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日本西蔵学会々報 (55) 003大西 啓司「西夏の土着信仰に関する一考察」

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(1)

西 夏

着信 仰

考 察

西

 啓 司

は じ

 

10

世紀,

の中 国

寧夏

回族

自治

甘 粛

を中 心とする地 域に チベ ッ ト系タング

ト(党

項)

人 を

心 とし た国

る西

夏 (

982

〜 1227 年)

が誕生 し

モ ン ゴ ルによっ て

1227

年に

ぼ さ れ るまで

立 を

っ たω。 西

で は仏 教が

く信 仰 され

その領 域には 仏 教の隆 盛 を髣

とさせ る

数多

く残 さ れた。

1900

年 代 初 頭

ロ シアの コ ズ ロ フ探

隊に よっ て カ ラ ホ ト

中 国

モ ンゴル

治 区エ チ ナ 旗

か ら大 量の西 夏 語

典 が 発 掘 さ れ た

これ まで の西 夏 研 究 は

そ れ らの西 夏

教経典,

西

夏語

関す

研究

中心

とし て

め ら れ

,近年

で は 歴 史 学 的 見 地 か らの研 究 も増 えつ つ ある〔2〕

だが西

ける

仏教隆

盛の 要 因

即 ち なぜ西 夏に於い て仏 教 が 隆 盛 してい たの かとい

う問

な お

検討す

の として現

に残 さ れて い るQ

 

筆 者はこ の問 題 を考 えてい く上で の基 礎 的 な 作 業 とし て

仏教が隆 盛し てい た当 時の西 夏 社

がt どの よ

な 社 会であっ た か とい

こ と を ま

明 らかに してお

る と

える。

 

西 夏で は仏

道 教 な ど も

取 り

入 れ られたが

その

国内

に は 土

着信仰

るもの も なお

存在

して い た。 岡 崎 精 郎

1956)

は 漢 籍 史

を 用い

西 夏の土

着信仰

につ い て研

し た ものであ り

西 田 龍

雄 (

1988 〜 1990)

は西 夏

語文献 中

ら れ る西

の土

着信

仰に関 する記 述 を紹 介 して い る。 近

では 湯 開 建

2005)

で西

の土

着信仰

概略

が述べ ら れてい る。 これ らの先 行 研 究に よ り西 夏にお ける土 着 信 仰の存 在が知ら れ る よ

に なっ てい る が

西 夏の 土 着 信 仰に関 する漢 籍

西 夏 語 文 献の 記 述 を総 合 的にま とめた

えで

,仏教隆

盛の

景にあっ た西 夏 社 会の実 態につ い て検 討 した もの は管 見の限

り見

ら れ ない

そ こ で本

稿

で は先 行 研 究の

果 を踏 ま

つ つ

西 夏 文 字 を韻 母 別に分 類 し文

要素,字義

解説

し た

総合的

西

語 字 典

文 海(3)』 (

ll24 〜 1131年

官 刻

本 〈

西 夏 政

に よ る

刊行物〉

),格

集 『

新 集 錦 合 道 理(4)』

1176 〜 1187

年 出 版

私 刻 本(5)〈民 間の出 版 物

〉,

以下 『道理

),類書 (

科辞

)「

聖立

海(6 )』

以 下

義 海 』

II83

年 出版

官 刻 本

,法

典 『天盛 旧

改新定禁令

(7)

』 〈

以下

1149 〜 ll69

年 に 制 定

官 刻 本 ) な どの カラ ボ ト出土 西

夏語文献

〔8)に

ら れ る西

に於 ける土 着 信 仰に関 する記 述 を見てい き なが ら

そ れ ら が出

版,制定

さ れ た時 代に於い て西 夏 がどのよ

社会

であっ たのか

その

端 を

か が て みたい (9}

1

 

西

の 人

沈 括

1031 〜 1095

年 )の撰 じた 随

集 『

筆談』

18

,技

に は西 夏の風

27

(2)

西 着 信 仰

考察

につ い て

西

方異民

族の

風習

で は

居住区

心の

屋に

,常

空 間 を設 けて鬼 神 を 祀 り

そ こ に は座ろ

とし ない 。 こ れを

神 明」

とい

ω

と述べ られ る。

 

また

宋 史 」 巻

486 ,夏

伝 (

華書

局 標

p.14029)

に は

機鬼

〔11) を

篤信

,詛祝

ぶ02}」と記 されて い る。 こ の よ

に漢 籍 史 料に よ れ ば西

で は

鬼神,機鬼」

信仰

さ れ てい たと伝 え られ

『宋 史 」 夏 国 伝 (中 華 書 局 標 点 本 p

13995)

に西 夏

帝 景

宗 (

〔13〕

,在位

1032

1048

年 ) が その即 位

出 兵に際 して 「祠 神 」に詣で た とい

こ とが 記さ れ てい る こ と と

「神 鬼

機 鬼 」 信 仰 との関 連 が 岡 崎 (

1956

, 

320

)に より指 摘 されて いる。

 

『義 海

5

「人 立 ちて名 を 為 す 」の 「鬼 神 が 守 護 する」とい

項 目に は

,「

求す

るな ら ば

,善神

守護

損害

を 無 く

す (

HHB

 

No

1452614

33

1

))」という 記 述 が 見 ら れ

こ こか ら西

で は

い を 追

求す

るな らば

」の

護 が

られ ると考 え ら れた こ と が分か る。 ま た

文 海 』にも

神 (

椴 )は

守護神

な り

。神 (

) な

り。

) な り。 守 護 者 を言

な り

文 海 』:254

るい は

神 (

鞠 は

神 (

筱腰

)である

。守護

者 を 言

(『文 海 』;10 )」と記 さ れてい る ように

西 夏で は 「神 」が守 護 者 と さ れ てい た

 

また 『文 海 」に は

「ミは護 羊 神 な り。 羊を守 護 する

である

(「

文海』

181)」

とい

う記

述が 見 られ

『義 海 』 巻

1

8

月の名 前

意 味 」の 「穀 物の神を供 養 する

とい

目 に は 「秋に は

,穀

物をす りつ ぶす

穀物

ビジュ を

供養す

MHB

 

No 、143684 )

」 とい

ものが 見 ら れる。

 

西 夏 皇 帝 仁 宗

李 仁

孝,在位 ll39 〜 1194 年)時代

乾祐

7

年 (

1176),

甘 州

中 国 甘 粛 省 張 掖 市 )に立 碑 さ れた漢 蔵 合 壁 碑 文 「西 夏 黒 水 橋 碑〔且4〕

の漢 文 面に は

神,水神,龍神,

樹 神

[土 コ 地 諸 神

」とい う文 言 が 見ら れ

,蔵文

面に

も 「

,龍

樹 神

土 地 神 な ど

朕 (仁 宗 )の勅 命 を 聞 け〔15}」と記 され

こ れ らの

へ の

信仰

が示さ れ てい る{16)

ま た その 信 仰 が 公 式に認め られてい た と佐 藤 貴 保

赤木 崇敏 ・

彰宏 ・

科 (

2007

33)

に よっ て 指 摘 されてい る。

 

皇 帝の権 威 を損 な

う,

あるい は

辱 する

行為

につ い ての

罰則

記す

『天盛

1

「大 不 恭 門 」 には 「守 護 神

天 神 を盗ん だ り壊 し た りする こ と

対す

罰則

め ら れ てい る

HHB

 

No .

25704187

30

26

))

。 こ こ か ら西

に は

守護神,

神」

存在

そ れ らが 信 仰の対 象 と なっ てい たことが 分 かる。

 

ま た 尊 崇

信 仰の 対 象とされ る

事物 ,

特に

墓の盗

対す

罰則

め てい る 『天 盛 』 巻

3

「盗 毀 仏 神 地 墓 門 」には

「諸々 の人々 には仏 像

,神廟 (

般鞴

天 尊

孔 子の 肖像 画 な ど を 盗んだ り

壊 し損 なっ て し ま

こ と

さ ない

MHB

 

No .169 (46−36))

」 とい う条 文が見 られる。 また 『天 盛

巻 11 「為 僧 道

修寺

廟 門

も 「

々 の

寺廟,官

,神

搬 鞴 ) の に人々 が 泊 ま

……

こ と は許 さない

HHB

 

No .176)」

と記さ れ て お

り,

廟 」 な ど と 共に

廟 」 が 記 さ れてい るところか ら見て

西

に於い て

寺廟」

神廟」

が存 在 してい た ことが 分 かる。 そ して

恐 ら

この

神廟」

とは

神,守護神

」 な どの 「神 」 を祀っ て いた

場所

ると

え られる。 『天 盛 』 巻

6

「軍 人 使 親 礼 門

に は

諸人 に は宴 を設 けて神 を 祭る

葬儀 (

t 子 供 を 産 む

家 を分 ける時

, (

以下

略〉, (

zHB

No .160

34−15)

)」とい

記 述が

ら れ

, 『

道 理

にも 「宴 を 設 けて神 を 祭るなら

。敵

が来 た ら追っ て牝 馬に乗る

HHB

No .765 (

31−9))」

と あ

り,

人々 が 宴 を設 け

神」

っ てい た

子 が

か が わ れる。

(3)

西着信 仰

考 察

 

また

天盛

』巻

19

に は

神馬,祭牛,神牛」

な どの

突然

病気

や死 亡に関

規定

さ れ ている。 そ こ に は

毎年

4

3

,「

殿

」内

天 聖

と に

「(

祀 用の

)神

,祭牛,神牛」

が 死ん だ場 合

そ れ らに 「神の文 字(17)の跡 」 が ある とき に は 「

巫 

遣 を要

,「

に よっ て祭 祀 を行

定め ら れて い る(19)。 法 典であ る 『天

』 にこのよ

な 条 文 が 見 られるこ とは

こ の法 典 が 制 定 さ れ た 時 代

即 ち仁 宗 時 代

に於い て も

西

では

神」

が 畏

され る

存在

であっ たこ とを示 して いる といえる。

2

 

西

け る

天 信 仰

 

西 夏に於いて 「天 神 」 が 信 仰 され

その像 が 祀 られてい たこ とは

述した 通

そ も西 夏 建 国 以 前の タング

ト人につ い て

してい る 『

隋書』巻 83,党項伝 (

華書

標点本

p.1845>

の記 述に は

,「

た び

聚會

,牛羊

し て 以 て 天 を

る(2°)

とあ り

こ こ か らタング

ト人の 天

信仰

か がえる こ とが

指摘

さ れ てい る(21)

岡 崎

1956

321)

 

『文

海』

轂)

字義説 明

て み る と

,「

覈 )は 天 聖

職 轍 ) な り。 賢 聖

1

) な

り。

聖 なるもの の

宮殿

り。

聖霊

鼓彼

)な り。 ヒャ ン

儼 ) な り

文 海 』:

198)

」 と い

う記

述が

ら れ る。

義 海』

の記 述 を見て み る と

1

「天の名 前

意 味 」には

「天

)は

し人が悪

を為せ ば

即 ち 災 難 に あわ しめる。 善 行 を 為せば 即 ち

福 を

HHB

No

,143684

10−6))」

とい

の も見 ら れ る。 こ の ように

文 海

『義 海

の記 述 か ら は西 夏 に おい て天 が 神 聖 な もの と看 做 さ れて信 仰 さ れてい こ と が 分 かる(22)。 『旧 唐

書』

巻 196上

蕃伝 (

華書

標点

p,5220)

に拠 れば

古 代 チベ ッ ト

吐 蕃 )で も 「天 地 山 川 日月 星 辰の

神⊥ 「

神」

仰 され た と漢 籍 史 料に は記 さ れてい るが

こ こか ら西 夏に於い て も同じ

信仰

が もた れ てい た こ と が分か る。 更に西 夏の天 信 仰に 関連 して 『義 海 』 巻

1

9

月の 名 前

意 味 」 に は

の よ

な記 述が

ら れ る。

9

月は戌に属 する(23 >。 天王

r

葡 は 国 を巡 検 する。 皇 帝

庶 民 が 良い 行い を

れば

,高

い と こ ろの霜 や 露は損 な わ れ ず, 柴 草の 果 実 が 熟 する

の こと を

)言 う (

HHB

 

No .143

684 (10−8))

o こ れ に よ れ ば

9

月は 「天王」 が 国 を 巡 検 する月とされ

皇 帝や庶 民の い が良い の で

れば

草木

の実は

すと さ れてい る。 また同 巻には

9 月 15

日 は

聖 の

まる 日。 禅 が

や か に生ずる日。 皇 帝の徳 と民の孝によ

り,

天 王

席)

願 う (

HHB

 

No .143684 (

10

−8))

。 とあ り

,9

15

日 には皇 帝の徳 民の孝で もっ て 「天 王 」に

加護

を 願っ た とさ れてい る。 こ れ らの記 述 から西 夏 に於い て 「天 王 」 が 人々 の 信 仰

と なっ てい たこ とが

,佐藤 ・赤木 ・坂

2007,25)

に よっ て指 摘 されてい る。 この 「天 王 」が

何者

である か につ い ては現

の ところ はっ き りと分かっ てい ない が

, 儀

海』 か ら 「天 王 」に関 する記 述 を探 してみ る と

, 『

海 』

巻 5 「

に よ りて吉 祥の名 を成 す 」に

一29 一

(4)

西 夏土 着信 仰関す

考 察

昔,親孝行

な子

が母に

孝行

し た。

べ た。

にな

り青菜

無 く

なっ て も

母は青 菜 を

べ たいと望ん だので

子 供は困っ て泣い て しまっ た。 する と 天 王

賊 『

が 目の

に現れ

,孝行

な 子

青菜

えた

HHB

 

No .1452614 (

33−14))。

とい

記 述 が 見ら れ る。 この記 述

容と先の 「天王

に関 する記 述を鑑み る な ら ば

西

で は 善 行

孝 行 を為 すことによっ て 「天 王 」の加 護 が 得 られ る と考 えら れて いた こ と が

か が わ れ る。

 

ま た 『文 海

の 「祀る

翳 )」 とい う文 字の説 明には諸 仏

土 地 神

大 神 など と並ん で 「賢 聖

D

」 を 祀るこ と を 言

と さ れてい 。 「祀る (職 )」の 字 義 説 明にも 「祭る

囃 )は祭 る

Pt飛) な

。 祈るな

。 諸 仏

賢 聖

地 神

大 神 な ど を祭 祀 し

香 (を 焚いた り) 供 え 物 を することの である

『文 海

26D

」 と

西 夏では 諸 仏

地 神

大 神と並び 「賢 聖 」 が 祀 られてい ことが分 かる。 「賢 聖 」につ い て西 田 (

1988−89,427

) は根 拠 不 明 な が ら 「祖 先 神 」 と し

,佐藤 ・赤木 ・坂

・呉 (

2007

25)

,何者

である か は

明 と してい る。 『文 海

』,

『文 海

類 』を見てみ る と

){24)

,「

ヒ ャ ン

衡)(25)

,「

骸「

)〔26>」 と同 義である と さ れてい る。 ここ か ら 「賢聖」は

ヒ ャ ン

D

」と 同

の 存 在であ り

天 と 関 連 する

聖 な

存在

である こ と が分か る。

 

ま た先 述し た

天盛 』

巻 19 「

患 病 門

に は

神馬,祭牛,神牛

毎年 4

3

日冬 夏 を 分か つ とき

,古

殿

の天 聖の下 に送 ら ん」 とい

記 述が見 られ る。 この 「天 聖 」 が 具 体 的に ど の よ

のである か は不

だが

,「

瞹)

+聖

鰻 )」 とい

単 語の成 り立 ち か ら して

聶 ・

白 (

1994,

437

KbiuaHoB

1987

1989

,178)

釈 する よ

「天 神 」

あるい は 「天の 聖 なる もの

である と

考 え

ら れ

西

毎年 4 月 3

日 に

わ れた

儀式

は天

仰 と 関 連 するもの とい える。 こ の よ

に 「天王

,「

」,「

天聖

へ の

信仰

文海』, 「

義海』,

『天盛

に記さ れて い る こ と か ら は

それ ら が出 版さ れ た当 時の西 夏に於い て

信仰

存在

し たこと を

か がい

る こ と が

来る。

3

ー マ

つ い

 

巻 486,夏

中華書局標点本 p.14029)

に は タング

ト人の戦 闘の慣 習に関 し て

タング

ト人は

戦 闘に於い て

敗走す

る こと を

とは せ

ず,破

れた な ら ば三 日後に再び その破 れた場 所 に 戻っ て くる と人

えて

, も

っ た 人 形 を縛っ て皆で射て これ を 「殺 鬼 招 魂 」と称 した(27)」とある〔29)。

 

また

遼 史』 巻

115,

西

夏外

華書

標点本 p.1523)

に は

その風 俗 と して 「病 める者 は 醫 藥 を用い ず

巫者 を召 して

を送らしむ。 西

夏語

巫を以 て

厮」

為す

也 Qg} 」 と記 さ れて い る〔3°}。 これ は

宋 史 』 巻

492 ,

吐 蕃

伝 (

華書

標点本 p.14163)

青唐

の風 俗 を 述べ て

醫藥

を知 らず

疾 病 あ らば 巫覡 を召 して之 を

し め

,柴

き鼓 を聲 す。 之 を 「逐 鬼 」と 謂

(3DJ とい

記 述 が 見 ら れる よ

にt この

鬼 を

」「

逐 鬼 」 とい

風 習 は 青 唐 吐 蕃

タ ン グ

ト人に共 通 した もの で ある

張 雲

1989,125)

 

漢 籍 史 料の中で 「鬼 を 送る」とされて い る 巫

につ い て 『文 海

の説 明 を見ると 「供 養

(5)

西 夏着信 仰関 す

考 察

るもの である

『文

海』

302)」,「邪

悪 な も

駆 除す

(『

文海』

259

さ れ

, 『

文海雑類』

も 「

巫術を為 す な り。

を追い払 う者 を 言

な り

(『

文 海 』:

350)

」 と 記 されて いる よ

人々を守 護 す る存 在 と され た。 『西 夏 書

C32)

』(

27

42)

に は 大 旱 魃 や 不 祥の際

官 を 派 遣 して祈 らせ た とい

記 述 が 見 ら れ

岡崎 1956,322)

,先

天 盛 』 「患 畜 病 門 」にも 「官巫」の派 遣につ いて

言及

さ れ てい た。 また

天盛

』巻 7 「

殺 葬

賭 門 」 に は

罪 人の埋 葬に 巫者 (小 巫(33}

が 関 わっ てい るこ と

,「

処 (

役所)

告げず

に 埋葬 した場 合

埋 葬の際に呪 術 を行っ た 巫

処刑 (

さ れ るこ とが

さ れ てい る。 この

天 盛 』の 記 述 か らは 当 時の西 夏 社 会に於い て

巫 者の呪 術が重 要 な もの と

なさ れ てい た こ と が うか が える。

 

前 述 した よ

に 『

宋史』

夏 国

に よ ればタ ング

ト人 は

祝 (

を尚ぶ

とされて い る。

氈)

とい

う字

につ い て

文海

』の記 述を見てみ る と

「呪

讖 )は呪 詛の声である。 呪 詛 な

の上で

罵言す

ので

海 』:

302)」

とい

記 述 や

「糀

」の字

につ い て

鬼に

し て呪

う所

を 埋 め た もの をい う (『文 海 』:

177

」 とい

記 述が見 られ る。 これ に よ るとタン グ

ト人 は呪

た め に穴の 上で罵っ た り

呪っ た ところを 埋 め た り してい たことが

か る。

 

この

呪 詛

新 唐 書 』 巻

216

吐 蕃 伝

中 華 書

局標点本 p,6072)

に そ の

風俗

と して

呪 詛に習 れる

習 呪 詛

」と述べ られ

宋 史

492,

蕃伝 (

中華書

標点本 p.14163)

呪 詛 を 信 じ

或いは以て決 事 す

呪 詛

,或

決事)」

さ れ てい る こ と から分 かる よ

代 チベ ッ トと共 通 した 慣 習である。 「呪 詛 」に関し て 『天盛 』に は幾つ かの記 載 が 見 られ る。

』 巻

11

「矯 誤 門 」に は 「呪 術

法 事 」 を以て人 を殺

す,

あるい は

つ けた場

の罰 則 が

め られて い る04)。 ま た 『天 盛

「矯 誤 門 」に は

,「

々 の人々 に は

教道 (

え導

くこ と ?

お よ び呪 術

漢 語

……

等 を 行

こ と を 許 さ ない

HHB

 

No .176 (

49−

8

)」

とい

うも

のや

,「

諸々 の婦 人に は男の人の とこ ろへ 行っ て呪 術 を

した

り,食物

雑物

らすと は許 さ ない

MHB

 

No .176 (

49−9))

」とい う条 文 が 見 られる よ

これ らの

条文

か ら は

, 『

』 制

当 時の西 夏 社 会で 「呪 術 」 が

般 的に

われ てい た

か が わ れ る。

お わ り

崇 宗

仁 宗

時代

と土

着 信 仰

 

以上に 見て きた ように

カ ラホ ト出 土 西 夏 語 文

文海』, 『

義海』

, 『

, 『

理 』

そ して 石

刻史

料の記 述 か らは西 夏の土 着 信 仰に関 する

々 な

記載

こ と が出 来る。

文 海 』は

崇宗 (

李 乾 順

在 位

1086 〜 ll39 年),

『義

海』,

『天盛

』, 『

理』は

仁宗

時 代に刊 行

制 定 さ れ た もの である。 では この時 代は どの ような 時 代であっ たの だろ

 

崇宗,仁宗

時 代

ll

世 紀 末

〜 12

世 紀 末

には

孔 子 を

とし て祀る こ と

,「

漢 太 学

える

養成機

関 ?

」 を重ん じる こ と

「内 学 」 を 作

り儒者

に 運

さ せ る こ と な どの儒

教教育振

極 的 に推 進 され た。 この時

代,

遷に よっ て西

は北

と国 境 を接 す る こ と がな くな り

代わっ て華 北 を支 配 し た 金に

して は

友好政策

をとっ た こ とで

対 外 的に 概 して平 和 な 状 態にあっ た。 その ことに よ

充実

西

文 化の隆 盛 期 を迎 え た とい わ れ る

中 島 敏

1936

,413−416 )

。 し か し

,松澤博 (

1982

323)

方で仁 宗の 時 代 は 地 震や

31

(6)

西 夏着 信 仰関す

考 察

饉,

そ し て 反

な ど に よ

り,国

に は政

安定

ず.絶

権崩壊

ee

〔SS〕に

し てい た こ と を

摘し てい る。

 

文化

的に は 西夏

漢語

語集

番漢

時掌中珠

(36)

や類

『類 林

』,

兵 法 書 『六 韜

な ど

漢籍

の西

語 訳

司 馬

光 (

1019

1086

年)

など

の人

文章

抜粋

し て西

夏語訳

した

官箴書

徳行集』

な ど が

刊行

さ れ る な ど

西

者層,知識

人 が

儒教

をは じ めと

に 高い関 心 を持 ち

そ れ ら を 旺

容 しよ

とした時

である

佐藤 2006,123)

。 また チベ ッ

トよ りカルマ カギュ  

Karma

 

bka’

 rgyud 派の祖 師 ドゥ

ス ムケン パ

Dus

 

gs

  m  

yen

 

pa (1110〜

ll93

年 )の弟 子ッ ァ ンポワコ ンチョ クセ ンゲ

gTsang

 

po

 

ba

 

dKon

 mchog  seng 

ge (

〜 121811219

年)

を迎 えチベ ト仏 教 が 伝 播 した(37 ) そ し

ベ ッ ト語や漢 語 か ら西 夏 語 に訳 され た仏 典

漢 語 仏 典が

数 刊 行 さ れ た。 仁 宗 時 代 は現 存 する西 夏 語 訳 経 典の殆 どがこ の時 代 に翻 訳

もしくは校 訂さ れ るとい

西 夏 最 大の訳

校 訂 期であっ た

松 澤

1986,

24 )。 また

仁 宗の時

の乾

15

年 (

ll84

には 西 夏 語

漢 語 仏 典

5

1

千 余 巻 が 印 造 され

ま た そ れ と 同 数の仏 画

,数珠

製作

さ れ

,官吏,僧,民

間に

さ れた。 そ の

5

年後

の乾

祐 20 年 (

1189)

には

7

昼 夜 に及ぶ

大法会

挙行

さ れ

西

夏語,漢語

10

万巻が

造さ れた。

 

その ような時 代であっ た に も関わ ら

ず,崇宗,

時 代に刊 行

制 定さ れ た官 刻 本 『文 海 』

義海』, 『

天盛

』,

私刻本 『

道理

に土

着信仰

関す

々 な記 載 を見 出 すことが 出 来

ま た

西

夏黒水橋碑」

の中で

仁宗

い て

,神

霊に対し て呼 びかけてい る文 言 が 見 られる こ とは

,崇宗,仁宗時代

の西 夏 社 会で は

恐 ら く支 配 者 層や

般 民 衆 を含 め

な お も土 着 信 仰 が

強い

影響力

っ て

存在

してい た こ と を示 し てい るの で は ない だろ

か。 西 夏 語

漢 籍 史

述 か ら は そ

い っ た ことが読み

れ るとい えるだろ

略号表

史料

『夏 漢』 (李 範 文 1997 ) 『俄 蔵』

克 恰諾夫

1996−2007

) 『義 海』 『聖 立義 海 』(『俄 蔵』

10

巻収 録)

中 国語訳 (克恰 諾 夫

1995

ロ シ ア語 訳 (Kb・qaHoB  1997

。 『金 史』 (元)脱 脱 等 撰

中 華 書 局

1975年

      (後 晋 )劉陶 等撰

中華 書 局

,1975

年。 「新 唐 書』 (宋)欧 陽修

宋祁 撰

中華 書局

,1975

年。 『隋 書』 (唐 )魏徴

長孫 無 忌 等 奉勅撰

1973 年

『宋 史』 (元)脱 脱 等撰

中華書局

1985 年

『天 盛』 『天 盛 旧 改 新定禁令 』 (『俄藏』

8

巻収録)

ロ シ ア語訳 (

Kbi

・iaHoB 1987

1989 >

中 国 語 訳

      聶

1994

2000

)。 『道理』 『新 集錦 合 道理』 (『俄蔵 』

10

巻収録)

中 国 語 訳

1993

)。 『文 海』 (史

黄編 1983

『夢 渓筆 談』(宋 )沈括 著

胡 道 静 校 証 「夢 渓 筆 談』上 海 古 籍 出 版社

,1987

年。 『遼史 』(元) 脱 脱 等 撰

中華 書局

1974 年。 HHB

  ロ シア科 学ア カ デ ミ

東 方 文献 研 究 所 資料整 理番号

(7)

     

西 夏の土着 信 仰に関 する

考 察

文献表

荒 川  慎 太 郎

 

1997

 

「西 夏 語通 韻 字典 」 『言 語 学研 究』

16,

pp

1− 151

 

1999

 

「夏 蔵 対 音資料 か ら み た 西 夏語の声 調 」 『言 語 学 研 究』

17−18,pp.27−43

。 岡 崎  精郎

 

1956

 

「西夏の民 族 信 仰につ い て 」 『古 代 学 』 5

1

pp

12

21。 (後 「タン グ

トの民 族 信 仰につ い

     

て」と改題 して 匚岡崎 1972:319

335 ]に 再録 頁 数はこれ に拠っ た

  1972   『タン グ

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  2003 

「西夏 法典 貿易 関連条文 訳 注 」『シル クロ

ド と世界 史』 大 阪 大学

21

世 紀

COE

プロ グラム

      PP

197−2560

  2006   「西 夏の用 語集に現れる華 南産の果 物

十二世 紀 後半にお ける西夏 貿易 史の解明の 手 が か り

     

として

内 陸ア ジ ア言 語の研 究 』21

,pp.93−127

  2008a 

「西夏の 二 つ の 僚 集 団

十二 世 紀 後半にお ける官 僚登 用 法

」 『東 洋 史 研 究 』

66−3,

         

pp.

34_66

 

2008b

 

「ロ シ ァ所 蔵西夏 文 『天盛禁令』 刊 本の公 開 断片」『西 北 出 土文 献研 究』 6

 

pp.

55

−62

佐 藤  貴保

赤 木  崇 敏

坂尻   彰 宏

呉 正科

  2007 

「漢 蔵 合 璧 西 夏 「黒水 橋碑 」再 考 」 『内 陸アジア言語の研 究』 22

pp

1−37

。 史 金波

 

1999

 

「西 夏文書と西夏 史 」 『史滴 』

21,

ハ ン

ゲレ ル ト 訳, pp

49

55。 島田 正 郎

 

2000

 

「西夏 法典 初 探

その九 官 牧

」 『法 律 論 叢 (明 治 大学 )』 73

−1,pp.

 

87−

145

(再 録 :[島田       2003 ]

頁 数はこれに拠っ た)   2003   『西夏 法 典 初探 』 創 分 社 中 島   敏

  1936 

「西夏に於け る政 局の推 移 と文 化 」 『東 方 学報 』

6

(再 録 ;『東 洋史 学 論 集

宋 代研究 史と その

     

周辺

』 汲 古 書 院

 

1988 年

pp

399

423

頁 数はこれに拠っ た) 西 田  龍 雄

 

1988

1990

 

「西夏王 国の 文 化 」 『出 版 ダ イ ジェ ト』二 玄社 西 田 1997 ]に再 録 頁 数 はこれ に       拠っ た)

 

1989a

 

「西 夏 語 」『言 語学大 辞典』 2

三省堂

 

pp,

408−429e

  l989b 

『西夏文 字の話』大 修 館 書店  

1997

  『西 夏 王 国の言 語 と文 化』 岩 波 書 店 松 澤(野 村)  博

 

1982

 

「西夏 文 『新 集 錦合 道理 』につ い て」 『小野 勝年博士 頒寿記 念東方 学 論 集』龍 谷 大学 東洋 史学

     

研究 会

pp

317

357。

  1986 

「西 夏 仁 宗の 訳 経につ い て

甘 粛 省 天 梯 山 石窟出 土 西 夏経を中心 とし て

」 『東 洋 史苑 』          26/27

 

pp.

1

_

310 間 野   英二

 

2007

 

「バ

ルの神 」 『龍谷 大 学 論集』 469

,pp,

79−115

。 向本 健

 

2006

 

「西夏の 仏 教 とその政 治 的背 景」 『大 谷 大 学大学 院 研 究 紀 要』 23

pp

113

135

  2007 

「西夏に お け る 黒水 城と敦煌の仏 教 文 化につ い て

弥勒 信 仰 をて が か り に

     

『黒 水 城 人 文 与 環境研 究

黒水城 人 文与 環 境 国際 学 術 討 論 会 文 集』 中 国 人民大学出版社

         pp

354−3690

       

33

(8)

     

西夏の土着信 仰に関 する

考 察

護  雅夫

  1985 

「突厥の信 仰 」 「三 上次男 博士喜 寿 記念論 文 集 』三 ヒ次男 博士 喜寿記 念 論 文 集 編 集委員会 編

     

pp

304

319

 

(再 金乗:

1992

])  

1992

  『古 代トル コ族史研 究』 2

中文)

克恰 諾 夫

李   範文

羅   矛 昆   1995   「聖 立義 海研 究 』 寧夏 人民出 版 社 史 金 波

 

1988

 

『西夏仏 教 史略 』寧夏人 民出版社

 

2004

 

「二 十 世 紀 西夏 宗教 研究 」 『二 十 世紀西夏学』 寧夏 人 民 出 版 社

,pp.

86

102

 

2007

  『西夏社 会 』上

上海人民 出版社

史 金波

魏   同 賢

・E.

Z .

克恰 諾 夫  編   1996

2007   『俄 羅 斯 科 学 院 東 方 研 究所聖彼 得堡 分所 蔵 黒水 城 文獻 』上海古 籍出 版 社

1

12巻

史   金 波

白  濱

黄   振 華   編  

1983

  『文 海研 究 』 中国社 会 科 学 出版社 史 金波

聶  鴻 音

白 濱 訳

 

1994

 

『中 国珍稀法律 典 籍 集 成

 

甲 編 第五冊

 

西夏天盛律 令 』 科 学出 版 社 史 金波

聶  鴻 音

白  濱 訳 注  

2000

  『天盛 改旧新 定 律 令』 法 律出版社 沈   衛 栄

 

2007

 

宗 教 信仰 和 環 境需 要 :十

至 十 四 世 紀 蔵 伝 密 教 于 黒水城 地区的流行 」

     

『黒 水 城 人 文 与 環 境 研 究

黒水城 人文 与 環 境 国際 学 術 討 論 会 文 集』中 国 人 民 大 学 出 版社

         

pp.

310

327c 張 雲

 

1989

 

「論 吐 蕃 文 化 対 西 夏 的 影 響 」『中 国 蔵 学 』1989

2

,pp.

114

131

張  迎勝

  2006 

「西 夏 人 的 天 神 崇 拝 」『西夏研究』第

3

pp

290−299

 

2008

 

「西夏人的 自然崇 拝管窺」 『第三届 西 夏 学 国 際 学 術 研 究会論 文 集』

pp.

85

90。 陳   永 腔  

2006

  「西夏 法律 制 度研 究 』民 族出版社 陳 炳 応   1993   『西夏諺 語」山 西 人 民 出 版 社 湯 開建   2005   『党項 西 夏 史探 微 』 允晨 文化 白  濱

 

1983

 

文 海》 所反映的 西夏社 会 」 『文 海研 究 』

pp.

31

64

李  範 文  

1997

  『夏 漢字 典』 寧夏人民出版社

Clauson

 G

 

1972

 

An Etymological 

Dictionat

 ofPre

Thirteenth

CentuTy Turkish

 Oxford

Kveerne

 P

(9)

西 夏 着 信 仰関 す

1(Llqa 臼OB

 E

レ1

  1987

−89 

− aueHeHHbni  u 3aHo60  ymeep[nc∂eHHblfi κo∂eκc ∂eeuea  nlapcmeoeaHtLg HebecHoe  nponleemaHue

      (

1149−ll69

4TOM,

MOCKBa.

 

1997

 

吻 e 3na ”eHufi

アctnaHoeneHHbtx  eB”mb 肌tu

 

CaHKr−HeTep6ypn

Nebesky−WojkowitZ。

  1956  

0raeles andDemons  ofTibet

 The Hague

Roux

 J

 

R

  1956  

Tangri.

 

Essai

 sur 

le

 ciel

−dieu

 

des

 peuples alt包iques

 

Revue

 

des

 

l’

histoire

 

des

 retigions

 Tome  CXLIX  et          Tome  CL

Stein

 

R .

 A

 

1951

 

Mi

 nyag  et  

Si−

Hia

 

Geographie

 

historique

 et 

l6gendes

 ancestrales

 

Bulletin

 

de

 

l

 

Ecole

 

fran

¢ aise

     d

 

Extr6me

−Orient.

 pp

223−

2650

1

) (2) (3> (4 ) (5)

6)

(7) (

8

) (

9

) (10) (ll) (

12

) 西 夏の成立年 代につ い ては 諸 説 あ る。

般 的に は李元昊が 「大夏 皇帝 」 を 自称し た

1038

年説が 採 ら れてい る が

本 稿で は佐 藤 貴保 (2003

198)に従い 実質 的とい え る982 年説を採 るこ と とする。 最近では 西夏語 法 典 を利用 した佐 藤 (

2003

2006

2008ab),

小 野 裕子 (2008 ) などの研 究が発 表 されてい る。 『文海雑 類』

『文 海 宝 韻』な ど幾つ かのバ

ジョ ンが存 在 する。 『文 海』に見 ら れる西夏の土着 信 仰 に 関する語彙につ い て は (白濱 1983 )の 中で紹 介 さ れてい る

松 澤 博 (

1982,317

)はこ の文 献 につ いて 「タ ン グ

ト族

或い は西夏国の市 井で の金 言

裡 諺と い っ た 土俗 的 な物 を詩 文型式ま高 め た物 」と述べ てい る。 西 田 (1982

342

)によっ て指 摘さ れ てい る よ

この文 献は表現が簡 潔であ り格助詞な どは省 略さ れる こ とが多く

内 容のつ な が り を 読 み 取 ること が難しい

しか し

西夏の

般 社 会を 知 る 上で第

級 史 料で ある ことは松澤 (

1982,

343)

の指 摘する とおりである。 松 澤 (

1982,332

)は私 刻本につ いて

t

啓蒙書 とし て の使 命を もっ て

官刻本の 内容が余 りにも高 度で到底理解できない が 十 分 理 解 出 来 る よ内容を 主 とし て編纂さ れ た と述べ てい る

全 15巻の内

部を欠 くもの の西 夏の自然 社 会状 況 が詳述 さ れてお り

西 夏の 歴 史や社 会を研 究 する 上 で重要 な 史 料 と さ れてい る (史金波 1999

54)。 目次 2巻

本 文全

20

条文 総

tw

 1400 余条

西夏 語さ れ 。 分 野 別 に 関 連 する規定を 「門」 ご とに まとめ

条 文が箇 条 書 きで並べ られ る 写 本ほ か刊 本 (胡 蝶装 )が 現

専 ら 研 究に は刊 本が 用い ら れ る。 西 夏の法 制

社会

経 済 史の 実像に 迫 る た めの重 要 な文 献である と 指 摘 されてい る (佐 藤 2003

199 )

これ らの文献は現 在ロ シ ア科 学アカデミ

方文 献研 究所 (旧東 方 学研 究 所サンク ト

ル ブ ル ク支 部)に収蔵さ れてお り

写真 版が 『俄蔵』シリ

ズ ので公開さ れてい る。 本 稿に おける西夏語 推 定 音の記 は 荒 川慎太郎 (1997;1999 )に依 り

西 夏 語文 献の引 用は発表 者 自身の和 訳を用い る (工具書と しては 『夏漢』を使用 した)。 使 用 し た版本

参 照し た訳 本は 「略号 表

史料 」の項 目にまと めて 記 載 した。 な お 西 夏文字に は今 昔 文字 鏡フ ォン トを 使 用 し た

蓋し西 戎の俗

居 る所の正寝

常に中に

間 を留めて以て神 鬼 を奉じ

敢えて之に居 らず。 之 を 神 明と謂 う。 (蓋西 戎 之 俗

所 居 正寝

常 留 中

間 以奉 神 鬼 不敢居 之

謂 之 神 明

) (上海 古 籍 出 版 社 本

p.613

) この 「機 鬼 」 とは 「自然中に存 在 する神 」を意味 す る と考え ら れる

篤信 機鬼 尚詛 祝。 (な おこ こに 見 られる 「祝 」は 「呪 」の誤 りで あ る と考え られる)

35

(10)

西 夏信 仰 に 関 す る

考 察

13

) (

14

) (15) (16)

17

(18) (19) (

2

 ) (

21

) (22 ) (

23)

(24 ) (25 ) (26) (27 ) (28 ) (29 ) (

30)

31

) (32 ) (

33

) (

34

) 西夏 皇 帝 を輩 出する タング

ト平 夏 部 嵬 名氏 族 は9世 紀 前 半 まで は拓 跋 とい う氏 族 名を名 乗る が

黄 巣の乱 鎮圧の功に より唐 朝より李姓 を賜 る。 李 元昊は自らの姓 名 を 「嵬 名 吾 祖 」と改め た と 「宋 史』夏国伝には 記 さ れてい る (中 華書局標 点 本 p

13993 )。 西 夏皇帝が発願者と なっ た 仏 典で は西 夏文

漢 文仏 典ともにみ な 嵬 名 姓の み を称し てい る

現 在

張 掖 市 甘 州 区博 物 館に収 蔵さ れてい る。 この 「西 夏 黒 水橋 碑 」の詳 細に関 して は佐 藤

赤 木

坂 尻

呉 (

2007

)を参照。

ilha

 

dang1

k

1u

i

lha

 

dang

shing sa]lha la sogs  

pa.

fbdaggi bka

nyon  cig

「西夏 黒水 橋 碑 文 」の碑 文テキス ト

訳は佐藤

赤 木

坂 尻

呉 (2007

8−23

)の もの に拠っ た

また こ の碑 文に見ら れるような 西夏に於け る 自然 崇 拝 につ い て は張迎勝 (

2008

)を参 照。 西夏 語 原 文の語 順は 「神 (彼)」 「文字

D

」のである。 西夏 語原文の語 順は 「官 (糴 )」 「巫者 (矮)」で あ り

史 (2007

815

)の解 釈 する ように 「官に 属 する 巫者」とい う意味と考え ら れ る。 『天盛』の条文に土着の信 仰 が 反 映 されてい ることにつ い て は

楊 (2003

247

−253

2004

100 >が指摘 して い る。 三年

聚會

殺 牛羊以祭天。 張雲 (

1989,

 19)は

この記 述と漢籍 史料に見ら れ る 吐 蕃の祭 祀 との 類 似を述べ

西夏 文 化にお ける ボン教の影 響につ い て言 及 し てい る

西 夏に おける天 神信 仰につ い て は張 (2006 )を参照

例えば突 厥 など でも 「天」を 意味 する 「テン グ リ

Tangri

」とい う言 葉が 「空

天」

「天神 」の 両 義で用い られ

天 その ものが 神 とみ な さ れた。 テ ン グ リ につ い て は

Roux

, J

 R (1956)Clauson

 

G

(1972,523

524)護雅夫 (1985 )

間 野英二 (

2007

) 等を参照

『義 海』の記 述 に よる と

8

月は酉

,10

月は亥

11 月は子

12月 は 丑 に 属 す。 なお西 夏の十二 支 は寅→ 卯→ 辰→ 巳→ 午→ 未→ 申→ 酉

丑の

JII

頁に進む (西 田 1988

89

356 )。 『文 海』に は 「天 (駮 )は 天 聖 (皸轍 ) な り。 賢 聖 (奴

AI

) な り。 聖 なる もの の宮殿なり。 聖 霊 な り。 ヒ ャ ン (臠)なり。 (『文海 』:194

」 とある。 『文 海』には 「ヒ ャ ン (衡 ) は 賢 聖 (奴 彡

1

) な り。 神 (婚 )な り

聖 なるもの の 宮 殿 な り。 (『文 海』:192)」 と記 さ れ てい る ように 「ヒャ ン (蘭 )」は 「賢聖

cntAl

)」

「神 (籍)」

「聖 なるもの の 殿 」と同 義とされ る。 『文 海 雑 類 』に は 「聖 (

ma1

)は聖 なるもの の宮 殿 な り。 賢聖 (奴 豹 なり

神な り

聖 霊 (玻 彼 ) なり

天 聖 (賊嬢 ) な り。 ヒャ ン (儕) なり。 (『文海 』:

330 〜 33D

」とある。 奔 遁 するを 耻 とせず

敗れれば三 日に し て

輒ち復た其の處に至

tl

 

捉 え之を射

號 して 「殺 鬼 招魂 」と 日 う

或い は草人 を縛 りて地に埋 め

衆 もて射て還る (不 恥 奔遁

敗三 日

輒 復至其 處

捉 人 馬射之

號日 「殺 鬼招魂 」。 或 縛 草 人 埋 於 地

衆 射 而 還 ) 『遼 史』 巻

115,

西夏 外 記にも 「若 し 人 馬 を獲 る と

之を射

號して殺 鬼 招 魂と 日う。 或い は 草 縛の 人を射つ (若 獲人馬

射 之

號日殺 鬼招 魂。 或射 草縛 人 )」 (中華 書 局標点 本p

1524 )とい う記述 が見ら れ る

病 者 不 用 醫 藥

召巫者 送鬼。 西 夏語以 巫為 「厮 」也

西 田 (1999

427 )は

この 「厮 」を西 夏 語の 「清浄 な 備

」に 比定する。 不知醫藥

疾 病召巫覡視 之

焚 柴聲 鼓

謂之 「逐 鬼 」。 (清 )呉 広成 撰

道 光

5

年 (1825 >に 刊行さ れ た。

881

1231 年 までの西夏の 事績 を 編 年 体 で記 してい る

内容 に 現在 散 逸して伝わっ てい ない 史 料を含む もの の

その 出 典 が 明示され てい ないに 使 用に は注 意を要する

西夏語 原 文の語順は 厂巫者 (緞 )」 「小さい (鯒)」で あ り

白 (

1994,371

)は 「小 巫 」 と解釈す る。 恐 らく 「身分の低い巫者 」を 意味 するので は ないか と考 えられる。 『天 盛』巻 1 「為 不道門」に は故意の殺 人

傷害に関 して の規 定が記さ れてい る。 これ によ る と 加害 者

も しくは被 害者が爵 位を持つ か 否 か

殺 人の場 合は殺さ れた 人 数

傷害の場合は傷の 度に より量刑が 決定さ れ てい る。 これ につ いては島田 正郎 (

2003

61−67

)佐藤(

2003

218

)を参 照。

(11)

西 夏着信 仰に 関

考 察

(35 ) (36 ) (

37

) 『宋 史』 巻

486,

夏国伝 (中華書局標 点 本

p.

14024

に よれ ば

西夏は 大 慶 1

年 (

1140

に飢 饉

同 4 年 (

1143

)に大地 震と飢 饉に襲われ た。 ま た 『金 史』巻

134

,西夏伝

中 華書 局標点 本

p.2869)

に は 「初め

仁 孝 (仁 宗 ) 嗣位 するや

其の臣 屡々亂 を作 す (初

仁 孝 嗣位

其 臣屡作

亂)

」と 記 さ れてい る

『番漢 合 時 掌 中 珠』が 西 夏 国 内の タング

ト人 と漢人の意 思 疎 通の為に編 纂 され たもの であるこ とにつ いて は

佐 藤 (2006

95

102) を參照。 これ に 関 してはパ ウオ ツク ラ テン ワ dPa’

 bo 

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 lag phreng ba (1504

1566 年)著 『智者の喜

宴 Chos

byung〃mkhas  

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ston

』 (1545

〜 1564

年 成立) (

KG

722

)に記 さ れてい る。 西夏に

お け る蔵伝仏 教 につ い ては史 (

1988,50−57

沈 衛 栄 (

2008

)を参 照。

参照

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