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長浜❸

ドキュメント内 彦 根 長 浜 (ページ 48-52)

れている.曳山博物館を過ぎたあとは,ガラスのオブ ジェ「現代の金屏風」とともにアートの一部として利 用されている.その後,民家の間を抜ける.ながはま 御坊表参道の針屋橋はちょっとした広場になっており,

音声再生機能のあるモニュメントが設置されいた.後 から,調べたところ,大通寺に伝わる「お花さん」と いうきつねのお話が聞けるものだったようです.また,

米川が町屋の間を流れて行く「風情ある眺め」という 看板も設置されていた.このように秀吉時代の米川は 昔ながらの町屋の景観の一部として観光化され残され ていた.

水を通す米川も枝流が一部切れていたり,地中を通る,

民家の排水溝のようになっているものもあるが,支流 は現在も残っていた.米川は博物館通りの東側の区画 のほぼ中央を流れ,大手門通りの大手橋をくぐり,曳 山博物館の東側を通り,東にカーブしながら,ながは ま御坊表参道の針屋橋をくぐって,もうひとつの支流 と合流している.大手門通りはアーケードになってい るが,大手橋から米川を確認することができる.曳山 博物館の東は広場になっており,米川まで階段で下り れるようになっている.下りる人はいないと思われる が,水辺という景観のひとつとして空間は有効利用さ

大手橋 大通寺

ながはま御坊表参道 針屋橋

米川 駅前通り 大手門通り

曳山博物館 博物館通り

ゆう壱番街

黒壁ガラス館 季織の小径

感響フリーマーケット

戦国大河ながはま館

JR北陸線 黒壁スクエア

堀•河川•水路

(城下町)

街道(城下町)

北国街道

商店街

鉄道博物館 長浜城歴史博物館

行政の復元•

保存エリア

図 長浜中心部―城下町と現代の町の重ね合わせ

(資料)筆者作成.

 建築物については吉井さんのお話にもあったように,

補助金をだして伝統的建築物や暦的建造物を修理した ためか,きれいに残されている.また空き屋を有効活 用するため,町屋ホテルとして整備されているものも あった.この点では中西さんの言うように「創り込ま れた」景観と言われるのも納得できる.しかし,地方 都市として観光で生き残る術でもあるといえる.彦根 では伝建や歴建は新築できないためにそのまま修理も されない状態のものが多かったことを考えると,評価 されてもいいのではないかと考えられる.

 町屋の特有な空間に目を向けると,空間が活用され ていることが分かる.もともと,町屋は多くの店が街 道に間口を向けるために,長屋が「鰻の寝床」状に並 ぶが,その奥には井戸や台所が押しやられ,共有の内 部空間ができるが,いくつかその空間を活用した例が あった.ひとつは感響フリーマーケットである.おそ らく,町屋の内部空間を利用したものだと考えられる が,土日祝に市を開催し,ガラスを利用した巨大万華 鏡が設置されていた.中は外の町通りとは異なるエス ニックな空間となっていた.博物館通りとゆう壱番街 から出入りする構造で,通り抜けできる場所は人を呼 び込みやすいのではないか.もひとつは季織の小径で あり,ここは北国街道に

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つの出入り口を持ち,通 り抜けできる空間になっている.こちらはレストラン のテラスとして活用されている.またガラス張りの店 がこの小径に面し,北国街道だけでなく,この小径に も店内を見せる構造をとることで観光客の足を止める 役割を持っているのではないか.この空間の利用方法 は通りに緑がないために中庭を開放するという「黒壁」

の戦略でもある.このような空間の利用方法とは少し 異なるが,同様に町屋特有の内部空間を活用したもの に黒壁ガラス館と戦国大河ながはま館がある.黒壁ガ ラス館は大手門通りに入り口を持ち,内部空間に裏口 を設け,広場とガラスのオブジェを設けている.戦国 大河ながはま館は

L

字型の建物で,大手門通りには 海洋堂フィギュアミュージアム,博物館通りには長濱 オルゴール堂がそれぞれ出入り口を持っており,2つ は中でつながっている.この間には

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件の店舗もあり,

ガラス館のように,角に位置しているわけではない点 で内部空間の活用と考えて良いと思う.このように内 部空間はその由来や意味を認識しているかはともかく うまく活用されている.通りがいいというのは人が通 りやすいのではないだろうか.

 ここまで,駅前通りより北側,黒壁スクエアを中心 に見て来たが,駅前通りより南側にも米川の枝流があ

り,それを辿って気がついたことをいくつか述べる.

まず

1

つは北側に比べて,極端に人が少ないことで ある.黒壁スクエアがメインになり,南側には人が来 なくなっているのではないだろうか.もともとそうな のか,黒壁スクエアがあるからなのかは不明だがその 差は歴然であった.吉井さんにいただいた資料には中 心街再生区域に駅前通り以南は含まれていない.「長 浜まち歩き

MAP」には南側には明治ステーション取

りや古い町並みも残っている.このあたりはどのよう に一体となってまちづくりが行われているかは定かで はないが,まちなか居住をすすめるまちづくりにおい ては,この差は非常にシビアではないか.同じ旧長浜 町に住みながら,観光客の訪問に差が出ると,収入に も

違いがでることは明らかである.同じ職場の方の話か らは,南側の方が老舗が多いとも聞きました.中西さ んは

JR

北陸線が「行政の復元

保存エリア(長浜城 など)と「黒壁によって整備されたエリア」を分断し ていると指摘したが,そのことには賛成する.しかし,

もう少しミクロな視点で見ると,駅前通りによって黒 壁スクエアと南側が分断され,黒壁スクエアに観光客 の多くを奪われているとみるこもできるのではないか.

5.おわりに

 以上,ながはまのまちづくりと秀吉時代の城下町と の関連を考察したが,中西さんの観光と歴史的景観保 存の相克という指摘は間違いではないと思う.一方で,

JR

北陸線によって分断された行政と黒壁スクエアの 観光客とともに,駅前通りによる新しい分断と地域格 差が生まれているのではないか.また中西さんの「創 り込まれた」景観という批判は歴史的景観保存という 視点では批判の対象になってしまうが,地方都市のま ちづくりという視点ではこれは生き残りをかけた長浜 の努力の結果であり,吉井さんの述べていた投資の循 環がなければ,このような建造物も残せないという現 実もある.近年,中西さんが述べるように商業主義が 全面に展開した歴史的観光地戦略は進んでおり,ゆる キャラがその代表的なものであろう.民間主導でまち づくりやまちおこしが行われるメリットは吉井さんの お話を聞いて十分に感じられた.しかし,そこがどの ような歴史を持ち今に至るのかという歴史的観光地の 本来の楽しみ方が失われてはならないと考える.その ような視点でみると,行政が商業主義を全面展開せず,

民間が主導になっている長浜においては,歴史的観光

地の持つ本来の魅力で観光を促進する新たなモデルに なる可能性はあるのではないか.

(1)中西和子「城下町における都市の景観復元に関する課題―

滋賀県長浜市を事例に―」『歴史地理学』49-1(232),2007年.

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