全20
巻,
条文 総tw
1400 余条,
西夏 語で記さ れる 。 分 野 別 に 関 連 する規定を 「門」 ご とに まとめ,
条 文が箇 条 書 きで並べ られ る。 複数の写 本のほ か刊 本 (胡 蝶装 )が 現存し,
専 ら 研 究に は刊 本が 用い ら れ る。 西 夏の法 制.
社会,
経 済 史の 実像に 迫 る た めの重 要 な文 献である と 指 摘 されてい る (佐 藤 2003,
199 )。
これ らの文献は現 在ロ シ ア科 学アカデミー
東方文 献研 究所 (旧東 方 学研 究 所サンク ト=
ペ テル ブ ル ク支 部)に収蔵さ れてお り,
写真 版が 『俄蔵』シリー
ズ の中で公開さ れてい る。 本 稿に おける西夏語 推 定 音の表記 は 荒 川慎太郎 (1997;1999 )に依 り,
西 夏 語文 献の引 用は発表 者 自身の和 訳を用い る (工具書と しては 『夏漢』を使用 した)。 使 用 し た版本,
参 照し た訳 本は 「略号 表,
史料 」の項 目にまと めて 記 載 した。 な お 西 夏文字に は今 昔 文字 鏡フ ォン トを 使 用 し た。
蓋し西 戎の俗,
居 る所の正寝,
常に中に一
間 を留めて以て神 鬼 を奉じ,
敢えて之に居 らず。 之 を 神 明と謂 う。 (蓋西 戎 之 俗,
所 居 正寝,
常 留 中一
間 以奉 神 鬼 不敢居 之。
謂 之 神 明。
) (上海 古 籍 出 版 社 本p.613
) この 「機 鬼 」 とは 「自然中に存 在 する神 」を意味 す る と考え ら れる。
篤信 機鬼 尚詛 祝。 (な おこ こに 見 られる 「祝 」は 「呪 」の誤 りで あ る と考え られる)。
一
35一
一
西 夏の土着信 仰 に 関 す る一
考 察一
(13
) (14
) (15) (16)(
17)
(18) (19) (2
) (21
) (22 ) (23)
(24 ) (25 ) (26) (27 ) (28 ) (29 ) (30)
(
31
) (32 ) (33
) (34
) 西夏 皇 帝 を輩 出する タングー
ト平 夏 部 嵬 名氏 族 は9世 紀 前 半 まで は拓 跋 とい う氏 族 名を名 乗る が,
黄 巣の乱 鎮圧の功に より唐 朝より李姓 を賜 る。 李 元昊は自らの姓 名 を 「嵬 名 吾 祖 」と改め た と 「宋 史』夏国伝には 記 さ れてい る (中 華書局標 点 本 p.
13993 )。 西 夏皇帝が発願者と なっ た 仏 典で は西 夏文,
漢 文仏 典ともにみ な 嵬 名 姓の み を称し てい る。
現 在,
張 掖 市 甘 州 区博 物 館に収 蔵さ れてい る。 この 「西 夏 黒 水橋 碑 」の詳 細に関 して は佐 藤・
赤 木・
坂 尻・
呉 (2007
)を参照。[
.
.
,
’
ilha
dang1
[k
]1u
[’
i
]lha
dang
!shing [sa]lha la sogspa.
.
.
[,
.
.
fbdag]gi bka’
nyon cig「西夏 黒水 橋 碑 文 」の碑 文テキス ト
,
訳は佐藤・
赤 木・
坂 尻・
呉 (2007,
8−23
)の もの に拠っ た。
また こ の碑 文に見ら れるような 西夏に於け る 自然 崇 拝 につ い て は張迎勝 (2008
)を参 照。 西夏 語 原 文の語 順は 「神 (彼)」 「文字(
須D
」の順である。 西夏 語原文の語 順は 「官 (糴 )」 「巫者 (矮)」で あ り,
史 (2007,
815
)の解 釈 する ように 「官に 属 する 巫者」とい う意味と考え ら れ る。 『天盛』の条文に土着の信 仰 が 反 映 されてい ることにつ い て は,
楊 (2003,
247−253
),
史(
2004,
100 >が指摘 して い る。 三年一
聚會,
殺 牛羊以祭天。 張雲 (1989,
19)は,
この記 述と漢籍 史料に見ら れ る 吐 蕃の祭 祀 との 類 似を述べ,
西夏 文 化にお ける ボン教の影 響につ い て言 及 し てい る。
西 夏に おける天 神信 仰につ い て は張 (2006 )を参照。
例えば突 厥 など でも 「天」を 意味 する 「テン グ リTangri
」とい う言 葉が 「空,
天」,
「天神 」の 両 義で用い られ,
天 その ものが 神 とみ な さ れた。 テ ン グ リ につ い て はRoux
, J.
R (1956)Clauson,
G
(1972,523−
524)護雅夫 (1985 ),
間 野英二 (2007
) 等を参照。
『義 海』の記 述 に よる と8
月は酉,10
月は亥,
11 月は子.
12月 は 丑 に 属 す。 なお西 夏の十二 支 は寅→ 卯→ 辰→ 巳→ 午→ 未→ 申→ 酉→
戌→
亥→
子→
丑のJII
頁に進む (西 田 1988−
89,
356 )。 『文 海』に は 「天 (駮 )は 天 聖 (皸轍 ) な り。 賢 聖 (奴AI
) な り。 聖 なる もの の宮殿なり。 聖 霊 な り。 ヒ ャ ン (臠)なり。 (『文海 』:194)
」 とある。 『文 海』には 「ヒ ャ ン (衡 ) は 賢 聖 (奴 彡1
) な り。 神 (婚 )な り。
聖 なるもの の 宮 殿 な り。 (『文 海』:192)」 と記 さ れ てい る ように 「ヒャ ン (蘭 )」は 「賢聖cntAl
)」,
「神 (籍)」,
「聖 なるもの の 宮殿 」と同 義とされ る。 『文 海 雑 類 』に は 「聖 (ma1
)は聖 なるもの の宮 殿 な り。 賢聖 (奴 豹 なり。
神な り。
聖 霊 (玻 彼 ) なり。
天 聖 (賊嬢 ) な り。 ヒャ ン (儕) なり。 (『文海 』:330 〜 33D
」とある。 奔 遁 するを 耻 とせず,
敗れれば三 日に し て.
輒ち復た其の處に至tl
,
人馬を捉 えて之を射,
號 して 「殺 鬼 招魂 」と 日 う。
或い は草人 を縛 りて地に埋 め,
衆 もて射て還る (不 恥 奔遁,
敗三 日,
輒 復至其 處,
捉 人 馬射之,
號日 「殺 鬼招魂 」。 或 縛 草 人 埋 於 地,
衆 射 而 還 ) 『遼 史』 巻115,
西夏 外 記にも 「若 し 人 馬 を獲 る と,
之を射,
號して殺 鬼 招 魂と 日う。 或い は 草 縛の 人を射つ (若 獲人馬,
射 之,
號日殺 鬼招 魂。 或射 草縛 人 )」 (中華 書 局標点 本p.
1524 )とい う記述 が見ら れ る。
病 者 不 用 醫 藥,
召巫者 送鬼。 西 夏語以 巫為 「厮 」也。
西 田 (1999,
427 )は,
この 「厮 」を西 夏 語の 「清浄 な 備)
」に 比定する。 不知醫藥,
疾 病召巫覡視 之,
焚 柴聲 鼓,
謂之 「逐 鬼 」。 (清 )呉 広成 撰,
道 光5
年 (1825 >に 刊行さ れ た。881
年〜
1231 年 までの西夏の 事績 を 編 年 体 で記 してい る。
内容 に 現在 散 逸して伝わっ てい ない 史 料を含む もの の,
その 出 典 が 明示され てい ない為に 使 用に は注 意を要する。
西夏語 原 文の語順は 厂巫者 (緞 )」 「小さい (鯒)」で あ り,
史・
聶・
白 (1994,371
)は 「小 巫 」 と解釈す る。 恐 らく 「身分の低い巫者 」を 意味 するので は ないか と考 えられる。 『天 盛』巻 1 「為 不道門」に は故意の殺 人,
傷害に関 して の規 定が記さ れてい る。 これ によ る と 加害 者,
も しくは被 害者が爵 位を持つ か 否 か,
殺 人の場 合は殺さ れた 人 数,
傷害の場合は傷の程 度に より量刑が 決定さ れ てい る。 これ につ いては島田 正郎 (2003
,61−67
)佐藤(2003
,218
)を参 照。一
西 夏の土着信 仰に 関する一
考 察一
(35 ) (36 ) (37
) 『宋 史』 巻486,
夏国伝 (中華書局標 点 本p.
14024)
に よれ ば,
西夏は 大 慶 1年 (
1140)
に飢 饉,
同 4 年 (1143
)に大地 震と飢 饉に襲われ た。 ま た 『金 史』巻134
,西夏伝(
中 華書 局標点 本p.2869)
に は 「初め,
仁 孝 (仁 宗 ) 嗣位 するや,
其の臣 屡々亂 を作 す (初,
仁 孝 嗣位,
其 臣屡作亂)
」と 記 さ れてい る。
『番漢 合 時 掌 中 珠』が 西 夏 国 内の タングー
ト人 と漢人の意 思 疎 通の為に編 纂 され たもの であるこ とにつ いて は,
佐 藤 (2006,
95−
102) を參照。 これ に 関 してはパ ウオ ツク ラ テン ワ dPa’bo
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lag phreng ba (1504〜
1566 年)著 『智者の喜宴 Chos
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ston.
』 (1545〜 1564
年 成立) (KG
:722
)に記 さ れてい る。 西夏にお け る蔵伝仏 教 につ い ては史 (