愛知県立大学 竹中研究室
彦根・長浜巡検論集
巻頭言
愛知県立大学の竹中ゼミ(地理学・現代都市論)では,現代の都市景観を長い時間をかけた変化の積 層ととらえ,その具体的な表出の有様を観察するとともに,とくに積層の中心をなす歴史地区における 市民・訪問者の営みについて考察している.市民と訪問者が交流空間としての歴史地区を使いこなすこ とによって,歴史地区が市民のプライドと観光客へのアピールをともに表象する空間へ育つ過程を洞察 し,長い眼でみた都市の持続的発展について考えるのが,竹中ゼミの大きな目標である.そのための基 礎的な観察・調査・分析能力を涵養するために,原則として半期に 1 回,名古屋近辺の都市・地域を題 材に巡検(野外調査実習)を実施している. 2012 年度は,琵琶湖東岸の 2 つの城下町,彦根と長浜を調査地に選定し,前期(7 月 14 日)に彦根, 後期(2 月 11 日)に長浜で巡検を実施した.空間とそれを使いこなす人々の長期にわたる相互交渉を 通じて現れた場所の価値を発見し,これからの可能性について考えるのが,2 回の巡検に共通する大き なテーマである.前期の彦根では,1 か月にわたる詳細な事前調査を行ったうえで,巡検当日の午前中, 参加者全員で彦根城天守閣をスタート地点として城下を幅広く観察した.午後は,3 グループに分かれ, 彦根 11 商店街のうち夢京橋商店街,銀座商店街,花しょうぶ商店街に絞って,スケッチ,土地・空間 利用調査,聞取り調査からなる集中的な調査を行った.前期巡検終了後の 8 月 9 日には,巡検を合同実 施した金城学院大学現代文化学部の齊藤ゼミとともに,全員参加で成果発表会を開催した.合同発表会 での意見交換をふまえ,本論集には,後期から留学のために休学した 4 人を除く 5 人のレポートを収録 している.後期の長浜巡検では,事前調査から巡検実施にいたるまで,3 年生を中心とする学生の主体 性に極力委ねる方針をとった.卒業を間近に控えた 4 年生にはレポート作成を課さなかったので,3 年 生 2 人および大学院生として参加した 1 人を合わせた 3 本のレポートとなっている. 本論集をまとめるにさいしては.指導教員があえて手を加えることなく,極力オリジナルの状態で公 表することにしたので,内容的に未熟な部分はもちろん,事実関係の取り違いも若干あることをお断り しておく.また,著作権に関しては,ルール違反がないよう指導に努めているが,何らかの問題が見つかっ たときは,初学者ゆえのケアレスミスとしてご海容くだされば幸いである. 2013 年 9 月 1 日 竹中克行目 次
【彦根】 彦根巡検―調査の概要(森田幸作)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3 夢京橋キャッスルロードにおける街路整備事業の現状と課題―「住民主体」のまちづくりとは(片山将司)・6 商店街の中核を担っていた銀座商店街の現在―シャッター街への変遷と問題点(南川卓輝)・・・・・12 商店街活性化に必要な要件とは―シャッター街への変遷と問題点(市川真見)・・・・・・・・・・・20 花しょうぶ通り商店街の変遷とその時代が現在に残した影響(山内和繁)・・・・・・・・・・・・・27 城下町彦根の商店街景観―花しょうぶ商店街における多様な建物の共存(森田幸作)・・・・・・・・33 【長浜】 商店街都市の個性(市川真見)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・37 継続的都市再生∼まちづくり∼の成功の要因とは―長浜の事例より,景観や活動の面から(森田幸作)・44 長浜のまちづくりと秀吉時代の城下町(岸田幸大)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・50Ⅰ.はじめに
滋賀県彦根市は琵琶湖東岸に位置する町で,江戸時 代には彦根城がそびえ立ち,その城下町として栄えた ことで知られている.面積は 196.84km2だが,図 1 の通り市域のおよそ半分は琵琶湖の面積となっている. したがって地上面積は 98.15km2である(1).江戸時代 当時のまま残っている国宝の天守閣は現代でも観光先 として有名である.特に近年は「ゆるキャラ」である「ひ こにゃん」を大々的に打ち出しており,それを目当て に彦根を訪れる多くの観光客の姿をテレビなどで目に した方も多いだろう. 今回の調査はその彦根の城のすぐ近くに位置する夢 京橋キャッスルロード,銀座商店街,花しょうぶ商店 街の 3 つの商店街にターゲットを絞り,様々な面か ら各々の商店街の彦根という城下町における役割を探 り,どのような戦略をとってきたかを詳しく調べ,そ の商店街独自の特色・個性,魅力を探ることを目的と している. 我々はまずインターネットや書籍を用いて彦根の地 理的状況及び,彦根のたどってきた歴史,現在の彦根 における人々の活動という 3 つの観点,特に調査対 象となる商店街に関連した情報という視点から商店街 における調査の前提となる知識を涵養し,その上で彦 根の現地へ赴いて観察や聞き取りなどの調査を実施し た. したがって,本論集のレポートはその前提となる知 識を得たものとして論が展開されている.そこで改め て事前調査で得た知識および実地調査の概要をまとめ 提供することで,読者の方々の巡検調査の各レポート の理解を促進するというのが本序論の目的である.Ⅱ.彦根の地理的状況,対象商店街の位置
彦根は前節冒頭で述べた通り,滋賀県の琵琶湖の南 東部に位置する.地形図(2)および Google Earth(3)によれ ば,北西は琵琶湖に面し,市中央には JR 東海道線(琵彦根巡検
――調査の概要――
森田幸作(2010 年度入学)
図 1 滋賀県内の彦根市の位置 (資料)Google Earth による. 図 2 彦根城付近の位置関係および対象地域設定 (資料)Google Earth による.彦根❶
琶湖線)が南北に走っている.新幹線も通っているが, 駅はなく,一方地方私鉄の近江鉄道が東海道線と並行 するように走っている.主要な駅は彦根駅と南彦根駅 で,後者は近年郊外地区として発達を見せている. 城の南には芹川という川が流れている.城の北部に は 1944 年まで松原内湖という湖があったが,現在で は埋め立てられ,平野が広がっている(4). 今回は調査対象地域を彦根城周辺の城下町として古 来より栄えた地域,即ちおおまかに芹川,東海道本線, 県道 517 号線,琵琶湖に囲まれた地域に絞ることと する(図 2). 対象となる 3 商店街のうち,最も城に近いのが夢 京橋キャッスルロードである.城の南東端から中堀の 橋を渡ってすぐの京橋交差点から本町 1 丁目交差点 まで北東∼南西方向へ伸びている.本町 1 丁目交差 点を左折してしばらく進むと歩道にアーケードが掛け られた商店街が見えてくる.これが銀座商店街である. そして銀座商店街を銀座町交差点まで直進して突っ切 ると,その先は花しょうぶ商店街となる(図 3).
Ⅲ.彦根の歴史,対象商店街の簡潔な歴史
彦根付近には縄文時代から人が住んでいることが確 認されているが,本節では江戸時代以降に絞って県 史(5)および『彦根 明治の古地図』(6)をもとに説明する. 関ヶ原の戦いで徳川が勝利したことで 1600 年以降 彦根一帯は井伊氏のものとなる.1604 年に現在の彦 根城の築城が開始した.その過程で,堀の建設に伴う 形で世利川(現在の芹川)は南に付け替えられること となり.以前は北の松原内湖に注ぐ形だったが,西の 琵琶湖へ注ぐように経路が変更された.したがって現 在の芹川は彦根城南西部においては人工的な直線状の 水路となっている.内堀,中堀,外堀が建設され,城 下町が形成された.城の内側から外側へ,位の高い者 から低い者へと居住区が分けられた.また,北側から 外堀東側の内側を通り,南へ伸びる,朝鮮通信使が通っ た「朝鮮人街道」があった.これの一部は現在の銀座 商店街を構成している.城の南側に見られる足軽組屋 敷はこの時代につくられたものである. 明治時代になると,武家政治の終了,中央集権化に よって彦根は明治政府に直接統治される形となり,井 伊氏の支配は終了した.それ以後,工業化によって工 場が設営されるなど,都市全体の近代化が進んだ.ま た,戦中の食糧不足を受け,終戦間際に農地造成のた めに松原内湖の干拓が行われ,現在平地が広がって いる.住宅地の建設,JR 南彦根駅の完成を皮切りに, 郊外の人口が増加し,郊外型ショッピングセンターが 開店するなど,郊外地域の発展が進んでいる. 以下は商工会議所(7)および商店街連盟(8)のウェブサイ トの情報に基づいた調査対象となる商店街の簡潔な歴 史である. 夢京橋キャッスルロードは城にほど近いことから本 町通りとして栄えていたが,現代になって自動車のた めの道路整備の必要性から道路を拡幅し,観光客向の 商店街としてセットバック,ファサード整備などが行 われたのがはじまりとなっている.「夢京橋キャッス ルロード」という名前は,このときに付けられたもの である.観光客を強く意識した商店街となっており, 江戸町屋風の景観で統一されている. 銀座商店街は江戸期より商店の集合昭和期に地元小 売業者が集って地元民向けに整備されたものがはじめ である.外堀が埋め立てられると,幹線道路となると 同時に,より広い範囲が 1 つの商店街として成立した. この時に「銀座」という名前がつけられた.近年はアー ケードの整備,コミュニティ道路化などが行われた. しょうぶ通り商店街は町割の外側部分に位置し江戸 時代は町人や下級武士の居住地となっていた.戦後は 「上恵比須商店街」という名前で商店街となっており, 周辺地域を含め近世の建物が多数現存していることが 図 3 対象商店街の位置関係 (資料)Google Earth による.現在でも大きな特色となっている.1990 年代後半以 降町興し事業が立ちあがり,市の商工会議所と住民が 主体となって古民家風のファサード整備事業,「花しょ うぶ商店街」命名などが行われた.「ふるあたらしい まち」というコンセプトのもと,近年では「戦国商店 街」という方向性を打ちだし,新たな方向を模索して いるとされている.
Ⅳ.人口動態,産業,市政
彦根市の人口は公式ウェブサイト(9)によると 2012 年 11 月現在 112,789 人であるが,現在でも増加傾向に あるという.また年齢別人口においても大きな隔たり は見あたらず,20 ∼ 50 代の生産年齢人口が半数を占 め,バランスが取れているといえる.男女間において も人口に有意な差はみあたらない(10). 彦根市の昼間人口と夜間人口の比はほぼ 100% 強で 推移しており,市外へ仕事や学業のために出かける人 はそれほど多くはなく(11),極端なベッドタウンや商業 都市といった様相は見られないと推察される.しかし, 彦根から大津や京都方面への従業・通学者が一定数観 察される一方で米原や東近江といった近隣市町村から 彦根へ従業・通学する人口がみられる(12)ため,西方面 へのベッドタウン的要素を持ちつつも,近隣市町村か ら彦根への通学・従業者によって数字上相殺されてい ると考えることもでき,ベッドタウン的側面と産業都 市的側面の両者を彦根は持っていると結論付けること ができる. 歴史の項でも述べたように,以前は工業が盛んで あったが,現在ではむしろ衰退傾向にあり,大工場が ショッピングセンターなどに転用される例が見られて いる.第三次産業の事業所が 6 割弱と,転換が進ん でいるようである. 彦根市は都市全体の施策に関する大枠の方針であ る「マスタープラン」を作成している.これは彦根市 の公式ウェブサイトか(13)からアクセス可能である.市 民アンケートなどの調査による実態把握をもとにして, 都市計画の目標を策定している.城下町地域について は道路や駐車場などの整備から商業活性化方針など, 空洞化対策に関する基本的な方針が定められているが, あくまでハードウェア的(土木建築物に関する)施策 のみにとどまっている.しかしながら,「実現の方策」 という点では市民の参加,行政との協同といった「ま ちづくり」について触れられている.Ⅴ.調査の概要,調査方法
最後に,実地調査の概要を示しておく.筆者を含 めた 9 人は彦根城周辺に赴き 3 商店街を 3 人ごとに 分け調査を行った.今回レポートの執筆を担当した 5 人では片山が夢京橋キャッスルロード,南川が銀座商 店街,山内,市川,森田が花しょうぶ通り商店街を担 当した. 具体的な調査内容は商店街ごとに異なるので各レ ポートに譲るが,いずれにおいても景観観察と商店街 店主をはじめとする地域の人々への聞き取りを軸にし て展開した. 注 (1) 彦根市公式ウェブサイト:http://www.city.hikone.shiga. jp. (2) 国土地理院 『地形図 彦根西部』. (3) Google Earth:http://earth.google.com. (4) 畑中誠治ほか(1997)『県史 25 滋賀県の歴史』 山川出版社. (5) (4)に同じ. (6) 彦根市教育委員会市史編纂室編『彦根 明治の古地図』. (7) 彦根商工会議所:http://www.hikone-cci.or.jp. (8) 彦根商店街連盟:http://www.hikone-kiina.jp. (9) (1)に同じ. (10) 総務省統計局『国勢調査報告』1990 年/ 2000 年. (11) (9)に同じ. (12) (9)に同じ. (13) (1)に同じ.Ⅰ.はじめに
彦根は日本の歴史における主要な争いの場となって きた.壬申の乱では鳥居本が,応仁の乱では六角氏と 京極氏の争いにおいて彦根市北西部にある佐和山が両 者の境となった.1567 年(永禄 10 年)に織田信長 が佐和山に入城し,本能寺の変後は佐和山城がかの石 田三成のものとなる.1600 年(慶長 5 年)に関ヶ原 の合戦の戦場となり,徳川四天王の 1 人とされる井 伊直政が石田氏の後を継いだ.その数年後彼の嫡子直 継が彦根山に築城し,以降現在の彦根市中心部は井伊 家 35 万石の城下町となるのである(NPO 法人 彦根 景観フォーラム編,サンライズ出版,2006).江戸時 代末期にアメリカと日米修好通商条約を結んだ井伊直 弼もこの彦根の人物である.中山道や朝鮮人街道も彦 根を経由する.さらに江戸時代の彦根城の城下町の形 態が現在の都市にも受け継がれている. そして近年の歴史ブームやゆるキャラブームに乗 り「ひこにゃん」という井伊家ゆかりの招き猫をモ チーフとしたキャラクターで彦根は話題となった.ひ こにゃんに続いて関ヶ原の合戦で活躍した石田三成を モチーフにした「いしだみつにゃん」やその家臣で あった島左近の「しまさこにゃん」というキャラク ターもつくられた.そんな歴史あふれる都市彦根には 彦根城の他に夢京橋キャッスルロードという観光名所 がある.数 10 年前まで彦根の他の場所とも変わりな い地区であった.しかし,現在では「街角ルネサンス OLDNEW TOWN」というキャッチフレーズを掲 げる彦根観光のメインのひとつとなっており,そうな らしめた街路整備事業は多くの町の見本となっている. さらにこの事業は住民が一体となっておこなわれたも のであるとして,一定の評価を得ているのである. 本レポートはこの夢京橋キャッスルロードの街路整 備事業を研究対象とし,どのような形で住民がまちづ くりに関わったかを考えるものである.研究方法は巡 検の際手に入れた観光パンフレット,商店街の各店舗 への聞き取り,また街路整備の詳細については彦根商 工会議所,国土交通省のホームページを中心に,その 他 木市の web 資料を参照した.以降現在の夢京橋 キャッスルロードと整備以前の姿と比較したあと,整 備事業の概要とその効果を考察する.また本レポート に掲載されている写真は出典が明記されているものを 除き,筆者が巡検当日に撮影したものである. 図 1 商店街マップ (資料)OLD NEW TOWN 夢京橋キャッスルロードホームページより.夢京橋キャッスルロードにおける街路整備事業の現状と課題
――「住民主体」のまちづくりとは――
片山将司(2009 年度入学)
Ⅱ.現在の夢京橋キャッスルロード
夢京橋キャッスルロード(以下,夢京橋商店街も しくは,他の商店街と区別できる場合は商店街とす る)とは彦根城南の本町にある商店街である(写真 1). 1985 年から始めるこの地域の都市整備事業を経て, 江戸時代の城下町を再現した現在の姿となった.南北 約 350 メートルの商店街は江戸町屋風の建物が立ち 並び,多くの観光客が足を運ぶ場所となった.商店街 のホームページによると,宗安寺を含む 33 店舗が軒 を連ね,そのうち約 3 分の 1 が飲食店である(図 1). 多くが近江牛や琵琶湖の鮎を使ったレストランや地元 産業の商品を扱う一方,大阪名物のたこせんを扱う店 も見られる.このように整備事業以前からそこにある 店と事業後に入った店が混在し,観光客向けの店がほ とんどである.もっとも彦根城に近いところにある「夢 京橋あかり館」は第 3 セクターとして運営されており, 観光案内所としての役割を持っているようだ.店に来 る客層の多くは彦根城からの観光客である. 都市整備事業が終わる 1999 年には彦根城に訪れ た 60 万人のうち,45 万人が夢京橋商店街も訪れてお り,彦根観光地の 1 つとして定着している.ひこにゃ んが全国的に有名なマスコットになったこともあり, 2008 年には「ゆるキャラまつり in 彦根」がこの商店 街をメイン会場として開かれた.旧城下町の中では比 較的広い通りに面し,巡検時には近くの高校からの帰 り道と見られる学生もおり,地元の人々もここを利用 しているようだ.Ⅲ.都市整備以前の夢京橋商店街
と街路整備事業
先に述べたように,1600 年関ヶ原の合戦で徳川が 勝利し,直継が彦根山に城を移してから彦根の城下町 としての歴史が始まる.築城とともに城下町の建設も 始まったのだが,その起点となったのが現在夢京橋商 店街のある本町のあたりである.城の中掘りと外堀の 間に位置し,当時は城に納品を行う商人が居住してい た(1).明治に入り軍部の管理下に入り,取り壊しが決 まっていた彦根城だが,明治天皇の北陸巡幸を機に保 存されることとなり,同時に城下町の形態を存続され ていくこととなる. 太平洋戦争時に大きな戦災を被ることなく,都市を 再開発する必要がなかった結果,この景観はそのまま 保持されることとなった.しかし歴史的景観という価 値を残す一方で,城下町が持つ特有の狭い街路が古 い都市を維持していくために必要な整備を妨げる原因 ともなっていった.また周辺地域の都市開発の流れに も取り残され老朽化した建物が並び,人口も減少して いった(写真 2).このときの街路幅が城下町建設当 時のままの 6 メートル(2)であり,自動車が移動の主な 手段となっていく時代の流れに対応できなかったので ある.これらの問題を解決するために昭和 60 年に彦 根市が街路事業を提案した.Ⅳ.整備事業の概要
1985 年から始まる整備事業は,①シンボルロード 整備事業,②街並み・まちづくり総合支援事業,③ま ちなみ再生事業の 3 点に分けられる(3).城下町が現代 に抱える問題を解消しつつも,その景観が失われない 写真 1 現在の夢京橋キャッスルロード (資料)彦根商工会議所ホームページより. 写真 2 整備事業前の商店街 (資料)商店街内の観光案内版筆者により撮影(看板に用いられ ている写真は撮影者不明).ように配慮された. 整備前の商店街は街路幅 6 メートルで自動車と歩 行者の道路が分離しておらず,自動車同士がすれ違う ことも困難であった(写真 2).整備事業はまずこの 街路を拡張することから始まり,照明や植栽にまで及 んだ.①のシンボルロード整備事業では片側 1 車線, 歩道を含む 18 メートルにまで拡張された.筆者が実 際に歩いてみたときは両側に店舗があるにもかかわら ず横断歩道が少ないため,信号のない場所を横断する 歩行者が散見されることが気になる以外は休日にもか かわらずじっくり歩きまわることができた.また,② の街並み・まちづくり総合支援事業として,歩道に彦 根かるたのレリーフがあしらわれ,休憩場所としてポ ケットパークが設置された.他にも大きな公衆便所が 置かれている.また,歩道舗装に花崗岩の敷石を用い, 照明も景観を損なわないような黒を基調とするデザイ ンが採用された. ③まちなみ再生事業は商店街の店舗を城下町にふさ わしい外装にするためのものであった.屋根は燻し瓦 が採用され,壁も白や黒,灰に制限され,窓には木の 格子がはめられた.さらに建物の高さによってバラつ きが生じないように 3 階建てまでと決められ,2 階建 てなら歩道から後ろに 2 メートル下がった場所,3 階 建てなら 5 メートル下がった部分に建築しなければ ならない.高さ制限もあり,2 階建て以下なら 10 メー トル,3 階建てなら 12 メートルと定められている. これらは江戸町屋風の建物をイメージしたものであり, 確かに時代劇で見るような景観となっている(図 2). さらに電柱が地中に埋められたため,電線や電柱が視 界に入ることもなくなった.元々佐和山にあった宗安 寺は彦根城築城とともにこの本町地区に移転した.寺 社の持つ外見的特徴から,整備された周辺の歴史的景 観に悪影響を与えるものとはなっていない. これらの整備事業にかかった費用は約 37 億 6000 万円である.これには商店街の建物の改築費用も含ま れている.江戸時代の城下町をイメージした商店街に するために各店舗のファサード整備が必要となった. 各店舗が宣伝のために個性を出しすぎないよう,窓の 大きさや素材まで規定したのである.そのために市は 各店舗に 300 万円の補助をだし,道の角にあるもの には 400 万円を拠出した.こうしてつくられた商店 街は「街角ルネサンス OLDNEW TOWN」という キャッチフレーズを掲げ,彦根観光の目玉になってい くのである.
Ⅴ.整備事業の背景
14 年の時を経て完成した夢京橋キャッスルロード は整備前の姿とは全く異なるものとなった.一方商 店街のホームページには,「このまちづくりの特徴は, 住民主導で行われ」た,と謳われている.そのことに ついて商店街にある駄菓子屋の店主で,平成 7 年か ら翌年まで商店街の自治会長にもなった北村久雄氏に 教えていただいた.以下は北村氏の話をまとめたもの 表 1 整備事業の概要 事業名 シンボルロード整備事業,街並み・まちづくり総合支援事業,まちなみ再生事業 事業主体 彦根市 期間 1985 年∼ 1998 年 総事業費 約 37 億 6000 万円 事業場所 彦根市本町一丁目,二丁目 (資料)彦根商工会議所ホームページ,国土交通省ホームページ に掲載されている資料に基づいて作成. 表 2 事業内容 シンボルロード 整備事業 ○車道舗装:土のイメージを持つ脱色ア スファルト舗装の整備 ○歩道舗装:石畳としさび入り花崗岩の 敷石整備 ○植栽整備:ケヤキなどの並木植栽 ○照明設備:歴史的街並みに調和したデ ザインの照明灯整備 街並み・まちづくり 総合支援事業 ○ポケットパーク ○ストリートファニチュア歩道レリーフ ○サイン類の設置 まちなみ再生事業 ○修景整備完了建物等 62 件 (資料)表 1 に同じ. 図 2 改装イメージ (資料)表 1 に同じ.である. 昭和 60 年,自動車交通に不便な本町地区の街路幅 を拡張することを行政が提案し委員会を設置するが, それに対し住民も懇談会を設置しこの両者が連携して 整備事業を進めていくことになる.翌年秋に通りのす ぐ隣で小児科院を営む奥野文雄氏が懇談会の代表に選 ばれる.本来行政の指導により当時の自治会長が代表 になる予定であったが,それにも関わらず奥野氏が選 ばれたのは,整備の対象となった通りに店を持たず政 治的権力者でもなかったために中立な立場となりえた からだ.そのときの副代表は北村氏である.はじめ全 員が積極的だったわけではなく,話し合いへの参加を 促すために往復ハガキで通知を行った.そうして集 まった懇談会には地権者 78 人が参加し,週 1 回もし くは月に 2・3 回の話し合いが行われた.このときの 参加者には通りから外れている周辺住民は含まれてい ない.地権者たちは戦前からそこに住んでいた人々が ほとんどである.話し合いは全て順調とはいなかった が,地権者全員が参加し,意思を統一させることが必 要だった.また,参加者全員の意見を事業推進へと導 くために,参加者の家族も参加するファサード整備に 成功した京都や岐阜,長野などの都市への見学会も行 うという工夫もみられた. 住民主体のまちづくりがうたわれる一方で政府が果 たす役割もまちづくりには不可欠なものである.例え ば整備の費用は全て市から出たものである.他にも建 物のファサードを江戸町屋風にすることを提案したの は当時の市長井伊直愛である.当初は建物の整備は個 別に行われる予定だったところを話し合いの中市長が 発した一言で現在の商店街が生まれたのである. また,街の整備に必要なのは住民の同意と資金以外 にも建物の改築が可能なスペースが必要である.江戸 時代は現在のような税制度をとっておらず,家の間口 の大きさで徴収量を決めていた.すると必然的に人々 は間口が小さくなるように設計し,奥行きが深い家が 完成する.幸運にも現在の彦根中心地は旧城下町の姿 のままの街路形態をとっており,現在も当時の町割が そのまま利用されていたため,街路を拡張しても新し く建物を建築できるスペースが十分にあった.このこ とにより商店街ができる通りの隣にある建物群を取り 壊す必要もなかったのである.そのため本来必要な周 辺の建物の買い取りや取り壊しへの費用もかからな かった.このおかげでこの地区が抱えていた問題を一 気に解決することが可能となった.
Ⅵ.夢京橋商店街の成功と課題
現在の商店街は前述ように,彦根城を訪れた多くの 観光客が足を運ぶ彦根観光のメインとなっている.城 下町をイメージした商店街はその特徴である碁盤目状 の街路を見ることができ,彦根城との関連性もうかが える.また住民が主一体となって行われたまちづく りであるため,近隣の人々とのつながりが薄くなっ ていると言われている都市の現状としては,彦根の街 路整備事業は参考になる部分もあるのではないだろう か.当初この商店街の整備事業を冷ややかな目で見て いた(4)という他の商店街も,現在では夢京橋商店街に 触発されそれぞれの特徴を活かした個性豊かなものが 彦根市内にいくつかある. 彦根商工会議所で発行している観光パンフレット(5) の中に彦根中心市街地にある商店街に焦点をあてたも のがある.11 の商店街が乗っており全て彦根駅と彦 根城の周辺に位置しているため,城を回った後にも散 歩コースとして十分楽しめるだろう.今回の巡検の対 象となった銀座商店街や花しょうぶ通り商店街は平成 10 年 TMO 計画事業(6)の一つとしてファサード整備事 業が行われており,特に花しょうぶ通り商店街は古い 街が再現され統一感のある商店街となっている(写真 3).しかし観光をメインとしている夢京橋商店街と は異なり,城から離れたところにある商店街は地元住 民メインの客層となっており,閑散としている場所も 少なくなく商店街内の空き店舗も散見される.そのた め観光客をそれらの商店街に導くために商店街間の連 携も計られているようだ.例えば夢京橋商店街内でろ うそくを扱う「夢京橋あかり館」は花しょうぶ通り商 店街にある「戦国丸」と連携し,近年ブームとなって 写真 3 花しょうぶ通り商店街店舗のファサードいる戦国武将のグッズを販売している.このように彦 根城や夢京橋商店街の観光客を他の商店街にも連れて くることができれば彦根市全体が活気づいていくだろ う. また夢京橋商店街の南部に隣接する四番街スクエア も特徴的な商店街の一つである.もともとここは市場 街として機能していた地区である.以前は彦根の台所 として親しまれていたが次第に衰退していき,再開発 事業が起こった.これが途中で頓挫してしまい活気が 失われたままになっていたところに,平成 10 年に土 地区画整備事業と TMO 事業が始まったことで再び活 気を取り戻した.「大正ロマン」をコンセプトとして おり,市場街としての機能は失われてしまったが,彦 根の食文化に焦点を当てた施設や,周辺の観光情報を 提供している店もあり,夢京橋商店街を訪れた人々が 立ち寄るあらたな観光スポットとなっている.さらに 空き店舗を一定期間無料で貸し出すことでこの地区内 の活性化を目指す努力も行われている.しかし期間を 過ぎると貸出料が発生してしまうため,入れ替わりが 激しく 1 つの店が長続きしないというのが現状である. 一見成功したかにみえる夢京橋商店街だが,問題は やはり残っている.1 つめは彦根のどの商店街にもい えることだが,駐車場不足である.TMO 事業におい て駐車場事情の改善も行われたようだが巡検時の感想 としては十分とは言えず,中心市街地にある多くが有 料駐車場であり観光促進の足を引っ張っているように 思える.世界遺産化の計画も目されているようだが今 の状態だとこれ以上の観光客を呼び込むには駐車場を 今より多く設置する必要がある. 2 つめは商店街の店舗を営む人々の一部にある商店 街が組織する組合への非協力的な姿勢である.以前事 業が成功したのは懇談会の話し合いに参加した人々が 戦前からそこに住む住人であったからであるのに対し て,現在店を営む人々の中にはこの地域の外から来た 人もいる.「たかさご」の北村氏によると,組合は商 店街にある各店舗から 10 万円ずつ会費を集めており, それは商店街の街路樹の整備や下水道の管理に使われ ているようだ.イベント時の費用にも利用されている のだが,会費を納めていない店舗は納めている店舗に 比べ待遇を変えざるを得ないという.また聞き取り調 査の結果商店街について関心がない人もいることが明 らかとなった.なぜこうした人々が会費を納めないか は今回の巡検ではわからなかったが,組合側は会費の 用途や納めなかった場合に起こることを明確に伝える 必要がある.
Ⅶ.考察
以上 3 章にわたって整備以前の夢京橋商店街が抱 える問題,事業の内容や背景と効果について検証して きた.整備前の商店街は旧城下町の特徴である細い街 路を持ち大型車両が入って来られないこともあり整備 が遅れていた.自動車交通の悪化や人口流出による商 店街の停滞を解消するため街路整備事業を行う.行 政が計画した事業であったが,この地区では住民が組 織した委員会が積極的に介入した.同地区内の全員の 意思を統一させるための工夫がそこには見られた.平 成 10 年に事業は完成し,彦根の観光名所となり,さ らには近隣の商店街の再開発にも影響を与えることと なった. いくつかの問題は抱えていることを考慮しても,商 店街の経済効果を考えるとこの事業はおおむね成功 だったといえるのではないだろうか.さらに北村氏は 商店街に彦根城の観光客を連れてくることも街路整備 の目的であったと言う.観光名所になったことは十分 にその目的を達成したともいえる. 一方で歴史的景観の再生を目されて完成した商店街 の隣に,全くコンセプトの異なる四番街スクエアがつ くられたため,その周囲だけ異様な景観がつくられて いる.さらに商店街に並行して並ぶ通りの建物は依然 として改築されておらず,商店街内からもさびれた雰 囲気が伝わってしまうことも問題である(写真 4). その四番街スクエアは再開発事業で成功した例として 国土交通省でもとりあげられている.完成以降周りで その成功を見ていた他地区でも再開発の要望があった と言うが,彦根市で新たに刷新された区画が現れない のは,四番街スクエアの住民が持っていた強い意志が 写真 4 老朽化した建物ないことが原因である(7).さらに夢京橋商店街のホー ムページにもこの地区が「住民主導」で生まれたと紹 介されている.商店街の外観は行政側の発言による ものであり,事業そのものも行政が介入しなければ実 現しなかったとはいえ,それ以上にそこに住む人々が 自らの意思で事業に参加したことが夢京橋商店街の件 では大きく評価できる.はじめから全員が積極的では なかったとはいえ最終的に全ての人々の意思の統一は, 参加を促す人々の強い意志によるものであった. 都市整備には多数の住民が関わることになる.多く の場合全ての人々が積極的に参加するということはな いかもしれない.このような場合行政が人々から同意 を得なければならないが,住民主体の都市整備を実現 するためには夢京橋キャッスルロードにみるような, 人々の関心を向かせることのできる工夫が求められる. 注 (1) 商店街内駄菓子屋店主北村氏への聞きとりによる. (2) 彦根商工会議所ホームページより.また,彦根市教育委 員会市史編纂室編『彦根 明治の古地図 三』(2001 年) の 1836 年(天保 8 年)の地図や,国土地理院の旧版地図 1920 年(大正 9 年)の地図や国土地理院の 1998 年(平成) 発行の地形図を見ると,この直線の通りに関して大きな変 化が見られないことから街路幅はほぼ均一であったと考え られる. (3) 国土交通省ホームページより.この章の整備事業の内容は, 同ホームページと彦根商工会議所ホームページに記載され ている情報より. (4) 木市ホームページ「平成 20 年度第 1 回まちづくり寺子 屋の様子」より. (5) 『タウンマップ 中央市街地版』より.
(6) Town Management Organization の略.中心市街地の活 性化を目的とした事業. (7) 国土交通省 web 資料より. 文献 NPO 法人彦根景観フォーラム編『近江の本 彦根歴史散歩 過去から未来をつむぐ』サンライズ出版,2006 年. 国土地理院 2.5 万分の 1 地形図「彦根東部」1999 年. 彦根市教育委員会市史編纂室編『彦根 明治の古地図 三』 2001 年. 彦根商工会議所「タウンマップ 中心市街地版」発行年不明. Webサイト 彦根市:http://www.city.hikone.shiga.jp. 彦根観光協会:http://www.hikoneshi.com/jp. 彦根商工会議所:http://www.hikone-cci.or.jp. 夢京橋キャッスルロード:http://yumekyobashi.jp. 国土交通省:http://www.mlit.go.jp. 木市:http://www.city.ibaraki.osaka.jp.
Ⅰ.はじめに
現在日本各地の中心市街地に存在する商店街の シャッター街化が著しい.テレビなどで度々目にした 方も多いだろう.筆者の地元,福井県でもその流れは 目に見え,駅前商店街の建物の半数近くにシャッター が降りている.今回訪れた滋賀県彦根市にある銀座商 店街もその一つである.彦根城から徒歩数分に立地す る商店街だが,周囲にある花しょうぶ商店街,夢京橋 キャッスルロード,四番町スクエアとはその様相が異 なっていた.建物の老朽化,シャッター街化が著しく 進んでおり,非常に閑散としていた.商店街のホーム ページでは「人にやさしい,緑豊かな街づくり」とい うテーマとともに,賑わいを見せているように記述さ れているが,実際に歩いた印象としてはその真逆で あった.土曜日の昼過ぎにも関わらず人通りはまばら であり,地域住民の姿もスーパーなどでも夕方になっ ても決して多いとはいえず,老人ばかりで高齢化の進 行も窺えた.彦根市の都市計画マスタープランでは城 下町の居住人口減少への対策が立てられているが功を 奏しているとは言い難い状況があった.各商店が建て られてからの経年劣化も問題であり,窓の柵は びて 折れてしまっているビルも多数見られた. そこで,今回のレポートでは,2012 年 7 月 14 日 に行った巡検で行った観察の記録,各種市政の情報サ イトで公開されている資料,実際に現地の人に聞いた 話,パンフレットなどを併せて,彦根市銀座商店街の 立ち位置の変遷を取り上げながら,商店街のシャッ ター街化の原因について探って行くレポートとする. 最後に結論として現状を打開するための提案を述べる. なお,特に注意書きが無い場合写真は筆者が現地調査 の際に撮影したものである.Ⅱ.銀座商店街の変遷
銀座商店街の成立から最盛期 銀座商店街は彦根城の南約 1km に立地している(図 1).成立は 1603 年の彦根城建設まで る.彦根城建 設とともに町割り・城下町が形成された.当時朝鮮人 通信使が通っていた朝鮮人街道(図 2)に重なってい たとされ,商店街西部は彦根城の外堀が走っていた. 1622 年頃に銀座商店街の前身である土橋商店街が西 側に,そして河原町商店街が東側に形成された(1).近 江の商業地として賑わいを見せた.当時 2 つの商店 街は彦根城と城下町,そして外部を繋ぐ主要街道とし て利用されていた.彦根城は 1868 年,明治維新が始 まり,廃城令が公布され彦根城も解体が行われるも明 治天皇の北陸巡幸に同行した大隈重信がその消失を惜 しみ,天皇に保存を願い出て解体は中止,昭和の戦火 からも逃れ城下町周辺も被害は少なかった(2).1930 年, 地元小売商業者が集い,土橋商店街にマルビシ百貨店 が開店.当時では珍しいモダン建築の店として賑わい を見せた.1950 年に土橋商店街と河原町商店街が合 併し,銀座商店街へと改名され現在の名称になり,大 いに賑わいを見せた(3).1961 年からは全国に先駆け市 が主導で防災建築街区造成事業が実施された.約 10 億円の事業費をかけ,当時木造建築だった商店が鉄筋 ビルへと生まれ変わった.なお,この事業は段階を経 て行われており,一斉に行われていたわけでは無く幾 つかの商店のブロック毎に行われ,1973 年に完了し商店街の中核を担っていた銀座商店街の現在
――シャッター街への変遷と問題点――
南川卓輝(2009 年度入学)
写真 1 かつて外堀が走っていたとされる通り彦根❸
図 1 彦根市商店街マップ (資料)彦根市商店街連盟 Web サイトより.
図 2 かつて朝鮮人街道が使ったと言われる道 (資料)彦根市景観 MAP を基に作成.
た.1963 年には現在,滋賀県を中心に北陸地方など にも店舗を持つ,株式会社平和堂の第一号店がオープ ンし,それ以降 1970 年代初頭までは中央商店街とと もに中心商店街として繁栄していった. 衰退の始まりと郊外化第一段階 しかし繁栄は長くは続かず,車社会化による郊外化 の流れが押し寄せはじめた.皮切りとなったと考え られるのは 1972 年に市役所が現在の彦根駅前に移転 したことである.更に 1978 年には彦根駅前にアルプ ラザ平和堂彦根がオープンした.当時車社会化が進 んでおり,数 100 台が駐車可能な立体駐車場,駅か ら徒歩数分という非常にアクセスの良い店舗である. 1981 年には南彦根駅が設置された.開設当初は電車 の本数や路線も少なかったが,岐阜や京都方面への路 線が開通し,通勤等で利用され,南彦根のベットタウ ン的な開発と人口の流動も起こったことが郊外化を加 速させた.1985 年に夢京橋キャッスルロード地区が 江戸町屋風の町並みへの改修が開始.彦根城からの観 光客の取り込みに成功しつつあり,顧客の減少の原因 の一つとも言える.当時既に銀座商店街のビルは老朽 化しつつあり,目新しさも消え,更に商業や市政の中 心が彦根駅前に移動し,貸し店舗からの撤退が相次ぎ, 彦根駅前への移転も多く見られた. 郊外化の第二段階 1996 年にはビバシティ彦根がオープン.南彦根駅 東口の大型ショッピングモールで映画館やボウリング 場,カラオケなど多数の施設が入っており,4 階には 立体屋上駐車場も有し,2500 台の駐車台数を誇って いる.更に車社会化へと変化しつつあった彦根市民の 客足は更に郊外へと向かうようになった.1998 年に は夢京橋キャッスルロードが完成した.当時彦根市で は商店街の空洞化の歯止めとして平成 10 年より中心 市街地活性化基本計画が実施された.事業の内容は後 述するが,銀座商店街ではコミュニティ道路整備事業 が行われ,商店街の道路がかつて直線だったものを緩 やかなスラロームにし歩道が広く取られた.それによ り車が速度を出しにくくなり安全な人に優しい商店街 へと生まれ変わった.更に続く 1999 年,彦根市銀座 商店街商業組合 TMO 事業が実施され,アーケードが 設置され,雨を避けての通行が可能になった.しかし アーケードと道路は整備されたもののビル自体は改修 されず,老朽化は進行した.また,2007 年には四番 町スクエアがオープン.四番町スクエアには農協や鮮 魚店が入っており,銀座商店街の平和堂よりも安く新 鮮な野菜等の食料品が購入出来るようになり,徒歩・ 自転車で買い物へ向かう老人達の客足もそちらへ向か うようになった.先ほど述べたビバシティ彦根がオー プンした年から滋賀県統計書によると,南彦根駅の一 日当たりの利用者数がおよそ 1000 人単位で急増して いる(図 3).多くの客足が向き,更には南彦根駅のベッ ドタウン化が進んだと考えられる.つまり彦根駅周辺 へのドーナツ化から更に広がり,南彦根までそのドー ナツ化が進行したと言える. 人口の減少 平成 2 年度では旧城下町の人口は約 18,700 人で彦 根駅東,南彦根駅の人口がそれぞれ約 10,000 人,約 82,000 人と旧城下町の方が多かった.しかし平成 17 年度の時点で既に旧城下町が 15,4000 人,彦根駅東, 南彦根駅東の人口がそれぞれ 13,400 人,10,500 人と 逆転する勢いである.また,彦根口駅西側の新市街地 の人口も伸びており彦根城周辺の空洞化が見て取れる. 図 3 南彦根駅の 1 日利用者平均人数 (資料)滋賀県統計書を基に作成.
(図 4) 現在銀座商店街には現地調査を行った際に観察した 段階で,70 近くのビルが存在しているが,入ってい る商店の数は 42 店舗(二階で営業している店舗も含 む)であり,単純計算しても四割近くの建物が利用さ れていない.(図 5)二階・三階部分の空洞化も目立つ. 殆どの建物の二階部分はカーテンが閉められるか窓か ら段ボールが姿を見せている程度である.太田書店の 店主に話を伺ったところ,現在二階は事務所,三階は 自宅として利用しているそうだ.ただ現在殆どの店舗 で住居として利用している方はおらず,銀座商店街裏 の住宅地,新市街地や彦根駅東側から通勤している方 が殆どだと話す.しかし店主同士のコミュニケーショ ンは頻繁に取られており,昔ながらの密着した商売を しているスタンスというのは崩していないとも話して いた.
Ⅲ.シャッター街化を止める取り組み
では次に銀座商店街の空洞化,シャッター街化を止 めるためにどの様な取り組みが行われてきたのかを市 政側,商店街側の二つの担い手の視点から見て行こう. 市政側 彦根市は中心市街地の空洞化・高齢化の進行を止め るために 1998 年に彦根市中心市街地活性化基本計画 を実施した.市民アンケート調査や経営者アンケート 調査を実施するとともに,「彦根市中心市街地活性化 基本計画策定委員会」(近隣住民,商業者,商工会議所, 学識経験者,行政等の代表者で構成)を設置し,約 3 ヶ 月にわたる調査研究を行い,策定された.ビジョンと しては, み 未来を開く快適で魅力的なまち わ 輪を結び和気がただよう美しいまち く クリエイティブで文化の香り高いまち 資料:彦根市 Web サイト,中心市街地活性化基本計画による. と「みわく」の三文字を頭とした目標が掲げら れ,2010 年には旧城下町の居住目標人口を 12,000 人, 2020 年には 15,000 人まで増やすという居住人口増大 も目標像の一つに掲げられている.またタウンマネー ジメント機関(TMO)の認定が行われ,TMO 認定 を受けた彦根商工会議所と市が情報交換や連絡調整を 行っている.連携を密にし,商店街の現状を把握しな がら,活性化の係る諸事業が推進されている.対象と されるのは彦根市旧城下町に存在する 11 の商店街で, 駐車場の整備やアーケード整備,ファザード整備など が行われた. 銀座商店街にて行われた事業としては前項で述べた コミュニティ道路(平成 10 年)の整備,モニュメン ト「釣りをする少年」「たけうまにのった少年」「かざ 車をもつ少女(写真 2)」の配置,アーケードの改修 事業(平成 11 年),周辺土地の区画整理(平成 18 年∼) である.また実施検討中の計画としては街なか循環バ スというバス交通の充実を図る計画や,文化・コミュ ニティ施設等の医療・福祉サービスに関する事業化な どが予定されている. また,彦根市は銀座商店街の空き店舗対策として新 たに参入する店舗には 6 ヶ月分の家賃補助を行なっ ており,実際に銀座商店街西部の十八番フルーツはそ の制度を利用し開店した.「店主は家賃の補助がある ならやってみようという気になった」と話していた. 銀座商店街のみに関わるものではないが,都市計画 マスタープランでは彦根城と城下町の世界遺産登録に 向け密集市街地の解消,木造建築の防火対策等を打ち 出し,彦根駅付近に商業の業務地および都市住宅など を配置し,更に郊外へと広がってしまったドーナツ化 への対策を行なっている. 商店街側の取り組み 商店街の主な取り組みと言うと観光客の取り込みの 動きが見られる.銀座商店街のアーケードには彦根市 の人気キャラクター「ひこにゃん」の旗が吊られてお り,一部商店には「ひこにゃんグッズ あります」と のポスターが貼られており,隣の夢京橋キャッスル 写真 2 かざ車をもつ少女図 4 彦根市旧城下町地区人口推移 (資料)彦根市都市計画マスタープランⅣ− 1 より.
図 5 銀座商店街でシャッターの閉まっていた店舗 (資料)筆者作成.
ロードから歩いてくる観光客の取り込みをしようとし ていると考えられる.また,銀座商店街独自のマスコッ トキャラクター「えびすくん(写真 3)」を作成.夏 の売出しとしての「二七の市」などで掲げられる旗に 使われている.また,銀座商店街西側のビルの二階に えびすくんの段ボールアートが無料開放で展示されて おり,また,「中央部のビル一階にて人形劇もしばし ば行われており,子どもや観光客で賑わっている」と 丁子屋薬局の店主は話す. 地元の人向けの取り組みとしてはゑびす講が挙げら れる.毎年 11 月 23 日の祭日を中心に開催されるゑ びす講はアーケードに多くの露店が出店し,観光客や 地元住民が多く訪れ,賑わいを見せている(写真 4). 更に商店街連盟主催でのイベントも多い.私が訪れた 際には AKJ48 ∼集めて答えて人力車∼という商店街 各地に設置されたスタンプを集め,彦根市の歴史に関 わるクイズに答えると人力車に乗れるというイベント が開催されていた.子どもたちがスタンプを集めてい る姿が見られた. また,「緑豊かな街づくり」として歩道に季節の花 が咲いており,街路樹にはヤマモモが植えられている. 商店街随所にベンチが設置され,高齢者の人でも休憩 がしやすいよう工夫がなされている. インターネットを利用した取り組みについても言及 しておこう.銀座商店街のみでは無いが商店街連盟の ポータルサイトがあり,商店街の各種イベントや広報 誌の公開が行われている.また,彦根市観光協会のホー ムページではブログ形式で商店街でのイベントを伝え ており,また Twitter も利用した SNS での広報活動 も行なっている.
Ⅳ.商店街の現状と問題点
以上商店街の時代の変遷とシャッター街化,そして それに向けての対策を紹介してきた.しかし先程も述 べた通り人口の減少,高齢化が進んでいる現実がある. この節では商店街の人に聞いた声を取り上げながら問 題点を論じていく.特に高齢化の問題が大きい.彦 根市の高齢者割合が 15% なのに対し,旧城下町では 24% にまで上昇している(4)現状は非常に商店街を再興 させるうえでの足枷となっている. 郊外化とコンビニエンスストアの進出 郊外化により地域住民の顧客自体が減少しているの は勿論だが,コンビニエンスストア等の影響も大きい と喫茶店ガネーシャの店主の奥さんは話す.昔は不動 産や保険会社の人,トラックの運転手で賑わっていた そうだが近年は客足が減少.彦根市郊外のコンビニで あれば大型の駐車場があり,更にシャワーまで付いて いるところもあると言う.最近では近所の顔なじみの 高齢者の方が訪れる程度になってしまい,数年後には 店を閉めるしかないと涙ながらに話していた. 建物の老朽化 更に建物の老朽化が著しく進んでいるのも問題であ る.1961 年,彦根市主導で行われた防災建築街区造 成事業だが,それ以降は何も行われていない.建物は 老朽化し,外壁の塗装は剥がれ落ち,窓の柵は びて 外れている店舗も多い.店舗の改修をしたいのは山々 だが大幅な改修をできるだけの稼ぎが無い現状がある. 市は改修から全く再開発の動きが無い.市の援助無し 写真 3 マスコットキャラクター「ゑび すくん」 写真 4 えびす講の賑わい (資料)びこぼこぶろぐ(http://bikoboko.jp/blog/?p=5054)より.では苦しいものがある.以上のように,太田書店の店 主は話す.かつては銀座商店街の最盛期を支えた平和 堂もその影響は見て取れる.三階から上の階の外壁は 白の外壁が所々剥がれ落ち窓の部分は日焼けしたカー テンが覆っている.店に入ると食品売り場は改装の跡 が見え,壁紙,内部の改装が行われたと思われる.し かし他の階等は近年改装を行った様子は無かった. 住居の防火・耐震対策 更に住宅の防火・耐震対策についても言及しておき たい.銀座商店街周辺に限らず,城下町地区は未だ木 造建築の住宅が多い.家と家の間は地割りの影響から かかなり狭く,火災が発生した場合に大規模な火災に なりかねない.また,車社会の現代にはそぐわない住 居前の路地の狭さも目に止まった.およそ車 1 台が 通れるか通れないかの細さの道が多く,四番丁スクエ アのように車の乗り入れを禁止している街区では無い ため,新たな定住人口が増えない要因の一つになって いるのではないかと考えられる. 顧客減少からの後継ぎ問題 また,高齢化と顧客減少が重なって起きている跡継 ぎ問題も深刻である.現在の店主達の子ども達はたと え彦根市で後を継いだとしてもその子ども達のための 養育費を賄うだけの稼ぎが無いということが分かって いるため,県外へ出ていき,結果的に店を閉める結果 になる.客足の減少から始まる悪循環が銀座商店街の シャッター化を引き起こしていると先ほどと同じく, 喫茶ガネーシャの店主の奥さんは話す. コミュニティ道路の利用・公共交通問題 また,整備されたコミュニティ道路の活用のされ方 にも疑問が浮かぶ. 人々が歩きやすく,自動車の乗り入れを減らすのが一 般的なコミュニティ道路の効用である.しかし銀座商 店街のコミュニティ道路はその機能を果たしていると は言い難い.近隣住民が歩いている姿は殆ど見られず, 自転車で通行する姿が殆どであった.また車交通の面 では時折乗り入れがある程度でほとんどが通過してし まう,結局は単なる道路としてしか用いられていない 光景が見られた. 観光客の取り込み,近隣住民の来客を図るのであれ ば駐車場が必要であるが,小さいコインパーキングが 商店街の東西に 2 つ,平和堂の裏にやや大きめのも のが一つあるだけで後は基本的に路上駐車という形に なっている.平和堂裏の駐車場には約 30 台の車が駐 車していたが半数以上空車で,コインパーキングにお いても,新しいがほとんど使われていないのか土曜日 にも関わらず 8 割以上が空車であった.各商店への みの用事がある消費者は直接商店の前に路上駐車をし, 店舗を利用するのが見られ,それが一般的なようだ. 折角のコミュニティ道路の広く取られた歩行スペー スを 30% 近く車が奪ってしまっており本末転倒と言 える.近隣住民にも,観光客にも利用しやすい駐車場, また自転車の利用が多いこともふまえ,駐輪場の設置 も検討すべきであると思われる. 最後に,公共交通機関も高齢化が進んでいる城下町 の住民の為に拡充を図るべきと感じた.どうしても高 齢化が深刻化した都市では交通弱者が生まれやすい. 銀座商店街から出るバスは通勤・通学時間帯の朝を除 くと 1 時間に 1 本∼ 2 本とやや少なめである.また, 観光者向けの彦根市を巡回するようなバスは無く彦根 写真 4 シャッターが閉じてい る店舗の張り紙 写真 5 銀座商店街のコミュニティ道路
市の様な歴史的な町並みの残る都市ならばそれを打ち 出していく観光産業戦略,それに沿った公共交通機関 の拡大も行わなければならないのではないかと感じた.
Ⅴ.おわりに
このレポートを通して,銀座商店街の繁栄から衰退 への流れ,そしてその原因を探ってきた.銀座商店街 ではかつては彦根市城下町商店街のにぎわいの中心で あったが次第に衰退.現在でも市政,商店街側でそれ ぞれにぎわいを取り戻そうという動きが見られるが功 を奏しているとは言い難い.衰退の流れの中にあるも のの,勿論現在でも銀座商店街持ち味というものも存 在していると筆者は実地調査の際に感じた.昔懐かし い雰囲気の各商店,長年地域の労働者たちを支えてき た喫茶店や飲食店を筆者は推しておきたい.調査を 行った際に利用した喫茶フレーバーの 500 円のラン チセットはボリュームがあり,味も良かった.喫茶ガ ネーシャの店内はレトロな内装に落ち着いた雰囲気で 非常に居心地が良い.平和堂の中にあるパン屋では老 夫婦と店員の女性の歓談の様子もうかがえた.まちづ くりを行う場合,安易にその地域全てを全く新しいも のに塗り替えてしまうと,現存している文化等はほぼ 消えてしまうといっても過言ではない.商店は勿論の こと,そこで生活する周辺住民の生活パターンすら変 えてしまうからである. 銀座商店街のかつての文化を活かしつつ観光客など の流入人口の活性化を促すにはやはりまずは各商店の 建て替えが必要であると筆者は考える.花しょうぶ商 店街もどちらかと言えば建物自体は非常に古く,現 在の夢京橋キャッスルロードのようににぎわっている とは言い難い.しかしそこには 1999 年から行われた ファサード整備による街並みの統一・改修があったか らこそ,そこを通りかかる観光客の目を引く商店街と して存在できているのである.銀座商店街はかつての ハコモノ行政によって作り上げられた単なる鉄筋コン クリートのビルが並んでいるだけでおり,花しょうぶ 商店街,夢京橋キャッスルロードの中間に位置するこ ともあり,その二つに合わせたかつての 彦根市の景 観を彷彿とさせるような建物への整備,そして観光客 などの取り込みが必要だと筆者は考えている.観察し た限りでは現在の建物が老朽化から,顧客の減少,定 住人口の減少への悪循環を生んでいるように感じられ た.整備を行ったコミュニティ道路も年に 1 回のゑび す講の時にのみ歩行者天国として利用されているのみ で,有効活用されているとは言い難く,ゑびす講以外 でも歩行者天国を行う,隣の花しょうぶ商店街と連携 した地域住民,観光客双方で賑わう商店バザーなどを 開催すれば活気が出るのではないだろうか.立地自体 は夢京橋キャッスルロードから程近く,非常に良いた め,観光客の取り込みも可能と考えられる.だが,ま ちづくりを行う際,大規模な改築・ファザード整備に は多額の資金が必要になってくるため,当然市政との 連携が必要不可欠である.現在,銀座商店街では商店 どうしのコミュニケーションや,商店と顧客の日常的 なコミュニケーションは今日の大都市圏には見られな い深いつながり・思いやりが見て取れる.このような 長年培ってきた,商店・人・文化を壊さぬように市と 商店街が連携し,現在彦根市が目指している「彦根城 の世界遺産登録」のコンセプトに合ったまちづくり・ 景観形成を進めていくことで何か新しい活路が見いだ せていくのではないだろうか. 注 (1) 『彦根 明治の古地図三』彦根市教育委員会史編纂室より. (2) 彦根の観光ガイド「ときどき滋賀」:http://www. digitalsolution.co.jp/guide/hishist.html. (3) 彦根市商工会議所 Web サイトより. (4) 2006 年度彦根市都市計画マスタープランより. 文献 彦根市教育委員会史編纂室(2004)『彦根 明治の古地図 三』. 滋賀県統計書平成 4 年度版∼平成 21 年度版. Webサイト 彦根市中心市街地活性化基本計画:http://www.city.hikone. shiga.jp/sangyobu/shoko-sho/chushinkassei.html. 彦 根 市 都 市 計 画 マ ス タ ー プ ラ ン:http://www.city.hikone. shiga.jp/toshikaihatsubu/toshikeikaku/masterplan.html. 彦根商店街連盟:http://www.hikone-kiina.jp. 国 宝・ 彦 根 城 築 城 400 年 祭:http://www.hikone-400th.jp/ event/report.php.琵琶湖付近に建設され,戦後には松下電工,ブリヂス トンタイヤといった工場が建設された.また,平和堂 (銀座商店街内),アルプラザ(彦根駅前),ビバシティ (彦根市南部),カインズモール(彦根城西部)などの 大型スーパーの進出が見られる.2012 年の都市人口 は 11.2 万人である. では,それぞれの商店街について詳しく見ていきた いと思う.一つ目の夢京橋商店街は,彦根城から最 も近く以前の町割りでは中堀と外堀に挟まれた第三 郭(図 2)に位置している(2).旧町名では本町,元川町, 上魚屋町から構成されている町人の町である.本町は, 城郭の京橋口に向かう道と直交する本町通りとの交差 点一帯を指している.本町通りと言いながらも現在の キャッスルロードに当たる京橋からの道のほうが実質 的な町通りとなっていた.そのため本町通りは横町的 な位置づけになっていた.元川町は,本町の南側に続 く町屋であり,朝鮮通信使の宿泊先として著名な宗安 寺がある.上魚屋町は,その名の通り魚屋が集中して いた町である. これらは江戸町家の家が多く残っていることから 「伝統的建造物群保存調査対象地区」の指定を受けて いるが,実際の夢京橋キャッスルロードは 1985 年か らのシンボルロード整備事業によって江戸町家風に改 修されたものである(3).この事業によって,燻瓦,白 壁と黒格子の家屋に統一されたほか,夢京橋キャッス ルロードの道幅は 6m から 18m になり,セットバッ クを含めると約 20m になる.片側一車線は変わらな いが,車道片側 3m に対し歩道 3m 植栽 1.5m 駐車帯 1.5m とゆとりある整備がなされている.また,電線 の地中化や,照明器具は黒を基調にした落ち着いた雰 囲気のものを使用していることからも街並みへの配慮 がうかがえる.ポケットパークや公衆トイレ,ベンチ, スツールも設置されている. 二つ目の銀座商店街は,以前の町割りでは外堀を 挟んで第三郭と第四郭(図 2)にまたがった商店街で ある(4).旧町名では河原町と土橋町で構成されており,
Ⅰ.はじめに
今の日本の商店街は大型ショッピングセンターなど の台頭により衰退の危機にさらされている.商店街を 活気づけるものとは何なのか.本稿では商店街を活性 化するために必要な要件を,日本・滋賀県彦根市の彦 根城を臨む夢京橋商店街・銀座商店街・花しょうぶ商 店街という 3 つの性格の異なった商店街から探って いく(図 1). 以下では,研究によって明らかになった三商店街の 実態について述べたうえで商店街,活性化の とな る要件を見出していきたい.論文執筆に当たっては, 2012 年 7 月 14 日に行った現地調査と末尾に記され ている文献・URL を参考にしている.現地調査にお いては各商店街の住人への聞き取り調査と外観観察を 行っており,使用している写真は断りがない限りその 際に撮ったものである.Ⅱ.彦根市の歴史・商店街の歴史
まず,彦根市全体の歴史について触れておく.関ヶ 原の合戦ののち 1603 年に彦根城が築城されたことで 城下町が形成された彦根は戦国時代には朝鮮通信使の ための宿場町として栄えていた.1937 年に市制を施 行した,琵琶湖に接する都市である.彦根市の観光名 所として外せない彦根城は標高 163m の彦根山を利用 した平山城であり(1),城下町は内堀,中堀,外堀で身 分により居住地域が分けられていた.現在外堀に関し てはほとんどが埋め立てられ,市内にわずかに面影を 残しているのみである.彦根城築城以前は二つあった 芹川の流路は,築城にあたって以前は北流して松原内 湖に注ぐように流れていたほうは埋め立てられた.現 在は琵琶湖に直進する形で流れているほうもかつての 河道よりも南に付け替えられたものであり,もとの芹 川は外堀の一部に使用されていた.彦根は戦前には近 江絹氏紡績(オーミケンシ)や鐘ヶ淵紡績(鐘紡)が商店街活性化に必要な要件とは
――シャッター街への変遷と問題点――
市川真見(2010 年度入学)
彦根❹
めの高宮口の土橋があったことが町名の由来である. 当時この橋の両側部分には新見せと称する露店のよう な小屋仕掛けの商店が立ち並んでいたとされ,土橋町 における商店は町の南西に集中していた. 1930 年ごろ地元小売商業者によってモダンな建物 のマルビシ百貨店が現在の平和堂彦根銀座店の場所に 夢 京 橋 商 店 街 銀 座 商 店 街 花 し ょ う ぶ 商 店 街 河原町は現在リバーサイド橋本通りとして知られる朝 鮮通信使が利用していた朝鮮人街道(5)が西へ向きを変 えた付近に形成された町屋地区である.芹川の旧河道 を利用して作られた外堀へと続いていることからそれ 以前は河原町自体も旧河道であったと考えられる.土 橋町は河原町の西北に位置し,近世に外堀を超えるた 図 1 彦根市中心市街地 (資料)Web サイト「彦根市のまちづくり」より. 図 2 城下町復元図 (資料)『近江旅の本 彦根歴史散歩 過去から未来をつなぐ』より.