図1 滋賀県地図
(資料)MapFunWebより.
図2 彦根11商店街マップ
(資料)彦根商店街連盟より.
写真1 夢京橋商店街―キャッスルロード 写真2 銀座商店街―アーケードとカーブした道路
写真4 登録有形文化財 「滋賀中央信用金庫銀座支店」
写真3 ファサード店舗「彩菜」
心となっていた.1999年の
TMO
事業 によって全長650m
に及ぶアーケードが新設され,また歩行者にや さしい道路ということでゆるやかにカーブした車道に 舗装されていることが特徴的である(写真2).現在
はシャッターを閉める店舗があり,やや閑散としてい るが,11月23
日の祝日を中心に行われる彦根名物の ゑびす講が開催される場所として重要な位置づけと なっている.花しょうぶ商店街は,彦根城からは最も遠く銀座商 店街同様地元住民をメインとした商店街である.本通 りから奥に入ればいくつもの細い路地があり,京こと ばで「突き当り」を意味する「どんつき」が見られ袋 小路となっていたことから袋町とも呼ばれていた.以 前は遊郭であったことから,遊郭特有の細かな木を縦 と横に組み合わせ,中からはよく見えるが外からは容 易に見えないようになっている紅殻格子のある家も 残っており,ほかの商店街とは異なった雰囲気がある.
1999
年から本格的にまちづくりに取り組み始め,そ の際に商店街の名前を上恵比須商店街から彦根市の市 の花にちなんだ花しょうぶ商店街へと改めた.今で も間口の狭い宅地が多くあるが,TMO事業によって ファサード整備が行われ格子窓に白文字の看板,漆 喰の壁に統一された店舗が立ち並んでいる(写真3).
そのような通りで目を引くのが三つの登録有形文化財 である.宇水理髪館の店主によると滋賀中央信用金庫 銀座支店(写真
4),逓信舎(郵便局跡),そして宇水
理髪館は洋風建築の歴史価値のある建物であり,現在 も逓信舎を除く二店舗は営業している.また,花しょ うぶ商店街には空き店舗対策として寺子屋と銭湯を活 用した街の駅が設置されており,滋賀県立大学の学生 や地域内外の人で組織されるLLP(有限責任事業組
合)が関わっている.道路は城下町形成当時と変わっ ておらず,一車線の交互通行で道幅も狭いため車は通 りにくくなっている.Ⅲ.長浜の概要
長浜市は滋賀県の北東に位置し,総面積では県内
1
位の大きな市である.しかし市内の大部分が山林であ ることから可住面積は狭く,平成の市町村合併以前か らの長浜市にあたる地域に人口が集中している.戦国 時代,1574年に豊臣秀吉によって長浜城が築城され,地名も今浜から長浜へと改名されたが豊臣氏が滅亡す ると,長浜城は取り壊され一部は彦根城築城のために 使用され,長浜は彦根藩領となった.江戸時代には米
原・松原とともに彦根三湊と呼ばれ湖上交通の要衝と しての位置を占めた.ところが,昭和に入り車社会に なる中で衰退していき市民の中でまちづくりの気運が 高まった.長浜駅のすぐ西にある現在の長浜城は昭和
58
年に豊臣秀吉がつくった長浜城をもとにして復元 されたものである.そうしてまちづくりを進める中で「博物館都市構想」が策定された.これは,市民が育 んできた文化や伝統的なまちの雰囲気を現代の生活の 中に生かして,まち全体を博物館のように魅力あるコ トやモノで覆い,個性ある美しいまちとして住んでい こうというものである .
長浜では市や民間によってつくられたいくつもの第 三セクターがまちづくりの主体を担っていることが特 徴である.特に株式会社黒壁が黒壁スクエアにおいて,
もともと伝統産業ではないガラス産業を取り入れたこ とは現在の商店街活性の大きな要因となった.株式会 社黒壁は黒壁銀行(写真
5)という愛称で呼ばれてい
た百三十銀行長浜支店の建物を保存することを目的と して,長浜市と8
つの私企業によって1988
年に設立 された第三セクターである.その黒壁スクエアは江戸 時代には五街道に次ぐ重要な道であった北国街道と西 国三十三か所霊場の巡礼道である大手門通りの交差す る札の辻を中心とする店舗の集まりであり,現在29
號館まである.また長浜を訪れた際,スタッフの一人である吉井さ んにインタビューを行った長浜まちづくり株式会社は 平成
21
年に株式会社黒壁の現社長である高橋政之氏 によって設立されており,中心市街地の活性化を目的 としている.具体的には,講演の開催,空き住宅の斡 旋,歴史的建造物である安藤家の管理,駐車場の設置・管理を行っている.上述した
2
つに関しては長浜市 が設立に関与した第三セクターである.今回のフィールドワークでは,景観観察は調査地区全 体である黒壁スクエアとその周辺,聞き取り調査はゆ う一番街商店街と長浜御坊表参道で行った.ゆう一番 街商店街は祝町通りとも呼ばれ,通りの中ほどにアー ケード(写真
6・写真 7)が設置されているのが特徴
的である.黒壁スクエアに含まれる範囲にはステンド グラス街灯が設置されている.長浜御坊表参道は長浜駅から見て北東に位置してお り,地元では「ごぼうさん」の愛称で親しまれている 大通寺へと通じる道である.かつては通りにアーケー ドがかかっていたが,門前町として栄えていたころの 風情を復活させるということで平成
2
年にアーケー ドは撤去された.歩行者に優しい道路として歩道を造るため店舗を少しセットバックさせ,道路も舗装され ている(写真
8).
Ⅳ.彦根の現状
彦根の商店街はそれぞれにまとまりを持っており,
境界線がはっきりしている.これは各商店街が個別 の
web
サイトを開設していることや商店街それぞれ のコンセプトによって街並みなどを形成していること からうかがえる.そして,彦根城を中心にその距離に よって観光客向けから地元住民向けへとターゲットと する顧客をシフトしていることが分かる.その中でど の商店街にも共通することが彦根城との関わりである.夢京橋商店街の本通りは以前,現在のものに対して直 角であったところを現在のような形にして城を出てす ぐ商店街になるような配置になっている.銀座商店街 は商店街のマスコットキャラクターが「ゑびすくん」
と商店街にちなんだものであるものの,アーケードに はひこにゃんの旗も吊られ,一部店舗には「ひこにゃ んグッズあります」といったポスターが貼られていた.
フィールドワークを行った頃には,AKJ48〜集めて 答えて人力車〜という商店街ごとに設置されたスタン プを集め彦根市の歴史に関わるクイズに答えると人力 車に乗れるという,彦根城下町観光に利用される人力 車を利用した企画を行っていた.この人力車を扱って いる会社が銀座商店街内にあるのである.花しょうぶ 商店街は商店街のマスコットキャラクターが戦国ブー ムつまり城に関連させた「みつにゃん」(石田光成)
と「しまさこにゃん」(島左近)になっている.また,
写真5 札の辻にある黒壁ガラス館
写真6 ゆう壱番街商店街アーケードなし
写真7 ゆう壱番街商店街アーケードあり
写真8 長浜御坊表参道
戦国グッズを扱う「戦国丸」や「しょうぶ屋」という 店舗があることからも彦根城と縁のある商店街にして いる.ここから,彦根の商店街は彦根城との関係が重 要なものになっていることが分かる.
Ⅴ.長浜の現状
彦根の商店街がそれぞれのまとまりを持っているの に対して,長浜の商店街はそれぞれ明確に独立してい るというよりは黒壁の店舗を中心に緩いまとまりを 持ってつながっていると言える.商店街ごとの独立し た
Web
サイトは開設されておらず,その代わりに長 浜のまちづくりを引っ張る第三セクターのサイトが目 を引くものとなっている.ここには,ゆう壱番街商店 街にある押し花工房「やまぼうし」の店主である西橋 さんの話によると一括りに商店街と言ってもその中に いくつもの自治会を有している商店街もあり,商店街 として一つのまとまりを持つのは難しい,ということ も関係している.服屋「丸彦」の店主であり長浜御坊 表参道の理事でもある小倉さんの話によれば長浜御坊 表参道のように長浜商店街連盟から脱退し独自の取り 組みを行おうとする商店街もある.長浜御坊表参道は 黒壁スクエアには含まれていないので黒壁の店舗はな い.そのため一見すれば黒壁と接点のない商店街にも 見える.それでも,同じく小倉さんによると黒壁スク エア内に長浜御坊表参道独自で行っている「馬酔木」の催しの看板を置いてもらっているらしく,長浜御坊 表参道と黒壁には接点があると言える.また「乾物み やと」の店主によると黒壁スクエアへの観光客が増え たことで地元民重視の営業をしていきたくても否応な く観光客が来るのでやりにくくなったということだっ た.このようにほとんどの商店街内に黒壁の店舗が 入っており,たとえ黒壁の店舗が入っていなくてもそ の商店街には間接的に客層の変化という影響を与えて
図3 彦根における彦根城の求心図
(資料)筆者作成.
図4 長浜城と黒壁の影響力の範囲の差異
(資料)筆者作成.