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真宗研究50号 004清水谷正尊「至誠心釈における真実の意義」

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至誠心釈における真実の意義

高田派

は じ め なぜ至誠心釈における真実を考察するのかについて述べておきたい。第一に、善導の至誠心釈をどう解釈 するかということが親鷺思想の出発点であったと考えるからである。第二に、善導の至誠心釈では真実を白利真実 と利他真実に分けているが、この自利真実と利他真実について考察することによって親鷺は独自の真実観を形成し ま ず 、 得たと考えるからである。 親鷺は善導の至誠心釈に独自の訓点を施している。この至誠心釈における親鷺の訓点については、河田光夫氏の ︵ l ︶ ﹁親鷺の思想形成における漢文作品の位置﹂︵以下、河田論文︶というすぐれた論考がある。河田論文は、存覚の ﹁六要紗﹄から河田論文が発表された一九七一年までの研究を概観し、親驚の訓点の独創性がなんら厳密に実証さ れることがないまま、常識として論じられている事実を指摘して、その独創性を初めて厳密に実証したものである。 その中で河田氏は、親鷺が善導の文章から離れず、あくまでも訓点によって文章を読み替えようとしたことにつ いて、﹁親鷺の表現には、あくまでも彼の展開した内容が、ゼンドウの文そのものから引き出せる筈だとする執念

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︵ 2 ︶ が感じられる﹂と述べられている。また、河田論文の最後でも、親驚が独創的訓点を付したことについて星野元豊 氏や松野純孝氏の説を挙げた後、 親驚がもし、﹁経典の伝統を振り切って﹂、﹁真実の声に従﹂ ったとすれば、それにふさわしい表現形態は、当 然、独自の文の創造であった筈である。そうすると、あれほどまでに経論の原意を展開させながら、 ︵ 1 ︶ 表現においては決して経論から離れなかったことの意味はどうなるのであろうか。 し か も 、 と述べ、両氏の捉え方を批判し、親鷺が自分自身の文章で表現するのではなく、経論の文章に独創的な訓点を施す ことによって思想表現されたのは、決して自分の教義に説得力を持たせたり、 正当化するための手段としてこの表 現形態を採ったのではなく、経論から阿弥陀仏や釈迦や善導・法然の生きた言葉を聞いていたのであり、親鷺の全 主 体 を か け て 、 その﹁真意﹂を問いつめていたのであって、﹁漢文作品における親鷺の訓点は、そうした問いつめ ︵ 4 ︶ の中でゼンドウから﹁聞いた﹂答えであった﹂と述べられている。正しくそのとおりであろう。 この河田論文に依拠した上で、本論ではまず、親鷺が善導の文章を訓点による読み替えだけにこだわった理由と して、明恵の﹃擢邪輪﹄ への対応を考えることができるのではないか、 ということを論じたい。もとより﹁擢邪 輪﹄の批判に対し自己を正当化するためというのではない。ただ明恵の批判を、自分自身の問いとして受け止め、 その答えを善導自身の文に求めたときに発見したのが、親鷺の独創的な思想であったのではないかということであ る。したがって、本論は、親鷺思想の生成の過程を見ていくものである。 次に、この至誠心釈において、真実が自利真実と利他真実に分けられていることを親鷺はいかに受け止めたのか、 すなわち、親鷺が白利真実と利他真実に込めた意味を考察することで、親鷺の真実観について論じたい。 至誠心釈における真実の意義 九

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至誠心釈における真実の意義

明 恵 の 立 場 建 暦 二 年 ︵ 一 二 一 二 ︶ 一月二十五日に法然が没すると、間もなく﹁選択集﹂が開版された。そして明恵は、同年 十一月二十三日に﹃搭邪輪﹄を著してその邪見を批判し、 さらに翌年六月二十二日には﹁擢邪輪﹄を補うものとし て ﹃ 催 邪 輪 荘 厳 記 ﹂ ︵ 以 下 ﹁ 荘 厳 記 ﹄ ︶ を 著 し て い る 。 明恵は華厳宗︵あるいは厳密︶の僧であるが、この ﹃擢邪輪﹂はそういう立場から書かれたものではない。 ただ我も念仏宗に入って、善導・道紳等の所製を以て、依想とす。この選択集において、たとひいかなる邪義 あ な が せ ありと睡も、もし善導等の義に相順ぜば、何ぞ強ちに汝を噴めんや。しかるに善導の釈を披閲するに、全くこ け が ︵ 5 ︶ の義なし。汝、自らの邪心に任せて、善導の正義を顛せり。 とあるように、明恵は、念仏宗の立場に立って、差口導の解釈を正しく受け取っていないと、法然を批判しているの ︵ 6 ︶ ︵ 7 ︶ である。この他でも明恵は法然に対して﹁観経ならびに善導の解釈において、実のごとく解了するに力能なし﹂と ︵ N ︶ 批判したり、﹁善導の解釈を信ぜん人、まず汝︵法然︶を捨離すべきなり﹂と述べ、﹁速やかにこの集︵﹃選択集﹂︶ ︵ 9 ︶ の義から遠離し、善導の一門に入るべきなり﹂として、法然が全く善導の解釈から外れていることを痛罵している。 2 明 恵 の 主 張 では、明恵の主張とはどのようなものであるのか、次に見ていきたい。 ただ、本論では概論的に述べるのではな

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く、明恵の論理の骨子となっていると考えられる﹁三世道同の義﹂を中心に見ていくことにする。 明恵は菩提心を空に基づくものとし、諸宗に差別はないとする。そして﹁一切の浄土、菩提心を以て正因とする なり。:::ただ浄土の正因とするのみにあらず、菩提心を以て、また浄土の体とするなり。:::故に諸経論の中に、 浄土の正因を出すに、まづ発菩提心を勧めたり。何ぞ、弥陀一仏、二一世道同の修因を背き、西方一家、一道至果の 道理を隔つることあらんや﹂と述べ、浄土の正因も体も菩提心とする。そして、三世道同・一道至果の道理をもっ て、過去の諸仏と同じように、弥陀も菩提心によって浄土を建立したことを主張する。弥陀︵法蔵︶の菩提心とし ては、﹁大経﹄の四十八願等が挙げられている。さらに、﹁諸仏修道の儀式、彼此差別なし。行者もし菩提心を以て 正因とせずは、弥陀もまた同じかるべし。もししからば、浄土、成立せざらん﹂とし、﹁一切の諸仏、発菩提心を ︵ ロ ︶ 勧むることは、我、菩提心によって正覚を成ずるが故に、衆生もまた菩提心なくは、成仏すべからざるが故なり﹂ と述べ、衆生が往生するためにも菩提心が必要であることを主張する。そして、第十八願の﹁至心・信楽・欲生我 国﹂の文を出し、これを浄土門の菩提心とする。あるいは﹁たとひ深く菩提心の形相を解せん時、至心信楽の文、 ︵ 日 ︶ 必ずしも菩提心にあらずと言ふと維も、もし口称の外に内心を取らば、内心を以て正困とすべし﹂とし、たとえ至 心信楽の文を菩提心とは言えないとしても、称名そのものより、称名する者の内心を重視し、 その心が深ければそ れは菩提心であるとする。 ここで注目すべきは、ゴ一世道同・一道至果の道理によって、往生を願う衆生にも、菩提心が必要とされることで あ り 、 その衆生の菩提心として大経の三心が挙げられていることである。 また明恵は﹁善導の釈に云ふ如く、必可具足三心。若随一閥、不往生。︿取意﹀汝、また許す所なり。しかれば、 善導の釈、心念を兼ぬるの義、明らかなり。::;善導、既に同発菩提心等と云ふ、道紳・懐感等、また之に同じ。 もし文、仏名を云ふ故に、心念を取らずと言うは、既に三一心具足の文に違えり﹂と述べ、﹃観経﹂の三心の根本を 至誠心釈における真実の意義

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至誠心釈における真実の意義 菩 提 心 と し 、 三心具すべしというのは菩提心を持つべしという意味であるとして、三心具足の文からも法然が善導 の釈と違っていることを批判している。 明恵の主張をまとめれば、法蔵︵弥陀︶ は菩提心を以て浄土を建立したのであり、三世道同の義から言って、浄 土に往生しようと願うものも菩提心をもたなければ往生できない、 というものである。また、大経の三心や観経の 三心の根本に菩提心を見て、浄土門の教えから言っても、善導の釈から言っても、法然の菩提心廃捨の理論は成り 立たないことを主張している。 ここで明恵が主張する菩提心とは、諸宗と体一味の菩提心である点に注意すべきである。明恵は、 たとひもし菩提心の体、諸教において実に差別ありと執せば、 往生の正因とすべし。 すべからく浄土宗において別の菩提心を立て、 と述べ、聖道門諸教の菩提心の体とは異なる浄土宗独自の菩提心を立てて往生の正因とするなら容認するかのよう であるが、基本的に明恵は体性の異なる菩提心を認めていないと考えられる。この発言も聖道門の菩提心と浄土門 の菩提心は浅深の差はあっても体性の差はないと述べた後に出されるものであり、続けて﹁選択集﹄第十二章で浄 土の菩提心を挙げながらこれを廃して、浄土宗としての菩提心さえ取ろうとしないと批判している。 また、委しくこれを解するに、汝が播菩提心の邪見は、三宝四諦、皆これを擁するなり。何とならば、謂く菩 提心とは、自性空を性とす。:::しかるに、汝は菩提心に相違して、別の念仏心を立つ。即ち是れ性有の心と すべし。しかるに三宝四諦は、皆畢寛真空を性とするが故に、汝、作意せずと雛も、不覚にしてこれを援去す るなり。もし性有と云はば、即ち数論外道の有性と諸法と一なりと計するに同ぜん。 と述べ、菩提心を廃捨して、別に念仏心を立てる法然の主張は、三宝・四諦を退けるものであって、仏教とは言え ず、外道であると断じていることからも明かであろう。このことは﹁推邪輪﹂に繰り返し説かれているが、最後に

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﹃ 荘 厳 記 ﹄ の 記 述 を 見 て お き た い 。 ﹃ 荘 厳 記 ﹄ では、﹁菩提心の体、無差別の義を明かす﹂として菩提心の体に差別がないことを改めて論じている。 ここで明恵は、菩提心に二体あるとしている。一つは大願であり、もう一つは第一義空性である。 一には有為の体、即ち大願なり。二には無為の体、即ち第一義空性なり。此の二体は二にして不二なり。謂く、 第一義に順ずる心を大願と名く。此の大願が性を第一義空と名く。 それは不二であり、第一義に順ずる心が大願であり、大願の性が第一義空 であると説く。そして法然は菩提心を擢去して、別に専修心を立てるが、その心は第一義空性相応の心ではなく、 つまり菩提心に二体あると言っても、 性有の心であり、外道であると批判するのである。ここで明恵は興味深い問答を展開している。 設い﹃選択集﹄に菩提心の別名を立てずと睡も、もし欣求浄土の心あらば、宣に願にあらずや。 答う。前に説くが如し、第一義に順ずる心を願心と名く。此れに違うは即ち正願にあらざるなり。夫れ大願と 言うは必ず真正の義に目く。謂く、外道の善願は邪にして正にあらず。人間の楽願は似にして真にあらず。其 の所得の果の終に必ず尽極あるは、真正の義なきに依りてなり。其の真正の願とは必ず二空の理に相い順う。 此れ即ち三身の菩提を志願する心なり。是れ真なるが故に、永く無明妄夢の念を断ち、是れ正なるが故に、終 に常楽の我浄の徳を積む。是の故に党に阿蒋多羅三貌三菩提心と云うは、此には無上正真正覚心と云う。 明恵は、欣求浄土の心は願ではないか、 という聞を立て、第一義に順ずる心を願心というのであり、菩提心の体 たる大願とは真であり正である願に限られるのであって、 その真正の願とは必ず第一義空を性とするのであると述 つまり、第一義空性一味の菩 提心があってこそ仏果を得られるのであって、法然が言うような念仏心や専修心や欣求浄の心では往生できないと べ て い る 。 そして、真正の願かそうでないかの違いは、 その所得の果にあると言う。 いうのが、明恵の主張なのである。 至誠心釈における真実の意義

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至 誠 心 釈 に お け る 真 実 の 意 義 四 ﹂の問答は、以下のような言葉で結ぼれている。 彼 の ﹃論﹄に又云く。﹁菩提心とは最上の真実なり。此の真実の義を説きて名けて空と為す、亦真知と名け、 亦実際と名く。是れ即ち無相第一義諦なり﹂と云々。良に以みれば我・法二体を執する心は、能所倶に性有と 為す。人・法二空に順ずる心は、能所倶に性空と為す。此の能順性空の心は即ち是れ大願なり。此の大願は即 ち是れ菩提心なり。諸論の説皆会しぬ、更に二体なきなり。 ここにおいて明恵の主張する菩提心とは、真実心であることが分かる。我法二体に執する心が性有の心であり、 人法二空に順ずる心が性空の心であって、性空の心は大願であり、即ち菩提心であると説く。大願と言われるのは、 今現に真実であるかどうかよりも、真実ならんと真実を求める心を重視するからであろう。 以上より、明恵の主張とは、 三 世 道 同 の 義 に よ り 、 三世の諸仏の修道の儀式に差別はないのであるから、衆生に 菩提心は当然必要であり、 その菩提心とは第一義空に順じた真実たろうとする心であるということになろう。真実 心を起こし、修行に励むことを第一と考える明恵にとって、菩提心等諸行を廃捨し、念仏のみで救われると説く法 然は外道にしか見えなかったのであろう。

善導・法然における至誠心釈

至 誠 心 釈 に お け る 善 導 の 原 意 善導の至誠心釈の原意がどのようなものであったかは、前述の河田論文に詳細に説かれているので、ここではそ れにしたがい、その原意を見るならば、身口意業の三業すべてにおいて、真実心をもって、なすべきであり、真実

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、 句 、 ﹀ 工 斗 / 1 J ・ a , A L カ右

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どれほど努力しようと、雑毒の善でしかない。このような雑毒の行を回して往生を願っても往生す ることはできない。なぜなら、阿弥陀仏が法蔵菩薩であったとき、法蔵菩薩の三業は、 すべて真実心をもって行い、 自利行も利他行も真実だったからである、 という意味になろう。差口導はさらに自利真実について﹁真実心のうちに、 自他の諸悪および械国等を制捨して、行住坐臥に一切の菩薩の諸悪を制捨したまふに同じく、われもまたかくのご とくならんと想ふなり﹂と述べ、衆生も、 一切の菩薩と同じように、諸悪を制捨しようと思うべきであるとされる。 これは、明恵が主張した三世道同の義と同じ意味になろう。明恵が法然に対して善導の解釈を理解していないと 批判したのも、根拠なきものではないことが知られる。 2 法然における至誠心釈 法然は﹁選択集﹄において﹁この三一心は総じてこれをいへば、もろもろの行法に通ず。別してこれをいへば、往 ︵ 別 ︶ 生の行にあり﹂として、諸々の行法に通じる﹁総﹂と、往生の行に限る﹁別﹂の二種類に分けている。また 部 経 大 意 ﹂ では﹁た﹀しこの至誠心はひろく定善・散善・弘願の三門にわたりて稗せり。これにつきて総別の義ある へし。総といふは自力をもて定散等を修して往生をねかふ至誠心なり。別といふは他力に乗して往生をねかふ至誠 心なり﹂と述べ、﹁総﹂を自力にて往生を願う至誠心とし、﹁別﹂を他力に乗じて往生を願う至誠心としている。こ の﹃三部経大意﹄については成立に異論があって留意を要するが、河田論文で他の例も挙げて指摘されているとお り、法然は善導の至誠心釈をそのまま受け取ることに危険を感じていたと考えられる。 また二期物語﹂によれば、﹁善導の釈義によって浄土宗を興したのは、 凡夫が報土に往生することを明らかにするためであった﹂と述べている。もしその善導が菩薩と同じ真実心を凡夫 しかし法然は、﹁偏依善導﹂を標梼し、 に求めているのであれば、﹁善導によって凡夫往生の道が聞かれた﹂という法然の一言説は成立しなくなってしまう。 至 誠 心 釈 に お け る 真 実 の 意 義 五

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至誠心釈における真実の意義 ム ノ 、 法然門下がそれぞれに至誠心釈の解釈に苦心したのも当然であったと言えよう。

親鷺における至誠心釈

親 鴛 の 訓 点 に よ る 至 誠 心 釈 明恵が言うように、善導・法然とも、﹁観経﹂ の 三 心 を 重 視 し 、 一心でも欠ければ往生できないと主張している。 その至誠心において、善導は果たして法蔵菩薩と同じ真実心を持てと述べているのかどうかが親鷺にとって大きな 課題となったことは想像にかたくない。しかし善導の文章を離れて、自分独自の文章で表現すれば、﹁法然は善導 の教えから逸脱している﹂という明恵の批判には応えられない。あくまでも善導の文章にこだわったのは、この明 恵の批判に応えようとしたためであると考えるとき、 そして親鷺は、善導自身の文章に独創的な訓点を施すことによって、 一番自然に説明できるのではないだろうか。 つ い に 昔 2 5 渇寸の﹁真意﹂を探り当てた。親鷺 の訓点によれば、次のような意味になろう。 すべての人々が身口意の三業をもって修める行は、必ず、如来が真実心の内に成就されたものを用いることを明 らかにしたいと思う。凡夫の行いは、 すべて雑毒の善でしかない。この雑毒の行を回しても往生は出来ない。なぜ なら、因位法蔵菩薩の修行は間断なくつねに真実心においてなされたことに由るからである。如来が凡夫に施すと ころもまた皆真実であり、凡夫はこれを趣求することが真実の道である。 ここで親驚が訓点によって読み替えた個所は四個所であるが、 それらすべてに通じることとしては、真実は如来 にのみ言えることであり、凡夫に真実を認めないということである。これによって、真実はただ如来にのみあるの

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であり、凡夫はその真実心を如来から施してもらい、それを﹁もちいる﹂ことによって往生することができる、 いう親鷺思想の核心が、善導自身の文章を根拠として、誕生することとなる。 と 2 自利真実と利他真実 けれども、自利真実として述べられる箇所に関しては、訓点だけでは乗り越えることが不可能である。しかしな がら、善導の至誠心釈には﹁真実に二種あり﹂として自利真実と利他真実を出すものの、利他真実に関しては説明 されていない。述べられていないように思われる利他真実の文章こそ、実は、訓点により意味を展開させた箇所な のではないか。ここに自利真実と利他真実を区別し、異なる意味を持たせる道が聞かれる。これが親鷺における第 二 の 発 見 と い え よ う 。 河田論文では、法然の﹁総﹂と﹁別﹂に分ける教示に導かれ、自利真実と利他真実をそこに配当することによっ て、隠顕の思想が生まれ、これが三経隠顕釈に発展し、三願転入に展開したとされる。けだし慧眼であろう。親鷺 思想の出発点は、実にこの至誠心釈にあったのである。 四親鷺における真実||二双四重判の意義|| 最後に﹁愚禿紗﹂下巻に説かれるニ双四重判を見てみたい。 ︻ A ︼ 真実に二種あり 一 に は 白 利 真 実 難 行 道 聖 道 門 竪 超 即 身 是 仏 ・ 即 身 成 仏 、 自 力 な り 。 竪 出 自力の中の漸教、歴劫修行なり。 至誠心釈における真実の意義 七

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至誠心釈における真実の意義 }\ 二 に は 利 他 真 実 易 行 道 浄 土 門 横 超 如 来 の 誓 願 他 力 な り 。 横出他力の中の自力なり、定散諸行なり。 ︻

B

︼ 自利真実についてまた二種あり 一 に は 厭 離 真 実 聖 道 門 難 行 道 竪 出 自 力 竪出は難行道の教なり、厭離を以て本とす、 自力の心なるが故なり。 こ に は 欣 求 真 実 浄 土 門 易 行 道 横 出 他 力 横出は易行道の教なり、欣求を以て本とす、 せ 何 し を む 以 る て が の の 故 故 に な 、 り(願 と~力 よ り て 生 死 を 厭 捨 まず︻ A ︼群の文章では、真実を﹁自利真実﹂と﹁利他真実﹂に分け、﹁白利真実﹂に難行道・聖道門、﹁利他真 実﹂に易行道・浄土門を配当している。さらにここで二双四重判が展開され、それぞれに説明がなされているので あるが、ここでの特徴としてはそれが自力であるか他力であるかを説明していることである。このことは﹃愚禿 紗﹄上巻の二双四重判と比較すると明かであって、上巻では自力他力に全く触れていないのである。 さて、次に︻ B ︼群の文章を見てみると、﹁自利真実﹂をさらに﹁厭離真実﹂と﹁欣求真実﹂の二つに分け、そ れぞれ﹁竪出﹂と﹁横出﹂を対応させている。先に﹁利他真実﹂とされた﹁横出﹂がここでは﹁自利真実﹂として 出されているのである。このことを可能にさせているのが︻ A ︸群における自力と他力による説明書きであろう。 横出は﹁他力のなかの自力﹂であり、他力・易行道の教であるけれども自力の心であるがゆえに自利真実として出 さ れ る の で あ る 。

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﹂れを図示すれば、左のようになろう。 ︻ A ︼真実 一 ﹁ | ︻

A

︼自利真実

1

1

竪 超 ー 工 一 − 竪 出 Ill − ︻

B

︼自利真実

γ

J

− 一 一 ﹁ ︻

A

︼ 利 他 真 実 |

1

横出

L

︵ 111111 ﹁ 横 超 i | ︻

B

︼利他真実

γ

ー 自利真実 利他真実 つ ま り 、 ︻

A

︼群で竪超・堅出・横出を自力と押さえることで、﹁他力のなかの自力﹂である横出を︻

B

︼群では 自利真実に含め、結局、竪超・竪出・横出を自利真実、横超を利他真実としているのである。 あるいは、善導の至誠心釈の文から言えば、竪超について直接述べた文章が至誠心釈にはないので、︻ B ︼ 群 だ けとなり、竪超が含まれない。至誠心釈は往牛を志すもののための釈であるから、﹁即身是仏・即身成仏﹂という この世で仏になると説く竪超に関係しないのは当然であろう。しかし、親鷺は竪超をも白利真実に含めたかったが た め に 、 ︻ A ︼群の文章をその前に置くことによって竪超をも自利真実に含めたとも考えられる。 いずれにせよ、親鷺は、︻

A

︼群の文章によって自力他力を分配した後に︻

B

︼群の文章を書くことによって、 真実を二種に分け、横超以外の仏教を自利真実とし、横超のみが利他真実となるように配慮したと考えられる。 この区分は、﹃愚禿紗﹂上巻の二双四重判の結釈に、 唯阿弥陀如来の選択本願を除きて巳外、大小・権実・顕密の諸教、皆是れ難行道、聖道門なり。又易行道、浄 土門の教、是れを浄土回向発願白力方便の仮門と日ふ也。 と説かれる区分に等しい。ここではなぜ選択本願とそれ以外の仏教を分けられるのか、 その理由が示されていない 至誠心釈における真実の意義 九

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至誠心釈における真実の意義 四

が、今の下巻の自利真実と利他真実の区分により初めてその根拠が明らかにされたといえる。そしてこれは結局、 真と仮の区分に該当する。親鷺は、﹁化身土文類﹂で、 ﹁門余﹂といふは、﹁門﹂はすなはち八万四千の仮門なり、﹁余﹂はすなはち本願一乗海なり。 として、本願一乗海すなわち弘願の教え以外の仏教を仮門としている。 つまり、親驚がここで二双四重判を施すこ とによって明らかにしようとしたことは、自利真実とは仮であり、横超以外の全仏教を指し、利他真実とは真であ り、横超という弘願他力を指すということであったと考えられる。 の最後に、至誠心追釈を設け、難易対として、 難は三業修善不真実の心也、易は如来願力回向の心也。 と述べ、自利真実とは、﹁三業修善不真実の心﹂であると押さえている。そして、その最後では、 ひそかに観経の三心往生を案ずれば、是れ則ち諸機自力各別の三心なり。大経の三信に帰せしめむが為なり、 諸機を勧誘して三信に通入せしめむと欲ふなり。三一信は、斯れ則ち金剛の真心、不可思議の信心海なり。 そし て 親 鷺 は ﹃ 愚 禿 紗 ﹄ と 述 べ 、 ﹁ 観 経 ﹄ の 三 心 は 、 諸 機 を 勧 誘 し て 、 ﹃ 大 経 ﹄ の三信に帰せしめるためであると押さえている。 つまり自利真実としての仮の仏教は、﹁三業修善不真実の心﹂を明らかにするために説かれた教えであり、﹁不真 実の心﹂を明らかにさせることによって弘願の真実信心に通入せしめるために説かれたものであるとしているので あ る 。 ここで聖道門の教えも、弘願の真実信心に帰せしめるために説かれたということについて、補足しておくなら、 親鷺は﹁化身土文類﹂で、聖道門つまり竪出・竪超について、﹁すなはちこれ自力、利他教化地、方便権門の道路 なり﹂と述べている。この内、﹁利他教化地﹂というのは、プ証文類﹂の還相回向釈に﹁還相の回向といふは、すな はちこれ利他教化地の益なり﹂とあり、還相回向の益である。また親驚は、御消息の中で次のように述べている。

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聖 道 と い ふ は 、 すでに仏に成りたまへる人の、 われらがこころをすすめんがために、仏心宗・真言宗・法華 宗・華厳宗・一二論宗等の大乗至極の教なり。仏心宗といふは、この世にひろまる禅宗これなり。 ま た 法 相 宗 ・ 成実宗・倶舎宗等の権教、小乗等の教なり。これみな聖道門なり。権教といふは、すなはちすでに仏になりた ︵ 出 ︶ まへる仏・菩薩の、かりにさまざまの形をあらはしてすすめたまふがゆゑに権といふなり。 すなわち親鷺にとって、聖道門の教えとは、﹁すでに仏になりたまへる人﹂が、還相回向によって、﹁われらがこ ころをすすめんがために﹂説かれた教えなのである。どのように勧めるのかと言えば、自利真実の教えを説くこと によって、﹁三業修善不真実の心﹂を明らかにさせ、そのことによって、選択本願たる浄土真宗に勧め入れるとい うことになる。したがって、親鷺においては、聖道門の教えも、弘願の真実信心に帰せしめるために説かれた仮の 教えと言えるのである。 結 三A、 日間 親鷺が至誠心釈をあくまで訓点によって読み替えようとしたのは、明恵の﹃推邪輪﹄における法然批判への応答 と考えられる。明恵は、二一世道同の義により、空性を体とする菩提心があってこそ往生できるのであって、そうで なければ往生できないと主張した。この明恵の批判に対し、親鷺は、明恵が説くような菩提心は自利真実であり、 ﹁諸機自力各別﹂すなわち人によって異なるものであって、 それは結局利他真実に帰入させるためのものであると した。そして浄土建立の因である如来の真実心が、 そのまま衆生往生の因であることを、善導自身の文に訓点を施 すごとによって明らかにすることで、明恵の批判に応えようとしたのではないだろうか。 とこで親鷺は、横超以外の仏教を自利真実、すなわち仮としている。自利真実を切り捨てるのではなく、利他真 至誠心釈における真実の意義 四

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至 誠 心 釈 に お け る 真 実 の 意 義 四 実に帰入させる方便として位置づけているのである。そしてそれも真実と呼ばれる。 つまり真実から方便の教えが 出てきていることとなる。その教えは、行者に自らの心が ﹁不真実の心﹂であることを気づかせ、真実に導く。真 実は方便となって諸機を勧誘し、方便は衆生を真実へと導く。この動的なはたらきすべてを、親鷺は真実と考えた のではないだろうか。真実とはどこかにあるのをこちらが求めていくという静止したものではなく、 むしろ自ら方 便となってこちらに現れ出て衆生を救済する、 そういうダイナミックな真実こそ、親鷺の真実観であり、明恵への 返答だったのではないだろうか。 註 ︵ 1 ︶﹁河田光夫著作集・第三巻・親鷺の思想形成﹄所収 ︵ 2 ︶﹃河田光夫著作集・第三巻・親驚の思想形成﹄一九四頁 ︵ 3 ︶﹃河田光夫著作集・第三一巻・親鷺の思想形成﹄二五五頁 ︵4 ︶ ﹁ 河 田 光 夫 著 作 集 ・ 第 三 一 巻 ・ 親 驚 の 思 想 形 成 ﹄ 二 六

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頁 ︵ 5 ︶鎌田茂雄・田中久夫編﹃鎌倉旧仏教﹄︵岩波書店、日本思想体系一五︶七四頁 ︵ 6 ︶﹃擢邪輪﹄の立場として、石田充之氏︵﹃鎌倉浄土教成立の基礎研究﹄︶や末木文美士氏︵﹁﹃擢邪輪﹄考||高弁 の念仏批判||﹂︶は次の三点を挙げられている。第一に大乗仏教一般の立場からの批判、第二に聖浄二門判をと る法然の立場をひとまず認め、浄土門の立場に立ったとしてもなお法然は浄土門の思想を正しく理解していないと する批判、第三に浄土門の中でも﹁偏依善導﹂を標梼する法然に従い、善導の立場に立ったとしてもなお法然はそ れ を 誤 解 し て い る と す る 批 判 で あ る 。 ︵7 ︶﹁鎌倉旧仏教﹄三三八頁上 ︵ 8 ︶ ﹁ 鎌 倉 旧 仏 教 ﹄ 一 二 七 九 頁 上 ︵ 9 ︶﹃鎌倉旧仏教﹄三七九頁上 ︵ 刊 ︶ ﹃ 鎌 倉 旧 仏 教 ﹂ 三 二 四 頁 下 ︵ 日 ︶ ﹃ 鎌 倉 旧 仏 教 L 三二五頁下 ︵ ロ ︶ ﹃ 鎌 倉 旧 仏 教 ﹄ 三 二 五 頁

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︵ 日 ︶ ︵ U ︶ ︵ 日 ︶︵同︶ ︵ 口 ︶︵問︶ ︵ 凶 ︶︵却︶ ︵ 目 ︶︵泣︶ ︵ お ︶ ︵

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︶ ︵ お ︶ ︵ 却 ︶ ︵ 幻 ︶ ︵ 却 ︶︵却︶ ︵ 却 ︶︵汎︶ ﹃ 鎌 倉 旧 仏 教 ﹄ 一 三 一 六 頁 下 ﹃鎌倉旧仏教﹄三五八頁下 ﹁ 鎌 倉 旧 仏 教 ﹂ 五 六 頁 ﹁ 鎌 倉 旧 仏 教 ﹄ 九 二

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九三頁 ﹁浄土宗全書﹄八、七七六頁上 ﹁浄土宗全書﹂八、七七八頁上 ﹃浄土宗全書﹄八、七七九頁上 真聖全一、九六七頁 ﹁影印高田古典﹄第一巻、三二七

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三 二 八 頁 。 ﹃河田光夫著作集・第三巻・親驚の思想形成﹄ 昭法全、四四

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頁 ﹃ 影 印 高 田 古 血 ︵ ﹄ 第 二 巻 、 三 一 四

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一 一 三 五 頁 。 ﹁影印高田古典﹄第二巻、二九七頁 真聖全二、六一五頁 ﹃ 影 印 高 田 古 血 ︵ ﹄ 第 二 巻 、 三 三 八 頁 ﹃影印高田古典﹄第二巻、三四

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頁 真聖全二、一五五貞 真 聖 全 二 、 一

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六 頁 真聖全二、六五七頁 至誠心釈における真実の意義 二 四 一 頁 。 な お 漢 文 を 書 き 下 し 、 改 行 等 を 整 理 し た 。 四

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