̲̲̲̲̲̲ 11111
‑ r ,
̲̲
̲
1
ー ー ー
1 1 9 1 '
‑
︱︱論説一︱
L
[ 1 9 9 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 , L
一八世紀中頃にイギリスで起こった産業革命以来︑人類は石炭や石湘など枯渇性資源を大量に消費しながら未曾
□世紀は︑資本が利
モハンダース•K.ガンディーは︑前世紀の前半に利己心や物質主義に彩られた近代文明
は じ め に
シM
o h a n d a s
K .
G a n d h i )
石
_|アマルティア•K
.センによる批判を超えてー
̲ ̲
井
グ ロ ー バ ル 化 時 代 に お け る ガ ン デ ィ ー 思 想 の 意 義
七
也
イギ
リス
は︑
第一節ガンディーによる近代文明批判と﹁脱近代﹂
してゆく今世紀においていっそう重要な意味をもつ︒筆者はかつて︑﹁小さな経済﹂を志向しながら貧者を救済しよ
うとした彼の思想の現代的意義を︑
Ta go re )
アマルティア•K.
セン
( I s h i i , 20 01 ; 20 03
)︒ところが︑センは︑実はラビンドラナート・タゴール
の近代主義を引き継いでガンディーに対して深刻な批判を提起しており︑この点を吟味する余地はなお残さ
そこで本稿では︑ますます生態系を破壊しながらグローバル化してゆくニ︱世紀においてガンディー思想のもつ意
義を
︑
センによる批判をふまえてあらためて論ずることとしたい︒そのためにはまず︑ガンディーによる近代文明批
︵手紡ぎ車︶をめぐっておこなわれたガンディー
11
れて
いる
︒ 判と﹁脱近代﹂
タゴール論争︑およびこれを﹁タゴールの側﹂に立って評価したセンの見解を吟味する︒その上で︑人類をその一部 の思想の概略を示し︑
とする生態系の存続を是認するならば︑センによる批判を超えて︑なおガンディー思想にグローバリゼーションの流
れを反転させるための契機を見出しうることを示して結びとする︒
一八世紀の中頃に産業革命を経験するとまもなくベンガル地方などを拠点にインド支配を進めたが︑
以来二0世紀半ばにインドに独立を許すまで宗主国としてその富を収奪し続けた︒とりわけ一九世紀半ば以降︑同国
は︑過剰生産に直面した国内資本の投下先を植民地に求める帝国主義の時代に入るが︑ガンディーが﹁近代文明﹂を
厳しく批判したのはそうした時代の後半期に当たる︒グローバリゼーションが︑資本輸出や自由貿易を通じて伝統的 うと試みたことがある
つぎに主としてチャルカー
の経済建設
(R ab in dr an at h
( A m a
r t y a
K .
Se n)
の構築した諸概念によって説明しよ
七四
ガンディーは︑﹁機械﹂による物質的発展の帰結として︑ 表
して
いる
﹂
(i bi d. , p. 4 3
) ︒ さにイギリスの工業発展のために世界経済が再編成されてゆく形の当時のグローバリゼーションの一端を担うもので 社会を破壊し︑これを世界経済に統合してゆくプロセスを内包するとすれば︑ガンディーのみていた﹁近代﹂は︑ま
そこで本節では︑ガンディーが近代文明をいかに批判し︑これを乗り越えてインドにいかなる経済社会を築こうと
の全体像についてそれぞれ検討を加えたことがあり︵石井︑
近代文明批判
七五
一九世紀後半以降の西洋列強による帝国主義支配が非西
していたのかを検討することとする︒筆者は︑かつて彼の受託者制度理論
(T he or
of Ty
ru st ee sh ip )
および経済思想
一九九四;
Is hi i, 2 00 1)
︑またチャルカー運動については
別稿を用意しているが︵石井︑二
0
0七︶︑次節以降の議論に必要なかぎりにおいてこれらの論考にも依拠しながら
ガンディーの経済思想の概略を示すこととしたい︒
ガンディーは︑産業革命以降の西洋における資本主義の発展をみて︑近代文明の特徴は物質主義と精神性の軽視に
つまり︑そこでは人々が﹁金や金で買うことのできる奢修品の虜になっており﹂︵G目
dh i, 19 22 , p. 33
)︑﹁この文明は︑道徳や宗教には注意を払わない﹂
(i bi d. , p. 4 3 )
というのである︒彼にとって︑物質的発展を
推進するための﹁機械﹂は︑﹁少数者が大衆を搾取して生きるのを助けて﹂
(G an dh i, 19 57 , vo l. 2, p
. 3 3)
おり︑その
であった︒﹁機械はヨーロッパを荒廃さ場合の少数者の動機は﹁人間性や愛などではなく︑意地汚さや貪欲﹂
(i bi d. )
せはじめた︒荒廃の波はイギリスの門戸を叩きはじめた︒機械は近代文明の主たる象徴であり︑それは大きな罪を代 あるとみていた︒
(
一)
あっ
た︒
ウェークフィールド
(2 )
展し
てゆ
く︒
ド ・
G
て ︑ 姿を消してしまったのはマンチェスターのせいなのです﹂ 洋社会の有機的組織を破壊したと考えている︒﹁インドを貧困にしたのは機械です︒⁝⁝インドの手工業がまった<
( G a n d h i ,
19 22 ,
p .
10 5)
︒また天然資源や市場をめぐる工業
国間の競争︑植民地分割がしばしば暴力的対立や世界戦争へと発展したことに鑑み︑彼はインドが西洋にならってエ
業化することに断固反対するのである︒﹁インドをイギリスや合衆国のようにすることは︑搾取の対象としてこの地
球上に他の民族や土地を見つけることである︒⁝⁝搾取されたもののなかでインドは最大の犠牲者である﹂
( G a n d h i ,
19 57 ,
v o l . 2 , p . 24
)
︒
これに対して︑ガンディーにとっての
自発的な削減に依存するもの﹂
( G a n d h i ,
19 57 ,
v o l . 1 ,
p .
14 6)
もなく利己心の追求を肯定的に捉えた西洋の経済学者たちのそれとは根本的に異なるものである︒たとえば︑アダム・
スミ
ス
こA
da S m m i t h )
﹁真の意味での文明﹂とは︑﹁必要物の拡大ではなく︑その慎重な︑そして
でなければならなかった︒こうした視点は︑
は︑自由主義のもとに利己心が貰徹し︑資本蓄積と分業を通じて国富が増大することを歓迎
したが︑ガンディーは︑逆に﹁スミスにとっての純粋な動機である人間の利己主義
( h u m a n s e l f i s h n e s s )
は︑
︹カ
ーデ
ィ
ーの経済学においては︺克服されるべき﹃錯乱要因﹄
( d i s t u r b i n g f a c t o r )
は引用者︶と述べた︒イギリス古典派経済学はその後︑デイヴィッド・リカード
( D a v i d R i c a r d o )
の比較優位説を経
一九世紀前半に国内の過剰生産の問題に直面すると︑ジョン・スチュアート・ミル
( J o h n S t u a r t
M i
l l )
やエドワー
( E d w a r d G . W a k e f i e l d )
らの資本輸出論へと連なり︑帝国主義を正当化する議論へと発
﹁近代文明に酔っている人は︑それにたいして反対するようなことは書こうとはしない︒彼らの関心は︑それを正
当化するための事実や論証をみつけることであり︑彼らは無意識のうちのそれが真実であると偏じつつ︑そうするの
であ
る﹂
( G a n d h i ,
19 57 ,
v o l . 2 ,
p .
26 0, 括弧
七六
いうまで
一九二九/三
0年
の
A I S
A
および関連機関によるカーディー生産量は一六七万六九三0ヤード
( A I S A ,
19 50 ,
p .
25 4)
にすぎず︑その生産規模は︑前者の二
0
分の一に満たなかった︒と 0
はいえ︑同時期の工場の雇用者数が三九・五万人
(F FC ,
19 42 ,
p .
36 )
であったのに対して︑
A I S
A
その他が一︱万七五0九人
( A I S A ,
19 29 ,
p .
1 1 )
であったから︑ここから綿布生産一
0
0万ヤード当たりの雇用者数を算出すると︑
19 42 ,
p p .
55
‑5 6)
であったのに対して︑ 布に席巻されて困難な道をたどった︒実際︑
七七
であ
る﹂
( G a n d h i ,
19 22 ,
p .
31
)︒﹁一国が他国を支配することを許す経済学は︑非道徳である﹂
( G a n d h i ,
19 68 ,
v o l .
6,
p .
32 1)
︒イギリスの経済学が他民族の支配を正当化するように展開していったのにたいして︑ガンディーのこうした
告発は︑まさにそうした支配を受けた側からの異議申し立てであったといえる︒
﹁脱近代﹂の経済建設ごナャルカー運動と受託者制度理論
近代文明から脱却するためにガンディーが目指したのは︑インドに古くから伝わるチャルカーとカーディー
り綿布︶を復活させる運動︵以下︑﹁チャルカー運動﹂とする︶を通じて︑村落を中心とする﹁協同組合的社会﹂を
建設することであった︒同運動は︑そもそも外国製布地の輸入が︑﹁インドの何百万という同胞を殺し︑その何千も
の愛しい女性たちを恥辱の生活に追いやった﹂
( Y o u n g I n
芦 d
A u g u s t
1 1 ,
19 21 )
との認識に立ち︑まさに糸紡ぎを含
む織物の工程をすべて手作業とすることによって労働の機会を貧者に広く分配し︑彼らを救済しようと意図したもの
であ
った
︒
チャルカー運動は︑一九二0年代から四0年代にかけて全インド紡ぎエ協会
( A l l I n d i a S p i n n e r s ' A s s o c i a t i o n : A I S A )
を中心に大々的に展開され︑インドの市場から外国製綿布を強力に排除したが︑他方でインド民族資本による機械製綿
( 二
)
一九
三
0/三一年の工場による綿布生産量が二四・八一億ヤード
(F FC ,
︵手
織
︵一
ニハ
三︶
︒チ
ャル
カー
運動
は︑
(4 )
品質などの観点から積極的に評価されることは少なかったが︑その労働集約度は実に機械の六三倍にのぽっていたの
(5 )
であり︑本来この点にこそ経済的合理性が認められなければならない︒
ガンディーは︑インドの綿布生産をすべてチャルカーで賄えば︑五
0 0
0万人の貧者に生きるための仕事を与えら
(6 )
れると考えたが︑それを阻んでいたのが︑年間三ヶ月以上の失業期間を有するこれら貧者を前に︑わずか四0万人に
満たない人々を雇用して多額の富を独占していた綿布工場の存在にあったことはいうまでもない︒しかし彼は︑私有
財産や工場の没収などを主張するマルクス
1 1
レーニン主義の路線を﹁非暴力﹂
互扶助の精神に基づいてカーディー生産を自発的に支持することを期待した︒ の観点から拒否し︑インドの人々が相
たとえば一九三八年にガンディーは︑﹁稼ぎのない年老いた競や子どもを養うことが恵みと考える﹂のと同様に﹁他
の布地を排除してでもカーディーを維持しなければならない﹂と訴えて
( H
a r
i j
a n
,
De
ce
mb
er
1
0, 1 93 8)
︑かりにカー
ディーの価格が機械製綿布などより高価であっても紡ぎ工や織工の生業を助けるように同胞に求めた︒もっとも彼
は︑
﹁国
家の
幸福
﹂
の観点からみれば﹁カーディー価格はけっして高価ではない﹂
( i b i
d . )
というが︑その場合の﹁国
家の幸福﹂とは︑さしずめ資本蓄積と分業による富の蓄積ではなく︑簡素な経済にあって同胞が互いを支援し︑最貧
の者までもが﹁尊厳ある仕事﹂に従事して生きてゆける状況を意味しよう︒
チャルカー運動と並んで︑ガンディー経済思想のもう︱つの重要な柱を構成しているのが︑受託者制度理論である︒
同理論は︑第一義的には︑富者は︑みずからを神から財産の信託を受けた﹁受託者﹂
( t r u
s t e e
)
とみなし︑その財産
を貧者のために行使するという考え方である︒しかしそれは︑資本家や地主が﹁受託者﹂として振舞うかぎりその立
場を正当化することになり︑当然のことながら階級闘争を主張するマルクス
1 1
レーニン主義者から激しく批判され 前者の一五九人に対して︑後者は一万六三人となる一般に低生産性︑低賃金︑低
七八
( J a w a h a r l a l
N e h r u )
度︑現在の資本主義システムなど︑進歩の妨げとなっているあらゆる古い秩序に祝福を送っている﹂
( N e r h u ,
19 62 ,
p .
52 8)
と嘆
いた
し︑
E.M.s
.ナンブーディリッパードゥ( E .
M .
S. N a m b o o d i r i p a d )
もまた︑ガンディーを﹁ブル
ジョアジーという階級の抜け目のない政治的指導者﹂
( N a r n b o o d i r i p a d ,
19 58 ,
p .
63 )
であるとみていた︒
ガンディーは︑たしかにガーンシャムダース・ビルラー
七九
は︑﹁ガンディーは︑封建的藩王国︑大土地所有制
( G h a n s h a m d a s B i r l a )
など大資本家たちとの友好関係を保
ち︑このことは機械を通じて少数者が大衆を搾取しているという先に示した認識との整合性が問われてよいところで
はある︒とはいえ彼は︑この理論を通じて階級間の分裂を阻止する役割を果たし︑同時に資本家たちはこれによって
チャルカー運動を支援する負担を負わされていたのである︒富裕階級の擁護よりも貧者救済に力点があったことを認
めるならば︑同理論は︑なおインド社会の内在的矛盾を﹁非暴力﹂の手法で解決しようとした積極的な社会経済改革
論であったといえる︒ガンディーは︑同理論によって﹁持てる者と持たざる者の間に今日存在するあの大きな隔たり﹂
( G a n d h i ,
1
95 8‑ 94 ,
v o l . 5 8, p .
21 9)
を解消することを目指し︑少なくとも主観的には﹁もっとも進んだ社会主義者や
( 8 )
共産王義者と同じくらいほとんど資本主義を終焉させ﹂
( i b i d . , v o l . 71,
p .
28 )
ようと考えていたのであった︒
チャルカー運動と受託者制度理論を通じてガンディーが目指していたのは︑﹁インドの七0万の村落の搾取と荒廃
の上に成り立つ六つの都市と大英帝国の代わりに︑前者がおおかた自給自足的になる﹂
( G a n d h i ,
19 45 ,
p .
1 1 )
ことで
あった︒このとき彼が理想とした自立的な村落とは︑次のようなものである︒
理想のインドの村落は︑完全な衛生を確保するように建設されるであろう︒そこの家屋は︑十分な光と換気が
確保され︑村の周囲半径五マイル以内で得られる材料で建てられるであろう︒家屋には︑住人が自家消費用のた
めの野菜を植え︑家畜を飼うための中庭があるだろう︒⁝⁝村には︑すべての人々が利用できる井戸︑すべての る︒たとえば︑ジャワーハルラール・ネルー
人のための礼拝所︑集会所︑家畜を放牧する村落共有地︑協同組合型の牧場︑そして工業教育を中心とする小中
学校もあるだろう︒⁝⁝村落は︑それ自体の穀物︑野菜︑果物︑およびカーディーを生産するであろう
( T e n d u l k a r ,
19 88
‑9 0,
v o
l . 4 , p .
11 8)
︒
こうした村落は︑チャルカーのように資本蓄積の観点からみれば非効率な技術を主軸とするものであるから︑物質
的には簡素な杜会である︒しかし︑それは︑そうした技術を生存の手段として広く貧者に提供し︑彼らの自助努力を
同胞が相互扶助の精神に基づいて支援するという︑精神的には豊かないわば﹁共生﹂の社会であった︒
ガンディーは︑これらの運動と理論を通じて自然のなかに人間の身の丈に合った﹁協同組合的社会﹂を再建すること
によって﹁近代文明の名のもとにまかり通っている多くのことを根本的に変更し﹂
( G a n d h i ,
19 57 ,
v o l . 2
,
p .
17 7)
よ
うとしたのである︒﹁独立インドが︑泣きうめく世界に対してその役割を果たせるのは︑その何千という村落を発展
させ︑世界と平和を保ちつつ簡素で気高い生活を採用することによってである﹂
( i b i d , p .
19
) ︒
ガンディー
1 1
タゴール論争とセンによるガンディー思想批判
こうしたガンディーの思想は︑
第二節
つま
ると
ころ
︑
センの構築した概念によって説明できる部分がある︒すなわち︑チャルカー運動と
受託者制度理論は︑﹁権利を剥奪された﹂
( d e p r i v e d )
貧しい紡ぎ工や織工の﹁潜在能力﹂
( c a p a b i l i t y )
を回復させるた
( 9 )
めに︑﹁小さな経済﹂において彼らを積極的に社会経済開発のプロセスに参加させる試みであったということである︒
求められたが︑このとき彼らに期待されたのは﹁コミットメント﹂
( c
目
on i t m e n t )
カーディーの消費者や﹁受託者﹂たる資本家および地主は︑貧者救済を目的とするチャルカー運動を支持することが
( 1 0 )
の精神にほかならない︒
八〇
しかしながら︑
ガンディー思想をこうしてセンの諸概念によって説明できる部分があるとはいえ︑
ーと同じ思想的系譜に属すると考えるのは誤りである︒センは︑むしろ近代主義の立場からガンディーを激しく批判
したラビンドラナート・タゴールの陣営に与するものであり︑実際ガンディーとタゴールの論争を﹁タゴールの側﹂
的交流︑合理性と科学の役割︑経済社会開発など多岐にわたったが︑
方よりも理性を重視し︑世界の他の地域により大きな関心を示し︑科学と客観性をより尊重したとみる
( R o m a i n R o l l a n d )
ンの評価を検討することとしよう︒
れは知的窮乏を生むにすぎない﹂︵同前書︑
セン
は︑
J ¥
センがガンディ( S e n
2,
00 4, p .
5
)︒︱一人の論争は︑ナショナリズム︑愛国主義︑文化
タゴールの方が相対的に伝統的な考え
の記録に基づいてガンディー
1 1 タゴール論争を振り返り︑これに対するセ
﹁人間の神聖な精神への信仰が今もなお生きていることを証する機会を︑ガンジ
ーがインドに与えてくれたこと﹂に感謝していたが
( R o l l a n d ,
19 24
邦訳︑五一ページ︶︑他方でガンディーの対英 :
非協力運動は︑洋の東西の文化的交流を深めようとしていたタゴールの好まざるところであった︒タゴールは︑一九
二︱年三月一三日に西洋による支配を﹁人類の使命﹂の観点から擁護し︑ガンディーの運動を﹁地方気質の最悪の形
式﹂として批判している︒﹁われわれの精神を西洋のそれから引き離そうとする今の試みは精神的自殺である⁝⁝現
代は︑西洋の力強い支配を受けてきた︒それが可能だったのは︑人類のために果たすべき大きな使命を西洋が有して
いたからである︒⁝⁝西洋との協力を保つことが悪いというのは︑地方気質の最悪の形式を奨励するものであり︑そ
五四
ペー
ジ︶
︒
これに対してガンディーは︑同年六月一日に﹁詩人の憂慮﹂と題する文章のなかで︑自らの思想が偏狭なナショナ
リズムではないことを弁明する︒﹁私は︑自分の家に垣をめぐらし︑窓を閉めることを望みはしない︒私は︑すべて ロランによるとタゴールは︑常々 こではロマン・ロラン に立って理解しようとつとめているのである
( i b i d . )
︒こ
彼らが食をうるように仕事を与えよ! の国々の文化の息吹ができるだけ自由に家の中を流れることを願う︒しかし私はその風に足をさらわれることを拒む ﹂
( R o l l a n d ,
19 24
: 同前書︑五五ページ︶︒ガンディーは︑こうしてタゴールの
( 1 1 )
ボンベイにて外国製布地の焼き払い運動を決行するのである︒
﹃モダン・レヴュー﹄誌に示しているように︑彼にとって︑人々がガンディーの呼び
元 R o
l l a n d ,
かけに盲目的に応じて各地で外国製布地を焼き払う光景は︑﹁知性と教養に鍵をかけ﹂ることを意味した
19 24 :
邦訳︑五六ページ︶︒タゴールは︑ガンディーの﹁糸を紡げ︑布を織れ﹂というメッセージを﹁これが果たし
て新時代の新しい創造への呼びかけであろうか?﹂︵同前書︑五七ページ︶と嘆き︑﹁もし大機械が西洋の精神に危険
であるなら︑小機械は私たちにもっと悪い危険ではないだろうか?﹂︵同前書︶としてチャルカー運動を酷評するの
こうしたタゴールの批判に対して︑同年一0月二二日付の﹃ヤング・インディア﹄誌上でガンディーの展開した反
論は︑詩人を沈黙させるのに充分であった︒
私のまわりの人々が︑食物がないために餓死しつつあるときに︑私に許される唯一の仕事は飢えた人々を養う
ことである⁝⁝飢えた︑活動的でない民衆にとって︑神の姿が現れる唯一の形式は仕事と︑自らの生計の道をう
る望みである︒神は︑働いて自ら糧をうるように人間を創りたまい︑働かずして喰うものは盗人であるといわれ
た⁝⁝糸紡ぎ車こそ幾百万の瀕死の人々にとっては生命である︒⁝⁝詩人は明日のために生きる︑そして私たち
も彼と同じようにすることを望むであろう︒彼は悦惚した私たちの目の前に︑朝まだきに賛美歌を歌いつつ飛び
翔ける美しい小鳥の絵を示す︒⁝⁝飢えた人々の苦しみを︑カビールの歌で和らげることは不可能なのを見た⁝⁝
であ
る︒
タゴールが同年一0月一日の
食うために働く必要のない私がなぜ糸を紡ぐのかと人は尋ねる︒それ ﹁憂慮﹂を振り切り︑七月三一日に
ノ\
f︑ キ ノ こ
︒
っ i
f
チャルカー
ルも紡ぐがいい︑他の人々と同じように!
一九
六
0年の
J ¥
﹃技術の選択﹄に⁝⁝それが今日の義務である
は︑私は自分に属していないものを食べているからである︒私は同胞を掠めて生きている︒あなたの懐中に入っ
てくるすべての貨幣の跡を探ってごらんなさい︑⁝⁝糸を紡がねばならない︒何人も紡ぐべきである!
( R o l
l a n d
, 1 92
4 : 邦訳︑五八ー五九ページ︶︒
セン
は︑
彼も外国製の衣服を焼くがいい!
タゴールが﹁人々が自由に生き︑考えること﹂を最も重視していた点を強調し
( S e n
,
20 04 ,
p .
8
)︑次の
タゴールの言説を引用する︒﹁チャルカーは何人にも考えることを要求しない︒人は︑この時代遅れの発明物をただ
絶え間なく廻し︑最小限の判断力とスタミナを費やすのみである﹂
(i bi d. ,
p .
10
)︒そしてセンは︑二人の論争におい
て﹁チャルカー批判をけっして止めなかった﹂タゴールが︑﹁その経済的判断においておそらく正しい﹂という
( S e n
,
20 04 ,
p .
1 1 )
︒
センが﹁タゴールの側﹂に立つ根拠は︑独立インドの第二次五カ年計画においても重要な位置を占めたアンバル・
︵ガンディー型チャルカーの発展型︶に対する自らの評価にある︒彼は︑
関する論考でアンバル・チャルカーの技術的可能性をい労働生産性︑閲産出一単位当たりの粗付加価値︑い産出一単
位当たりの粗余剰︑団資本/産出比率︑および口資本投下一単位当たりの余剰率の観点から検討し︑次のように結論
アンバル・チャルカーのプログラムは︑インフレ的で資本蓄積にマイナスに影響しがちである︒余剰のフロー
を形成するにはほど遠く︑循環コストにも見合わない価値の産出フローしか生み出さない︒⁝⁝技術的可能性の
観点からみて︑
アンバル・チャルカーは︑あまり多くを提供するようにはみえない
( S
e n
,
19 60 , p p .
1 1
5
ー1
9)
︒
タゴールにおいては︑さしずめ近代科学や﹁大機械﹂こそが﹁新しい創造﹂を生み出すものであったが︑センにお タゴー
いてもまた︑選択されるべき技術は︑資本蓄積に︒フラスに影響するものでなければならなかった︒だがこうした考え
は︑タゴールがいみじくも﹁西洋の力強い支配﹂を﹁人類の使命﹂の名のもとに正当化したことにも表れているよう
に︑資本蓄積や分業︑帝国主義を正当化したイギリスの古典派経済学者たちと同様の近代主義的思考様式に基づくも
ので
ある
︒
しかしながらガンディーが意図していたのは︑そもそも﹁資本蓄積﹂や﹁余剰のフローの形成﹂
は︑むしろチャルカーを通じて簡素な社会を目指すことによって︑﹁近代﹂
たのであるから︑
ではなかった︒彼
の物質的発展とは異なる道を目指してい
センのように︑経済発展に寄与しないことをもってチャルカー運動を否定的に評価するのは妥当で
私たちは次節において︑グローバル化時代におけるガンディー思想の意義を考えるが︑その際︑グローバルな規模
での物質的繁栄によって貧困を解決しようとするセンの思考が︑ は
ない
︒
第三節
いかにぬきがたく近代主義に彩られているかをさら
に確認することになる︒しかしこのとき︑そうした近代主義が︑地球の制約の前に限界をもち︑ほかならぬセンがタ
ゴールとともに批判したガンディー主義によって超克されるべき対象として照らし出されるであろう︒
グローバル化時代におけるガンディー思想の意義
センによる批判を超えて
二︱世紀のグローバリゼーションは︑産業革命期とは比較にならないほど高度な物質的繁栄を人類の一部にもたら
しているが︑同時に︑空前の規模と速さで地球の資源を消費し︑環境を破壊しているのであり︑ゆえに人類を含む生 八四
センは︑グローバリゼーションの時間軸を﹁今﹂よりもはるかに長く︑また空間軸を﹁西洋﹂よりもはるかに広く
設定し︑基本的にはこれを肯定的に受け止めている︒﹁グローバリゼーションは︑数千年にわたって旅行︑貿易︑移
民︑文化的影響の伝播︑知識や理解︵科学や技術に関するそれらを含めて︶の拡散を通じて︑世界の進歩に貢献して
きた
﹂
( S e n
,
20 02 ,
p .
2, 括
弧は
原著
者︶
︒
センは︑ヨーロッパの今日の繁栄は︑中国やインドなど西洋以外のところで何懺紀も前に生じたグローバリゼーショ
( 1 2 )
ンの成果を受け入れることなしにはありえなかったとした上で︑﹁同じ原理が今日︵西から東へという︶逆の向きに
( S e n
2,
00 2, p .
3,
括弧は原著者︶︒彼が︑﹁グローバリゼーションの反対側に位置
するのは︑偏狭な分離主義や頑迷な経済自立主義です﹂
( S e n
,
200 0
﹂
p .
8 )
と述べるとき︑その立場は︑ガンディー
の運動を﹁地方気質の最悪の形式﹂と批判したタゴールのそれにかぎりなく近い︒センにとっては︑﹁世界の貧者か
ら現代技術のもつ大きな優位性や︑国際貿易において定着した効率性︑そして開放社会の中で生きることの社会的・
経済的利益を取り上げることによって︑彼らの経済的な苦境を改善することはできない﹂
( S e n
,
20 02 ,
p . 4 )
り︑古い技術の復活によって経済自立を目指したガンディーの思想が︑彼の目に﹁世界の進歩﹂に逆行するものとし
て映ったとしても不思議ではない︒
とこ
ろで
︑
センが︑このように科学技術や国際貿易を﹁数千年﹂という単位でみるとき︑彼は﹁近代﹂
対する評価をかならずしも明示的におこなっているわけではない︒とはいえ︑﹁市場関係がもたらす交換と特化の諸 おいても当てはまる﹂と主張する るガンディー思想の意義を考えることにする︒
八五
態系の存続を根底から脅かしている点でいっそう深刻である︒前節では︑ガンディー思想に対するセンの批判をみた
が︑ここでは逆にセンのグローバリゼーションに関する議論を批判的に検討することによって︑こうした時代におけ
の諸価値に のであ
の妥当性を見逃している︒ 機会を広範囲に活用することなく︑経済的繁栄を達成することは難しい﹂
( S e n
,
20 02 ,
p .
5 )
と述べるとき︑彼は︑
市場を通じてもたらされる経済的繁栄とともに︑これらを支える利己心︑資本蓄積︑分業などの諸価値を暗黙のうち
( 1 3 )
に歓迎しているはずである︒これらにセンが重視する﹁発展﹂の中身としての﹁自由﹂の概念を加えるまでもなく︑
彼の思考は︑基本的に近代主義の枠内にあり︑したがって︑そこに﹁近代﹂を乗り越える契機を見出すことはほとん
ど不可能である︒
( E r n
s t
F .
S c
h u
m a
c h
e r
)
は︑﹁平和への道は豊かさへの
道にしたがうものでなければならない﹂という﹁支配的な近代の確信﹂
( S
c h
u m
a c
h e
r ,
19 73 ,
p .
19 :
邦訳
︑
に対して︑﹁必要物の削減によってのみ究極的には紛争と戦争の原因となる緊張をほんとうになくすことができる﹂
( i b i
d . ,
p .
29
: 同前書︑二四ページ︶と述べた︒地球上の資源と環境に限界があり︑人間がそれらの制約のなかで社
会を運営してゆかなければならないという認識に立つならば︑経済的繁栄をグローバルな規模で達成しながら貧困を
解決しようとするセンの見解は︑ガンディー主義の側からは逆に次の諸点において批判されるであろう︒
第一
に︑
センが︑資本蓄積を肯定的に捉え︑アンバル・チャルカーを批判するとき︑彼は︑低エントロピー性技術
ニコラス・ジョージェスクーレーゲン
( N
i c
h o
l a
s G
e o
r g
e s
c u
, R
o e
g e
n )
は ︑ エントロピーを﹁あ
る熱力学的システムにおいてエネルギーが変化するある瞬間における︑利用不可能なエネルギーの量を示す指数﹂と
一般に技術を高度化して低エントロピー性の化石資源を大の定義を示しているが
( G
e o
r g
e s
c u
, Ro
e g
e n
,
19 76 ,
p .
7
) ︑
量かつ高速に消費することは︑社会の持続性にマイナスに働く︒リチャード・グレッグ
( R
i c
h a
r d
G r
e g
g )
は︑早くか
らカーディー運動を﹁熱力学第二法則として科学者に知られた経済学への非常に懸命な応用である﹂
( G
r e
g g
,
19 46 ,
p .
10 5)
と高く評価し︑﹁太陽エネルギーの現在所得としての食糧と身体の力﹂を利用するチャルカーの優位性を主張し ガンディー主義的経済学者エルンスト•F.シューマッハー
一六
ペー
ジ︶
八六
とはしていない︒ はならないだろう︒ 断ってしまう︒
ロメシュ・デイワン
たが
( i b i d . )
︑
第二
に︑
( 1 4 )
センはこうしたグレッグの視点については検討を加えていない︒
八七
センが︑﹁絶対的剥奪﹂としての貧困に焦点を当てることによって︑これを﹁相対的剥奪﹂の文脈から切
相対的剥奪ー|iそのすべての変種を含む—|'は、貧困概念の唯一の根拠ではない。たとえば飢饉は、社会にお
ける相対的パターンがいかなるものであるかにかかわらず︑深刻な貧困の一ケースとして容易に認められるだろ
︑︑
︑︑
︑
う︒実際︑我々の貧困の考えには︑絶対的剥奪という最小限の核心があって︑それは︑第一に相対的構図を突き
止める必要なしに︑飢餓︑栄養不良︑その他の目に見える困難の報告を貧困の診断へと変換するものである
( S e n
,
19 81 ,
p .
17 ,
強調
は原
著者
︶︒
センのこの見方は︑﹁相対的剥奪﹂のメカニズムを証明することなく︑貧困の実態に焦点を当て︑人々の﹁潜在能
カ﹂の開発(11人間開発︶を理論化する強みをもつが︑同時に︑貧困と富裕の因果関係を探求する回路をともすれば
るときである﹂と述べた
第三
に︑
り離している点についてである︒
( R o m e s h
D i w a n )
は︑ガンディーとセンの貧困に対するアプローチの違いを比
較した論考においてセンのこの姿勢を批判し︑﹁貧者と非貧者の関係が重要なのは︑それがとりわけ搾取的関係にあ
( D i w a n ,
19 99 ,
p .
42 9)
︒搾取の不在を証明することがセンの意図ではないにせよ︑﹁絶対的
剥奪﹂に焦点を当てるあまり︑﹁相対的剥奪﹂のメカニズムのなかで貧困が生み出されてゆく可能性を不問に付して
センは︑貧しい人々が﹁より特権的な人々が享受している社会的・経済的機会から排除されている﹂と認
識しているが
( S e n
,
20 00 , p . 8
)︑そもそも﹁特権的な人々が享受している社会的・経済的機会﹂
つまり︑高度な経済発展とそれに必要な資源に裏付けられた﹁特権的な人々﹂ の正当性を疑うこ
の﹁
自由
﹂
の幅
が︑
をも
つ﹂
( S e n
,
20 02 ,
p . 4 )
というが︑﹁ヨーロッパ︑
アメリカ︑日本︑東アジア﹂
幅を維持しながら︑﹁他のすべての地域﹂の人々が前者と同じ﹁自由﹂
( 1 5 )
して事実上不可能と考えるのが自然である︒ の人々が享受している﹁自由﹂
の
の幅を享受することは︑資源の制約を前提と
センに対するこれら三つの批判は︑裏返していえば︑第一に︑低エントロピー性の労働集約的技術と簡素な社会の
優位性を主張し︑第二に︑貧困を絶対的文脈だけでなく相対的文脈においても認識する視覚をもち︑その上で第三に︑
一部の人々による富や資源の独占を是正して貧者の救済を目指すガンディー主義の理念に基づくものである︒結局の
ーマッハーの主張するように︑すべての人の手の届くように﹁人間の等身大の規模に戻る﹂
( S
c h
u m
a c
h e
r ,
19 73 ,
p . ( 1 6 )
︱ニ︱ページ︶方向になければならない︒このとき私たちが︑生き残りをかけてグローバリゼーション
の流れを反転させようとするならば︑その契機はセンではなくやはりガンディーの思想において見出しうるのである︒
シューマッハーが引用したガンディーの次の言葉は︑人類や生態系の存続の危機を念頭におくとき︑ニ︱世紀のグ
ローバル社会においていっそう深い意味をもつ︒﹁地球は︑全ての人の必要を満たすのに十分なものを提供するが︑ 148: 邦
訳︑
お わ り に
ところ︑人間の社会を持続可能なものにしてゆくためには︑はじめに﹁特権的な人々﹂が︑﹁必要物﹂を自発的に削︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑減してゆかなければならない︒貧しい人々の﹁自由﹂の拡大はそれと同時に図られるべきで︑そのために技術は︑シュ あ
る︒
セン
は︑
﹁ヨ
ーロ
ッパ
︑
アメリカ︑日本︑東アジアで起こったことは︑他のすべての地域に重要なメッセージ ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
︑︑
︑︑
︑︑
貧しい人々の﹁自由﹂を制限することによって確保されている可能性を︑センが想定しているようにはみえないので
\\
︑ J
ノ'
( 1 )
打開する道はないはずである︒ に︑後者の人々の﹁必要物の削減﹂を著しくおこない︑
﹁小
さな
経済
﹂
八九
へと大きく旋回する以外に﹁近代﹂の矛盾を
の ーセンの概念を用いるならば—|lグローバル社会において貧者の <奪い合うのか︑それとも将来世代のことも考えながら︑より少ない資源を分け合って︑より簡素な生活に満足を見 は︑互いに枯渇性資源を奪い合っているだけではなく︑実は︑将来世代からもそれを奪って生きている︒ニ︱世紀は︑ 全ての人の貪欲を満たすほどのものは提供しない﹂
﹁コ
ミッ
トメ
ント
﹂
グローバリゼーションの名のもとに物質的豊かさを求めて枯渇してゆく資源をいっそう激し
このとき人類を含めた生態系の破壊を回避する開発は︑
によって支えてゆくという形をとるだろう︒ただしその場合︑
AISA
の活
動は
︑
AISA
範疇外のカーディー生産に対する一定の波及効果をもち︑ ポール・エーリック(P au l Eh rl ic h)
とアン・エーリック
( A n n e
Eh rl ic h)
は一九八一年に︑生物の多様性が急速に失われつつあ
る現状に鑑み︑一生物種が絶滅に瀕していることが﹁ひとつの悲劇ではなくて︑まさしく私たちすべてにおおいかぶさっている地
球規模の破局の症候﹂
(E hr li ch
a n d E
hr li ch , 19 81 : 邦訳︑六ページ︶であり︑ほかならぬ人類が生物種の﹁絶滅の主要なエージェン ト ﹂
(i bi d.
: [同前書︑三五ページ︶であることを指摘している︒彼らは︑いくつか予測に基づいてこの時点での地球上のすべての種
の五 分の 一が 一
10
世紀の終わりまでに消え去るであろうと考えていたが︵同前書︶︑その速度は︑経済のグローバリゼーションと
ともに今世紀に入っていっそう加速するとみるのが自然であろう︒
( 2 )
経済定常化阻止の方策に関するリカードの思想が︑ミルやウェークイールドに継承されてゆく経緯は︑︵西川︑一九七八︶第二
章︑第四章に詳しい︒また︑こうしたイギリス経済学に対するガンディーの批判については︑
( Is h i i, 20 01 , p p. 3 00
‑0 1)
を参照され
たい
︒
( 3 )
もっ
とも
︑
筆者の推計では︑これによっ ガンディー思想が示唆するよう
﹁潜
在能
力﹂
の開発を相対的に裕福な階層の人々 出す方向に転換できるかの岐路に立たされる時代である︒ ますます多くの人々が︑
( S
c h
u m
a c
h e
r ,
1
97 3, p . 2 9 :
岬t
手い
︑
ニ四ページ︶︒人類の現代世代
てインド全体では綿布市場全体の三\六パーセントにおよぶカーディーがこの時期存在していたとみられる︒詳しくは︑
二
0 0七︶を参照されたい︒
( 4 )
たとえば篠田隆︵篠田︑一九八一︶︑ティルタンカール・ローイ
(R oy ,
19 88 )︑スミット・グハ
(G ub a,
19 89 )︑ピーター・ハー
ネッティー
( H
目n e
t t y ,
19 91
)︑柳澤悠
(Y
ga
g i s a w a ,
19 93 )
らによる研究において︑インド綿布市場に占めるチャルカ﹈やカーディ
ーの重要性はほとんど認められていない︒
( 5 )
マンモーハン.p.ガンディー(G an dh i,
19 31 )
とリチャード・グレッグ
( G r e g g ,
19 46 )
は︑この点を評価した数少ない論者
であ
る︒
(6)ガンディーは、一九二四/二五年時点の綿布生産量四六.―一億ヤード(重量換算で一―•六五億ポンドのより糸に相当)と
理解し︑もしもそのより糸を︑工場に頼らず年間二五ポンド生産する四六六0万台のチャルカーで紡ぐならば︑同数の紡ぎエと三一
0万人の織エ︑その他何千という職人が必要となるので︑成人農業人口のおよそ半分を養うことができると考えている
(Y ou ng I n d i a , Oc to be r
28 , 19 26
) ︒
( 7 )
チャルカー運動に関するより詳しい議論は︑︵石井︑二
0 0七︶を参照されたい︒
( 8 )
受託者制度理論に関するより詳しい議論は︑︵石井︑一九九四︶を参照されたい︒
( 9 )
センは︑ジャン・ドゥレーズ
( J e a n D re ze )
とともに﹁機能の束﹂を﹁ある人が︑その経済的︑社会的︑個人的特徴のもとに達
成しうるさまざまな選択可能な﹁状態
( b e i n g s )
と行為
( d o i n g s )
﹄﹂と定義し︑そうした機能の束の組み合わせをその人の﹁潜在能
カ﹂と呼ぶ
(D re ze an d S e n , 1 98 9, p .
12 )︒また︑﹁潜在能力﹂を規定する﹁エンタイトルメント﹂︵ある人が自由にすることができ
る選択可能な財の束の組み合わせ︶が深刻に制限されている状態を﹁権利剥奪﹂
( d e p r i v a t i o n )
と呼ぶ
( i b i d . , p .
20
‑3 4)
︒
( 1 0 )
センのいう﹁コミットメント﹂とは︑他人への顧慮に基づき﹁その人の手の届く他の選択肢よりも低いレベルの個人的厚生を
もたらすということを︑本人自身が分かっているような行為を選択する﹂という心理である
( S e n ,
19 82
邦 :
訳︑ 一三 四ペ ージ
︶︒ ( 1 1 ) この日ガンディーは︑ボンベイにて一五万着の外国製布地に厳かに火をつけた︒それは︑ディナナート・テーンドウルカル
(D in an at h Te nd ul ka r)
によると﹁何千もの市民が目撃した壮観な光景﹂
( T e n d u l k a r ,
19 88
‑9 0,
v o
l . 2
,
p .
53 )
であった︒﹁炎が駆け
上がって︹布地の︺山全体を包み込んだとき︑あたかもインドを縛っていた足鎖が︑真っぷたつに割れたかのように︑歓喜の叫
びが空中に嗚り響いた﹂
( i b i d . ,
括弧は引用者︶︒インドの布は︑インドが作るという強い決意の表明である︒
センは︑たとえば中国での紙︑印刷機︑火薬︑磁気羅針盤などの使用
( S e n ,
20 02 ,
p .
3 )︑インドでの十進法の発達
( i b i d . )
お
( 1 2 )
九〇
︵ 石
井 ︑